■スター大作戦とニーナの舌打ち
私はこの作戦に、大きな欠陥があることに気づいた。
というのも、ラインハルト様は王国内の地理に詳しくないし、ましてや学舎にこもりがちな私も同様だからだ。
この情報不足の穴を埋めるべく、私は貴族の中からもう一人、作戦に組み入れることを提案した。
ラインハルト様の素性は隠しつつも、王都の隅々まで脱兎の如く駆け回る実動部隊としてだ。
隣に座る侯爵次男のニコライ。
彼は、長男の責務から解放され半ば放置して育てられたため、かえって市井の様子に詳しかった。
私のことを好きかもしれないという側面も、彼の忠誠心を高めるだろう。
彼が市井に出て、色々な体験をしていることは、私もかねてより良く聞いていた。
作戦の「足」として、彼を引き込もう。
この人選をラインハルト様に相談すると、彼はリスクを鑑みて些か悩んだが、最終的に私の提案を受け入れてくれた。
ニコライは下町の子どもたちと遊び回った経験を、私によく自慢気に話していた。
調子を合わせて傾聴すると彼は上機嫌になる彼を、微笑ましく眺めていたものだ。
ニコライの下町ネットワークを使い、『最近増えた見慣れない大人がいないか』尋ねて回るように、彼にお願いしてみた。
ニコライは、それをそれはもう鼻高々に、情報収集のコツを教えてくれた。
フッと笑う。
「市井の子らは賄賂を渡すんだ。
甘い、甘〜いビスケットだよ。
あいつらったら、それには目がない」。
彼が普段からビスケットで釣っているらしかった。
用意したビスケットをニコライが受け取ると、彼は作戦開始とばかりに足早に去っていった。
作戦開始のため、少し遅れて貴族街から近い公園へ行くと、ニコライが誰かに腕を掴まれていた。
「坊っちゃま、困ります。ここから先へは行かせられません」
「後生だ!ショーン、行かせてくれよ」
現れたのは、ニコライの世話係である初老の紳士、ショーンだ。
眼鏡をかけ、口元に短めの髭を蓄えている。
彼の白い手袋をはめた大きな手は、ニコライを優しく、しかし有無を言わさぬ力強さで抑え込んでいた。
ニコライはもちろん、ショーンにも作戦の真の目的は告げられない。
私は咄嗟に、公爵令嬢のわがまま、という設定を使うことにした。
「あのね、ショーン。
私、ニコライが教えてくれた珍しいお花を見てみたいの。
ニコライが探してくれるって、約束してくれたのよ」
その言葉を聞いたショーンは、感極まったように膝を崩した。
「あぁ、ニコライ様が…!」と呟きながら彼を解放すると、ニコライは弾かれたように走り出した。
下町ネットワークはなかなかのもので、報酬としてお菓子がもらえるという話は、瞬く間に市井に広がったらしい。
参加賞のビスケットに加え、質が高い情報には功労賞が設けられ、その目玉はチョコレートだった。
市井にはチョコレートがほとんど出回っていないらしく、これが子どもたちの間で羨望の的となっている。
情報提供により、怪しい潜伏場所は短時間で数箇所に絞られた。
どの場所も治安が極端に悪く、王都の自警団も中々近寄らないらしい。
お駄賃目当てで勇敢にも入った子も何人かいたが、皆「二度と行かない」と口を揃えているそうだ。
「キャーッ!」
思わず悲鳴を上げた。
浮いていた。
立ち並ぶ家屋の二階。ベランダの位置まで高く昇った。
体が宙に浮く、という感覚は、もちろん初体験だった。
ラインハルト様を先頭に路地を曲がったところで、私は何者かに攫われた。
次の瞬間、ニーナが壁を蹴り上がる。
宙に浮いた私を片手でキャッチすると、空いた手で何かを投げる。
投げられたそれが壁に深々と刺さると、すぐ脇に潜んでいた人影は青ざめ、そそくさと逃げ去っていく。
「チッ」
生まれて初めてニーナの舌打ちを聞いた私は、誘拐されかけたことよりも、その冷徹な能力に驚いていた。
逃げた男を追って、私たちは寂れた居酒屋にたどり着いた。
ニーナは私を抱きかかえて移動していたが、目的地に着き、ようやく下ろしてくれた。
ニーナの腕の細さに比例しない力強さは、どこからきているのだろう?
堂々と入り口から飛び込むラインハルト様の後ろを静かに進む。
逃げ込んでいた男は、恐怖に息をあげながら奥に向かって「やっちまえ!」と叫んだ。
奥から現れた六人の男たちは、それぞれに剣を抜き、ラインハルト様に殺到した。
彼は私を慮り抜刀せず、拳と足で敵を次々と捌く。
それを察知したニーナは、即座に私をさらに後ろへと引き下げた。
ちらりとニーナを確認した後のラインハルト様は圧巻だった。
あっという間に六人を戦闘不能に追い込み、最後の一人の喉元に剣先を向ける。
「命ばかりはお助けを」――その一言で決着がついたのだと、私は心底安堵した。
後ろには、興奮した野次馬が群がっていた。
突然の出来事にもかかわらず、彼らはラインハルト様のあまりの強さに歓声を挙げている。
事件が収束した後、遠くに居たであろう自警団が、ようやく「何事か」と近寄ってきた。
ラインハルト様が「公爵令嬢への誘拐未遂犯だ」と告げると、男達は大人しくしょっ引かれていった。
その時、見てしまった。咄嗟の衝動だった。もはや何も考えられない。ただ、この状況を何とかしたい、その一心だった。
私は自警団の一人めがけて体当たりをしていた。
その男は『スパイ』だった。頭上に浮かぶそれを視認した瞬間、私の頭は真っ白になった。
私が体当たりで倒れ込んだ直後、ニーナが流れるような手際で一撃を加えた。
痛烈なそれは必殺となり、男を即座に気絶させていた。
この『スパイ』の存在を、どう説明すれば良いのだろう?私は言葉に詰まった。
私がもじもじと口ごもっていると、ニーナが素早く、「誘拐犯ではなく、ラインハルト様を狙った暗殺者だった」という筋書きを語ってくれた。
ラインハルト様は倒れた暗殺者を検分し、その身からニーナの言葉を裏付ける確かな証拠を見つけ出した。
「ここでは尋問ができない」。
ラインハルト様がそう言うと、次の行動のため、私たちは一旦公爵家へと戻ることになった。




