生きるということ
溜息を吐き、唯は左義手に視線を向ける。
リンもまた、苛立ちを隠す為にモニターへと視線を向けていた。
話し合いはどこまでいっても要領を得ず、互いに不満を漏らすだけ。いや、本当は分かっているのだ。
氷怨の唯が気に入らない。いつまで経っても、自分自身を責めているリンも気に入らない。それをうまく伝えられず、歪曲した言葉が飛び出すから何もかも伝わらなくて。
「とにかく。《ディメンシャード》を倒すまでは、力を利用するぐらいの感覚でいればいい。そんなに難しいことじゃないでしょう?」
リンはそう言うが。そう言っているリンの表情うは、それでいいのかと自問自答している……ように見える。
多分、そうやって利用すること自体にも責任を感じているのだ。どこまでも冷酷で冷静に判断しようとしながら、リン自身がそれを呑み込めないでいる。
「向こうだって、そう考えてる」
そう、リンは自信なさげに呟く。
「いや違う。割り切れないよ。だってあいつは」
何もかも失い、守れなかった果ての自分なのだから。
扉の開く音が、不毛な議論を中断させる。入室したエイトとゼロが、定位置ではなく唯とリンに近付く。
そして、エイトは椅子を掴んでリンの近くに座り、ゼロは唯を端に追いやってソファに座る。
「えっと、なに?」
唯が二人にそう問いかける。すると、エイトはゼロを手で指し示した。あちらのお客様から、みたいな仕草だが。ゼロが説明してくれるのだろうか。
こほんと咳払いし、ゼロが口を開く。
「普段ならほっとくんだけど。今回ばかりはミスって欲しくないの。戦うだけのイノシシバカと、頭は良いのにコミュニケーションが致命的にバカな二人の為に、とっても頼りになるゲストが遊びに来たよ」
つまり、どういうことなのだろうか。唯はエイトを見る。
「もう一人の唯……氷怨の唯に関して、俺達は共通の認識を持っていた方がいい。その手助けをする」
リンが溜息を吐く。
「だから。《ディメンシャード》を撃破するまでは」
「先延ばしにするな。リン、君は唯と向き合うべきだ」
珍しく、エイトはリンの言葉を遮り言い返した。有無を言わさぬ声色に、唯も口を噤む。
「その甘さと触れ幅が、致命的な隙になる。リン、なぜ唯が強いか分かるか?」
リンは黙ったまま、エイトをじっと見る。反論はせず、答えを待っているのだ。
「正確には、強い時と弱い時の差が何か、となるが。分からないのなら教えよう。唯は真っ直ぐだからだ。彼が敵に対し、これは違う、だから勝つと決めたのならば。必ずそうなる」
エイトはリンを見据えている。リンは僅かに視線を逸らした。
「では、そこに迷いが生じたらどうなるのか。これは違う、でも、だけど。そう考えていたらどうなる?」
リンは目を閉じる。エイトはちらとゼロを見て、ゼロは肩を竦める。
「実際問題、唯が迷うことは結構あるけど。そういう時って、あんたが何とかするでしょ? だからあんまり心配してないんだけど。今回ばかりは心配だよ。あんたも唯も迷ってる。その癖、そこから逃げてばっかり。ねえ唯」
唐突に声を掛けられて、唯はおっかなびっくりといった様子でゼロを見る。
「あんたはどうしたいの? 何考えてるの? 自分とは違う、でもどうしようもないぐらい自分だなって相手を前にして。ただ不機嫌になるだけ?」
ゼロの表情は真剣で、言葉に嘲りは感じ取れない。そこで、ああと唯は気付いた。それだけ、この事柄は大切なのだ。
「……分かんないんだよ、俺は」
何が正しいのか、何が許せないのか。考えることは出来ても、それがうまく言葉になってくれない。
「分かんないことない。とりあえず全部言葉にしなよ。うまいこと言おうとかそういうんじゃなくて。誰かに言い聞かそうとかそういうんじゃなくて」
全部を言葉に。それに意味があるかは分からない。だけど、ゼロはそれを待っている。
「……まず、あいつは気に入らない。自分だって何となく分かるんだけど、なんかそれだけで気に入らなくて」
ゼロは頷き、続きを促す。
「何もかも皆殺しにしているのも嫌だ。何が嫌かって、それが簡単な道だって知ってるから。あいつは、それを選んだ。俺は違う道を選びたい」
唯は左義手に視線を落とす。簡単だからと言って、命を奪うことを肯定したくない。
「でも、たぶん、いやきっと。同じようなことになれば、俺もああなる。分かるんだ。リンを殺されて、エイトもゼロも、緑も光もみんな殺されて。それで、俺だけ生き残ったとして。この道を引き返すことはしない。きっと戦い続ける。あれは」
凍り付き、怨恨に染まり血に塗れたあの姿は。
「あれは俺だ。認めたくないけど自分自身で、だから酷くざわついて、他でもない俺が否定したいのに否定出来ない」
唯は左手で自身の顔を覆い、縮こまる。
「綱渡りなんだって怖くなる。一歩踏み違えたら、俺はあれになる」
完全に、完璧に否定出来るなら良かった。盲目に妄執に、信奉出来るのなら良かった。そのどちらかであれば、自分は迷わず戦えた。
「ずっと心が振れている。あれを否定する気持ちと、あれを認めなくてはいけない気持ちが。俺はどうしたいんだ?」
うまく言葉になってくれない。だってそうだろう。自分自身、どうしたいのか分からないのだ。
怒りに任せられる程他人事ではない。哀れむにしては殺し過ぎる。そして、そのどちらも捨てられない。
「リン、あんたはどう思うの? あたしもエイトも色々手は貸せるけど、本当の意味で片割れを支えられるのはあんただけだよ」
それとも、とゼロは続ける。
「それすらエルに丸投げするの? それであんたが納得出来るなら、それでもいいけどね」
エルの名前が聞こえ、唯は顔を上げる。リンも同じだったのだろう。その目は非難の色を滲ませていたが、ゼロの目にいつもの嘲りはない。
「ゼロ」
エイトが一言だけ発する。ゼロは一瞬むっとした顔をするも、すぐにその表情を消す。
「ごめん、今のは言い過ぎた」
珍しく、というより初めてかも知れないが。ゼロはそう謝罪した。
それを見届けてから、エイトが口を開く。
「リン、俺からはもう一人の唯、氷怨についての所感を話す。これはあくまで俺の意見だが。この件に関して、最終決定権を持つのは君だ。理由は分かるか?」
リンが目を伏せ、ぽつりと呟く。
「……私の責任だから?」
「少し違う。君の責任と感じるのなら、君が決め、君が見届け、克服すべきだからだ」
リンはしばらく黙ったままだったが、苦しげに頷いて肯定を示す。エイトも頷くと、話を続けた。
「俺達は氷怨の唯と交戦し話をした。彼の目的はプラトーの殲滅。日常を守る為に非日常を殺す……極論ではあるが、正論でもある」
唯はそれを聞きながら、そんなことを言っていたなと思い返す。自分の言葉と幾つか被る。自分の言葉なのだから、当然ではあるが。
「非日常を殺すと彼は言ったが、我々はその範疇にいない。唯のやり方では、いつか誰かが死ぬそうだ。なので、その前に自分がプラトーを殲滅すると意気込んでいたな」
一つ補足、とゼロが口を挟む。
「あっちの唯は、あたし達やあんた達を否定してる訳じゃない。むしろ自分より上だって言ってたよ。だからこそ躍起になってるのかもね」
自分だったらどうする、と唯は自問自答する。仲間を全て殺されて、何もかも奪われて、それでも戦い続けて、その果てに。仲間が生きて、守れるものがあって、それでもやはり戦い続けている世界に辿り着いたとしたら。
それを守りたいと、自分であれば。やはり思うのだろう。
「氷怨の唯は何度も次元を超え、戦い続けている。原理は分からないが、プラトーの存在自体が、彼の存在する理由になるらしい。殲滅が終われば彼は消え、また別の次元へ。プラトーの存在する世界へ飛ばされるらしい」
「何回飛んだかは数えてないってさ」
荒唐無稽な話だった。だが実際にあいつは存在し、それはどう足掻いても自分自身だった。
リンは小さく首を横に振る。否定している訳ではない。信じたくない、といった様子だ。
「次元間、平行世界。プラトーでも、一部の物好きが研究してた。そう。じゃあやっぱり……でもそれなら」
リンが両手で顔を覆う。表情が見えなくなる。
「永遠に戦い続けて、これからも戦い続けるのね」
私のせいで、とリンは心の中で付け加えたのかも知れない。
少しだけ待ってから、エイトは口を開く。
「俺の所感だが、彼は信用出来る。何よりも強い。現実的な選択は。彼と協力し《ディメンシャード》を完全に撃破し、後は傍観する、ということだ」
「こっちは手を汚さずに済むし、死なずに済む。実感は湧かないけど、日常って奴に戻れるかも」
ゼロの言葉に、エイトは頷く。
「プラトーという組織は、決まった形を持たない。トップを倒した所で、別の誰かがその代わりをする。天才を根絶しない限り、プラトーは死なない」
だから、とエイトは続ける。
「氷怨の唯が行うそれは、最短でプラトーを殺す手段だ。俺達には出来ない」
虐殺を選ばなければプラトーは殺せない。プラトーが生きている限り、いつか誰かの日常が壊される。
であるならば。選択肢など、端からないのではと。そう唯は左義手を見る。
「ここまでが、俺達の持ち得る情報であり所感だ。そして、ここからは」
唯は顔を上げエイトを見る。エイトの目はリンではなく、こちらに向けられていた。
「俺の、取るに足らない意見を一つ言わせて貰う。そう難しいことではない」
そう言うと、エイトはふっと口元を緩める。
「色々と考えることはあるが。それでも俺は、君の。命は重いという考え方を、否定したくはないな。それはきっと」
エイトはこちらの左義手を見てから散らかり放題散らかった部屋を見渡す。
「……きっと、正しいことだ」
エイトの言うことは間違っていない。これは取るに足らない意見であり、難しいことでもない。
それでも、他のどんな情報よりも。自分に必要な言葉だと思えた。
唯は頷き、目を閉じ、深く息を吐いてから目を開く。
「そうだ。俺を撃ち抜いた時も、そういう目をしていた。だろう?」
エイトの言葉に、唯は苦笑を返す。
ゼロはソファから飛び降り、リンへと近付く。
「……あっちの唯、言ってたよ。俺達みたいなのは、戦い続けることでしか自分を赦せないって」
ゼロはリンと視線を交わす。
「あいつを赦せる奴がいるとしたら。それはあんただけなんじゃないかな。赦してやれない?」
自分には出来ないことだから、人に頼む。ゼロらしい論理だが、その表情も声も、いつもと打って変わって殊勝だ。
リンは目を閉じ、考えを巡らせ、小さく、だが力強く頷く。両手で自身の頬を叩き、ゼロをじろと見る。
「相当きついわよ。覚悟は出来てるの?」
ゼロは鼻で笑う。
「随分と前、とっくのとうにね。あんたが周回遅れなだけだよ」
憎まれ口を叩いてから、ゼロはリンから離れる。
唯とリンは顔を見合わせ、互いに頷き合う。
道は定まった。




