日常
唯達はドクター・ウォームと戦い、これを打倒した。
しかし、それでプラトーと決着が付いた訳ではない。彼は間違いなく天才だったが、プラトーとはそも天才の巣窟である。
加えて、アロガントの問題もまだ残っていた。エルの光に導かれ、大多数のアロガントがどこかへ旅立ったが。少なくない数が地上に残り、勝手気ままに物を食らっている。
つまるところ。唯達の戦いは、まだ終わりそうになかった。
異形の化け物が街を喰らう。人々の逃げまどう姿と悲鳴、それらを蚊帳の外にしてカメラを向ける人もちらほら。
「慣れっておっかないよね」
大型バイク、ロードアンカーを乗り回しながら、片羽唯は呆れたように呟く。
「アロガントが人を食べない、という保証はないのだけど」
それこそ慣れっこなのか、バイクの後部座席に座っている銀色少女、リンはそう返答する。
異形の化け物、アロガントには首がない。だが胴体に馬鹿でかい口腔が存在しており、それであらゆる物を喰らい咀嚼する。あらゆる物とは、あらゆる物なのだ。人間も例外ではない。
「たまたま車好きだったから無事なだけね」
リンがそう付け足す。見た目十一歳、実年齢二十八歳のこの少女……見た目だけなら少女は、じっとアロガントを注視している。そのアロガントは車を主食にかじりながら、途中で味変なのか街灯を食べ始めている。
「って、まだ近付くんだ」
「急ぐわよ」
カメラを構えた数人の一般人は、じりじりとその化け物に近付いていく。野生動物とは訳が違うのだが、それこそ慣れてしまったのか。或いは、カメラの向こうを覗いていると、そういう感覚が麻痺してしまうのか。
どちらにせよ、その動きが煩わしく感じたのだろう。街灯の先端を咀嚼していたアロガントは、残った部分、つまりは棒の部分をひょいと投げた。それこそ、悪ガキがアイスの棒を後ろ手に捨てるような動作だが。それを行ったのは大柄の化け物であり、捨てたものは街灯の芯……人の命を奪うには、充分過ぎる質量と速度だ。
回転し迫る棒を前にして、ようやくカメラ越しの死に気付いたのだろうか。悲鳴を上げ逃げようとするも、出来たことは尻餅を付くことだけ。
「まったく!」
毒付きながらも唯はロードアンカーを加速させ、グリップにあるトリガーを引く。ロードアンカーの前面が上下にスライドし、命名の由来となったアンカー、つまりは錨状のレリクトブレードが即座に展開される。
レリクト……未知の元素であり、常識を覆すエネルギーを秘めている。だがその代償は大きく、その内の一つが異形の化け物、アロガントだ。人がレリクトを投与され、変異した果てがあの姿、という訳だ。
ロードアンカーは錨状のレリクトブレードを展開したまま、悲鳴を上げる人間と飛来する鉄棒の間に割って入る。
レリクトブレードは容易く鉄棒を切断し、真っ二つになったそれの一方はビルの壁面に突き刺さり、もう一方はロードアンカーの側面にひっかき傷を残す。
「ああもう! この前綺麗にしたばっかりなのに!」
後部座席に座っていたリンが飛び降り、バイクに付いた傷を撫でる。
レリクトブレードを格納しながら、唯もバイクを降りる。ハンドルと一体となった右義手が外れ、折り畳まれていく。
「はい、危ないので逃げて下さいねー。日本で良かった、俺でも言葉が通じるから」
本来はリンがやっているのだが、今回は仕方なく唯が人払いをする。直前で死にかけたからなのか、何人かは即座に走り去ってくれたが。まだ何人かは、遠く離れただけでカメラを抱えている。
「言葉は通じても、分かってくれるかはまた別の問題、か」
「唯、言語ってのはこう使うのよ」
いつの間に立ち直ったのか、リンはそう言うと懐から拳銃を出し、逃げようとしない一般人に向けて何発も発砲する。
破裂音と同時に周囲の火花が散り、今度こそ全ての人間が走って逃げていった。
「あのさあ……」
唯が眉根を潜めるも、リンは得意げにくるくると拳銃を回す。
「言葉や思いは通じなくても、銃弾は通じる。人は分かり合えるのよ」
さも当然といった表情で、リンはそんなことを言う。しかし、唯の胸中に気付いたのか膨れ面を見せる。
「何よ。私の腕を信頼してないの? あの距離で当てないようにすることぐらい造作もないわ」
まあ、とリンは続ける。
「カメラだけを撃て、と言われたらさすがに苦言を呈するけど」
「そっかあ」
唯は生暖かい返事を返す。リンはとても頑固なので、言い合いをするだけ無駄なのだ。
唯は意識的に息を吐き、とりあえずのあれやこれを端に追いやる。今は戦う時なのだ。
「とにかく、あとはあいつだけだよね?」
「今の所はそうね」
よし、と唯は頷く。ロードアンカーに左義手を伸ばし、自身の右義手型アームドレイターを掴もうとするも、動きの緩慢なそれは何度か空を掴む。
「まだ制御が安定しないわね」
それを見ながら、リンは横合いからアームドレイターを掴む。
「前と同じって感じにはいかないな」
唯は苦笑しながら、ぎこちない動きで左義手を動かし、右肩を露出する。リンがそちらに回り込み、右義手型アームドレイターを装着した。
『Connected Arm』
唯は左義手でレリクト・シェルを掴み、多少もたつきながらもそれを右義手型アームドレイターに装填する。そのまま流れるようにフォアエンドをスライドし、腕の初期起動を済ませた。
右義手型アームドレイターは灰色の燐光を宿し、指先がゆっくりと動く。
「ウォーミングアップといくわよ」
リンはそう言うと自らの右手を伸ばし、唯の右義手型アームドレイターをぽんと叩く。手が触れた瞬間、リンの身体は灰色の燐光となり、アームドレイターに溶け込んでいった。
『ArchiRelics......《blank》』
唯は右の足と拳を引き、素早く構える。
「それじゃあ、フェイズ・オン!」
始動キーを口にしながら、唯は眼前に右ストレートを放つ。拳は虚空を揺らすのみだが、そこにある銃口が所定の性能を発揮する。
『PhaseOn.......FoldingUp......』
右義手型アームドレイター、その中指の付け根にある銃口からレリクトが放出され、唯の姿を覆い隠す。エネルギーの奔流は、瞬く間に唯を一騎の戦士へと変えた。
『......《blank》Relics』
右の拳が反動によって跳ね上がるも、それを唯は易々といなし、両の拳を何度か打ち合わせる。
唯とリンは《ブランク》レリクスとなり、そういえばと左義手の拳を握っては開く。
「やっぱり、レリクスの時は動きが良くなってる」
以前ほどではない。だが、ぎこちないといった印象は消えている。
「レリクトで疑似的な神経回路を形成しているのかしら……貴方は本当に規格外のことばかりする」
「したくてしてる訳じゃなくて、勝手になるんだ、けど!」
瞬く間に距離を詰めてきたアロガントの、丸太のような腕が振り抜かれる。唯は、《ブランク》はそれを屈むようにして躱す。
「その勝手が一番の問題なのだけど。制御も予測も不能じゃ、対処のしようもないわ」
リンのお小言を聞き流しながら唯は、《ブランク》はアロガントの背後に回り込み、右の拳でアッパーを放つ。しかし、アロガントは姿勢そのままに高速移動をし、その一撃を回避した。
「え、なんか速い」
「向こうも変異したわね」
アロガントは高速移動、否滑走しながら、全身を変化させていく。両足にはトラックのような大きなタイヤが生え揃い、これが駆動し道路を高速滑走しているようだった。
太い両腕は脈打ち、その手の平から管が突き出る。それが何なのかは、すぐに分かることとなった。
アロガントは遠方を滑走しながら、両腕を振り抜く。突き出した管からは、細いレーザーを思わせる水が放出されていた。
そしてそれは実際にレーザーと同等の切断力を以て《ブランク》を薙ぎ払う。回避出来なかったそれに裂傷を負わされながら、《ブランク》は水圧に押され後方に倒れる。
「……なんか斬れた気がする」
「外装を少し抜かれたわね。《ウォータートラック》アロガント、見た目ほど容易くはなさそうだわ」
ウォータートラック……散水車だろうか。
唯は、《ブランク》はひょいと立ち上がり、右の拳と左の手の平を打ち付ける。
「……見た目ほど容易くなくとも」
《ウォータートラック》アロガントは、尚も滑走し距離を取りながら、両腕の管をこちらに向ける。
「やるべきことを、やるだけだ!」
《ブランク》は走り出す。同時に《ウォータートラック》アロガントも、水とレリクトのカッターを解き放つ。
水の線をかい潜りながら、《ブランク》は距離を詰めていく。《ウォータートラック》アロガントは、両腕を複雑に振り回し、《ブランク》の接近を阻もうとしている。
文字通りの防衛網を前に、しかし《ブランク》は止まらない。スライディングで滑り込み、軽く飛び上がってこれを避け、大きく跳躍して至近の距離まで飛び込む。
そのままの勢いで右の拳を突き出し、《ウォータートラック》アロガントを殴り付ける。多少よろめいたものの、アロガントはお返しとばかりに腕を振り抜く。
「このぐらいで」
その殴打を難なく躱し、《ブランク》は左のジャブを素早く叩き込み、右の拳を握りしめる。
「止まるか!」
唯は、《ブランク》はそう言い放ちながら、右の拳をかち上げる。その拳には炎が生じ、繰り出されたアッパーの軌跡を刻む。
炎を纏った右アッパーは、今度こそ《ウォータートラック》アロガントを宙に打ち上げる。
「リン、あれを使う!」
空中で無防備な姿を晒しているアロガントを見上げながら、《ブランク》はそう宣言する。
「三十秒ね」
「充分だ!」
《ブランク》が足で地面を踏み締める。それと同時に炎が踊り、脚部に陽炎が生じた。その陽炎は瞬く間に形を帯び、揺らめきながらもそこに存在する武器となる。
《ブランク》の脚部に、無骨な杭とそれを解き放つ機構が形成されたのだ。ヒールバンカーと呼ばれるそれは、本来ならば《ブランク》の装備ではない。
「行くぞ!」
《ブランク》の脚部に生じたヒールバンカーの陽炎が、本物さながらに撃発する。それは揺らめきながらも、本物と遜色ない爆発力で《ブランク》を空中へと跳ね上げる。
狙いは《ウォータートラック》アロガント、ただ錐揉みするだけであり、足に生え揃ったタイヤが空しく空転している。
「こいつで」
《ブランク》は右義手を正面にかざす。いつの間にか脚部の陽炎は消えており、それが右義手へと宿っていた。陽炎は揺らめき、一振りのブレードへと変わる。
ヒールバンカーで跳躍した《ブランク》は、一瞬でアロガントへと追いつく。すれ違い様にブレードを一閃し、アロガントの胴に深い裂傷を刻む。
それだけではない。追い越すと同時に《ブランク》はアロガントを踏み台にし跳躍、アロガントは地面へ、《ブランク》は空中へ留まる。
右義手のブレードが陽炎へと変わり、陽炎は揺らめきながらブラスターへと変わる。そのブラスターは、既に煌々とした光が灯っており、その砲門は落下していくアロガントへと向けられていた。
「終わりだ!」
《ブランク》の右義手、陽炎のブラスターから光の帯が照射される。水とレリクトのカッターが児戯に思える程の熱量とレリクトによって、《ウォータートラック》アロガントは地面に辿り着く前に胴を撃ち抜かれ、地面に辿り着いたと同時に爆散した。
攻撃を終え、落下していく《ブランク》の外装が変形する。外装の各所で装甲が開き、赤熱した板が飛び出し放熱を開始する。全身を陽炎で覆われながらも、《ブランク》は余裕を持って着地して見せた。その手にブラスターはなく、全身を覆う陽炎もまた、ただ揺らめくだけの現象となっている。
「《ブレイド》レリクス、《ブラスト》レリクス、《ブリンク》レリクス。それぞれのバレルフェイザーや特殊な機構を疑似的に再現する。暫定名ミラージュフェイザー。まだまだ改良が必要そうね」
リンの率直な感想に、唯は苦笑いを返す。
「数十秒はさすがにね」
そんなことを言いながら、《ブランク》は右義手型アームドレイターを取り外す。外装と同時に陽炎も消え、唯の隣に灰色の燐光が集約していく。
燐光は人の形となり、リンが地に足を着ける。
「ドクター・ウォームとやり合った際に、今まで使っていたアームドレイターは全損。予備パーツから何とか組み立てたけど、問題は」
「規格? が合わないんでしょ。前も聞いたよ」
そう、とリンが頷く。
「腕を換装し、性能を変化させる。《ブランク》の不完全さを補う為の施策だったけど、独自性を出し過ぎたわね。新造したアームドレイターとの規格が合わないから、一から再設計するしかないの」
再設計……アームドレイターのことなのか、換装腕の方なのか。
「どっちを?」
「どっちもかしらね」
大変そうだと唯は顔をしかめる。
「そう、大変なの。だからこうして模索してるんだけど」
うまくいってない、ということだろうか。
「そうでもないわ。進行と変化はしている。時間は、まあ、もう少し掛かるけど」
「そうなんだ。というか」
唯は疑問符を浮かべる。またぎこちない動きに戻ってしまった左義手を駆使し、携帯端末を取り出しながら、思ったままを口にする。
「ちょいちょい俺の思考を読んで返事してない?」
「してるけど、何か?」
リンの表情を見るも、本当に何か? と思っていそうな顔つきだ。
「いや、その。まあ、便利だよね」
歯切れの悪い言葉を返しながら、唯は取り出した携帯端末を操作する。
「お、向こうも終わったみたい。何もなければ合流かな?」
「一カ所寄りたい場所があるから、そこを経由してから帰投するわよ」
携帯端末に表示されたメッセージには、別行動をしていた仲間の簡潔な報告が記されていた。
唯は更に端末を操作し、避難させておいたロードアンカーを自動運転で呼び出す。全てを終え、携帯端末をまたぎこちない動作でしまいながら、そういえばとリンを見る。
「寄りたい場所って?」
ふふん、とリンは胸を張る。
「欲しいお酒があるの。貴方の出番ね」
唯は苦笑する。
「別にいいけど、年齢確認されたら俺でもアウトって忘れてない?」
そんなやりとりをしながら、傍に近付いてきた大型バイク、ロードアンカーへと跨がる。
ドクター・ウォームとの決着を付け、アロガントとの決着も一応、大筋では付いたものの。
唯達の戦いはまだ続いていた。




