氷怨の鎧
何もかもが凍てついた世界を、一騎のレリクスが歩いていく。人智を超えた鎧を……レリクスを身に纏い、戦い続けた男の足取りは重い。
そのレリクスは、凍り付いた世界の中で唯一動いている。それどころか、その鎧は濡れていた。絶えず滲み出る血液がレリクスの外装を赤黒く染めている。水であろうと血であろうと、濡れていれば凍り付くのは必至、にも関わらずそのレリクスは歩き続け、血の足跡を氷の床に残していく。
それもその筈……この冬をもたらしたのは、他でもないこのレリクスだからだ。
凍てついた世界を、もたらされた冬によって陥落したプラトーの施設を進み続けた赤黒いレリクスは、凍結した通用路を歩き、冷え固まった扉を右の拳で粉砕する。
その研究室には、一人のドクターがいた。
秘密組織、或いは研究機関であるプラトー。そこに属し、合法非合法問わず研究を繰り返すドクター。
その善悪や恩恵など、語るべき点は大いにあるだろうが、血濡れたレリクスにとってはどれも意味を成さない。
彼の思考はシンプルだった。
「探したぞ。ここにいたか」
血濡れたレリクスが言葉を発する。酷く疲れ、掠れ、機械の軋む音とノイズが混じっているそれは。そんな有様へと至っても尚、強い意志を感じさせる声色だった。
血濡れたレリクスに言葉を掛けられた側の人間は……下半身が凍り付き、苦痛に悶えているドクターは、小さく首を横に振る。やれやれ、と呆れている様子だ。
「……私は、我々プラトーを構成する部品の一つでしかない。些か過剰、拘り過ぎているように見えるが」
苦痛と死が迫っていても、そのドクターはいつもの調子で言葉を吐く。
「本当に危ない奴はこの手で確実に殺す。そう決めている」
対して、血濡れたレリクスは簡潔に、事実だけを返す。そして、対話する気など端からなかったのだろう。凍り付いた部屋に踏み入り、右腕の、否右義手の拳を握り締める。
「そうか。プラトーを殲滅する、その言葉に偽りはないようだ」
ドクターの言葉に何かを返すことはなく、血濡れたレリクスは真っ直ぐに歩き、ドクターの目前まで近付く。
拳を軽く引き、後はそれを解き放つだけ。その数瞬前に、ドクターは珍しく笑みを浮かべた。
「だが甘い。ドクターという生き物は」
血濡れたレリクスが拳を放ち、ドクターの胴体を撃ち抜く。新鮮な赤色は飛び散る前に凍り付き、瞬く間にドクターを凍結させていく。
「最期まで……研究に、勤しむ、ものだ」
完全に凍り付いたドクターを、右義手を振って粉砕した。胴を、主要臓器を直接破壊し、身体を粉々にする。過剰、拘り、その通りかも知れないが、殺し損ねるよりは良い……そう血濡れたレリクスは考えていた。
赤い氷雪を眺めながら、目的は果たしたと血濡れたレリクスは溜息を吐く。そうして踵を返そうとした瞬間、足が動かないことに気付いた。
自身の足を見下ろす。凍ってはいない。言うなればそれは。
「空間の……底なし沼か?」
両足はずぶずぶと沈んでいく。氷や床を無視し、ここではないどこかへと。脱出しようにも身体は動かずならばと抵抗は止め思案を始める。
「フェイスも似たような技を使った。空間に直接固定する妙な技。あれとは少し違う」
なるほど、と血濡れたレリクスは頷く。
「これがお前の研究か。空間や次元、そういったあれやこれ」
そうこうしている内に、血濡れたレリクスは少しずつ、だが確実に呑み込まれていく。
「難しいことは分からないが」
血濡れたレリクスは全身に力を込める。
「俺は……ただ喰らうだけだ」
そう呟き、血濡れたレリクスは集約した力を用い、自ら空間の渦に飛び込む。
呑み込まれるのではなく、全てを喰らう為に。
血濡れたレリクスが辿り着いたのは、何もない空間だった。次元と次元の狭間、世界と世界の余白……人が、生命が存在出来る場所ではない。
まともな人間であれば数分と保たず自我が溶け、消えていくだけだろう。
だが幸いにも、或いは不幸にも。血濡れたレリクスはまともではなかった。数秒か数分か、或いは数年数千年か。
彼は何もない空間を喰らい、それを咀嚼し、ただ一つ残った目的を要とし、自らを楔に見立て世界に打ち込む。
血濡れたレリクスは顔を上げ、周囲を見渡す。何もない空間ではない。月明かりに照らされて木々が生い茂り、遠方には街の明かりが見える。
肌感覚で分かる。この世界は、自分がいたあの世界ではない。それもその筈、あの世界での目的は既に果たしているからだ。
「多少足止めを食ったが」
数年数千年、或いはそれ以上の歳月をそう切り捨てながら、血濡れたレリクスは右義手の拳を握り締める。
「プラトーを殲滅する。ここでも、どの世界でも」
ただ一つ残った目的を口にしながら、血濡れたレリクスは夜の闇に消える。
彼が目的を達するまでに、三日と掛からなかった。そして、目的の消えた世界は要を失う。
彼は再び次元に呑まれ、その度に要を用いて楔を打ち込む。
数回数千回、或いはそれ以上の世界を。
血濡れたレリクスは歩み続けた。
ブランクアームズ ーBloodRhizomeー




