第八章 ~ からくり姫と呪いの人形屋敷 ~
鬼市での一件から数日。祓い屋衆の屋敷には、気まずい沈黙が漂っていた。特にシンは、あの日以来、ほとんど口を開かず、ただひたすらに己の刀と向き合う時間が増えていた。その姿は、まるで己の無力さを責め立てる苦行僧のようだった。
そんな重苦しい空気を断ち切るように、宗真が三人を座敷に呼びつけた。
「お前ら、いつまでそうやってジメジメしてる。傷は癒えたんだろ。新しい仕事だ」
宗真が広げた巻物には、豪勢な依頼内容が記されていた。依頼主は、この地方で一番と名高い大商人、阿部家。依頼内容は「娘を悩ます怪異の調査と解決」。そして、提示された報酬額は、これまでの任務とは桁が違っていた。
「うおおお!すっげぇ金額!」
トウマの目が、瞬時に金のマークに変わる。
「話がうますぎない?こんな簡単な内容でこの報酬……何か裏があるわよ」
ナナは腕を組み、疑念の目を向けた。
宗真はにやりと笑う。
「勘のいい小娘だ。まあ、依頼主の娘御が、ちと……『気難しい』お方らしい。これまで何人もの祓い屋が匙を投げたそうだ。だが、お前らなら面白れぇ化学反応が起きるかもしれん」
「面白れぇって……俺たちは見世物じゃねぇぞ」シンがぼそりと呟いたが、その声には反抗の色はなかった。今の彼には、任務に没頭することで過去の悪夢から逃れたいという思いがあった。
「決まりだな!よーし、さっさと行って、がっぽり稼いで、うまいもん食うぞー!」
トウマの能天気な声だけが、屋敷にやけに明るく響いていた。
***
阿部家の屋敷は、城かと見紛うほどの壮麗さだった。巨大な門をくぐると、手入れの行き届いた庭園が広がり、その奥には何棟もの蔵や離れが立ち並ぶ。
三人が息をのんでいると、主である阿部が、心労でやつれた顔で出迎えた。
「おお、祓い屋衆の方々。お待ちしておりました。ささ、こちらへ」
通されたのは、屋敷の最も奥にある、ひときわ豪華な離れだった。そして、その一室に入った瞬間、三人は異様な光景に言葉を失った。
部屋の至る所に、人間と見紛うほど精巧な、等身大の人形が飾られていたのだ。美しい着物をまとった芸者の人形、勇ましい鎧姿の武者の人形、無邪気な笑みを浮かべる子供の人形……。その数は、ざっと二十体以上。それら全てが、ガラス玉の瞳で、じっとこちらを見つめている。
そして、その人形たちに囲まれるようにして、部屋の中央に座っていたのが、依頼主の娘、菊姫だった。絹のように艶やかな黒髪、雪のように白い肌、そして人形のように整った顔立ち。だが、その表情は氷のように冷たく、三人を値踏みするように見下していた。
「……お父様。こちらの方々が?まるで……物乞いのようではありませんか」
その第一声に、トウマの顔がひきつった。
「なっ……!」
だが、トウマは気を取り直し、わざとらしく咳払いをした。
「これはご丁寧にどうも、お姫様。未来の世界一の祓い屋、トウマ様と呼んでくれても構わんぞ!」
菊姫は、そんなトウマを虫けらのように一瞥し、ふんと鼻を鳴らした。
ナナは一歩前に出て、冷ややかに言った。
「依頼内容について、詳しく聞かせてもらえる?私たちはあんたの気味の悪い人形コレクションを鑑賞しに来たわけじゃないの」
「なんですって、この無礼者!」
菊姫が甲高い声で叫び、ナナと火花を散らす。阿部はオロオロと二人の間に入る。シンだけは、部屋の隅で黙って壁に寄りかかり、ただならぬ部屋の気を探っていた。
阿部の説明によれば、怪異は一月ほど前から始まったという。夜中になると、これらの人形がひとりでに動き出し、菊姫に襲いかかるのだという。
「これまで、高名な陰陽師や僧侶にも頼みましたが、誰も原因を突き止められず……皆、気味悪がって逃げ帰ってしまいました。どうか、娘を……菊をお救いください」
話を聞き終えた三人は、早速調査を開始した。
ナナは、知性を武器に人形一体一体を丹念に調べ始めた。
「……付喪神の一種かしら。でも、これだけの数が一斉に?それに、人形自体に強い呪いの痕跡はない……奇妙ね」
一方、トウマは霊感(?)を頼りに調査する。
「うーむ、邪気を感じる……感じるぞ……!」
そう言って、芸者の人形の顔に自分の顔をぐっと近づける。
「おい、お前!何か知ってるんだろ!吐け!」
人形のガラスの瞳が、何も語らずトウマを見返す。
「ひぃっ!やっぱこえぇよ、これ!」
シンは屋敷の敷地を巡り、霊的な結界の綻びを探していた。鬼市での一件以来、彼の感覚は妙に研ぎ澄まされるか、あるいは鈍るかの両極端に揺れていた。今は、後者らしかった。屋敷全体が、薄い妖気の膜に覆われているように感じるが、その中心がどこなのか掴めない。
(……集中できん。俺は、まだ……)
昼の間は、何も起こらなかった。
ただ、菊姫のわがままだけが三人を疲弊させた。
「喉が渇きましたわ。そこのあなた、山の湧き水を汲んでいらっしゃい」
「肩が凝りました。揉みなさい」
「この庭の石が気に入らないわ。どかしなさい」
その度にトウマとナナが爆発しそうになるのを、なぜかシンが「任務だ」と静かに制した。彼にとって、この理不尽さは、己への罰のように感じられたのかもしれない。
そして、運命の夜が来た。
三人は、菊姫の部屋で不寝番をすることになった。菊姫本人は、隣の部屋で侍女たちに守られて眠っている。
「ったく、なんで俺たちがあのお姫様の我儘に付き合わなきゃなんねぇんだ」
トウマが不貞腐れる。
「文句言わない。仕事よ。それより、そろそろよ」
ナナが懐から護符を数枚取り出し、構える。子の刻──真夜中を告げる鐘の音が、遠くから聞こえてきた。
その瞬間、部屋の空気が、シンと音を立てて凍りついた。
ギギ……ギ……。
一体の人形の首が、ありえない角度でこちらを向いた。
その口元が、にたりと歪む。
「「「来たッ!」」」
次の瞬間、部屋中の人形たちが一斉に動き出した!
「ヒャハハハハ!」
子供の人形が、甲高い笑い声をあげながら、鞠を猛スピードで投げつけてくる。鞠は壁に当たると、小さな爆発を起こした。
「うおっ、危ねぇ!」
トウマがそれを転がって避ける。
「こっちは任せろ!」
シンが抜き放った黒曜の刃が、宙を舞う鞠を切り裂いた。しかし、その動きはどこか精彩を欠いている。影山の残像が、まだ彼の脳裏に焼き付いているのだ。
「トウマ、そっち行ったわよ!」
ナナの叫び声。振り返ると、芸者の人形が、長い簪を凶器に襲いかかってきていた。
「うわあああ!女の武器はこえーんだよ!」
トウマは必死でそれを竹刀で受け止めるが、人形の動きは人間離れしており、じりじりと押し込まれる。
「破ッ!」
ナナが投げた護符が芸者の人形に張り付き、その動きを鈍らせる。
「今よ、トウマ!」
「おう!消えちまえぇぇぇ!」
トウマは気合の一撃を叩き込み、芸者の人形を壁まで吹き飛ばした。
だが、敵はまだいる。部屋の隅に鎮座していた武者の人形が、ゆっくりと立ち上がり、飾り物の太刀をその手に取った。
「まずい、あれは本物の刃だ!」
武者人形は、熟練の剣士のような構えから、シンに目掛けて鋭い突きを放った。
シンはそれを冷静に受け流すが、相手の一撃は重い。
キィン!キィン!と、狭い部屋の中で刃と刃がぶつかり合う音が響く。
「チッ、こいつ、動きが読める……!」
シンは焦りを感じていた。刀の鬼が、もっと血を、もっと破壊をと、彼の精神を内側から揺さぶる。それを抑え込みながら戦うため、動きが本来の鋭さを失っていた。
「シン、手伝うわ!」
ナナが呪文を唱え、床から木の根を生やして武者人形の足を絡め取ろうとする。しかし、人形はそれを飛び上がって回避し、着地ざまにトウマへと斬りかかった。
「俺かよぉぉぉ!」
三人がそれぞれの人形と戦い、部屋はめちゃくちゃになっていく。豪華な調度品が壊れ、障子が破れる。
その時、隣の部屋から菊姫の悲鳴が聞こえた。
「いやああああっ!」
「しまった、姫が!」
トウマがそちらへ向かおうとした瞬間、吹き飛ばされていた芸者の人形が再び起き上がり、その進路を塞いだ。
「こいつら、倒してもキリがねぇ!」
三人は背中合わせになり、じりじりと襲い来る人形たちを睨みつけた。数も多く、連携も取れている。まるで、一体の頭脳が全てを操っているかのようだ。
「……何かおかしい」ナナが呟いた。「こいつら、私たちを殺そうとしてるんじゃない。まるで……時間を稼いでいるみたい」
「時間稼ぎ?」
その言葉の意味を理解する前に、人形たちの動きが、ぴたりと止まった。そして、糸が切れたように、全ての個体が元の無機質な姿へと戻り、床に崩れ落ちた。
「……終わった……のか?」
トウマがへたり込む。
三人は息を切らしながら、静まり返った部屋を見渡した。
「……いや」ナナが、倒れている人形の一体を指差した。「見て」
よく見ると、一体一体の人形から、ごく細い、髪の毛のような黒い糸が伸びているのが見えた。その糸は全て、一つの方向へと集まっている。
三人の視線が、その糸の先を追った。
糸は、壁をすり抜け、菊姫が眠っているはずの隣の部屋へと続いていた。
三人は顔を見合わせ、静かに隣の部屋へと向かう。障子に指をかけ、そっと隙間から中を覗き込むと、信じられない光景が広がっていた。
菊姫は、部屋の中央で正座していた。眠っているのではない。侍女たちは、皆床に倒れ、気を失っている。
そして、菊姫の背中からは、無数の黒い糸が伸び、部屋中の人形へと繋がっていた。
彼女こそが、全ての人形を操っていた術者だったのだ。
「……やっぱり、あんただったのね」
ナナが静かに呟くと、菊姫はゆっくりとこちらを振り向いた。
その顔に、先程までの傲慢さや怯えはない。ただ、人形のように無表情なまま、その唇がかすかに動いた。
『……見つかってしまったか、祓い屋ごときニ……』
その声は、菊姫のものではなかった。低く、古く、そして深い怨念に満ちた、別の何かの声だった。彼女の瞳が、不気味な紫色の光を放つ。
「お前……誰だ?」
トウマが震える声で問う。
『我は、この娘に宿りしモノ。この娘の孤独と憎しみを糧に、力を取り戻した古き呪い……。邪魔ヲスルナラ、オ前タチモ、コノ娘ノ玩具ニシテヤロウ』
菊姫の体が、ギチギチと音を立てて立ち上がる。その姿は、美しい少女ではなく、一体の邪悪な「からくり人形」そのものだった。
本当の戦いは、今、始まったばかりだった。




