第六章 ~ 帰路、そして新たな火種 ~
楠村の朝は、静寂と安堵の空気に満ちていた。
夜通しの激闘の疲れも忘れ、トウマは宿の布団で大の字になって眠りこけている。口からはよだれが垂れ、幸せそうな寝息を立てていた。
「おい、いつまで寝てんだこのバカ!とっとと起きろ!」
すでに旅支度を終えたナナが、トウマの腹に容赦ない蹴りを入れる。
「ぐふっ!?……んあ?なんだよナナ、朝飯か?」
「もう昼だ!さっさと準備しろ、置いてくぞ!」
外では、シンが静かに刀の手入れをしていた。その姿は昨日までの張り詰めた空気とは違い、どこか凪いで見える。
三人が宿を出ると、村人たちが集まっていた。子供たちの元気な顔も見える。
村長が深々と頭を下げた。
「この御恩は一生忘れませぬ。ほんの気持ちですが、お受け取りくだされ」
差し出された布袋には、依頼の報酬金がずっしりと入っていた。トウマの目が途端に輝く。
「へへっ、どういたしまして!」
「それと、これは楠村に古くから伝わる『森守り』のお守りです。深い森で、きっと皆様をお守りするでしょう」
村長から手渡されたのは、精巧な木の彫刻が施された小さなお守りだった。
村人たちの温かい見送りを受け、三人は町への帰路についた。
道中、トウマは手にした報酬袋を揺らしながら、昨夜の自分の活躍を自慢して止まない。
「いやー、見たかよお前ら!俺の最後の一撃!あれぞ未来の世界一の祓い屋の決定打ってもんだぜ!」
ナナが冷たく言い放つ。
「私に聞こえたのは、『えええええっ!?俺!?』っていう情けない声と、幽霊すら生き返りそうな絶叫だけだったけど」
黙って前を歩いていたシンが、振り返らずにぽつりと言った。
「あの絶叫は、護符より効果があったかもしれんな」
「お前らなぁ!」
いつものように騒がしい道中だったが、その空気は任務へ向かう時とは明らかに違っていた。互いの背中が、少しだけ近く感じられる。
町の近くにある茶屋で一服していると、隣の席から商人たちのひそひそ話が聞こえてきた。
「おい、聞いたか?古都の近くで、近々『鬼市』が開かれるそうだ」
「鬼市だと?妖怪どもが禁制品や人間の魂まで取引するという、あの?」
「ああ……そして噂では、あの『品』も売りに出されるとか……」
トウマの耳がピクリと動く。ナナも興味深そうに聞き耳を立てている。
その時、シンが刀の柄に触れる手が、ほんのわずかに強張ったのを、二人はまだ知らない。
祓い屋衆の屋敷に戻ると、コタロウが呆れた顔で出迎えた。
「おーおー、全員五体満足で帰ってくるとはな。大したもんだ」
頭領である岩崎宗真への報告を終えると、宗真は腕を組み、三人をじっと見た。
「よし。互いを殺さずに戻ってきた。それだけで及第点だ」
そこでトウマが、待ってましたとばかりに口を開く。
「なあ宗真の旦那!鬼市ってのが開かれるって話、知ってるか?」
その言葉を聞いた瞬間、宗真の表情が真剣なものに変わった。
「……鬼市、か。やはり噂は真実だったか。お前たちの仕事は、まだ終わりそうにないな」
宗真はゆっくりと立ち上がる。
「あの市場は、半人前が足を踏み入れていい場所じゃねぇ。だが……そこで噂されている『品』は、祓い屋衆として見過ごすわけにはいかん代物だ」
宗真の鋭い視線が、まっすぐにシンを射抜いた。
「特にお前にとってはな、藤原シン」
シンの目が、わずかに見開かれる。
トウマとナナは訳が分からず、ただ戸惑いながらシンを見つめることしかできなかった。