第四章 ~ 試験の日と最初の正式依頼 ~
朝の町は、前夜のざわめきが嘘のように穏やかだった。
行商人の呼び声、子供たちの笑い声、米の炊ける匂い。
黄泉神トウマは、昨日世話になったコタロウに礼を言い、祓い屋衆の本拠地へと向かっていた。
町の中央、石垣に囲まれたその屋敷は、大きな門と赤い提灯が目印だった。
「ここが……祓い屋衆の総本山か」
門の前には二人の門番。
トウマは息をのみ、胸を張って名乗る。
「お、おはようございまーす!黄泉神トウマっす!試験を受けにきました!」
門番たちは顔を見合わせ、呆れ気味に笑った。
「昨日のガキか」
「中に入れ。頭領がお待ちかねだ」
「おう!」
中庭を抜けると、奥の座敷に大柄な男が座っていた。
髪は後ろで束ね、鋭い目つき。
着物の隙間から覗く胸板は岩のように分厚い。
それが岩崎宗真だった。
「ほう、お前が噂のバカガキか」
「ば、バカじゃねぇっす!」
「ハッ、気に入った」
宗真は酒をぐいっと煽り、どかりと座布団を叩く。
「さて、試験だ。簡単だぞ。あの中庭の端にいる浮遊霊を一体祓ってこい」
「え、それだけ?」
「ああ。ただし、護符も札も使わず、自分の気配と気迫だけでな」
「マ、マジで!?」
「できなきゃ帰れ。できたら、一人前の証として名簿に載せてやる」
トウマはゴクリと唾を飲み、立ち上がった。
「やってやるぜ!」
中庭には、薄ぼんやりと青白い浮遊霊が漂っていた。
トウマは額の汗を拭い、気合を入れる。
(俺ならできる……俺ならできる……)
じりじりと距離を詰め、気迫を込める。
「うおおおおおお!!」
気迫の声に、一瞬霊が揺れる。
「もう一発だ!」
さらに気を込め、両手を合わせる。
「消えろぉぉぉ!」
霊はふっと消えた。
「やった……!」
その瞬間、背後から宗真の声。
「合格だ」
「マジか!!」
「見込みはある。だが、まだまだ半人前だ」
トウマは喜びを爆発させた。
宗真はトウマを座敷へ呼び戻し、酒を煽りながら語る。
「祓い屋の基本は、祓うことだ。だがな、力が上がれば、祓うだけじゃなく、時に従わせることもできる」
「えっ、マジで?」
「ああ。妖怪も、霊も、強者には逆らえねぇ」
宗真は指を鳴らすと、襖の奥から三体の妖怪が現れる。
狐面の少女、手足が長く伸びる猿のような妖怪、宙に浮かぶ一つ目の火の玉。
「こいつらは俺の式神だ。昔ぶっ倒して、俺に従わせた」
「すっげぇぇぇ!」
トウマは目を輝かせた。
「いつかお前も、自分の妖怪を持て」
「絶対!」
宗真は笑った。
その後、宗真はトウマに初の正式依頼を告げた。
「町外れの古井戸で、最近怪異が起きてる。調べてこい」
「了解っす!」
トウマは護符と簡易の祓い道具を受け取り、意気揚々と屋敷を後にした。
こうして、トウマの本当の冒険が始まった。
祓い屋衆の屋敷を出たトウマは、手にした護符と粗末な紙袋を眺めながら鼻息を荒くしていた。
「よっしゃー!初仕事だぁ!」
張り切りながら町外れへと歩き出す。
しかし、歩くうちにふと気づく。
「……で、古井戸ってどこだ?」
地図も案内もなく、唯一の手がかりは「町の西側」だけ。
町の外れを適当に歩き回るうち、道はやがて草むらに変わり、林の奥へと続いていく。
「え、こっちで合ってんのか……?」
少し不安になるが、とりあえず進むしかない。
しばらく歩くと、鬱蒼と茂る竹藪の中にぽっかりと開いた空き地に、苔むした古井戸がひっそりと佇んでいた。
「お、あった!」
ボロボロの縄が垂れ下がり、周囲の草は踏み荒らされたように倒れている。
井戸の縁には奇妙な黒い染みがこびりつき、どことなく不気味な雰囲気が漂っていた。
「うへぇ……これは確かにヤバそう」
だが、ここで怖じ気づくわけにはいかない。
トウマは護符を取り出し、井戸の周囲をぐるりと回る。
「えーっと、まずは霊気の確認、と……」
以前ばあちゃんから教わった通り、手をかざし気を感じ取る。
すると、井戸の中から冷たい気配がふわりと漂ってくるのを感じた。
「うわっ……マジでいる……」
心臓がバクバクと音を立てる。
「でも俺は、未来の世界一の祓い屋だ!」
護符を一枚取り出し、井戸の上へ掲げる。
「さぁ出てこいやぁ!」
その瞬間、井戸の中からずるりと細長い手が現れた。
「ひえええええっ!!」
とっさに護符を投げるも、手は器用に避ける。
「ちょ、お前動き早っ!」
更に井戸から這い上がってきたのは、髪が濡れた女の妖怪。
顔は青白く、黒い舌をチロチロと動かしている。
「な、なんだお前……」
『くふふ……ようやく来たのね……』
女の妖怪は、井戸の縁を越え、ずるずると地面を這い寄ってくる。
「いや、もう無理!」
踵を返して逃げようとした瞬間、背中から声。
「だから逃げるなっつったろ」
「うわあああ!」
振り返ると、なんとコタロウが立っていた。
「な、なんでお前が!?」
「見張ってたんだよ、昨日のアホがまたやらかすと思ってな」
そう言うと、コタロウは軽やかに護符を一枚取り出し、井戸の女妖怪の額に投げつける。
「破っ!」
ピシィンと音を立て、妖怪の動きが止まる。
『くっ……』
「今だ、トウマ!もう一発叩き込め!」
「お、おう!」
トウマは残った護符を掴み、震える手で妖怪に突きつける。
「消えろぉぉぉ!」
護符が光を放ち、妖怪は煙のように霧散した。
「……や、やった……」
へたり込むトウマ。
「ったく、見てらんねーな」
コタロウは肩をすくめ、トウマの手を引き上げる。
「でも……ありがとう」
「礼はいい。ちゃんと修行しろ。でないとマジで死ぬぞ」
「……うん」
その後、二人は祓い屋衆の屋敷へ戻り、報告を済ませた。
宗真はトウマの顔を見るなりニヤリと笑う。
「やったか」
「へへ、まぁな!」
「よし、今日から正式に祓い屋衆の一員だ」
そう告げると、宗真は再び式神たちを呼び出した。
「いつかお前も、こういう従者を持て」
「絶対!」
その声には、もう臆病さはなかった。
少しずつ、一歩ずつ、トウマは成長していく。
祓い屋の道はまだ始まったばかりだ。