第十章 ~ 戦士の休息、そして新たな覚悟 ~
阿部家からの破格の報酬を手に、三人は町一番と評判の居酒屋にいた。菊姫を救った祝杯と、鬼市での雪辱を誓う景気づけを兼ねて、トウマが「今夜は俺の奢りだ!」と宣言したからだ。
「おやじ!こっちに焼き鳥五十本!それと海鮮鍋を三人前!あと酒も一番高いやつを樽で持ってこい!」
テーブルに山のように積まれていく料理を前に、トウマは子供のようにはしゃいでいた。その姿は、数日前の死闘が嘘のようだ。
「うめぇぇぇ!やっぱ命懸けで働いた後の一杯は最高だな!なあ、シン!」
トウマが口いっぱいに飯を頬張りながら同意を求める。シンは、珍しく静かに盃を傾け、「……ああ」とだけ答えた。彼の表情も、いつもより幾分和らいでいる。
だが、その平和な光景は、一枚の勘定書きによって打ち破られた。
ナナが、積み上がっていく皿の数と伝票を交互に見比べ、こめかみに青筋を浮かべる。
「トウマ、このバカ!本気で一晩で全部使い切るつもり!?このお金があれば、もっと性能のいい護符や、情報収集のための資金にできるのに!」
「いいじゃねーか、ケチケチすんなよ!金ってのはな、こうやって楽しく使うためにあんだろ!な、シン!」
再び話を振られたシンは、すっと酒を飲み干し、静かに答えた。
「……騒がしいのは、嫌いじゃない」
「どっちの味方なのよ!」とナナが叫び、「だろ!」とトウマが喜ぶ。そのやり取りは、もはや彼らにとって日常の光景になりつつあった。任務を一つ乗り越えるごとに、ただの寄せ集めだった三人の間には、確かに「仲間」と呼べる空気が育っていた。
宴が終わり、酔いと満腹感で火照った体を冷やしに、トウマは一人、屋敷の屋根に登っていた。眼下には、眠りについた町の灯りが広がる。心地よい夜風が、彼の髪を揺らした。
静かな時間の中で、彼の脳裏に最近の出来事が蘇る。
菊姫を救った時のこと。彼女の心の叫びを聞き、孤独を理解し、手を差し伸べた。結果として、彼女を救うことができた。あの時の達成感は本物だ。だが……。
(俺は、ただ叫んだだけだった……)
もし、影法師が菊姫の心と繋がっていなかったら?もし、純粋な破壊だけを目的とする、対話の通じない妖怪だったら?俺は何もできなかったんじゃないか。
そして、思考はさらに深く、鬼市での夜へと遡る。
影山という、圧倒的な強者。シンが、誇りも何もかもを打ち砕かれ、地面に這いつくばったあの光景。自分は、その時、何ができた?恐怖に足がすくみ、偶然の爆発で混乱を引き起こすことしかできなかった。
(弱い……)
その二文字が、ずしりと彼の心にのしかかる。
(俺は、世界一の祓い屋になるって、ばあちゃんやセンセーに誓った。それなのに、今の俺はなんだ?仲間一人の過去も背負ってやれねぇ。ナナがいなきゃ作戦も立てられねぇし、シンがいなきゃ強い妖怪は倒せねぇ。俺は……あいつらの隣に立つ資格なんて、まだ全然ねぇんだ)
いつもは楽観的な彼の心に、初めてはっきりとした焦りと自己嫌悪の影が差した。ただガムシャラに叫ぶだけでは、この先、仲間を守ることなどできはしない。
拳を握りしめる。心の奥底で、何かが変わろうとしていた。
***
翌朝、三人は宗真の前に呼び出されていた。その表情は、いつになく真剣だった。
「昨夜は楽しかったようだな」
宗真の言葉に、トウマはぎくりとする。
「へ、へへ……まあな!」
「菊姫の一件、見事だった。人の心を救うのも、祓い屋の立派な仕事だ。お前たちのチームとしての成長も見えた」
宗真は一度言葉を切り、その鋭い目をトウマに向けた。
「だが、トウマ」
その声の重さに、トウマは背筋を伸ばした。
「もし、お前の相手が影山だったら、今頃お前たちは全員死んでる。お前の力は、あまりにも荒削りで、感情任せだ。それは時として奇跡を起こすが、安定した力にはなり得ん。ハリケーンの中の蝋燭の火のようなものだ。……自覚は、あるな?」
図星だった。トウマは、何も言い返せずに、ただ黙って頷いた。
「お前の魂の器……『気』の総量は、そこらの祓い屋よりよほど大きい。だが、ザルから水が漏れるように、ただ感情と共に漏れ出しているだけだ。それを制御し、形を与え、刃や盾に変える術を、お前は知らん」
宗真は立ち上がり、壁に掛かった古い地図の一点を指差した。
「この国には、古来より『浄魂の滝』と呼ばれる聖地がある。現世と常世の境が曖昧な、霊気に満ちた場所だ。その滝に打たれることは、ただ体を洗うのではない。魂そのものを洗い清め、己の魂と向き合い、その形を識るための荒行だ」
宗真の言葉には、有無を言わせぬ迫力があった。
「生半可な覚悟で挑めば、魂が砕かれ、廃人となる。これまでも、多くの者が挑み、そして破れてきた。祓い屋の中でも、エリート中のエリートだけが許される修行の場だ。だが……お前のような、単純で、巨大な魂を持つ者ならば……あるいは、と俺は思う」
宗真は、トウマの目を真っ直ぐに見据えた。
「行け、トウマ。浄魂の滝へ。そこにいると言われる滝の主を探し出し、己の力の本当の使い方を学んでこい。……それとも、このままここに残り、仲間の足を引っ張り続ける、善意のお荷物でいるか?」
その言葉は、刃のように鋭く、トウマの心に突き刺さった。
トウマは、俯いて自分の両手を見つめた。そして、隣に立つシンとナナの顔を、ゆっくりと見た。
最後に、彼は顔を上げ、決意に満ちた目で宗真を見返した。
その瞳には、もう昨日までの少年のような甘さはない。
「……行く。俺は、そこへ行く」
その一言が、新たな試練の始まりを告げていた。




