5.目撃
もうすぐアデラが学園を卒業する。それも優秀な成績で。あの小さな天使が立派な淑女になったのだ。
「冒険者は体力が勝負だから、勉強はほどほどでいいのよ」と言っていたアデラが一年前くらいから、急に勉強を頑張り始めた。どんな心境の変化か聞いても教えてくれなかったが、大人になる自覚が芽生えたのだと解釈をした。
(時間が過ぎるのは早いわね……)
姉と言うよりも母親気分で感慨深く思いながらヴァネッサはアデラが喜ぶお祝いを考えた。
そうだ。乗馬用のブーツにしよう。アデラは馬が大好きで時間が出来ると友人たちと遠乗りに出かける。乗馬用のブーツならきっと気に入る。馴染みの靴店に履きやすそうなブーツを注文した。値段は張ったがアデラの笑顔を思い浮かべれば安いものだ。出来上がったとの連絡が来てそれを取りに行くことにした。
「アデラ、喜んでくれるといいな」
ウキウキと馬車に乗り靴屋に受け取りに行った。頼んだブーツは綺麗に包装してもらう。帰ろうと馬車に乗ろうとしたその時――。
ヴァネッサがいる通りの向かい側にオーディスがいるのが見えた。卒業してから二年、残念ながら社交界で顔を合わせることも、偶然会うこともなかった。オーディスは最後に見た時よりも凛々しく素敵になっていた。
ヴァネッサは胸を高鳴らせた。
(せっかくだから話をしたい。友人だもの。挨拶くらいしてもいいわよね)
ここから距離があるから声が届くかしら? ヴァネッサは声をかけようと口を開いた。
その瞬間オーディスは彼の隣に向かって破顔した。彼は一人ではなかったのだ。笑顔の向けられた先には女性がいた。
「アデラ?」
ヴァネッサの息が止まる。アデラは少し拗ねたように頬を膨らませオーディスに笑いかけている。オーディスも応えるように嬉しそうな笑顔をアデラに向けて……。二人はとても気安げでまるで恋人同士に見えた。
ヴァネッサはただ呆然と二人が見えなくなるまでその場所に立ち竦んでいた。しばらくすると我に返り震える足で何とか馬車に乗り屋敷に戻った。気付けば部屋の中にいて、二人を見た瞬間以降の記憶がない。
「いつの間に二人は親しくなったの?」
二人が会っていたなんて、親しいなんて、知らない……。二人の雰囲気は偶然会ったようには見えなかった。遠目でも明らかに何度もやり取りをしているような親密さがあった。
アデラからは何も教えてもらっていない。オーディスと会っていることをヴァネッサに秘密にしていた。
ヴァネッサの胸の中には真っ黒い何かが広がって心を塗り潰していく。
でもアデラとオーディスを引き合わせたのはヴァネッサだ。
あれはまだヴァネッサが学園に在学中ことだった。
「お姉様。お買い物に行きましょう。私にお姉さまのお誕生日のプレゼントを贈らせてください!」
このためにお小遣いを貯めていたの! と零れるような笑みを浮かべて張り切るアデラに気持ちだけで充分だからと遠慮したが、どうしてもと押し切られ一緒に出掛けた。目的地に着く前にアデラは目に止まった店に立ち寄っては店員さんと談笑している。ヴァネッサはそれを微笑ましく眺めた。
(私には初めて入るお店の店員さんともあんな風におしゃべりはできないわ)
やはりアデラのそういう気質は今でも羨ましく感じてしまう。
(それにしても淑女になったと思ったけれど、あの様子を見るとまだまだ子供っぽいわね)
そういえばアデラが小さいときに家族で街のお祭りに行った。
アデラは興味津々ですぐに気になるところに走って行ってしまう。途中で迷子になったアデラをヴァネッサは必死で探した。ようやく見つけて「アデラ! こっちよ!」と呼ぶとアデラは目に涙をためて「おねえちゃま~」と走って抱き付いてきた。それからも外出する度にはぐれてしまうので、ヴァネッサはアデラの手を繋いで離さないようにしていた。もう、大きくなったからはぐれても迷子にはならないけれど癖でアデラから目が離せない。
アデラは今でもすぐに興味が引かれたものの方へ行ってしまうのは変わらない。この調子では、なかなか目的地に着きそうもないなと笑ってしまった。予定よりも時間がかかったがようやくアデラの目的地に着いた。そこは大きく立派な文具屋さんだった。
「お姉様。実はプレゼントはもう注文してあるの!」
アデラは誇らしそうに顔を上げた。アデラが店主に注文の品を出すように伝えると、ベルベットケースに恭しく乗せられたピンク色のガラスペンが運ばれてきた。綺麗な模様のガラスペンは人気の商品で一年待ちの予約だと聞く。密かに欲しいと思っていたが諦めていた物だ。これをアデラはヴァネッサのために一年も前から注文してくれていたのだ。その気持ちに胸がいっぱいになる。
「お姉様の名前を刻印してもらってあるの。ここよ。見て!」
アデラが指したガラスペンの持ち手の端に「ヴァネッサ」と彫られている。
「ありがとう。嬉しいわ」
自分だけのもの。素晴らしい宝物だ。ガラスペンを手に取ると人気の商品だけあって持ちやすい。精巧な作りに溜息が出る。
「気に入ってくれた?」
「もちろん。人生で一番のプレゼントだわ。宝物にする!」
「よかった~」
(私の可愛い天使。大好きよ。アデラ)
店主にガラスペンを渡すとケースにしまい綺麗にラッピングをしてくれた。
「ありがとう。アデラ」
「お姉様に喜んでもらえて私も嬉しいわ」
品物を受け取り店を出ると雨が降っていた。今日はアデラの希望で家の馬車でなく乗合馬車で来ていた。馬車乗り場までかなり歩く。きっとびしょ濡れになるだろう。
「困ったわ。さっきまで晴れていたのに通り雨かしら?」
「お姉様。どこかで雨宿りしましょう」
文具屋さんの近くにあるカフェに駆け足で向かう。しばらく二人でお茶をしたが雨が弱まる気配はない。むしろ土砂降りになっていく。どうしようかと思っていると後ろから声をかけられた。
「バルテル様」
「はい」
「はい?」
ヴァネッサとアデラは反射的に同時に返事をした。二人ともバルテルなのだから仕方がない。アデラは見知らぬ男性に警戒して硬い表情だ。ヴァネッサはその声に聞き覚えがあった。思わず相好を崩した。
「ウエーバー様。こんにちは。偶然ですね」
整った容貌を持つ長身の男性、オーディスだった。学園以外で顔を合わせるのは初めてでヴァネッサは少しだけ緊張した。
「バルテル様はここによく来るのですか?」
「いえ。近くに来たのですけれど、急な雨で雨宿りをしていたのです」
「それなら送っていきましょう」
「それは申し訳ないです。ウエーバー様はお忙しいのでしょう?」
彼は公爵子息として公爵家の仕事をすでに始めていると聞いていた。学園が休みでもゆっくりできないと以前こぼしていた。
「今日の予定は終わっているので大丈夫です。そちらは?」
「あ、私の妹のアデラです。アデラ、こちらは同級生のウエーバー様よ」
アデラはオーディスをじっと見つめるとニコリと笑った。
「初めまして。アデラと申します。姉がお世話になっております」
「こちらこそお姉さんにはお世話になっているよ」
雨足が弱まらなそうなのでお言葉に甘えて送ってもらうことにした。正直なところとても助かった。屋敷に着いたがオーディスをそのまま帰すわけにはいかない。
「たいしたお礼もできませんが、お茶だけでも飲んでいってください」
外は冷える。体を温めてから帰って欲しいと声をかけた。
「ええ。ぜひそうしてくださいませ」
アデラにもオーディスに声をかける。オーディスは少しだけ迷う仕草を見せたが、頷いた。
「では少しお邪魔させてもらおうかな」
応接間にオーディスを通し、アデラに話し相手を頼むとヴァネッサはお茶を入れに行った。侍女に任せずに自分でやりたい。ヴァネッサがオーディスにお茶を入れるのはもちろん初めてだ。美味しいお茶を飲んで欲しい。いつもよりも何倍も丁寧に心を込めてお茶を入れた。ワゴンに乗せ運んで部屋に入る。
「ふふふ。そうなのですね」
「ええ」
アデラとオーディスは和やかに会話をしていた。
「お待たせしました。どうぞ。お口に会うといいのですが」
緊張しながらティーカップを彼の前にそっと置く。オーディスは微笑むと手を伸ばしティーカップを口元に運ぶ。お茶の香りを堪能すると一口飲んだ。
「美味しい」
オーディスが頬を綻ばせる。
「よかったわ」
ヴァネッサは嬉しくなりクッキーも勧めた。彼は甘いものが好きだと言っていたのを覚えていたのだ。
「クッキーも美味しいよ」
「どうぞ。もっと召し上がれ。ところで二人は何の話をしていたのですか?」
「お姉様の学園での様子を教えて頂いたの。とても優秀だと教えて下さったわ。さすがお姉様ね!」
「まあ、恥ずかしいわ」
「でも本当の事だ」
「ウエーバー様が勉強を教えてくれたおかげです」
ヴァネッサはオーディスと初めて過ごす学園外での時間に浮かれていた。だからアデラがじっと品定めをするようにオーディスを見ていたことには気付かなかった。
「今日は送って下さりありがとうございました」
「いや、こちらこそ、お茶をごちそうさま」
すでに雨は止んでいた。アデラと馬車に乗るオーディスを見送る。
「ウエーバー様。また機会があったらぜひお話ししたいです」
アデラがにこやかにオーディスに声をかけると彼も笑顔で応えた。
「ええ。機会があれば、ぜひ」
馬車が見えなくなり二人で家に入る。ヴァネッサは感心した。さすがアデラ。初対面のオーディスとあっさりと打ち解けていた。でも少しだけもやもやもした。
それ以降、アデラがオーディスの話をヴァネッサにしたことはないし、ヴァネッサも話さなかった。
ヴァネッサが知る限りアデラとオーディスが会ったのはこの一度だけだった。だけど二人はヴァネッサに内緒で会っていた。それもかなり親しい。もしかしたらあの時、オーディスはアデラのことを見染めたのだろうか。そして二人は愛を育んでいたのだろうか。
「一体、いつから?……」
ヴァネッサに返事をするものはいない。