4.可愛い妹
ヴァネッサは学園を卒業後、バルテル伯爵領の領地経営を父から学び始めた。自分が後継ぎだという自覚が強まり、いよいよという感じだ。
アデラは楽しく学園に通っている。アデラからオーディスの名前を聞くこともなかったし、オーディスがアデラを訪ねてくることもなかった。ヴァネッサが勘繰り過ぎたのだとホッとした。
ヴァネッサはアデラに幸せになって欲しいと思っている。素敵な男性と結ばれれば最高だ。もしそれがオーディスだったら……ヴァネッサの心がそれを想像することを拒否する。できれば他の人と幸せになって欲しい。そう考える自分が情けなかった。
アデラが産まれた時、ヴァネッサはあまりの可愛さに天使が来た! と思った。小さなアデラは純真無垢な笑みを浮かべるとヴァネッサに手を伸ばした。ヴァネッサが指を差し出すとその小さな手がヴァネッサの指を力強く握った。この時ヴァネッサは決めた。
「お父さま。お母さま。わたし、おおきくなったらおうちをついでアデラをしあわせにする!」
「ヴァネッサはやさしいお姉さんね」
「そうか。ヴァネッサ、頼んだぞ」
「はい!」
両親は微笑ましそうにヴァネッサとアデラを見ていた。ヴァネッサはこの小さな天使を守りたい。幸せにしたいと思った。
アデラはヴァネッサの二歳下。勉強がちょっと苦手で天使のように可愛らしい。見た目は華奢で儚げに見えるのに、実は元気いっぱいで活発な子。天真爛漫でみんなに愛されている。
アデラはヴァネッサを慕ってくれているし、自分もアデラをとても大切に思っている。それなのに大人になるにつれ可愛い妹にコンプレックスを抱くようになっていた。
アデラが四歳、ヴァネッサが六歳。この頃は小さな妹が可愛くて仕方なかった。
「おねえちゃま、だいすき!」
アデラは大きな瞳でヴァネッサを見上げ満面の笑みを浮かべた。
「私もアデラが大好きよ」
「おねえちゃまに、これあげる!」
その手にはアデラのお気に入りの絵本が握られている。
「これはアデラの宝物の絵本でしょう?」
王子様に見染められハッピーエンドを迎える女の子のお話の絵本。最後のシーンは王子様が女の子に赤い薔薇を捧げてプロポーズをする。この本をヴァネッサはアデラに強請られて何度も読んであげた。その大切な本をヴァネッサにあげるなんて、愛おしすぎる!
「でも、おねえちゃまに、あげるの! どうぞ!!」
首を横にぶんぶんと振っては、絵本をヴァネッサにグイグイと押し付ける。ヴァネッサは根負けした。一歩も譲らないアデラにお礼を言うと素直に受け取った。
「ありがとう。嬉しいわ」
アデラは満足気にニコリと頷いた。
ヴァネッサはこの絵本が大好きだったが、自分は絵本を卒業する年齢だとアデラに読んであげることで満足していた。思いがけないアデラからの贈り物に胸がいっぱいになる。代りにと翌日、アデラに新しい絵本をプレゼントした。趣向を変えて冒険者の活躍するお話だったがアデラはすごく喜んでくれた。
「おねえちゃま、これおもしろい! だいすき。ありがとう~」
「どういたしまして」
「わたしね。おおきくなったら、ぼうけんしゃになる!」
早速、絵本の影響を受けたようだ。でもアデラは冒険者よりもお姫様が似合うと思う。
「あら、冒険者は強くならないといけないのよ。大変よ?」
「だいじょうぶよ。しゅぎょうするから!」
「じゃあ、応援するから頑張ってね」
「うん!」
アデラは小さな手を伸ばしヴァネッサにぎゅっと抱き付いた。ヴァネッサもアデラを抱き締める。ヴァネッサはこの笑顔を見るだけで幸せになれた。
ある日、両親が二人にリボンを買って来てくれた。レースのついたピンクと水色のリボン。
「おねえちゃまはどっちがいい?」
「アデラが先に選んでいいのよ?」
アデラは首を振る。迷っているのかな? それならとヴァネッサはピンクを選んだ。自分には可愛すぎる色だけど、好きな色なのだ。
「じゃあ、私はピンクにするわ」
「それならアデラもピンクがいい!」
無邪気にピンクのリボンを指さす妹を見てやはり迷っていたのかと思った。ピンクが好きなヴァネッサとしては少しだけ残念な気持ちになったけれど、アデラを喜ばせたくて譲ることにした。
「アデラはピンクがいいのね? なら私は水色にするわ」
「えっ?! じゃあ、アデラもみずいろがいい!」
ヴァネッサは困惑した。アデラはまだ四歳だから、一つに決められなくて両方欲しいのかもしれない。
「それならピンクも水色もアデラにあげるわ」
アデラは目を潤ませると首を強く横に振った。
「ちがうの! ちがうの!」
「困ったわ……」
ヴァネッサはアデラの望みが分からなかった。しゃくりあげながらアデラは再びヴァネッサに聞いて来た。
「……おねえちゃまは、どっちがいいの?」
どちらを選べばアデラは納得をするのだろう。アデラはピンクがよく似合う。だからヴァネッサがピンクを選べばアデラは「ピンクがいい」と言うだろう。そしたら今度こそアデラにピンクをあげて自分は水色にすればいいと思った。
「ピンクにしようかな?」
「じゃあアデラ、みずいろにする!」
「えっ? ピンクじゃなくていいの?」
「うん」
てっきりピンクと言うと思ったのに、意外なことにアデラは水色のリボンをぎゅっと握り頷いた。幼いなりに遠慮しているのかもしれないと思い再び確認する。
「アデラ。本当はピンクがよかった? 遠慮しなくていいのよ。ね? ピンクがいいならピンクにしましょう」
「ううん。ちがうの。みずいろでいいの」
「そう? 本当に?」
「うん!」
アデラは水色のリボンを離そうとしないので、結局ヴァネッサはピンクのリボンを受け取った。内心ピンクが欲しかったと喜んでしまった自分の心のズルさに落ち込みながら。
アデラが八歳、ヴァネッサが十歳のときに、母の知り合いの子爵家にお茶に招かれた。ヴァネッサとアデラはお揃いのデザインのオフホワイトのドレスを新調してもらっていたのでそれを着た。アデラは「お姉さまとお揃い!」と上機嫌だった。
子爵家にはヴァネッサと同じ年の女の子が一人いた。
子爵令嬢のアリーナがヴァネッサとアデラに話しかけて来た。母親を真似てホストとしてもてなしてくれようとしたようだ。
「ヴァネッサ様。アデラ様。こんにちは。お茶をどうぞ。自慢の美味しいお茶よ」
そういってヴァネッサにティーカップを渡そうとして手を滑らせた。ティーカップはヴァネッサのドレスのスカートの上に落ち、茶色いシミが広がった。
「あっ……」
「ごめんなさい! どうしよう……誰か!!」
アリーナは取り乱し涙目になっている。ごめんなさいと繰り返しながら、使用人にヴァネッサのドレスを拭くように命じた。
「お姉さまのドレスが大変なことに! アリーナ様、酷いわ!」
アデラが憤慨している。ヴァネッサのために怒ってくれるのは嬉しいけれど、アリーナはわざと溢したわけじゃない。きっと緊張して手を滑らせたのだ。怒っては可哀想だとアデラを宥めた。
「アデラ。そんなに責めては駄目よ。火傷をしたわけではないのだから大丈夫。アリーナ様も気にしないで、ね?」
アリーナはひっくひっくと涙を堪えながら頷いた。
「本当にごめんなさい。今度会う時にお詫びのプレゼントを用意するわ」
「いいのよ。気にしなくても」
「本当にごめんなさい」
アデラは納得いかないのかずっとアリーナを睨んでいた。帰りの馬車でヴァネッサはアデラを宥めることになった。
本当はこのドレスは凄くお気に入りでヴァネッサだって悲しかった。せっかくアデラとお揃いで嬉しかったのに。お茶のシミはオフホワイトのスカートにくっきり残ってしまい、染み抜きをしても元には戻らないだろう。お母様も眉を下げ「新しいドレスを作りましょうね」と慰めてくれた。
でも泣きながら謝るアリーナをヴァネッサは責めることはできない。もう、終わったことだから仕方がないと諦めることにした。
次にアリーナに会う時にはアデラの気持ちが落ち着いて、アリーナと仲良くなれるといいなと思った。
二週間後に、再びお母様とアデラと子爵家に招かれた。アリーナはヴァネッサにプレゼントを用意すると言っていたが覚えているだろうか? 期待するなんてはしたないと思ったが、お友だちからのプレゼントに密かに心躍らせた。
子爵家に着きお母様とヴァネッサが子爵夫人と話をしているうちにアデラはどこかに行ってしまった。話の区切りがついたのでアデラを探しに行くと、アリーナとアデラが話をしているのが見えた。アデラは手に綺麗な箱を持っている。
「アリーナ様。アデラ?」
声をかけるとアデラは焦った表情で手に持っていた箱をさっと後ろに隠した。アリーナの顔は青ざめている。そして後ろめたそうにヴァネッサから目を逸らした。状況を察したヴァネッサは二人を安心させるようにニコリと笑った。箱の事には触れなかった。
「お母様たちがあちらでお茶を用意して待っているから早くいらっしゃい」
そう言ってその場をあとにした。
いつの間にか二人は仲良くなってアリーナはヴァネッサではなくアデラにプレゼントをあげた。きっとヴァネッサの分は用意していなくて気まずくなったのだ。アデラもヴァネッサに気を遣って隠した。そんなところだろう。それなら自分は何も知らない振りをしよう。
少し寂しけれどアデラにお友だちができたことの方が大切で嬉しいことだ。プレゼントがないのは別にいい。ただ二人がこっそりとやり取りしているのが寂しかったのだ。たとえそれがヴァネッサを気遣ったものだとしても。
少しだけ気持ちを整理したくてトイレに寄ってからお母様たちのところへ戻った。するとお母様は急用ができたとそのまま帰ることになった。ヴァネッサは内心ほっとした。
思い返せばこの頃からアデラに対して劣等感を抱いていたように思う。
アデラは誰とでも物怖じせずに会話ができる。人見知りで他人に対して慎重になりがちなヴァネッサはそんなアデラが羨ましかった。
家族で社交場に行くと、大人たちはヴァネッサに真面目なおねえさんと言う。アデラには可愛い天使さんねと誉めるのだ。気付けば話題の中心はいつだってアデラだった。自慢の妹がみんなに可愛がられて誇らしい。その気持ちに嘘はないのに、誰もヴァネッサに見向きもしない。それが少し悲しかった。
アデラはヴァネッサに気を遣って「お姉様は美人で頭が良くてしっかりしていてすごいのです!」とみんなの前で褒めてくれたが、それに対し大人たちは姉思いの優しい子だとアデラを微笑ましそうに見る。その光景に複雑な気持ちになった。
もやもやする自分が嫌でヴァネッサは自分なりに努力した。アデラのように自分も可愛く笑えたら……。
鏡を見てニコリと笑う。イメージは花が咲いたようなふんわりした天使の微笑み。
「違うわ……こんな顔全然可愛くない……」
鏡に映ったのはアデラのような純真無垢な笑顔じゃない。淑女教育で身に付いた、社交用の儀礼的な笑みだ。
しばらく落ち込んだけれど、考え方を変えることにした。
ヴァネッサはバルテル伯爵家を継ぐ。必要なのは可愛らしさよりも家を守る力を得ることだ。それならば勉強を頑張ればいい。幸い勉強することは好きだ。そうやってヴァネッサは自信を取り戻していった。