9-17 本音
「レイ、何やってるんだ、こんなところで」
「マルク……ごめん、後、お願い」
「……分かった」
ちょっと今は、今だけは少し待って欲しい。
この記憶を、大事なものを思い出したんだ。
おかげで、私は私としてここにいられる。
「ちょっと、行ってくる」
「……ああ。行ってこい」
体重を預けるように、マルクに向かって倒れこむ。
その瞬間、気を失うように視界が切り替わった。
──どこまでも広がる水平線、白に一滴の墨汁を撹拌したような濁った空、波の一つもない凪いだ湖の上に私達は立っていた。
「……あなたが一人目の私?」
「一人目……そうだね、そうなるのかな。二人目の私」
視線の先には私と瓜二つの、白く腰まで伸びた髪、変わらない身長、藍色と黒を混ぜたような色のコートを身にまとった私がいた。
「一人目、ここはどこなの?」
「私にもわからないかな、二人目。でもなんとなく想像はついてるでしょ?」
「……心の中」
「多分ね」
一人目と二人目が同じ空間にいる。それだけで現実じゃないのは想像できる。
「ねえ、なんで私はあなたの記憶を思い出したの?」
疑問を投げかけてみる。
マルクっていう人生の大部分を一緒に過ごした人のことを思い出して一人目との齟齬が埋まったからか、一人目の記憶は持ってる。多分私の記憶もあっちに伝わってるだろう。
「……私にも詳しいことはわからないよ。でも、多分思い出したいって強く想ったんじゃない?」
「……うん」
「それがきっかけで、血属性の魔術が無意識のうちに発動しちゃったんじゃないかな」
「血属性……」
「そう。その力で忘れていた記憶を思い出した。──正確には、体に刻まれてた情報を読み取った」
「それって──」
アルから習った使い方……一人目の記憶の中にある、最初に出会った転移者。確かその読み取る使い方はその人から教えてもらったものだったはずだ。
「……じゃあ、思い出したなら、私は消えるの?」
「……多分そうなる。私と二人目じゃ記憶の総量が違う。同じ体に入ったらなにか特別な処置をしない限りそのまま一つに統合されると思う」
「……そっか」
……まあ、なんとなく想像はしてた。思い出したらそこに居るのは私なのか、一人目の私なのかはずっと疑問に想ってたことだし、それならより長く生きてる方が残るのは納得できる。
けど、この無力感や脱力感は拭えなかった。
「……ねぇ、このまま記憶が戻ったらどうするの?迷宮に行くの?」
「うん。それが、私のやりたいことだから」
「……嘘だよね」
「っ……」
知ってる。私はその嘘を知っている。
「最初に決めたことだからとか、自分が転生者だからとか、いろいろあるのかもしれないけどさ、自分に嘘つき続けていいの?」
「……」
「しかもそれ、黒幕から植え付けられた可能性が高いものだよね?そんなのに従っていいの?」
「……いいの。一回首を突っ込んだ以上、どのみちもう引き返せない。そもそも迷宮の攻略はこの世界に来た当初からの目標で──」
「それが!植え付けられた偽物の感情だって!わかんないの!?」
「……」
ふざけるな。今から私を取り込もうってやつがこれか?
こんな黒幕の手のひらの上で踊らされてるやつが現実に舞い戻るのか?
それなら、まだ私が残った方がマシだ。
「わ、かってる……わかってるんだよ、そんなことっ!」
「じゃあなんでそのままにするの!?ロクな結末にならないことくらい想像できるでしょ!?」
「だって!父さんにも母さんにも小さいときから迷惑かけて!ヒナもマルクもカイさんも巻き込んで!ここまで大事にしといてやっぱり怖いから手を引くとか!出きるわけないじゃん!」
「それが!黒幕の思う壺だって!言ってるんだよ!」
「だったとしても無理だよ!ここまできて投げ出すなんて、私には……!」
いつの間にか一人目も、私も涙を流していた。
感情が昂ってるからか、本気で怒ってるからかは分からない。
けど、このまま送り出せる状況じゃない。私だって、やりたいことしたいことがあったんだ。
それを捨てて人生託すんだ。こんなやつに任せられるわけない。
「世界が滅ぶかもって、みんなも、家族も、友達も後輩も死ぬかもって、それを私なら止められるかもってなったら、やるしかなかったんだよ……」
「さっさと情報公開して助けを求めろよ!そもそも投げ出して何が悪い!発見しただけで大手柄、少なくとも十五の少女が背負う責任じゃないだろ!なんでもかんでも分かってるふうに振る舞って抱え込んで、分不相応なんだよ!」
「でも……」
「そもそも!一言助けてって言えばヒナもマルクもベインも相談乗ってくれたでしょ!?私の記憶見たならわかるよね!?」
「そうかもしれないけど……」
「というか!アルの時点で限界来てたでしょ!?何日も閉じ籠って何も食べず起きては八つ当たりを繰り返し気絶する!そんな状態になってる時点で!まともな精神状態じゃないんだよ!乗り越えたフリしてただけ!ありもしない責任と義務感でごまかして直視しないようにして!いい加減気付けよ!」
「っ……でもっ!夢を諦めたらっ!もう何も残らないっ!この十五年間全部迷宮攻略に使ってきたのにっ!今さらそれを諦めるなんてできないよ……!」
「……っ、じゃあ!自分の物にして見せろよ!」
大声で、腹の底から本音を吐き出すように声を出す。
「私の夢や人生を奪うんだから!そんなメソメソして無駄に使うなんて絶対に許さない!自分らしく生きたかったんだろ!?この世界に生きてるって胸を張って誇りたかったんだろ!?じゃあ自分の事くらい自分で決めて見せろよ!決して私は他人から植え付けられたまやかしの夢に溺れてるやつに自分の人生は譲らない!最大限抵抗してお前を前には進ませない!」
「でもっ……」
「捨てられないなら!自分の物にしろよ!理由はどうあれ自分で積み上げてきたものだろ!?他人の操り人形になるな!なんのためでも、誰のためでもいい!自分で目標を見つけろよ!責任でも義務でもなく、ただ自分がそのためなら何でもできるっていう目標を作れよっ!」
私が残れないのはもう変えようのない事実だろう。けど、こいつが敵の操り人形になったまま体を明け渡す気はない。
わざわざ爆弾抱えてみんなのもとに戻す訳にはいかない。みんなにも迷惑かけることになるし、何より私自身がそれを許せない。
「誰かのため──なら……みんなのために戦いたい。私の身勝手で傲慢な話だけど、ヒナにも、マルクにも、ベインにもカイさんにもアーノルドさんにも、父さんも、母さんだって誰一人傷ついてほしくない!幸せでいて欲しい!だから私はっ!戦う!黒幕を止めて、それで駄目なら何でもする!」
「──そう、だね。──二度とその答えを忘れるな、よ──」
指先から体がほどけていく。どうやら私はここで終わりらしい。
でも、答えは聞けた。あの気持ちを忘れない限り相当おかしな方向に進むことはないだろう。
「じゃあ、ね。もう一人の私──私の分まで、頼んだよ」
「……うん!」
ああ、なんだ。ちゃんと笑えるじゃん。
最後に見えた空は、綺麗な青が澄み渡っていた。