9-5 言の葉
「ヒナ、どこまで覚えてるのかは確認したのか?」
「うん。アーノルドさんがおおまかにだけど、調べてくれた。……ほとんど何も覚えてないかも、って」
「そうか」
ヒナの言葉に、ベインは短く一言で返す。
「ヒナ、どこまで聞いて良いんだ?」
「あんまり無理に思い出させるようなのはよくないって、アーノルドさんが」
「そうか。じゃあ、一つだけ。学院でやった一戦、魔闘大会で戦ったこと、覚えてるか?」
「……ごめん」
「……そうか」
少し、悲しそうな顔をする。
モノクロな視界でも、その表情は痛いくらいよく見えた。
「本当に何も覚えてないんだな」
「……うん」
思い出せない。
戦った?なんのことだ?
学院?そこで何を学んだんだ?
これまで生きてきたであろう人生を、歩んできた道筋を、何も思い出せない。
……なんというか、気持ち悪いし、申し訳ない。
多分ヒナもベインも仲が良かったんだろう。
意識の無い私の介護をしてくれたり、こうやって私の様子を見に来てくれたり、気にかけてくれてるのを感じる。
だからこそ、申し訳ない。その恩を、仇で返すことになるかもしれない。
何一つとして報いれないかもしれない。
それが、怖い。
二人が求めてるのは、今の私じゃなくて、記憶を失う前の私かもしれないのに──
「ま、別に問題ないか」
「え?」
「え、って、別に平気だろ?だって忘れたなら思い出せば良い。思い出せないならまた新しく積み上げていけば良い。一回できたんだ。もう一回出来ない理由はないだろ?」
その言葉が、刻み込まれたような気がした。
その言葉で、不意に頭を殴られたような気がした。
その言葉は、きっと今の私を照らしてくれた。
思い悩んでる私を他所に、ベインはそんなこと問題ないと言ってくれた。
その一言が、今の私を、きっと──
「お、おい……俺なんか変なこと言ったか……?それかなんか失礼なこと──」
「ううん……ありがとう……」
「そ、そうか……」
勝手に、涙が流れていた。
「っ……ごめん、ちょっと、待って」
涙を拭き、何回か深呼吸をする。
不安定に揺れていたところにかけられた言葉を、飲み込んでいく。
「──はぁ、ごめん」
「ううん。まだ起きたばっかりで疲れてるんだよね。気にしないで」
「そうだな。すまん、起き抜けに無理させた」
「……ありがとう」
……駄目だ。また涙腺が緩んできた。
「まあ、なんだ。意外と元気そうで良かったぜ。あいつにも連絡してやらないとな」
「でも手紙が届くのは月単位で時間かかるじゃん。送った手紙と帰ってきた手紙で内容が噛み合わないから読むの大変なんだよ?」
「それでも書いてやれよ。あいつ心配してたじゃねぇか。それに細かい手続きとか手回しはあいつがやってくれたんだろ?」
「そうだけどさ……早く通声機の改良版作らないとなぁ……」
「……」
ベインが呼んだあいつというのが、引っ掛かる。
誰だ……?私の知り合いか……?
いや、心当たりはある。けど確証が持てない。
なら聞いてみよ──
「っ……!」
ズキリ、鈍い痛みが頭に響く。
「大丈夫!?」
「う、うん……」
思い出せない。きっと、大事な人だったはずなのに。
イメージはある。なんとなくあの人だろうという心当たりもある。
けど、思い出そうと、口にだそうとすると霧がかかったように思い出せなくなる。
……ああ、本当にもどかしい。
「……ごめん、病み上がりで疲れたよね。今日はちょっと早いけどもう横になる?」
「……うん。そうする」
今日はいろいろ考えてばっかりで、それもうまく行かなくてなんだか疲れた。
それに、まだ体が慣れてないのか少し怠さを感じてきた。
まだ空は明るいけどもう寝てしまおうかな。
「じゃあ俺らは出るか」
「だね。あ、私は左隣の部屋にいるから。何かあったら呼んでね」
「わかった。……ありがとう」
「いいの。それじゃ、おやすみ」
「……うん。おやすみ」
この優しさがどこか心地よくて、ずれてるようで心地悪い。
けど、そういうのは今はもういいや。ひとまず休もう。
思考を放棄して毛布を被り、眼を瞑る。
酷い悪夢に、襲われることになった。