9-1 夢幻の記憶
なんとも言えない、言語化するのが難しい焦りがあった。
分からない。何がしたいのか思い出せない。
なのに、何かをしなきゃいけない。そんな焦燥感だけがあった。
何があったのか思い出せない。なのに、怖い。
忘れてしまった悪夢のような、正体の分からない恐怖だけが胸にあった。
そんな色褪せた感情だけを手に、私は目を覚ます。
「ん……」
……知らない天井だ。どこだろう、ここ……
「……入るよ」
ノックが三回、部屋に響く。
「……どうぞ?」
「え!?レイチェルちゃん!」
黒髪の女の子が手に持った荷物を投げ捨てながら飛び込んでくる。
「よかった……!目が覚めたんだね……!」
「う、うん……」
その女の子は上体を起こした私に抱きついてくる。
……暖かい。どこか、落ち着く匂いがする。
「ねぇ、もう大丈夫なの?」
「えっと……多分?」
「……一応、アーノルドさんに診て貰おっか」
「わ、わかった……」
この女の子の名前は分かる。ヒナだ。
けど、この女の子と何をしたのか、思い出せない。
大事な友人だったことはなんとなく覚えてる。アーノルドという人にもいろいろお世話になったことは覚えてる。
けど、具体的に何があったのかは思い出せない。
年単位で会えてなかった友人と会ったような、付き合い方を忘れてしまったような人のような、そんな感じだ。
「っとと……」
「大丈夫!?」
「う、うん……」
「ちょっと待っててね、着替え持ってくる」
「あ、ありがとうございます……」
「もう、なんでそんなかしこまってるの?」
「ええっと……」
「まだ混乱してるんだよね、大丈夫。ちょっと待ってて」
そう言い残してヒナは部屋のクローゼットから服を取り出す。
「自分で着替えられる?」
「多分……」
……これどうなってるんだろ。なんかよく分からないところにボタンついてる……
「……ねぇ、他の服も見ていい?」
「いいよ~。ちょっと待ってね……これとかどう?」
パーカー、長袖のシャツ、厚手のセーター、ジーンズ、ロングスカートなど、いろんな種類の服を見せてくれる。
「……じゃあ、これで」
その中でも比較的構造が単純なパーカーとジーンズを選び、今着てるボタンがついてる前開きのシャツから着替える。
「歩けそう?」
「うん」
適当に靴を選び、歩いていく。
「わ……」
外は雪が降っていた。
積もる程じゃないけど、雪が降ってるということ自体になぜかびっくりしていた。
「もう冬になるからね~。レイチェルちゃん二週間も寝てたんだよ?」
「え?」
二週間?十四日?そんなに長いこと寝てたの?
「正確に言うと起きてるときもあったけどすぐ寝ちゃったんだよね。毎回汗かいてびちょびちょになっちゃってて……あれは焦ったなぁ……」
「……ごめんなさい」
「うんん。ひとまず無事に起きてくれたからいいの」
「……ねえ、なんで私が倒れたのか聞いてもいい?」
「覚えてないの?うーん……どこから話そっかな……」
ヒナは少し考え、改めて口を開く。
「シュウトが死んじゃった後、多分感情の肩代わりができなくなって、それに耐えられなくてレイチェルちゃんは気絶しちゃったんだと思う。その後はカイさんとアベルが色々誤魔化してくれたの。おかげでギルドでゆっくりできたし、レイチェルちゃんの介護もできた」
「……カイ、アベル、シュウト……」
「まだ、上手く思い出せない?」
「……うん。ごめんなさい」
「大丈夫。それも含めて診て貰おっか。ほら、着いたよ」
教会みたいな建物の前で立ち止まる。
教会……教会……?
「っ……」
「大丈夫!?」
「う、うん……」
何でかはわからないけど、急に頭が痛くなって、ふらついて倒れそうになってしまった。
何が……
「中でゆっくり診て貰おっか。歩ける?」
「なんとか……」
ヒナに肩を借り、中に入っていく。
「おや、目が覚めたんですね」
知ってるような、知らないような、そんな思い出せない不快感を感じながら、一人の男の人に迎えられた。