8-30 赤、赤
「ぁ……う……あ、あ"あ"ぁあぁ……!」
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い──
指が手が腕が、脚が膝が、無くなっていく。
少しずつ、少しずつ、軽くなっていく。
殴られれば胴体に迸った衝撃で胎の中の機能が壊れ、血の味が口内に広がる。
頭を殴られれば視界が揺れ、歯が砕け、目が見えなくなっていく。
必死の抵抗も意味は無く、ただガタガタと椅子を揺らすだけだった。
「ふむ、もう礼拝の時間か。では、《治癒》」
「……ぁえ?」
……あれ、何してたんだっけ……というか今何時だ?
手は?脚は?体は?
……治ってる。じゃああれは夢……じゃないか。紛れもなく現実に起こったことだ。
体に残った痛みが、それを証明していた。
「私は少々席を外す」
「……なんで治したの」
「席を外してる間に死なれては困るからな。教皇様はお前が入信することを望まれている」
「……なんで、なんでそこまで私に固執するの!?私がクレイ教に入ってどうなるの!?」
「さあな。私に教皇様の御心は分からぬ。ただ、素晴らしい人生が待っていることは確約できるぞ。入信するか?」
……ここで入信すればどうなる?決まってる。これまで積み上げてきたもの全部捨てて人生を胡散臭い宗教に捧げることになる。
それはこれまでの人生、これまでの努力、これまで助けられ紡いできた人との繋がりを全て失うことになる。
それは、嫌だ。この色を、絶対に裏切りたくない!
「嫌、だ……!」
「そうか。文字通り釘を打っておくとしよう」
「ぐ、うぅ……!」
手すりにくくりつけられ動かせない私の手に太い鉄の棒が貫通する。
「ではまた夜に会おう。それまでは自由にするといい」
「え……?」
自由に?どういう……
「寝るも、もがくも、好きにすればいい」
「はぁ……?」
ますます何を言ってるのか分からない。好きにしていいならいくらでも──
「では、また」
『長老』が部屋から出ていく。……本気なのか?
「ああ、言い忘れていたが……ここは音が響く。なにせ礼拝堂の真下だ。この数百人の信徒が住む修道院の祝詞はかなり音量がある。気をつけることだ」
「……?」
気をつける……?一体どういう……
……まあいい。あいつの目のない環境をわざわざ作ってくれたんだ。さっさと逃げよう。
逃げれなかったらまた、あれが……
手先が震えだす。思考が恐怖に書き換えられていく。ガタガタと椅子が震える音が部屋に響く。
「フ──っ……フ──っ……はぁ──っ……」
深呼吸、深呼吸……落ち着け、論理的な思考を忘れるな……
……よし、まずはこの邪魔な椅子からだ。拘束を外そう。
痛みと恐怖で操作が乱れ、上手く使えなかった魔術を使う。
結果としては、ただ氷片を量産しただけだった。
「まさか拘束外すどころか椅子自体も壊せないとは……」
多分魔道具の類いだ。ただの木材とは思えないくらい固いし水も染み込まない。
となると椅子ごと……いや、多分扉も固い。鍵っぼいのもあるし……いや鍵なら開けられ……
「ん、んん……?」
……まさかの魔道具の鍵だった。金庫みたく特定の番号を押さないと空かないタイプのやつだ。
流石に番号までは見てない……怖くて魔術使えなかったからな……
何桁かも分からないのに当てずっぽうは無理だし間違えたら通報する仕組みでもあったらますいしな……
……破壊できない、ダメ元のチャレンジもリスクが高い。その上拘束も破壊できない、か……
ならせめて外に連絡しよう。
連絡術式を構築し、対象をヒナに設定して──
「……ん」
おかしい。何回やっても外に飛ばせない。
……いや、止められてる?
誰かに干渉を受けてる手応えじゃない。なら──
「地下室が魔術的な暗室になってる?……《空間把握》──!」
苛立ちを込めながら、目を使う。
違う、違う、違う……!
視えない。どう頑張っても階段より上が視えない。
「クソッ!」
独白だけが無機質な部屋に響く。何も返っては来ないし、何も出させてはくれない。
ただ、そんな独り言も掻き消されるほどの足音が部屋を満たす。
「……っ、どこ、から……」
この足音どこから……上?
『ここは音が響く。なにせ礼拝堂の真下だ。この数百人の信徒が住む修道院の祝詞はかなり音量がある。気をつけることだ』
『長老』の声が頭の中に流れる。
……これ、この修道院にいる信者の……っ!
足音が止んだと思ったら、今度は祈りのための祝詞が響き始める。
「う、るさい……!」
耳を塞ぐこともできない私に、無慈悲に聞きたくもないものが流れ込む。
近くにあったガラスの瓶が割れ、耳から血が流れ出す。
「ぐ、うぅぅ……!」
破れた鼓膜を修復し、また破れる。
そこからは寝ることも、逃げ出す隙を探すこともできず、信者の生活音に痛め付けられた。