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短編

侯爵令嬢ラピスラズリはそんな、叶えられない約束に希う

掲載日:2023/01/18

「綺麗……」


見渡せば、そこら全てが星空。

吐く息が、白い。寒い。

だけど、それを上回るぐらいの夜空だった。


「ん……? 先客か?」


その声に振り返ると、そこには銀髪を刈り上げた男の子がいた。

寒いからか、目から下はマフラーで覆い隠されていた。


「先客って……先に見つけたの、わたしだよ?」

「俺だよ」

「わたし。わたし、もう十回は見に来たもん」

「それをいうなら俺は二十回は来た」

「……それ、嘘」

「嘘じゃないよ」


彼はそういうと、わたしの隣に腰を下ろした。


「ホント、綺麗だよな。星って」

「そうだね。わたし、星が好き」


それは、幼いわたしの本心だった。


「……神話って知っているか?」

「シンワ? なにそれ」

「星には名前があって、物語があるんだよ」

「そうなの?」


彼は、わたしにいくつかの神話を聞かせてくれた。あの星とこの星をこうやって繋ぐとこうなるって教えてくれたり。だけどわたしにはその形に見えなかった。そういうと、彼は笑った。


「俺もそうだよ」


……って。


「……星、綺麗だな」

「そうだね」

「だけど、月も綺麗だ」


そういう横顔が、やけに記憶に残っている。


「来年もここに来るか?」

「うん」

「じゃあ、来年、な」

「バイバイ」

「バイバイ」


……だけど、その約束は、果たすことができなかった。


「勝手に外に出るなど、いけません!」


わたしが六歳の時、こんやくしゃ、というのができた。なんでも、その知らない人のために勉強や行儀作法を頑張らないといけないらしい。そのこんやくしゃ、とやらの家から派遣された教師はものすごく厳しくて、できるようになるまで何度も何度も繰り返させられた。


「星?神話? そんなのにかまけている時間はありませんよ。さあ、もう一度!」


彼に教えてもらってから読み始めた星や神話の本は、その教師が暖炉に放り込んで、焼き捨てられた。代わりに渡されたのは、小難しい建国物語。

お父様もお母様もその人に逆らってはいけないらしく、何度も何度もその人がいない時にゴメンね、ごめんねと謝っていた。


「初めまして、お嬢様」


そんな時だった。彼女が、わたくしの前に現れたのは。


「シアン・ブルーネと申します。本日からお嬢様付きの侍女となりますので、どうぞよろしくお願いします」


銀色のおかっぱのその子は、同い年っぽいのに、すごくしっかりと喋っていた。


「こちらこそ、よろしくお願いしますね、シアン」


わたくしはその頃はすっかり、妃教育に押しつぶされ、わたしの意思など、消え掛かっていた。誰がわたくし付きになろうと、関係ない。そう思っていたのだ。

だからわたくしがそう答えると、シアンは寂しげに笑った。




**




「本日も一段と増してお美しいです。流石……の、ラピスラズリ様、と言うべきでしょうか。……本日もお仕えさせていただく権利を、わたしにくださいませ」


柔らかい朝日の中、目の前に跪くシアン。

その姿は何よりも綺麗だ。シアンの背中の中ほどまであるサラサラとした銀髪が肩から落ちる。そっと差し出された、手袋に包まれた大きな手。その手にわたくしは手を出せば恭しく口づけられた。


「もちろんよ」


わたくし、ラピスラズリ・セレナーウの一日は、こうして始まる。


わたくしの通っている学園、アリマーチェ学園は五年生制の学園。

十歳の王侯貴族や有力な商家、裕福な平民、はたまた特別な才能を持つ者達が入学する。もちろん、本人に実力がないと入れない、国内随一のエリート校。正に、次代の国の中枢を担う子供達の学園だ。国内各地から人が集まるから、もちろん学生寮もあり、わたくしはそこに入っている。

見慣れ、そしてあと数ヶ月もすれば着る機会のなくなる制服に袖を通し、身なりを整える。


「おかしなところはないかしら?」

「問題ないです。本日も変わらずお美しいです」

「その褒め言葉は必要ないわ」

「左様ですか」


書架から本を取り出し、教室に行くまでの時間を過ごす。

シアンは決して口数が多い方ではない。……わたくしもだけれど。だけど、そんなシアンとのひと時が、わたくしにとっては憩いだった。


「……お嬢様、お時間です」

「今、行くわ」


しおりを挟み、パタリ、と本を閉じた。


「ラピスラズリ・レナセーウ侯爵令嬢様。参りましょう」

「ええ」


わたくしは、ラピスラズリ・レナセーウ。そう、心に、脳に、刻み込む。

カバンを手に寮を歩いて、校舎に行けば既に賑わいを見せている。


「それではお嬢様、わたしはここで失礼します」

「ありがとう。シアンも頑張ってね」

「ありがたきお言葉です」


小さく手を振り、別の教室に入っていくシアンを見届ければわたくしはもう一人。俯きすぎないように顔を上げて歩き、自身の所属しているクラスに行く。

特別仲の良い人などいない。わたくしは浮いている、と言うことを自覚している。だからカバンの中から先ほどとは別の本を取り出し読み始めた、その時。辺りでこの年頃の女子特有の黄色い悲鳴があがった。

……全く、いつになったら慣れるのかしらね?もうすぐ卒業だと言うのに。


「王太子殿下だわ!」

「ヒノキミ様もいらっしゃるわね」


いつも通り、王太子一行だろう。

疎いわたくしから見てもわかる美形揃いだもね。だけど、それがなんだって言う話になるのだけど。だって、貴族だなんて右を見ても左を見ても美形ばかりだもの。


「ラピスラズリ様はそれでよろしいので〜?」


棘を含んだ言い方を感じ、わたくしが顔をあげればそこには予想していた通りの顔がいた。

ミイヤ・ナコ伯爵令嬢、だったかしら。


「何が、でしょうか」


おおよそ、見当はついているけど、決めつけるのは良くないからそう言っておく。


「婚約者様ですよ〜。王太子殿下。貴女には勿体無いぐらいの御仁ですよね〜」

「……そう、ですね」


わたくしの……侯爵家の意思に関係なく決められた婚約だ。

だからわたくしは婚約者である王子には最低限に、義務的にしか接しないし、向こうもそうだった。

彼の外見とは真逆に、冷え切っているのだ。一言で言うのであれば。

この国は明るい色彩の持ち主が多い。……さらに言うならば、性格も。騎士のようにパワフルなほどモテるらしい。だが、そんな暑苦しいのが苦手なわたくしにとっては苦痛に近い。


「肝心の殿下の婚約者様がこんなのだったら、あちこちに虫はつきますよねぇ」

「そうですね。殿下はお美しく、聡明ですもの」

「むしろなんでこんな方が婚約者なのかしらね」


グサリ、グサリと言葉のナイフがわたくしには……刺さらなかった。


「王家に問い合わせてください」


ただただ無関心に、わたくしはそう言った。


「相変わらずの無表情・無関心ですこと〜」

「流石、〈氷の姫君〉ですねぇ」

「……無駄話しか用がないのだったら、もう帰ってくれませんか?」


譲れるものならばこんな立場、コイツらに投げつけてやりたい、と思うほどだ。だが、わたくしにはそうできないからここにいるわけで。

どうしたら帰ってもらえるかしら、とどこか他人事に考えている間に、ホームルーム開始の鐘が鳴る。これを幸いとばかりにわたくしは言う。


「それでは、ご機嫌よう」


と。

……遅刻扱いにならないかが心配ね。今更かもしれないけれど。



「ねぇ、シアン」


放課後、わたくしは読んでいた本から顔を上げてシアンに話しかける。


「なんでしょうか、お嬢様」

「次の長期休暇のことなのだけど……」


そう。もうすぐ冬の長期休暇。長期といっても二週間ほどだけど、その期間、学園から離れられるのは嬉しい。


「あ、はい。当主様は帰ってきて欲しいと仰っているようなのですが……どうされますか?」

「帰るわ」


むしろ、長期休暇に帰らないという選択肢がない。だって、学園なんかより家の方がずっと休まるじゃない。


「卒業パーティーのドレスの採寸、があるらしいのですが……」

「別にいいわよ」

「……かしこまりました。では、連絡してまいります」

「お願いね」


なぜか不服そうなシアンに疑問を覚えながら再び本に目を落とす。わたくしのやることと言ったら本を読むことばかりだ。それ以外、やることはなかった。……あると言えばあるのだけど、やりたくないから放置していた。




**




「お帰りなさいませ、お嬢様」


家につけば玄関で侍女達が出迎えてくれる。


「無事のご帰還、大変嬉しく存じます」


そう言ったのはお父様付きの執事。お祖父様ほどの齢で頭には白髪が混じっているが、まだまだ元気な現役だ。昔……小さい頃は、じいや、呼んでいた。今は心の中でしか呼ばないけれど。


「ラピスラズリ様、ドレスの採寸は明日ということです」

「わかったわ」


じいや、は顔をあげるとわたくしの斜め後ろ……ちょうどシアンが立っているあたりを睨みつけるようにみる。


「シアン。後で話がある」

「かしこまりました。では今夜、行かせていただきます」


じいやはシアンへの当たりが強い。

もしかしなくても祖父・孫の関係だからかもしれないけど……詳しいことはわたくしにはわからない。


「それでは、お部屋にご案内します」


わたくしは数ヶ月ぶりの自室に踏み込む。埃っぽさが感じられないし、きっとわたくしがいない間、定期的に掃除をしてくれていたのだろう。

学園ではシアンしかいなかった部屋が、シアンに加え三人の侍女が入り、一気に賑やかに感じられる。わたくしの周りには三人がいて、シアンは一歩引いたところにいた。


「お嬢様、また一段と美人になられましたね〜」

「カリーナ、先駆けはズルいっ!」

「フローラ先輩、早く手を動かしてください。お嬢様、馬車での長旅で疲れているんですよ!」

「だったらエリーも手を動かしたら?」

「……別にそんなに疲れていないから急がなくても大丈夫よ」


馬車での長旅って言っても一日ほどだし、最近の馬車は揺れが軽減されているから乗っていても疲れないのだ。


「お嬢様に変に気を使わせないでください、三人衆」

「シアン先輩、三人衆ってなんですか〜!」

「何もかにも三人衆でしょう?」


わたくしと接する時とは違う、軽口を叩くような口調に、少しだけ“寂しさ“を覚える。

……きっと、シアンの素はこんな感じなのよね。


「そうですよね、シアン先輩は幼い頃からお嬢様付きですものね……!」

「わたしとて、努力してこの立場を手に入れたのですが」

「ですが、幼い頃から英才教育、受けていらしたのでしょう……?」

「……まぁ、そうですね」


シアンは侯爵家分家の伯爵家の出身だ。しかも、本家の者に仕える優秀な執事だったり侍女だったりを輩出する家。……もしかしたら、シアンがわたくしの側にいるのは、この柵があるから、なのかもしれない。


「……お嬢様、何か誤解されています?」

「そんなことないわよ?」


心の中に浮かんだ不穏な、あって欲しくない考えを排除するようにいう。


「嘘ですね」


だが、シアンを前にすればそんな嘘はすぐに見抜かれてしまう。


「わたしは、わたしの意思でラピスラズリ様のお側にいるのですよ」


いつものように手を取られ、目の前にはシアンが跪いている。


「……わたくしはシアンの意志を無視してまでいて欲しいとは思わないわ」


そこまで言って侍女三人衆にどうやって説明しようか、と考える。きっと、この状況は一般的ではないのだから。


「キャー!」

「ねぇ、みた?みた!?」

「シアン様!ですね、先輩っ!」


……あれ?

意外と普通っぽい?


「お嬢様だけですよ、シアン先輩がこんなことするの!だから、見れたらものすごっっっく幸運なんです!レアなんです!」


熱く語るエリーに少しだけ身を引いた。

その日は両親と兄、弟と妹と一緒に晩餐をとり、明日の採寸のために、と早めに寝かされた。……きっと、シアンが呼び出されているのも、関係しているのだろう。



「では、奥様が先に選定されていた型と色からお嬢様自身が選んで頂く、という形になりますが、よろしいですか?」


閉め切られた空間。

いるのはお母様と侍女達だけだ。だけど、この場にシアンの姿はない。じいやに呼び出されていた。


「大丈夫です」


むしろ、お母様に任せた方がいい。わたくしとは違い、頻繁にあちこちのお茶会に行って情報収集に励んでいる。流行にも詳しく、センスもあって、明るい。


「お似合いですわ、お嬢様!」


若干芝居がかっていないかしら……と思うが、わたくしが言ったところで何も変化しないのがここの侍女達だ。ある意味すごい精神を持っていると思う。

その日は何十着にも思えるドレスを着せられ、結局、お母様が決めてくれた。

……ええ、お母様に丸投げしているわけじゃなくてよ?


「それでは、ご注文通りに仕上げさせていただきます」

「お願いしますね」


やっと解放された頃には、空は茜色だった。

よくお母様と侍女達はこんなにも長い時間、人のファッションショーを見てて飽きないものだ。


「お嬢様」


精神的にヘトヘトになったわたくしが部屋から出ると、そこにはシアンがいた。

自室へ帰る道を進みながら、シアンはわたくしに話しかける。


「だいぶお疲れのようですね」

「よくお母様達はあんなにテンションが高いままで元気なのかが不思議だわ」


思わず愚痴、らしきものが溢れてしまう。


「確かに奥様はお嬢様のファッションショーを楽しみにしておられますものね」

「わたくしは別にドレスなんてどうでもいいのだけど」

「わたしは、ありのままのお嬢様も好きですけど……飾り立てたお嬢様も、好きですよ」


窓から差し込む夕日で、シアンの髪がキラキラと光る。


「……わたくし、あなたのそういうところ、嫌いよ」

「それは悲しいですね。本心なのですが」


わたくしにシアンの本心なんて、わからない。

小さい時から一緒にいるけど、わたくしはシアンが何を考え、思い、感じているのかが分からない。


「お嬢様」


三人衆は夕食の準備やら、お風呂の準備やらで、出払っていてシアン以外、この部屋にはいなかった。


「出かけませんか?」


出かける。


「明日。わたしがお嬢様と一緒に出かけたいです」

「……いいの?」


わたくしは王太子の婚約者として、様々な行動が制限されている。

……王妃に相応しくあれ、と。


「許可など得ていませんが……大丈夫でしょう」


シアンが大丈夫というならば、きっと大丈夫なのだろう。そう思った。だって、今までシアンが大丈夫と言ったことは全部大丈夫だったから。


「お嬢様〜! 湯浴みの準備ができました〜」

「ではお嬢様、また」


シアンはクルリと踵を返し、部屋を出ていった。


「さ、お嬢様、行きましょう」

「ええ」


カリーナとフローラに連れられ、わたくしは大浴場へ向かう。


「あ、忘れ物しました。先に行っててもらえますか?」


フローラはそういうとあっという間に来た道を引き返してしまう。


「全く、フローラったら……。お嬢様、すみません。フローラがあんなので……」

「別に気にしないから大丈夫よ」


この時ばかりはカリーナの口調もふわふわしていなく、申し訳なさげになっている。

その後、再び合流したフローラにつれられ、わたくしは湯浴みを済ませた。



「……ということでいいのか?」


部屋に戻る途中だった。

この声はじいや、だろうか。


「ええ。……潮時、なのでしょう」

「ならいい。……には言ったか?」

「言わない方がいいです。もし言うとしても、俺から言った方がいいかと」

「……そうか」


使用人の誰かがじいやと話しているみたいだった。

流石にわたくしも屋敷で雇っている全員の声を把握しているわけじゃないから、誰とは判別がつかない。


「シアンがラピスラズリ様付きを離れるとなど、言えません」


え……?

シアンが、わたくし付きじゃなくなる……?


「期限は……までだ。それまで誠心誠意、お仕えするように」

「この身にかけまして」


どういう、ことなの……?


「お嬢様、どうかされましたか?」

「いえ……なんでもないわ」


わたくしはそっと、この会話を頭の隅に追いやった。




**




「お嬢様。起きてくださぁい」

「ん……?」

「わたしと一緒に出かけてくれるって約束じゃなかったですか」

「シアン……?」

「そうです、シアンです」


はっとわたくしは目を開ける。

そこには月の光をバックに神々しいばかりに輝いているシアンがいた。


「ラピスラズリ様。わたしと、出かけてくださいますか?」

「喜んで……グゥ」


……眠い。

なんとか動ける服に着替え、心配性なシアンによってかなりの厚着にさせられる。


「外は寒いですからね」


バルコニーからそっと外に出れば、シアンはどこからか馬を連れてきて、わたくしを乗せてくれる。所謂、相乗り、というやつだ。わたくしはもちろん(と言っていいのか)婚約者である王太子にこんなことはされたことがないので初体験だ。


「ちょっとだけ、夜空が見たくありませんか?」

「そう、ね。見てみたい」

「お嬢様の仰せのままに」


……答えなんて、シアンなら分かっていたでしょうに。

だけどその言葉は口に出さない。シアンは、わたくしの意思を尊重してくれているから。だから答えが分かっていても尋ねてくれる。

シアンは馬を走らせ、屋敷を取り囲む森を迷いなく進む。わたくしを支えながら手綱を握るのは相当難しいだろうに、それをやすやすと、こなしてしまうシアン。


「来たことがあるの……?」

「ありますよ。お嬢様を秘密裏に連れ出すにはそれなりに入念な下準備も必要ですから」


そして馬が止まったのは、とある塔の前。


「ここから眺める夜空は綺麗ですよ」


塔の中に入り、上へ上へ螺旋階段を登っていき、しばらくすると扉があらわれる。


「お嬢様、驚いてくださいね」


普通は驚かないでくださいね、っていうところじゃないの……と思いながら扉を潜れば。


わたくしは思わず、息を呑む。

広がる、その景色に。美しい夜空に。星に。


「お嬢様、夜空が……星が、好きでしたよね?」

「……そう、かもしれないわ」


ずっと、昔の話だ。


「綺麗ですよね。わたしもここの景色を見た時、お嬢様のことを思い浮かべました」


なんでわたくし?と思う。


「綺麗……」

──『綺麗…』


「……星。綺麗ですね」

──『……星、綺麗だな』


「そうね」

──『そうだね』


「ですがそれよりも……月が綺麗です」

──『だけど、月も綺麗だ』


こっそりとシアンの横顔を盗み見る。


「……ねぇ、シアン」

「なんでしょうか、お嬢様」


「シアン、来年もここで一緒に……星を、見てくれる?」

「お嬢様、それは……」



「来年、わたくし付きじゃなくなるんでしょう?」


来年。

そんな、叶えられない約束に希う。


「っ、そうです。……来年、貴女の側に、わたしはいません。貴女が学園を卒業したと同時に、わたしの役目は変わります」

「そう」


「……思い出したの。シアンとここに来て」

「何を、ですか……?」


そう問うシアンの声は少しだけ、震えていた。


「わたくし、小さい頃は星が好きだったなぁって」


「それで、叶えられなかった約束があったの」


「来年、またここに来るって」


「あの時は、叶えられるって思っていたけど、違った」

「お嬢様、それは……」

「いいの。……仕方ないわよね、王太子の婚約者なんかになっちゃったんだから」


今日この時まで、忘れていた。

忘れたつもりになって、逃げていた。その記憶から。


「シアンと、叶えられない約束……したくないなぁ」

「お嬢様……」

「シアンと、ずっと一緒にいたいよ……」


わたくしは所詮、わたしで。

わたしがわたくしになるには、シアンが必要で。


「今まで何度も、何度でもシアンがいれば頑張れた」


だって、シアンがいたから。


「わたくしには、シアンが必要なのに……」

「……お嬢様は、わたしといられるのならば……それでいいのですか……?」

「そう、かもしれないわ」


本当は、分からない。

わたしには、わからない。

わたくしには、わからない。


「……星が綺麗ですね」

「……そうね」


だけど。




「手が届かないから、綺麗なのよ」






**






「ラピスラズリ・レナセーウ!貴様は俺の婚約者に、ひいては伴侶に相応しくない! よって、婚約破棄だ!」


アリマーチェ学園の、卒業パーティー。卒業式の日の夜に行われる行事。

だから、これさえ終わればやっと学園生活が終わる、と思ったらこのザマだ。


「俺の婚約者に相応しいのはこのミイヤだ!」


殿下の隣にはいつぞやの令嬢がいる。

……殿下をちゃんと射止められたのね。良かった。


「……これでわたくしはやっと解放されるのですね」

「ん? 何か言ったか?」


いけない、ですね。油断をしてしまった。


「いえ、なんでもございません。では、御前、失礼します」

「待て!」

「……なんでしょう?」


正直もう、どうでも良い。


「お前にはさまざまな余罪がある」

「そうですか。どうぞおっしゃってください」


この国の王太子に婚約破棄されたわたくしの将来はもう真っ暗だろう。ここに幾つ余罪が加わったとて、真っ暗なのは変わらないだろう。


「まず、ミイヤに嫌がらせをしたらしいな」

「どんな嫌がらせですか?」

「無視をしたり……」

「別に答える義務がなかっただけです」

「物を隠したり……」

「その方の妄想では?」


ホント、くらだらない。

わたくしはこんな方のために十年近く……九年もの歳月を費やしていたのだろうか(まぁ、ここ数年は、ほぼ妃教育が終わり、よく分からない勉強が科されていたので、やる意味がないと思ってやっていなかったが)。


「ええい、白々しい! とにかくお前とは婚約破棄だ!」

「承知しました」


むしろ、こんなに嬉しいことはない。

婚約者の方から婚約破棄をしてくれるなんて。慰謝料はいくらもらえるのだろうか。

ただ……肝心は、国王陛下。あの人がこの婚約破棄を認めてくれないと困るのだ。というか、なぜうちに白羽の矢が立ったのだろう。理解ができない。


「とにかく、牢へぶち込んでおけ!」


牢……ですか。わたくし、なにもやっていないのに。牢という単語にあたりはざわついている。

そこに、よく通る涼やかな声が響いた。


「お待ちください」


シアン……!

ヒーローの如く現れたシアン。シアンがいるだけで、わたくしの真っ暗な世界に、光が差し込んだようだった。


「ラピスラズリ様はわたしがいただきますね」


胸が、目が、心が、熱くなる。

そんなわたくしはシアンによって、会場から連れ出される。連れてこられたのは学園の庭園だ。等間隔に並んだ明かりは辺りをぼんやりと映し出している。

わたくしはそんな庭園のベンチに座る。シアンは当然のように座ったわたくしに目線を合わせるため、膝をついていた。


「すみません、お嬢様をモノような言い方をしてしまい……ってお嬢様!? 泣かせてしまいましたか!?」

「……違うわ」


わたくしは、その言葉がとても“嬉しかった“。


「わたくしは、“嬉しかった“。シアンに、そう言ってもらえて」


シアンは今日、わたくし付きじゃなくなって。わたくしの知らないところに行くのに。


「良かったです。……わたしは、貴女が泣いていると悲しくなる」


いつも、シアンはわたくしの側にいてくれる。


「わたくしは、いつまでもシアンが側にいてほしい、です」


だけど、それは叶えられないから。


「明日からのわたくし……どうなるのかしらね?」


自重気味に天を仰ぐ。

お父様もお母様もわたくしを悪いようにはしないだろう。そもそも王家との婚約には乗り気ではないようだったから、喜んでくれそうな気さえする。だけど、わたくしが婚約破棄されたという事実は変わらないわけで。このままだと一生、兄やその家族のお荷物になる可能性だってあるのだ。


「……お嬢様は、わたしに力があればわたしの手を取ってくださいますか?」

「シアンの言う『力』が何を指しているのかは分からないけど……シアンがいればわたくしは嬉しいわよ?」

「……ありがとうございます」


シアンが何を考えているのかは、わたくしには相変わらず、分からない。


「……ラピスラズリ様を泣かせたり不幸にさせるのは誰であろうとこのシアンが許しません。わたしが、地の果てまで追いかけてやります」

「ふふっ……シアンがいうと本気っぽく聞こえるわね」

「……本気ですよ、ラピスラズリ様。だから……いえ、なんでもありません」


なぜ、なのだろう。シアンが言うと、一気に現実味を帯びるのは。

いや、なぜ、と問うこと自体が愚問なのかもしれない。現実味を帯びる、と言うことを今までの経験則から知っているのかも、しれない。


「お嬢様。踊りませんか?」

「今?」

「そうです。……残念ながら、今日でお嬢様付きでは無くなってしまうので。最後に、わたしと、踊ってくださいませんか?」


立ち上がり、月を背に優雅に手を差し出すシアン。


「喜んで」


そんなシアンの手をわたくしが取らないわけ、ないじゃない。

誰もいない夜の庭園で、踊る。

遠くから聞こえる会場の音をBGMに、くるくると、軽やかに。

シアンは当然のように男性パートを踊っていた。それは意外にも様になっていて。今まで踊った誰よりも踊りやすくて、優雅で。


「ラピスラズリ様は、わたしが幸せにしますよ」


**


「お嬢様〜。お見合いの釣書がたくさんありますよ〜」

「いらないわ。捨てておいて」

「もったいないわよね、紙代。そう思わない?」

「そうですね、フローラ先輩。だって……」


だって、なんなのかしら?


「お嬢様、学園を卒業してからずっと、ずっとず〜っとシアン先輩のことを考えているじゃないですか」


図星。だけど、それを表に出すことはしない。


「……そんなことないわ」

「なんなんですか〜、今の間〜」

「そうですよ。カリーナの言う通りです。ホント、シアン先輩、どこに行ったんでしょうね?」


……そう。わたくしが実家に帰る前にシアンはカリーナと入れ替わるようにどこかへ行ってしまった。

学園を卒業して半年が経つけれど、シアンの姿はあれから一度も見ていない。彼女の実家……ブルーネ伯爵家に行ってみたこともあるのだけど、シアンの兄に『お嬢様の侍女であった、シアンはいません』と言われたのも記憶に新しい。


「ホント、優良物件ばっかりですね。侯爵、公爵、伯爵、王家……流石に子爵以下はいないようですが、引く手数多ですよ、お嬢様」

「……一度婚約破棄されたとは思えないほどに、ね」


釣書をパラパラと見ていたエリーが言った通り、らしい。正直なところ、わたくしも現状に驚いている。

わたくしの婚約者だった、元王太子は廃嫡され、辺境へあの令嬢と共に送られることになった。代わりに王太子になったのは第二王子。わたくしより二つ下の文武両道、容顔美麗と言われる人物だ。


「それにしてもお嬢様って、星、っていうか、空が好きだったんですね〜」

「……それほど好きでもないわ」

「お嬢様がそう言うって珍しいですよね。何か理由があるんですか?」


……理由。

── ……星が綺麗ですね。


「……特にないわ」

「お嬢様、嘘が下手ですね〜」

「……そんなことないわよ」

「そうですか……って、もうこんな時間。わたし、夕食のお手伝いに行ってきますね!」


フローラは俊敏な動きで部屋を出ると、どこか──きっと厨房──へ、行ってしまった。


「もう夕方なんですね。……だけど、お嬢様が空が好きな理由、わかった気がします」

「エリー、教えて〜」

「簡単ですよ」


見渡す限りの青空は、少しずつ赤みを帯びて。夜の色が、混じっていく。


「綺麗だからですよ」


シアン、夕日が綺麗ね。



**



「そういえばお嬢様が星を見るのって、冬の間だけですよね〜」

「確かに……。カリーナ、そんなことがわかるようになってきたのね」

「星空は夏でも綺麗ですもんね。……わたし、冬は寒いんで苦手です」


この所、寒さは一段と強くなっている。……だけど、そんな日に限って星は綺麗なのだ。


「カゼは引かないように気をつけてくださいね」

「分かっているわ」


きっと、晴れる。

わたくしは、シアンと行ったあの塔に登る。

初めて一人で来た時はあまりにも長い螺旋階段に感じられ、すごく疲れた。だけど、今はそれほど疲れない。長いのは変わらないけれど。

今年の冬、星が見そうな夜は毎回ここに来ている。……だけど、シアンはいない。


きっと、今夜は晴れる。

わたくしはシアンと行ったあの塔に登る。

けれど、晴れると思っていたのに晴れなかった。曇り空。星は、見えない。見えたのは朧月だけ。

今年の冬、星が見えそうな夜に毎回ここにいる。……だけど、シアンはいない。


きっと今夜、晴れる。

わたくしは変わらずシアンと行った塔に登る。

シアンと行った塔、だと名前としてどうかと思うから、展望塔、と呼ぶことにした。

今年の冬、星が見える日は毎回ここに来ている。……だけど、シアンはいない。


きっと、今夜も晴れる。

今夜のわたくしもシアンと行った展望塔に登る。

最近は乗馬を始めた。……ここに、できるだけ長い時間、いるためだ。待たせている馬は可哀想だとは思うけど。

今年の冬、両手では数えきれないぐらい、ここに来た。……だけど、シアンはいない。


今夜は晴れる。

今日も変わらず、わたくしはシアンと行った展望塔に登る。

最近、冬の夜の天気がわかるようになった。

もう、今年の冬だけで数えるのをやめてしまうぐらい毎日のように、ここにいる。……だけど、わたくしの隣にシアンはいない。


……どれだけ、冬の夜に展望塔に行っても、シアンに会うことはなかった。約束をしていないから、当然と言えば当然なのかもしれないけれど。


「バカみたいじゃない、わたくし……」


もう一年近くも会っていないシアンを、追い続けるなんて。

……そもそもなんで、シアンを……。


「お嬢様、もうすぐ夜明けですよ?」


よくわからないけど最近は三人衆のうち、毎回一人はわたくしについて展望塔に来るようになっていた。今日はフローラだ。


「……ええ。帰るわ」

「そうしましょうか」


わたくしはフローラとの……というか、三人衆全員との間にある、少しの空白の時間が苦手だ。


「……お嬢様は春になったらここには来ないんですか?」

「そうね」


だって、わたくしは冬の夜空しか知らないから。


「お嬢様、知っていますか?」

「何を?」

「夜空は、どんな季節でも、夜ならば見ることができるんですよ」


……?


「夜の空はそれだけで夜空です。たとえ、晴れても、曇っても。雨が降っても」


「お嬢様は冬の……星空しか見ませんが、星空に限っても夏は夏で綺麗ですよ」

「……知らなかったわ」


わたくしは、冬の夜空しか見なかったから。


「それにしても、早いですね。シアン先輩がいなくなってもう一年近くが経つんですね……」


早い?


「……わたくしには、長かったわ」


シアンのいない日は、時間が経つのが牛のように、ノロノロしていて。

フローラはニコリと笑うと言った。


「それはお嬢様がシアン先輩のことをずっと待っているからですね」


当たり前じゃないの。


「ホント、シアン先輩はどこへ行ったんでしょう。お嬢様をここまで悲しませておいて。わたし、シアン先輩を見つけたら一発殴りたいです!」


シュッシュと拳を振るフローラに、思わず笑みがこぼれてしまった。


「あ、やっと笑いましたね」


え?


「お嬢様、気づいておらなかったかもしれませんが、ここ一年で笑ったり怒ったり泣いたりしてないんですよ。ただ、シアン先輩がいないことを哀しんでいるだけで」


……わたくしが喜怒哀楽に乏しいのはいつものことじゃないのかしら?


「……とにかく、シアンは殴らないでね?」

「……善処します」


それって、改善の意思がほぼないじゃない。

そう思ったけど。……だけど、それはわたくしも同じだ。わたくしは会う可能性なんて、ないに等しいと知りながらシアンに会えるかも、なんてきっと心のどこかで思って展望塔に来ている、のだもの。きっと。


「シアン、今頃、どこで何をしているのかしら……」


わたくしには、分からない。


「お嬢様、すっかり恋する乙女ですね」

「……恋?恋愛感情のこと? そんなもの、ないわ」


わたくしにそんなものなんて、不要だった。


「わたしから見ればすっかり、ですよ。全く、シアン先輩はお嬢様たらしですね。こんなにもお嬢様を依存させておいてどっか行くとか。専属侍女失格です」

「……失格じゃ、ないわ」

「やっぱりシアン先輩には、甘いです」


そう、なのだろうか?

シアンがしてくれたことを、返しているまでなのだけど。


「シアン先輩、早くお嬢様の元へ来ると良いですね」

「そうね」


その言葉は意外と、すんなりと出た。


……今夜は晴れる。

今日も変わらず、わたくしはシアンと行った展望塔に登る。

もうすぐ冬の半分ということもあって、肌に刺す風が冷たい。吐く息が白い。

そんな中、背後でカラン、という音がした。


「……誰?」


そう訊ねるわたくしの声は意外と震えていて。

振り返ったところにいたのは、わたくしからは目元しか見えていない人。

コートを着て口元はマフラーで隠され、帽子をかぶっていた。

……そして、シアンではないことに少しばかりの落胆を覚える。


「……先客、か」


あまりはっきり聞こえないけど、声の低さと口調から男性なんだろうって思った。

その人は何も言わず、わたくしの隣に腰を下ろした。


「……誰、ですか?」

「お前、毎晩ここに来てんの?」


わたくしの質問には答えず、そう言ってくる。


「……晴れそうなこの冬だけです。去年は一回だけ。それより前は……これませんでした」


そういえば、あの男の子は、どうしているのだろう。


「……綺麗だよな。星って」

──『ホント、綺麗だよな。星って』


そういった、あの男の子は。


「……なぁ、神話って知ってるか?」

──『……神話って知っているか?』


「ええ」


だって、あれから……婚約者ができるまで、毎日のように星や神話の本を読んでいたんだもの。


「あの星とあの星を繋ぐと、天秤座。……だけど、なんで天秤に見えるのか、わたしには理解ができないわ」

「だよな」


肯定は、思ったよりすぐに帰ってきて驚いた。


「……俺、小さい時にここにきたことがあんの」

「そうですか」

「そしたらそこに先客がいたわけ」


わたくしは黙って先を促す。


「俺、初めてきたけど、ソイツが気に食わないから何十回もきたことがあるって言ったんだよね」


……そんなの、わたくしには関係ないのに。


「その後、お前とおんなじ様に星を一緒に見たわけ。……最後に来年もって言う約束をしたけど、彼女は翌年、来なかった」


だってそれは、もしかして。


「後から調べてわかったことなんだけど、ソイツ、かなりのお嬢様らしかったんだよね。なんでも、婚約者ができたとかで、星とかに構ってる暇はないって婚約者の家の教師に本を焼き捨てられたとか」


……知らない。


「酷い話だよな。あ、その女の子じゃなくて、教師の方。多分、彼女は婚約者さえできなきゃ、その教師も来なかっただろうし、翌年もきっとここに来ていただろうな」


それは、貴方の指す彼女は、きっとわたくし。

……だけど、そうなんて、言えるわけがない。わたくしは、約束を破った張本人なのだから。


「ま、俺は仕方ないって思ったけどな」

「……何が、言いたいのですか?」

「ん〜」


彼は数瞬悩んだ後、笑顔を浮かべて言った。


「明日は、流星群がくるよ」


……と。


「どういう……」


こと、と聞き返した時、彼はもういなかった。


「……ねぇ、エリー」


明け方になり、わたくしは展望台を降りる。そこに今日はエリーがいた。


「なんでしょうか?」

「……明日って、流星群なの?」

「え? ええ。そうと言われていますね」


明日……朝になったから厳密には、今日の夜。流星群がくる。

……だけど、それだけのためにあんなことを言うだろうか? 必要のない昔話まで並べ立てて。


「……今日はもう寝るわ」


今日も、展望塔に行くために。


「最近、すっかり昼夜逆転されていますね」

「……冬の間だけよ」


……今夜は流星群らしい。

朝に寝て昼過ぎに起きたわたくしは今日も変わらず、シアンと行った展望塔に登る。

一つ違うのは、温かい飲み物と折りたたみ椅子を持って、いつもより早く展望塔に来ていること、だろうか。


程なくして、ポツリ、ポツリと少しだけ、流星群が見え始める。油断していれば見損なってしまいそうだ。聞いた話によるとピークは真夜中らしい。

夜が深けるにつれ、寒さはより一層厳しくなり、星は綺麗に見えるようになる。そして、流星群が見える間隔もだんだんと狭まってくる。


……そこへ、カラン、と言う音がした。

振り返れば、昨日と同じような格好をした彼がいる。


「……」


名前を呼ぼうとして。わたくしは彼の名前を知らないことに気づき、開けかけた口を閉じる。白い息が、わたくしの口から零れた。

わたくしは何も言葉を発しない彼に、不信感を覚える。


「どうしましたの?」

「……なんで、ここに」


絞り出されたような声で、そう言われる。


「貴方に流星群が見えるって言われたので。わたし、流星群はまだ一度も見たことがないから」

「それだけ?」

「……違うわよ。言えないものだけど」


おそらく……わたくしが小さい頃にあったあの男の子と、同一人物だから。約束を破ってしまった、せめてもの償い、だろうか。


「そう……」


彼は昨晩と同じように、わたくしの隣に腰を下ろした。


「……今日は椅子、持ってきたんだ」

「長丁場になると思って」


流石に地べたにずっと座るのは体温が奪われるし、硬いから無理だ。


「……ねぇ、貴方の名前は?」

「なんで?」

「知らないってさっき思ったから」


だって、不便じゃない。


「先に名乗ってよ」

「……別にいいわよ。本名が聞きたい?それとも偽名が聞きたい?」

「両方」


……珍しいこと。


「わたしはラズリ」


これは小さい時によく使った名前で。お父様からの愛称で。

わたくしがわたしの時の名前。


「わたくしは……ラピスラズリ・レナセーウよ」


それが変えようもない、今のわたくし。


「俺は……」


彼はそっと帽子と口元を覆い隠していたマフラーに手をかけると、シュルリと取った。





















「シアン・ブルーネ」


冷たい風になびく髪はいつもと変わらない、美しい銀色で。ただ、その長さが肩口ほどになっていた。その髪は、後ろでちょこんと結ばれ、尻尾のように出ていた。


「シアン……?」

「……はい」

「シアンなの……?」

「……そうです、お嬢様」


そう呼ぶ声は、いつも通り穏やかで、だけど知っている声より、ずっとずっと深く、低かった。


「ずっと……専属侍女を名乗っていて申し訳ありませんでした」


専属侍女を名乗った。


「シアンは……」

「男です。……お嬢様付きの侍女になるために、女装していました」


その声はどこまでも静かに、凪いでいる。


「……すみません、分かっていました。貴女があの時の女の子っていうこと」


なら、わたくしとシアンの初対面の時は。


「そこで、俺は貴女に……星をただただ純粋に眺める貴女に惹かれてしまった」


シアンは、寂しそうな顔をしたはずだ。


「だから、女装してお嬢様付きになったんです。……かなり、祖父には無理を言いましたね」


分からないと、どこかで分かっていながらも、分かってもらえないのは。


「だけど、そうしないと俺はお嬢様の側にいられなかった」


そんなの、分かってる。


「……ラピスラズリ様」


少し寂しげに揺れた声で、貴方はわたくしに問いかける。


「……俺を、軽蔑しますか?」

「しないわ」


だって、シアンがいてくれて、わたくしは嬉しかったから。どんなことも耐えられたから。


「……嬉しいです」


彼は、そう言った。


「俺に、貴女を守れるだけの力ができました」


──『……お嬢様は、わたしに力があればわたしの手を取ってくださいますか?』




「……俺の手を、とってくださいますか?」


そんなの、ズルい。


「喜んで」


そんなシアンの手をわたくしが取らないわけ、ないじゃない。


「シアン」

「なんでしょうか?ラズリ様」






「月が綺麗ね」

「……ずっと綺麗でしたよ」

実はこのヒロイン……男装侍女!


主人公 ラピスラズリ

ヒロイン シアン    でした。


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誤字報告をいただきました。ありがとうございます。

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