8.未来を変える為に
屋敷を出てすぐ、僕は屋敷のすぐそばの森へと走った。
街へ今から行ってもきっと追い付かれてしまうだろう。
それなら身を隠せる森の中の方がいい。
森の中には魔獣もいるが、逃げ隠れする程度なら初級の魔術でも十分通用するだろう。
そう思い、気配を消して、森の中を走った。どれぐらい走っただろうか。そろそろ逃げ切れただろうか。そう思った時、大きな遠吠えのような声が聞こえた。それと同時に悲鳴のような声が聞こえる。
誰かが襲われている。
もしかしたら僕を追いかけてきた使用人達かもしれない。
違うかもしれない、でももしそうだったら。
どうしよう。
僕は迷った。
逃げるならこのまま知らないふりして行った方がいい。そうすれば逃げ切れる。
でも、そうすれば僕はまた罪もない人達を死なせてしまうことになる。
そうならないように逃げたというのに。
僕は意を決すると声がした方へと走った。
しばらくすると魔獣の唸り声が聞こえてきた。
そして声のした場所へたどり着くとそこには今まさに襲われそうになっていた使用人達の姿が見えた。
僕は慌てて傍にあった石を掴み、魔獣へ投げつける。
魔獣はそれに気づき、牙をむき出しにして僕の方を見た。
ガオウルフだ。魔獣の中でもそれほど強い奴ではない。
今の僕でも相手ぐらいはできるだろう。そう悟ると僕は大きな声で叫ぶ。
「おーい!こっちだ!」
僕がそう叫ぶとガオウルフは僕の方へと駆け出した。
僕は風の魔術の詠唱を唱え、足を速くするとできるだけ使用人達からガオウルフを遠ざける。とはいえ、ガオウルフは足が速い。逃げられる距離などたかがしれている。
案の定、すぐに追い付かれた。
僕は再度風の魔術の詠唱を唱えると宙に浮いた同時にガオウルフがとびかかってくる。間一髪でよけると僕はそのまま火の魔術の詠唱を唱える。
ガオウルフの毛に火がつき、ガオウルフが騒ぎ出す。
よし、このままじっくりとしとめていけば、勝てる。
そう思った時、身体から一気に力が抜けた。
「え?」
何でどうして。
ふとその感じを昼間も感じたと思い出す。
魔術を使った反動だ。
まさかもうくるだなんて。
倒れかけるのをかろうじでなんとか踏ん張る。
とその間にガオウルフは毛についた火を消し、僕に向かって唸り声を上げていた。
まずい、このままだとやられる。
そう思った瞬間、ガオウルフがとびかかってくる。
終わった。
そう思った時、茂みの向こうから誰かがやって来た。
いや、誰かじゃない。姿を見ればすぐにそれが誰かわかった。
「父さん?」
僕の問いかけに父さんは答えない。
火の魔術の詠唱を唱える。
「私の息子に触れるな」
父さんはそう言うと火の上級魔術を使った。
あっという間にガオウルフは焼き消え、灰とかした。
呆然とする僕の前に父さんは無言のままやってくると僕を睨みつける。
「お前は何をしているんだ?」
「っ」
怖い。
怒っている。
酷く冷たい青い瞳が僕を睨みつける。
怒られて当然だ。黙って屋敷を抜け出して、命の危険に陥って。
怒られて当然だ。そうわかっている。わかってはいるけど。
なんで。そんな目で僕を見るんだ。
ずっと昔から父さんはそうだった。そんな目で僕をずっと見ていた。
そんな目で僕を見なくてもいいだろう。
その目でみられていると色んな思いが一気にあふれてきた。
そう、僕は、ただ、父さんに、父さんに認めてほしくて。
見て欲しくって。
ただ、それだけだったのに。
「なんで来たの?」
口から出た言葉八つ当たりのようなものだった。
ありがとうとそう素直に言えたなら良かったのに。
案の定、父さんは眉間の皺をより深くする。
「何故来ただと?」
「だって、父さんは僕のこと嫌いなんでしょう?それなのに、どうして」
そうだ。そのはずだ。なら、どうして助けたんだ。
そうだ、それならいっそ。
「このまま見殺しにすれば良かったのに」
「お前は何を言っているんだ!」
父さんの怒った声が響く。
それに僕は思わずびくりと肩をすくめた。
恐る恐る父さんを見れば、父さんは本気で怒った顔をして僕を見ていた。
わからない。どうして、父さんがそんなふうに怒るのか。
僕のことなんてなんとも思っていないはずなのに。
それなのに。何で。
「父さんはいつもそうだ!僕を見る目は冷たくて、僕が何を言ってもどうでもよさそうで、僕は父さんに褒められたくてひたすら頑張ったのに、一度だって褒めてくれなくて!」
「なにを言っている?」
戸惑う父さんの声がする。わかっている父さんが戸惑うのは無理もない。これは今の父さんに言っている言葉じゃない。
僕が、あの時の父さんに言っている言葉で今の父さんじゃない。そう分かっているのに、言葉が止まらない。
「そのうち名前さえ呼ばなくなって、目さえ合わせなくなって、僕の存在さえ無視するようになって、僕がどんなに呼んでも振り返ってくれなくて、どんなに手を伸ばしても届かなくて」
そうだ。そうだった。
あの時の父さんはずっとそうだった。
そうやって僕をいつも相手にもしなかった。
父さんは何も言わない。
何で責められているか今の父さんはわかるはずがない。
それなのに父さんは僕の言葉を遮ることもせず、ずっと聞いていた。
「そんなに僕のことが目障りなら、いっそ殺してくれれば良かったのに!そうしてくれれば僕はあんなこと!」
あんなこと、父さんを殺すだなんてそんなことけしてしなかったのに。
そう、あんなこと。
今、思えばあの瞬間、僕の中の何かが壊れたのだ。
「もういい!父さんなんて!父さんなんて!大嫌いだ!」
最後のは完全に八つ当たりだった。
だというのに僕がそう言い切ると父さんは何故か息を呑んだ。
すぐに怒鳴り声が返ってくると思ったのに怒鳴り声はいつまでたってもかえってこなかった。
あれ?なんで何も言わないんだ?
そう思って、顔をあげると父さんが静かに僕を見ていた。
その顔は酷く歪んでいて、その瞳は酷く寂し気に見えた。
何でそんな顔をして。
そう言えば、その顔を僕は見たことがあった。
死に間際の父さんの顔は確かこんな顔をしていなかったか。
「そうか、お前はずっとそう思っていたのか」
父さんは静かに僕の方を見ながら言う。
「私は、間違えたのだな」
「え?」
「アレクシス。とりあえず、ここは危険だ。帰ろう、家に帰った後、ちゃんと話そう」
何をとは聞けなかった。
父さんがそう言って手を伸ばしたその時、その後ろにさっきとは別のガオウルフの姿が見えた。
とっさに身体が動いた。
僕は父さんを着き飛ばし、そしてそのままガオウルフの牙をまともに受けた。
身体に鋭い痛みが走る。
見れば身体からおびただしい血があふれ出ていた。
当然だ。まともにガオウルフの牙を受けたのだ。無事なはずがない。
でも、良かった。これで、父さんは助かった。
良かった。
今度こそ、死なさずにすんで。
そう思い、父さんを見る。
父さんの顔がこれでもかというほど青ざめて見えた。
「アレクシス?」
父さんの呼びかけに僕は答えることができず、同時に意識を手放した。