7.行き違い
結局あれから父さんの帰りを待ち続けたけど夕飯が済んでもなお、父さんが屋敷に帰ってくることはなかった。
僕は玄関ホールにある階段に座り込み、父さんの帰りを待つことにした。
しばらくして時間が遅くなってくると周りの使用人達が慌てだした。
「アレクシス様、そろそろ寝て頂かないと」
アンナはそう何度目かわからない言葉を口にする。それに僕は首を振った。
「父さんが帰ってくるまで待ってる」
「ですが」
「どうしても父さんと話したいことがあるんだ」
「しかし」
更に何か言おうとしたアンナをそっと止めた人物がいた。
「大丈夫だ。私が見ている。お前達は下がりなさい」
クラウスはそう言うと使用人達を自分の持ち場に戻す。アンナもしぶしぶながらクラウスの指示に従った。
残されたのは僕とクラウスの2人だけだった。
嫌でも前にあったことを思い出す。
僕がその手でクラウスを殺した時のことを。
「クラウスは怒らないの?」
「旦那様とお話した方が良いといったのは私ですから」
そう言うとクラウスはそっとタオルケットを取り出す。
「これをどうぞ、ここは冷えます」
「ありがとう」
それを受け取り、僕は黙ってかける。
ちらりとクラウスの方を見る。
記憶よりもクラウスは幾分か若かった。
当然だ。あの時から14年も前なのだから。
「クラウス……ごめんね。あんなことするつもりじゃなかったんだ」
「あんなこと?」
クラウスは不思議そうにする。
当然だ。今のクラウスは知らない。
僕が将来どのようなことをするか。どのようなことをしたか。
知るはずがない。
「クラウスは父さんのものだと思ってた。父さんのことだけを考えてるって、だから僕、ちょっと苦手だったんだ」
でも今ならわかる。クラウスは父さんだけでなく、僕のこともちゃんと考えてくれていた。
今も昔もきっとあの時もずっとクラウスはそうだったのだ。
そのことにあの時の僕は気づかなかった。
それどころかあんなことをしてしまった。
「本当にごめんね」
僕の意味不明な謝罪にクラウスは目を瞬く。
しかししばらくして小さく頷いた。
「よくわかりませんが。わかりました。許します」
「え?」
「ですから、許します。そう言っています」
「で、でも何について謝ってるかわからないでしょう?」
「わかりませんがアレクシス様がそういうなら私はなんであっても許しますよ」
そう言ってクラウスは笑う。
その笑顔を見て、思わず泣きそうになった。
こんなのただの気休めでしかない。そうわかっているのに。
それなのに僕はそれに救われた気がした。
「ありがとう」
泣きそうになりながらどうにか僕はクラウスにそう言った。
それからどれだけ時間がたっただろうか。
さすがに話すこともなくなって、僕は無言で父さんの帰りをひたすら待った。
日付が変わった頃、ようやく父さんが帰って来た。
「父さん!」
僕は立ち上がり、父さんの元へと思わず駆け寄る。
父さんは僕を見ると驚き、目を丸くした。
「アレクシス?どうしてここに?」
父さんは僕から視線を外すとすぐに傍にいたクラウスの方を見る。
「クラウス、これはどういことだ?」
「アレクシス様がどうしても旦那様とお話したいことがあると」
「何?」
父さんはもう一度僕の方を見る。
ようやく話を聞いてくれる気になったらしい。
僕の目の前にくると僕を真正面から見た。
「なんだ?」
その問いかけに僕は思わずひるむ。
気づけば緊張で喉が乾いていた。
「……そ、その」
声がかすれる。
上手く言葉が出てこない。
それでもここを逃したらたぶんもう二度と父さんと話せる機会はない。
そんな気がした。
確かめるんだ。
その為に、僕はここにもう一度戻ってきたのだから。
「と、父さんは僕のこと、どう思っているの?」
「どうとは?」
「だから、その、僕のこと嫌い?」
僕の問いかけに父さんは答えなかった。無言で僕の方を見る。
永遠にも感じる程の沈黙が流れる。
やがて父さんは大きくため息をついた。
「何をくだらないことを言っている」
「え?」
「そんなくだらない答えを聞くためにこんな遅くまで私を待っていたのか?」
くだらないことだって。
僕は何も言えなかった。
ショックで言葉が出てこない。
そんな僕に父さんは静かに淡々と言う。
「そんなもの答えなどわかりきいているだろう。私との関係を考える暇があるなら、自分のことを考えろ」
「あ……」
ああ、そうか。
つまりこれが答えなのか。
僕は思わず俯く。
「そっか。そうだよね。そういうことだよね」
最初からわかっていたことじゃないか。
だというのに胸が酷く痛んだ。
「そうだよね。父さんは僕のこと嫌いだよね。ごめん。そんな当たり前のことを聞いて」
気づけば涙が瞳から流れ落ちていた。
なんで今更、分かっていたことなのに。
それなのに涙が後から後から流れてくる。
「僕はやっぱり生まれてきちゃいけなかったんだ」
父さんが望むような立派な公爵家の跡取りにもなれず、それどころか闇に溺れて暴走してあんな悲惨なことは起こしてしまうなんて。
これなら戻るのではなく、いなくなってしまった方がずっと良かった。
「ま、待て。アレクシス、私は」
父さんが何か言うのが聞こえたけどもう僕は最後まで聞いていられなかった。気づくと父さんに背を向け、自分の部屋へと走り出していた。
部屋につき、鍵を閉め、しゃがみ込む。すぐにクラウスがやって来たのか、慌てたような声で部屋を開けるように言ってきた。
しかし僕はそれを全部無視した。
「何をしてるんだ」
わかっていたことなのに。それなのに。
どうしてこんなに傷ついているんだろう。
僕はぼおっと窓の方を見る。
今日は空が晴れていて月が奇麗に見えた。
「どうしようかな」
もうここにいる気になれなかった。
ここにいてはどうせ、同じことを繰り返す。
僕はきっと父さんを殺して、それから屋敷の使用人達も殺してしまうに違いない。
「そうだ。いっそ、今、ここを出ようか」
そうすれば未来を変えることができるだろうか。
初級の魔術であれば属性関係なく扱うことができる。
当然どの属性の魔術も初級のものは全て覚えていた。
僕は窓を開けると初級の風属性の魔術の詠唱をしながら外へと飛び出す。
地面に着くその直前ふんわりと身体が浮いた。そして地面にゆっくりと着地した。
これで外に出られた。あとは逃げるだけだ。
そう思っていた時、上から声がした。
「アレクシス様!いけません!戻って下さい!」
クラウスの声だ。
見れば窓からクラウスが僕を見下ろしていた。おそらくマスターキーで僕の部屋を開けたのだろう。
もう時間がない。
慌てて僕は逃げるように駆け出した。