6.親子の溝
「アレクシス様、怪我したと聞きましたが大丈夫ですか?」
そう言って、老人が僕の方を見る。
この老人はバルムと言うらしい。幼い頃、僕に魔術の指導をしてくれていた人だ。たしか、年を理由に途中で止めてしまったはずだ。
「大丈夫だよ。大したことないから」
僕はそう言って笑うとバルムはそうですかと言いつつ、僕の顔の方をじろじろと見てくる。どうしたのかと見ているとバルムはふむと長い髭を撫でながら言う。
「そのわりには浮かない顔をしておりますな」
「まあ、色々あって」
先ほどあった父さんとの会話を嫌でも思い出す。
別に父さんとこうゆうことは今までだっていくらでもあった。
期待するだけ無駄だ。
そう分かっていたはずなのに。
あの死に際に聞いた言葉をどこかで望んでいた自分がいた。
「今日はお休みしますか?」
僕の浮かない様子を見てか、バルムがそう言う。
それに僕は苦笑して首を振る。
「それは父さんに怒られるから」
僕のその返答に今度はバルムが苦笑する。
「アレクシス様は本当にいい子すぎますの」
「え?」
いい子過ぎる?いったいどういうことだろうか。
そう思って見るとバルムはにっこりと笑った。
「たまにはさぼって怒られてみるのもよいのではないですか?」
さぼる?
予想外の言葉に僕は思わず驚く。
怒られるか。
そう言えば僕は父さんに怒られたこともなかったな。
ずっと父さんの望むように、父さんの理想の息子になれるようにひたすら努力を続けてきた。
その結末があれだ。笑ってしまう。
何も言わない僕にバルムは小さくため息をつく。
「それでは気分を変えて、魔術の練習をしていきましょう」
「お願いします」
「今日はまずは属性についてのお話からです。基本属性は覚えていますかな?」
「火、水、風、土だよね」
一度学んだ魔術の講義だ。しかも基本となればすらすら言葉が出た。
魔術を使う際に重要になってくるのは属性だ。
属性によって扱える魔術が異なる。初級程度の魔術であれば属性に関係なく使えるが中級以上の魔術に関しては自分の属性の魔術しか使えない。
基本的にほとんどの人の属性はこの4属性に分けられる。
ちなみに父さんも火の属性だ。
でも、僕の属性はこの基本属性に入らない。
「そうですな。それにくわえ、あとは特殊属性と呼ばれるものがあります。特殊属性持ちは数が少ないうえ貴重とされています。特殊属性の中で有名なのは光属性と闇属性ですな」
「闇属性」
そう、僕の属性は闇だ。
特殊属性と言えば聞こえがいいが、同じく特殊属性の光属性に比べ、闇属性はその属性を持つだけで偏見の目にさらされる。
「どうかされましたか?」
「べ、別に」
黙り込む僕にバルムは不思議そうな顔をする。それに僕は慌てて首を振る。
自分の属性がわかるのは6歳になってからだ。
6歳になると特殊な魔道具で自分の属性を調べることができる。
まだ4歳だから、僕が闇属性であることを周りの人間は誰も知らないはずだ。
「あの、闇属性ってどんな感じなのかな?」
「闇属性ですかな?」
「あんまりいい噂を聞かないから」
実際、僕が闇属性だとわかった時も周りの反応は酷かった。
特に父さんは僕が闇属性だとわかったあと、更に僕を遠ざけるようになった。
「そうですな。闇属性の魔法はそれは強大な力を秘めています。扱い方によって簡単に人の命さえ奪える」
人の命さえ奪える。
その言葉にどきりとする。
そう、実際僕はその力を使って多くの人の命を奪ったのだ。
この手で。
「アレクシス様?大丈夫ですか?」
黙り込む僕にバルムは不思議そうにそう尋ねる。
それに僕は慌てて首を振り、答える。
「やっぱり怖い属性なんだね」
「そうゆう訳ではないのですが、まあ、扱いづらい属性ではありますな。その力の強さ故、扱うのが非常に難しく、時に闇に溺れてしまう事さえあると」
「闇に溺れる?」
「ええ、人が変わったようにといいますか、考え方が非常に攻撃的なるというか、人を殺めることに躊躇しなくなり、むしろ高揚感さえ生まれるとか」
「あ……」
僕は思わず言葉に詰まる。
その感覚に覚えがあったからだ。
父さんを殺した後の僕はどうだった?
あの時の僕は。
思い出しただけで身震いした。
今の僕では到底考えられなかった。
あんなふうに簡単に人の命を奪えるなんて。しかもそれを楽しんでいただなんて。
もしもあの時のあれが闇に溺れていた状態だとしたら?
僕は知らない間に闇に溺れていたのか。
いつからだ、いつからそんな。そんなふうになってしまったんだ。
「どうしましたかな?顔色がわるくなりましたが」
「ごめんなさい、体調がちょっと悪くて、やっぱり今日の授業は休ませてもらっていい?」
「もちろんですが」
バルムに断りをいれ、僕はすぐに自分の部屋へと戻る。
今、冷静になって考えるとやっぱりあの時の僕は正常じゃなかった。今なら僕がどんな恐ろしいことをしたのかわかる。
あんな、あんなことをするなんて。
いや、正常じゃなかったからって許されることじゃない。
僕はあんなにも罪のない人を何人もいや何十人も殺したのだから。
この手で。
「う……」
思い出しただけで吐き気がした。
死に際の人達の声や顔が脳裏によぎる。
あの時はそれを思い出すのが楽しくて仕方なかったというのに、今は恐怖しか感じない。
僕はなんてことをしてしまったんだ。
後悔にさいなまれていると部屋の扉が開いた。
「大丈夫ですか?アレクシス様」
アンナはそう言って僕の方を見る。
その手にはお盆を持っているようだった。
見ればお盆の上にはカップが置かれていた。
「具合が悪くなったと聞いて、良ければこれをどうぞ」
「これは?」
「ホットミルクですよ。うちの子が体調の悪い時に飲ませてあげるんです」
そう言ってアンナは僕にカップを差し出す。
僕はそれを受け取り、一口飲む。
暖かなミルクのほどよい甘さがじんわりと口の中で広がった。
その甘さと暖かさにどこかほっとした。
「アンナは子供がいるの?」
「ええ、男の子が2人」
そう言うアンナの目はどこか優し気なものに見えた。
それだけで愛情が見てとれた。
それが酷く羨ましく思えた。
「アンナは自分の子が可愛い?」
「それはもちろんです。自分の子が可愛くない親なんていませんよ」
「そうかな」
父さんもそうなのだろうか。
あの父さんが。
あり得ない。そう思いつつ、これでは同じだと思う。
結局、僕は怖いだけなんだ。
本当のことを知ることが。
それでも今話さなければ、結局何もわからないままだ。
僕は意を決して尋ねる。
「父さんは?ねえ、父さんに会いたいんだけど」
しかしその気持ちは裏切られた。
アンナが驚いたように言う。
「え、旦那様ですか?旦那様ならさっき王城へ立ちましたけど」
「え?」
さっきまで屋敷にいたのに。
呆然とする僕にアンナが慌てた様子で言う。
「急ぎの様ですか?それなら旦那様にご連絡を」
「いや、いいよ」
連絡したところで父さんが仕事をほおって僕に会いに来るとは思えない。
「アレクシス様、あの午後の授業はどうしますか?」
「午後の授業」
どうするも何も出なければ。
だって僕は公爵家の跡取りで、努力しなければいけないのだから。
そう思った時、ふとバルムの言った言葉が蘇る。
アレクシス様はいい子すぎるのじゃ。
いい子すぎる。
そうだ、今更何を考えているんだ。そう思って、努力し続けた結果があれだったのに。
「でない。今日は休む」
「わかりました」
僕のその言葉にアンナは特に何も言わず、頭を下げて部屋から出ていく。
アンナが居なくなってから僕はほっとため息をついた。
残ったホットミルクを全て飲み切ってから僕は自分の部屋に置かれている机へ目を向ける。
そこには勉学や魔術の教科書が山のように積まれていた。
そっと立ち上がり、机の上に置かれた本を手に取り、見る。
真新しい本だけど僕には見覚えがあった。
ぺらぺらとページをめくり、中身を見ていく。内容はやはり以前習ったものと同じものだった。
「勉学はだいたい覚えているな」
必死に頭に詰め込んだ内容だ。そう簡単に忘れはしない。
本を机の上に戻してからそっと自分の身体を見る。
「剣術はこの身体じゃ無理か」
鍛え始めたとはいえ、まだ4歳。当然ながら身体は貧相だ。
死ぬほどやった剣術だ。動きは身体が覚えているとは思うけど、今の自分の身体では再現するのは難しいだろう。
「魔術の方はどうだろう」
僕はそっと詠唱する。当然、唱えたのは闇属性の魔術だ。
すると僕の影がゆらめき、動き出す。
使える。
そう思った次の瞬間、身体から一気に力が抜けた。
慌てて魔術を止める。と同時にその場に膝から崩れ落ちる。
強烈なめまいと頭痛がする。
しばらくそのままの体制で何とか耐えていると次第にめまいと頭痛はよくなった。
これはどういうことだ。
少し考えてすぐにわかった。
今の4歳という幼い身体じゃ、魔術の負荷が大きすぎたのだ。
そういえば、バルムの授業も魔術の基礎的な内容を教えるだけで魔術の実践はもっと大きくなってから始まっていた。
これまでなら簡単に扱えていた闇属性の中級魔術だが、この分なら初級魔術ぐらいしか扱えないだろう。
いや、そもそも闇属性の魔術を使って、闇属性であることがばれてしまったら、もともこうもない。
極力魔術は使わない方がいいだろう。
「結局できることなんてたいしてないんだな」
僕はそう呟くとベッドに倒れこむ。
せっかく過去の自分に戻ったというのにできることなんて大してない。
そう思い知らされた気がした。
その時、部屋の扉がノックされた。
アンナかと思って返事をすると扉が開いた。
入って来た相手を見て、僕は思わず驚く。
僕の驚きの視線を受けながらもその相手は平然と立っていた。
「クラウス」
思わず名前を呼ぶとクラウスは丁寧に頭を下げる。
同時に僕の脳裏に死に際のクラウスの姿が蘇る。
振るえそうになった身体をなんと抑え込み、僕はどうして部屋に来たのかと尋ねる。
少なくとも僕が覚えているなかでクラウスがこうして僕の部屋に来たことはなかったはずだ。
「いえ、アレクシス様が勉強をさぼるなんて、初めてのことでしたので」
「怒ってるの?」
「まさか」
クラウスはそう言い、僕の方を静かに見る。
その目はクラウスが言う通り怒っているようには見えなかった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫って、体調が?」
「いえ、旦那様と何かあったのかと」
クラウスにそう言われて僕は黙り込む。
何かあったのではない。何もなかったのだ。
本当に何も。
「クラウス」
「はい」
「父さんはやっぱり、僕のこと嫌いなのかな?」
だから話を聞いてくれないし、僕を見てもくれない。
やっぱり死に際に聞いたあれは嘘で父さんは僕のことをずっと疎ましく思っていたのかもしれない。
そう思って、思わずそんな言葉が出てしまった。
クラウスは僕の言葉に驚いたように一瞬目を見開かせる。
しかしすぐにいつも表情に戻ると静かに首を振った。
「それはどうか旦那様に直接お聞きして下さい」
「それはむずかしんじゃないかな。僕のことなんか相手にもしてくれないし」
僕の言葉にクラウスは何か考え込む。しばらく考え込んでから静かに口を開く。
「アレクシス様、貴方が生まれた時のことをご存じですか?」
「え?」
生まれた時の事など当然ながら知らない。
そもそも僕は父さんから母さんの話を聞いたことはないし、昔の頃の話などもっと聞いたことがなかった。
「今でも思い出せます。旦那様は奥様から貴方を受け取り、それは大事そうに貴方をその腕に抱いておられました」
クラウスはそう言って、目を細めて笑う。
「何があっても旦那様がアレクシス様を嫌うことはありませんよ」
「でも」
「私から言えることはそれだけです。どうか、あとはご本人に直接お尋ね下さい。あなた方にはそれがきっと必要ですから」
クラウスはそれだけ言うと失礼しましたと頭を下げて、部屋から出ていく。残された僕は1人、呆然とクラウスが言った言葉を頭の中で繰り返し思い出す。
いよいよ何が真実かわからなくなってきた。
確かめる方法はもうひとつしかない。
僕は再度、覚悟を決めた。