5.もう一度与えられたチャンス
声変わりしていない高い声に、記憶よりもずっと小さな自分の手。
それを見て、なんとなくわかってはいたけど僕は確かめる為に鏡を見る。
鏡には幼い頃の自分がうつっていた。
理由はわからない。
わからないけど、僕は何故か子供時代の自分に戻ってしまったようだった。
「アレクシス様、大丈夫ですか?」
使用人の女性が心配そうな顔をして僕を見てくる。幼い頃、僕の身の回りの世話をしてくれたアンナだ。
僕はアンナを安心させるように笑う。
「大丈夫だよ」
「でも、さっきまで少し可笑しいことを言ってましたし」
「それは」
幼い頃に戻ったと分かってまず僕は事実を確認した。まず、今がいつなのかだが。聞いたところ僕は今4歳になったところだった。
「ちょっと記憶が混乱してただけだから、もう大丈夫だよ」
「そうですか」
アンナはようやくほっと安心したような顔をする。
「それにしてもハンスの馬鹿力には困ったものですわ」
「ハンス?」
「剣術の指導をしていた男です」
「ああ」
「悪い男ではないのですが」
アンナがそう言い言葉を濁す。そういえばと思い出す。剣術の指導者は昔一度変わった記憶がある。
もしかしてあのハンスという男が今回のことが原因で指導者を降ろされてしまったのだろうか。
額のたった小さな傷のせいで。
そう思うとなんだか不憫な気がした。
「えっと、ハンスが悪いわけじゃないよ。ぼおっとしてた僕がいけないんだ」
「ですが」
「医者も言ってたでしょう?大した傷じゃないって」
「そうですが、一応旦那様にはお知らせしといた方がいいでしょう」
「え?」
アンナの言葉に僕ははっとする。
そうか、僕が4歳の頃に戻ったということは今、父さんは生きている。
僕がこの手で殺したあの人が。
「父さんがいるの!?」
「ええ、今日は王城には行かず、執務室でお仕事をなさっているはずですが」
アンナの言葉を聞いて僕は駆け出す。アンナが驚くのも気にせず、僕は扉を開け、廊下に出るとまっすぐ父さんの執務室に走った。
おかしなものだ。
あの時は父さんを殺すことだけが生きがいだったのに、今はそのことを酷く後悔していた。
死ぬ間際にあんなことを聞いたせいだろうか。
とにかく父さんが無事な姿を一目見ないと安心できなかった。
廊下ですれ違った使用人達が驚き、僕の名前を呼んだが、僕は気にせず、執務室へ走る。
そしてついにそこへたどり着くと扉をノックもせずに開けた。
見慣れた仕事机にそこに山のようになる大量の書類。
そこに埋もれるようにして父さんがいた。
見慣れた光景のはずなのにその光景を見て、僕は思わず涙ぐみそうになった。
「誰だ。ノックもせず」
父さんはそう言うとじろりと睨むようにこちらを見た。
やってきたのが僕だとわかると驚いたような顔をする。
「アレクシスか?」
生きている。
父さんが生きている。
僕が殺した人。
僕の父親。僕の。
色んな思いが胸にあふれ出て、言葉にならなかった。
黙り込む僕に父さんが訝しむような視線を向ける。
「いったいどうしたんだ?」
父さんにそう言われ、僕はようやくはっとする。
そうだ。父さんにしてみれば突然息子が部屋に飛び込んできたのだ。
どうしたのか疑問に思わない訳がない。
僕は思わずすみませんと謝る。
しかし謝ったあと何を言ったらいいかわからずやはり黙り込む。
ふと死に際に言われた言葉がよみがえる。あの時の言葉は本当だろうか。
だとしてもどう確かめればいいのだろうか。
そう思っているとふと父さんが立ち上がり、僕の方にやってくる。
僕はどうすることも出来ず、父さんがそばに来るのを黙って見ていた。
父さんは僕の前までやってくると額を指さす。
「額に傷はどうした?」
「あ、これはその、さっき剣術の授業で傷をつくって」
「なに?」
その一言に厳しい表情をしていた父さんの顔がますます厳しくなる。
「大丈夫か?」
「え?」
思わず間抜けな声が出た。
大丈夫か?
あの父さんが僕の心配をしている?
もちろん昔の僕の記憶の中では父さんが僕の心配をするなんて一度もなかった。
「だ、大丈夫」
「そうか。お前は公爵家の嫡男だ。くれぐれも身の振り方には注意しろ」
「え……」
先ほどまであった喜びが途端に消える。
ああ、そうかと思う。
この人は別に僕を心配したんじゃない。
僕が公爵家の嫡男として相応しい身の振り方をしているかを気にしているのだ。
そりゃあ、そうだ。心配なんかこの人がするはずがない。
「そもそも剣術の稽古ごときで怪我するとは呆れて何もいえん」
父さんはそう言い、ため息をつく。
呆れらているようだ。
相変わらず、その態度は冷たい。
これで僕を愛している?
やっぱり死に際に聞いたあれは間違えで、この人は僕を嫌ってて、それで。
「用は以上か?なら早く稽古に戻れ」
父さんは仕事机の方に戻りながらそう言う。
もう僕の方を見ていない。
そうだ。いつもこうだった。僕を見てもくれない。目を合わせてさえくれない。
そう、ずっと。結局、あの日、僕が父さんを殺す、その時まで父さんは僕を見てくれることはなかった。
でも。
すまなかった。
最後に言った父さんの言葉が蘇る。
僕はぐっと奥歯を噛みしめ、この場から逃げ出したくなるを必死に抑える。
「あ、あの父さん」
「なんだ?」
「そ、その……ちょっと話があるんだけど」
「なんだ?」
そう言いつつ、父さんは僕の方を見ない。
既に書類仕事に戻っている。
違う、そうじゃない。そんな片手間で話すような内容じゃない。
「その、大事な話がしたくて」
だから手を止めて欲しい。
そう思って、そう言うと願いが通じたのか、父さんが手を止めて、僕の方を見た。
僕と同じ青い瞳が真っすぐとこちらを見つめる。
ようやく見てくれた。
そう思ったのもつかの間、僕が何か言う前に父さんが口を開く。
「そんな暇がお前にあるのか?」
「え?」
「勉学も剣術も魔法もまだまだ不十分だと聞いているが?」
何を言っているんだ。
今の僕は4歳になったばかり。そんな年の子供が不十分なんて当たり前じゃないか。
それなのに、どうして、そんなに責めるように言うんだ。
「それに私も今は仕事で忙しい。お前と話す時間をとることはできない」
続けて言われたその言葉に僕は黙り込む。
なんだよ、それ。
息子よりも仕事が大事なのか。
「わかったなら、早く出ていきなさい」
もう何も言えなかった。
僕は静かに頷き、執務室の扉を黙って閉めた。
父さんは僕のことなど気にもせず、仕事をしていた。
変わらない。やっぱり、この人は変わらない。
もう一度会って、確かめたいだなんて。そんなことを思う方がやはりばかだったのだ。