29.鳥山明さん、ありがとうございました
鳥山明さんが急性硬膜外血腫で亡くなったという訃報のニュースを耳にしました。
とても驚くと共に悲しく思いました。
私、子供の頃に硬膜外血腫で死にかけたことがあるんです。開頭手術を受け、その後、少しの間ですけど寝たきり生活を体験しました。
当時の私は両親に何も買ってもらえない子供でした。しかし、寝たきりのベッドの上で「少年ジャンプが読んでみたい」と言うと、この時だけは父が買ってきてくれました。当時、たった170円だった一冊の少年ジャンプ。私の生涯の中で最初で最後の、父に買ってもらった、たった一冊の本です。
ボロボロになるまで何回も何回も読み返しました。
その時に「皆を楽しませて夢を与えることのできる漫画家って素晴らしい職業だな」と思ったんです。
漫画家になりたいと思いました。13歳の頃の話です。
その後、様々な漫画キャラの模写をするようになりました。
特に、鳥山明さんの作品のストーリーと画風に憧れました。作品中に出てくるキャラクターやメカを見て、どうしたらこんなデザインができるんだろう、と、ずっと思い続けました。
きっと作品を作ることを夢中になって楽しむことのできる作家先生なんだろうな、と感じていました。
少年ジャンプの読者ページのイラストコーナーにアラレちゃんのイラストを送ったこともあります。下手過ぎて掲載されませんでしたけど。
ドラコンボールは本当に夢中になって読みました。
鳥山明さんにはずっとずっと憧れ続けて、現在も憧れています。
昨年、ブックオフで皺くちゃでボロボロになった30年以上前のドラコンボールを見つけて購入しました。
一度は諦めて絵を描くことをずっとサボってきた私ですけど、文筆での創作活動を始めたら、その文章に挿し絵を付けたいと思ったんです。
その時に描きたいと思った画風のイメージが鳥山明さんの画風でした。そういったワケで、もう一度、ドラゴンボールの模写をしようと思った次第なのです。
この一冊のボロボロのドラゴンボールは、しっかりとカバーを掛けて今では私の宝物となりました。
鳥山明さんの描く漫画を楽しみ、憧れ、人生に影響を与えられた人たちは数え切れないほど沢山いると思います。私もそんな人たちの中の一人です。
日本の漫画文化を世界に知らしめることに莫大な貢献をして、世界中の人々を鳥山ワールドに引き込んで楽しませてくれた鳥山明さん。
今まで本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。