姉妹と手紙
「ミヨ姉ぇ、ニ時の方向! 白煙が見える!」
ミヨたちのトレース・ギアは一人乗りだ。一人が操縦し、もう一人は右肩に作りつけたバケットシートに座る。しかし、リップルは眠い時以外、このシートでじっとしていることは稀だった。今も頭部によじ登って双眼鏡を覗いている。
「わぁっ! ……と!」
ニ時の方向……進行方向を十二時として右に六十度。カメラで捉えようとギアの頭部が勢いよく回転した。振り落とされそうになったリップルが慌ててしがみつく。
「ちょっとリップル、大丈夫!? あー、カメラふさがないで」
「ごっめーん。びっくりしたー」
薄曇りの白い空に向かって、白煙が立ち上っている。距離はおよそ五百メートル。煙が空に溶け込み、近くに来るまで気が付かなかった。
「戦闘ではなさそうね。行ってみる?」
「うん! なんだか、お金の匂いがするよ!」
「もう、リップルったら」
※※※
石畳の街道で黄色い小型トラックが一台、立ち往生していた。カバーを外したボンネットから白煙があがっている。そのそばでトラックと同じ黄色い帽子の男が途方に暮れていた。
「どうしましたかー? お困りですかー?」
ガチョン、ガチョンとギアで近づきながらミヨは声をかけた。
「エンストしちまってね。ご覧の通り。お困りですよ」
「有料で良ければ見ましょうか?」
有料と聞いて男は一瞬、逡巡する。しかし、諦めるとギアを見上げて手を振った。
「頼む。機械にはどうにも疎くてね」
「まいど!」
そう言った時にはもうリップルはギアの腕を伝いおりて、トラックのエンジンルームを覗きこみ、使い込んだ厚手のグローブをはめ直していた。
「あーあ。ミヨ姉ぇ、ファンベルトがボロッボロだ」
言いながら腰に下げたポーチから中振りのニッパーのような道具を取り出し、エンジンの回転を空冷機に伝えるベルト(だった物)にあてがった。
ブチッブッチンッ!
ギュギュイー、ギュイー!
「ふにゅぅぅぅぅ~」
小さな体を仰け反らせ、ベルトの残骸を力任せに引っ張り出す。確かにベルトはボロボロだった。
「あーぁ、ほら、ここ。ベルトに回転を伝えるドラムの方に大きな傷がある。そのせいでビリビリに裂けちゃったんだね」
リップルは、横から覗き込んでいる男にも分かるようにかみ砕いて状況を話す。
「これベルトを替えただけじゃ駄目だなー。ミヨ姉ぇ、ドラムを交換しなきゃ」
「わかった。ギアでエンジンを持ち上げましょう。ドラムのサイズは?」
「んーっとねー、三十号……かな?」
「ジャンクパーツのストックに確かあったと思う」
※※※
「へぇ。郵便屋さんなんだー」
「そうさ。この黄色がトレードマークだよ。知らなかったかい?」
ストックのパーツが合わずパーツ交換は諦めて、ミヨが傷の入ったドラムを研磨している。その間、リップルはミヨが淹れてくれたお茶を飲んで一休みしていた。
男が帽子を脱ぐ。まだ少年と言っていいぐらいの歳に見える。名前をポーリーと言った。
「ポーリーは何歳? 同い年? ボクは九歳だよ!」
「えぇっ。僕、九歳に見えるのかー。あはは。結構ショックだなぁ、これでも十五歳だよ」
「ふぅん。で。郵便屋さんって何するの?」
「知らないのかい? 手紙を運ぶお仕事さ! ほら、こういうやつ。手紙は良いよ。遠く離れて会えない人とだって繋がって、心通わせて、傍に感じることが出来るんだ」
そう言いながら、男はトラックの荷台のズタ袋を小さく開いて見せた。なかには手紙が入っていた。
「お手紙! お手紙なら知ってる。ボクたちも貰ったことあるから! ほら、これ!」
そう言いながら、リップルは腰のポーチから皺くちゃになった手紙を取り出した。
「見てもいいのかい?」
「うん!」
リップルは叔母の手紙をポーリーに差し出した。
「なんだか、すっごく上から目線な手紙だね」
「だよねー!」
「それで君たちはあれで旅をしているんだ?」
ポーリーはマグカップでトレース・ギアを差しながら言った。
「……にしても。ギアを持ってこいって……意味がわかんないな。高価だけど、だからって持ってこさせるほどでもないような……何か特別製だとか?」
「ううん。ふっつぅのやつだよ。たぶん」
「言っちゃなんだけど、この叔母さん信用できるの? ちょっと……怪しくない?」
「まぁ、そうなんだけどね」
ドラムの研磨を終えたミヨが会話に加わりながら、自分のマグカップを手にした。
「きっかけにはなったかな、って」
ミヨの言葉にリップルがうん、うん、と大きく頷いた。
「きっかけ?」
「そ。この手紙を受け取ってなければ、私たちは、ラヴレンチャの町で静かに暮らしてるだけだったと思う。でも、叔母さんのところへ行くって口実が出来て、こうして旅してる。これがね……」
「すっごく楽しい!」
「なるほど……」
「というわけで、リップル交代。新しいファンベルトを取り付けてくれる? 最後のところは力が要るから一緒にやろう」
「りょ!」
リップルはおどけて敬礼するとトラックのところへ走っていった。
「本当はね。私はこの旅には反対だったのよ」
妹を目で追いながらミヨが言った。
「だろうね。ずっと紛争地帯を通ってきたんだろ? この先も当分、続くよ? 協定は形だけ。ここでは何が起きても自己責任だし」
「そうね。でも、リップルに言われたの。『このまま家に閉じこもって時が過ぎていくだけなんて死んでるのと一緒だ。どうせ死ぬなら、世界を見てみたい』って」
「あはは。元気な妹さんだなぁ」
「でね。いざ旅に出てみると、これが案外どうとでもなっちゃうのよね」
「『芋は案ずるより、煮込むが易すし』って?」
「それよ!」
※※※
「シャワー空いたよーって、ん? ミヨ姉ぇ、またお手紙見てる?」
「うん」
小さな町だったが、小綺麗な宿に空き部屋を見つけることができたのは僥倖だった。少し値は張ったが、ちょうど修理代を貰えたこともあって、お金に余裕があった。
一階がレストラン、二階が宿泊所になった昔ながらの宿屋だった。質素ながら、野菜と肉とパンのバランスのとれた温かな食事を済ませると、二階の部屋に通された。各部屋にシャワールームが付いていることに驚いた。たまには温かいシャワーで汚れを落とし、ふかふかのベッドで寝るのも良いものだ。
まずは汚れの酷いリップルが先に油まみれの体を綺麗にする。そうでないと、ベッドがたちまち油臭くなってしまうのだ。リップルのシャワーを待っている間、ミヨは旅のきっかけになった叔母からの手紙を読み返していた。
それにしても妙な手紙だ。十三歳と九歳の姉妹二人だけで紛争地帯を抜けて旅をさせようということに驚く。
でも。昼間出会った郵便屋のポーリーに話したように、当座の目的地というだけで、今はこの旅そのものを楽しんでいる。毎日新しい出会いや事件が起きるから、飽きるということがない。
「ミヨ姉ぇ。紙とペン貸してくれる?」
「どうするの?」
「ボクもお手紙書きたくなっちゃった」
「誰に?」
「あのね……パパとママに」
いつも元気いっぱいなリップルの心の中の寂しさに触れた気がした。ミヨだって完全に乗り越えられたわけじゃない。ましてリップルは……パパとママと一緒に過ごした記憶はミヨよりも四年も少ないのだ。ミヨは、裸のままバスタオルを頭から被っただけのリップルを優しく抱きしめた。
「いいね。それ。私も書こうかな」
「じゃあ、見せ合いっこする?」
「しよう! しよう! ん……?」
ツンとオイルの匂いが鼻をつく。
「どうしたの? ミヨ姉ぇ?」
くんくんと匂いの元を探って、リップルの頭を嗅ぐ。
「リップル〜、洗い方、ぜんっぜん、足りてない。洗い直し! いや、やっぱり一緒に入って洗ってあげる。さ、もう一度行くよ!」
「ふぇぇぇぇ」
リップルはミヨに引きずられてシャワールームへ戻っていくのだった。