姉妹と老兵
――産業革命によって、蒸気機関や電気が発明されると、人類は自動車や機関車、船や飛行船へと応用し、交通革命が起きた。そして、人が操縦するタイプのロボットも進歩を遂げ、一般家庭に普及するまでになっていた。
「ミヨ姉ぇ。お腹空いたぁ」
「リップル。次の町まで待ってね」
ガチョン、ガチョン、ガチョン、ガチョン……。
リズミカルな歩行音を周囲に響かせ、一機の二足歩行ロボットが歩いていた。石畳を傷つけないよう街道を避け、森の中を進んでいく。操縦席は胸部にあった。その上部ハッチを跳ね上げて逆さまに中を覗き込みながら、リップルはミヨに抗議した。
「お昼、とーっくに過ぎてるよ? お腹ペコペコだよぉ」
リップルはさらに身を乗りだそうと、足をハッチの縁の手すりに引っ掛けた。逆さにぶら下がり、自由になった両手を振り回す。しかし、外部カメラにリンクしたゴーグルで外を見ているミヨは気が付かない。
「ねぇってば!」
「わっ! ちょっ! リップル!」
リップルは、ミヨのゴーグルをもぎ取った。これにはミヨも慌てて、思わず急制動をかける。衝撃でリップルが操縦席に落ちてくる。
「ふぐぇ」
「もぉっ、リップル〜」
ただでさえ狭い操縦席でもつれた二人は、抜け出すのに四苦八苦だった。
まだ日は高い。しかし日が落ちる頃まで歩を進めた挙句、野営場所が見つからずに困ったことが、これまでに何度もあった。
「仕方ない。まだ町までは遠そうだし、そこの川で野営しよっか」
「やったー! ミヨ姉ぇ、あんがとー!」
※※※
ひょんな事で始まった姉妹二人旅。伸ばしていた髪は旅に出る時にばっさりと切った。父親譲りの赤い髪をざっくり後ろでまとめているのが姉のミヨ。同じく、母親の面影を映す青い髪を左右で小さなお団子にまとめているのが妹のリップルだ。
二人は、一年前不慮の事故で同時に両親を失った。心の傷に折り合いを付け、ようやく二人での暮らしにも慣れ始めた頃、その存在も知らなかった叔母から一通の手紙が届いた。
「姉さんが亡くなってたなんて。生活には困ってない? トレース・ギアを私の元まで持っておいで。そうすれば、面倒くらいみてあげる」
トレース・ギアは全高六メートル。全幅四メートル。胸部に操縦者が収まる操縦席がある。可動域を確保するため、足は極端に外側にあり、両腕はさらにその外側にある。二足歩行ではあるが、手足のバランスは人間よりもゴリラに近い。色もダークグレーとメタルブラックで、一層ゴリラを思わせた。
父親が屋根の修理や、庭のもみの木にクリスマスの飾り付けをするのに使うところなら見たことがあった。しかし、こんな屋根修理ロボットを持ってこさせてどうしたいんだろう? そうは思ったものの、ミヨは十三歳、リップルは九歳。保護者になってくれるという叔母の申し出は有り難かった。
ただ、トレース・ギアでの旅となると、機関車や飛行船といった移動手段が使えない。自分たちで操縦して運ぶしかない。大陸を大きく横断する陸路。およそ六か月はかかる長旅になる。
操縦訓練は、三日もあれば十分だった。トレース・ギアはその名の通り、操縦者の手足の動きをトレースして動く。操縦者は腰の後ろで固定されているから、思いっきり体を前へ投げ出せば前転だってできる。歩く、走る、跳ねる、しゃがむ、前転、前中、バク転、側転。いずれも体の動きで指示を出す。
封筒には、足しにするようにと多少の路銀も同封されていた。長旅に備え、思いつく限りの荷物や食料を用意した。キャンプ道具もその一つ。姉妹にとって、テントの設営はギアの操縦よりも大変だった。
※※※
料理はミヨの担当だ。乾燥肉と乾燥野菜とトマト缶と米を深めのクッカーにぶち込んで煮込み、塩、胡椒で味を付ける。毎度代わり映えのしない、ごった煮スープリゾットだ。しかし、ありがたいことにリップルは
「ミヨ姉ぇの料理は世界一だな!」
と言いながら食べてくれる。
ミヨが料理を作っている間、リップルがギアのメンテナンスをするのが姉妹の分担になっていた。毎日少しずつ。今日は左肩から左腕。リップルは、器用に肘のハッチを足場に、肩のメンテナンスハッチに頭を突っ込んでいる。小柄な体躯を活かし、狭い空間に上半身をねじ込み、ハンマーで叩いて金属疲労を確認し、ナットの緩みを確認し、可動部品に潤滑油を吹きかけていく。
「リップル、そろそろご飯できるよー」
「あともぉぉうちょっとぉぉー」
これはもう少しかかりそうだ。ミヨはクッカーを火から遠ざけた。
※※※
「よぉ、あんちゃんも、傭兵志望かい?」
歯の隙間から空気の漏れる音と、舌を打つ音を伴う声の感じから、初老の男性といった雰囲気だった。
西日が最後の光を細長く投げかけている中、灰色のトレース・ギアが近付いてくるのには気がついていた。念の為、リップルをギアに乗せ、静かにアイドリングで待機させる。
ミヨたちのギアに武器は無い。が、いざとなれば右腕のパイルドライバーでダメージを与えることなら出来る。危険とみれば、ギアの腕でミヨを引っ掴んで逃げることも出来る。その場合、テントとクッカーと飲みかけのコーヒーとお気に入りのマグカップは置いていくことになるが。
「見たとこ、戦闘用じゃねぇな。あんちゃんはどっちに付く気だい?」
トレース・ギアがミヨたちの100メートル手前で停止した。近づくと灰色ではなく青色だった。西日による錯覚だった。戦闘用トレース・ギア。基本はミヨたちのギアと同じだが、装甲や武装などが追加されている。ミヨは怯むことなく腰に手を当て、ヘッドライトの中に進み出た。
「おっと、お嬢ちゃんだったか。こりゃ失礼。お嬢ちゃんに黒いギア……アミュレット・シスターズかい?」
「だとしたら?」
「こりゃあ、良い! ついてるぜ。いっちょ儂のギアを見てくれ。今から降りる」
アミュレット・シスターズとはミヨたちが名乗ったわけではない。いつの間にかそう呼ばれていた。だが、その名を知っている人で助かった。危害を受けることはなさそうだ。
この辺りは小さな国や自治領がひしめき合い、絶えず小競り合いを繰り返していた。戦争のない日は無いほど。そのため、国家お抱えの軍隊だけでは足りず、広く傭兵が徴用されていた。傭兵たちは、日々優勢と思われる方に加担して、日銭を稼いでいた。
ミヨたちは、そんな傭兵たちの戦闘用トレース・ギアのメンテナンスをして路銀を稼いでいた。仕事が丁寧で、信頼がおける上、支払い方法が独特なのも特徴だった。「ツケ払い」。先立つ金が無くても、戦闘報酬を受け取ってから払うことが出来た。万一、戦闘中に破壊され、ギアを破棄することになった場合には、部品や残った燃料の鹵獲に同意すれば支払いに代えられた。その日暮しの傭兵たちにとって、これ以上にない好条件だった。
「初めましてお嬢ちゃん。ニクルだ。思ってたより若くてびっくりしたよ」
「ミヨよ。ギアに乗ってるのがリップル。こちらこそ、声の感じよりも随分お年を召したお爺さんでびっくりしたわ」
「がはは、ちげぇねぇ!」
ほとんど頭髪の残っていない寂しい頭をつるりと撫でて、ニクルと名乗った老兵は豪快に笑った。
※※※
「ニクル。次、左足。ももを上げて……下ろして。もう一回」
「リップル、呼び捨てなんて!」
「構わんよ。どうじゃ? おちびちゃん」
「音がおかしい。ミヨ姉ぇ、どう思う?」
「そうね。下ろした時にかかとの音が変ね。少し休憩しませんか? お茶を淹れました」
※※※
「いやぁ、嬉しいのぉ。これよ、これ。幸運のお守りじゃ」
ミヨたちが、何より人気だったのには、もう一つ理由があった。彼女たちの仕事の証としてトレース・ギアの足首に描かれるサインだった。戦の女神アセーネを象ったサインは、幸運のお守りとして人気を博し、「アミュレット(お守り)・シスターズ」と呼ばれていた。
「喜んで貰えて何よりです。支払いはどうしますか?」
そう言いながら、明細を老人に差し出す。
「胸部装甲の付け根が割れていたので溶接しました。左かかとのシリンダーがへたってたので、これは交換してあります。七番バッテリーもダメでした。これも交換しました。新品じゃないので値引きしてあります。右腕と肘のボルトが三本無くなっていたので、規格の合うボルトを締めておきました。あとは全ての駆動部にオイルを差してます」
「こりゃ助かる。いやぁ、素晴らしい仕事だよ。ふむ……。払えない額ではないが、験を担いでツケでお願いするかな」
「分かりました。ご武運をお祈りします」
人との繋がりが希薄で身寄りもなく、天涯孤独な者の多い傭兵にとって、「ツケ」はそれ自体が「明日への繋がり」だった。戦いを生きて還るささやかな目的になるのだ。珍しいツケ払いが「験担ぎ」ともてはやされるのはそのためだった。中にはそのまま逃げる輩も居なくは無かったが、傭兵は命のやり取りで生きているだけに、そうした験を大事にしたし、次も幸運に恵まれるようにと、礼を欠かさなかった。
紛争地帯を抜けるまでは、路銀に困らず旅を続けられるだろう。
ニクルを見送る頃には、空が白みはじめていた。夕方から取り掛かったフルメンテは徹夜になってしまった。
「うーーーーん、ん、んーー!」
「ミヨ姉ぇ、疲れたねー」
「そうだね。ちょっと寝ようか」
「うん。ボクもう……眠くて……」
言い終わる前に、リップルはミヨの腕の中で寝てしまった。ミヨは妹をそっと抱きかかえると、テントの中に入っていった。