05 君がいないとダメなんだ
「まさか引退し損ねちまうとはな。まあ、手続きは他の街ですりゃあいいか……」
白い雲の浮かぶ青空の下、その言葉は風に乗って流れていった。
ファイントから別の場所に移るための馬車の上。ボクは昨日に引き続き、エマの左腕に抱かれたまま揺られてる。
エマはぐんにゃりとした顔で、馬車の縁に頭を預け、
「クソッ、リベリーの野郎。ギャン泣きで床転げまわってダダこねるとか、いいオッサンのやることかよ」
「あれはもう、リベリーの技だから」
ボクが返すと、エマは疲れたように目を閉じて、
「十年だ、色々あった。おかげで俺達はそこそこ顔が利くし、何処に腰を落ち着けっか、ゆっくり選んで回ろうや」
「そうだね、ゆっくり行こう」
「ああ、ゆっくりな……」
しばらくすると、静かな寝息が聞こえてきた。ボクは小さく、「お休み」と呟いて、厚い胸板に頬を寄せる。そこにはボクのと同じ、鈍色に光る鉄の探索者登録証がぶら下がってる。
十年。エマの言った通り、色々あった。
十年前、全部諦めて森を出た。それから十年かけて外の世界を知って、そしてまた諦めた。ボクがこの世界で、人として生きていくことを。
それなのに、
頬に感じる、心臓の鼓動。眠りながらも、決してその手を離さない。太くて力強い、男の人の腕。
魔女のボクが誰かのお嫁さんになれるなんて、思いもしなかった。
大きな体に触れてなぞる。全身で浸る、人の温もり。
いつからこうしたかったかなんて、覚えちゃいない。気が付いたら、君無しじゃいられなかった。君無しの人生なんて、考えられなかった。
目を閉じて、思い出す。暗い迷宮の底、あの夜のことを。
『じゃあ、一緒に行くか』
たったそれだけの言葉でボクがどれだけ救われたか、君は想像できる?
カツカツ響く馬の蹄。コトコト回る車輪の音。木漏れ日を浴びながら、馬車は往く。ここではない、二人の場所に行くために。
ボクはね、エマ。
君がいないと、ダメなんだ。