休日の作り方(5)
銀色に流れる髪を、丁寧に梳く。
両手に纏わせた魔法の湯で包み、洗い流す。
「なるほど、そら確かに難しいわなあ……」
「ボクだって、出来る限りの事はしてあげたいんだ」
陶器の浴槽と、波紋を描く湯の表面。簡素な木の浴室にこもる、白い湯気。
ウアラウの借宿。あれから食事や散歩を済ませた、一日の最後の時間。俺は浴室に持ち込んだ椅子に座り、グウェンの髪を洗っている。
俺の方はサンダルに部屋着の上下。グウェンの方は素っ裸で湯に浸かっている。
グウェンは浴槽の縁に頭を預け、目を閉じたまま、
「あの子達は被害者だ。一日でも早く、健康な状態に戻って欲しい。でも、それ以上のことを求められても、ボクには責任が持てない」
「そうな。ぶっちゃけ、そんな筋合いはねえしな」
今朝、俺を見送った後。探索者稼業の習慣でギルドの受付に顔を出したグウェンは、そこで貴族の遣いに捕まっちまったそうだ。
氷の魔女を見掛けたら、必ず一報入れるように。あの騒動で被害に合った貴族が、ファイント中にそう命令していたのだとか。
平民向けの街であるここウアラウにも、貴族の別荘がある。どうやら騒動に巻き込まれた娘さんの一人がこの街で静養していたようで、その嬢ちゃんの容態を診て欲しいと、母親に請われたらしい。
魔女だと嫌疑をかけられ、日常を壊された嬢ちゃん達は、その心に深い傷を負った。ファイント貴族のお家芸である火の魔法を恐がり、灯りも点けず、部屋に引き籠るようになった。
ああ、気の毒な話さ……。
グウェンは小さく息を吐き、
「あの子達は、助けてくれたギーリに心酔してる。そしてあの子達の母親も、魔女を廃するこの国はおかしいと息巻いてる」
魔女は災厄でなく、国益。
娘を持つ貴族の母親が、被害にあった娘さん達が、あの騒動を経てそう叫ぶようになった。法に対する糾弾。現実の悲劇に促された、自衛運動だ。
しかし、これは危険な兆候でもある。彼女達の主張が認められ、今の体制に変化が訪れたとして、それが貴族の特権をより強固なものにしてしまう可能性がある。
貴族の母親がグウェンに求めたのはリベリーのクソ野郎と同じ、後ろ盾と決断だ。
俺は銀色の髪にしたたる雫を手の湯で吸い、
「少し薄情な意見をいいか?」
「うん」
「自分のケツは自分で拭いて当たり前。言葉にすりゃ、それが常識のように聞こえるが、現実は違う。俺達はそれを思い知ってる、そうだろ?」
「うん」
「だからよ、もう放っておきゃいいのさ。シヴルの言う、好きにしろってのは、ありゃあながち間違ったもんでもねえんだ」
俺が言うと、グウェンは湯船の中、ゆらりと手を動かし、
「つまり、あの子達の体と心の回復以外、ボクが気にする必要はない?」
「ああ。あの嬢ちゃん達が自分達で決めて、それで何かが生まれるなら、流れに任せて見守るのもアリなんじゃねえか」
「そうか。そうだね……」
迷うように頷くグウェンに、俺は少し可笑しくなった。
見捨てねえし、投げ出さねえ。全く、損な性分の女だ。
俺は手に纏っていた魔法の湯球を消して、
「あがったぜ」
「ありがとう」
腿に掛けていたタオルで俺が髪を拭うと、グウェンはお湯から両手を上げ、後頭部でくるりと器用に髪を纏めた。
普段は隠れている、グウェンのうなじの延長。首の付け根を目にした俺は、ふと思い付いたことがあり、その場所を指で押してみた。
「ここを押すと、目だか頭の疲れが取れんだと。どうだ?」
「うう~……。単純に~、気持ちがいい~……」
されるがまま、グウェンは今まで聞いたこともないだらしねえ声を出した。俺はそれが面白くなり、しばらくの間、細い首筋に沿って指を動かす。
次は肩、鎖骨の付け根だったか、そこを強く押してみると、
「ああああああああ~……」
グウェンはそのままお湯に溶けちまうんじゃねえかと思うくらい、更にだらしねえ声を漏らした。こりゃ面白え。
しかし、
「うん? む、うん?」
「どうしたの~……?」
白い肌を押しながら、俺は首を傾げた。普段グウェンを抱えてる時には触れねえ場所、その感触に疑問を覚えたんだ。
俺はグウェンの肩を押しながら、
「これ、肩凝ってんのお前の方なんじゃねえか?」
「え……?」
「なるほどな。考えてみれば、確かにそうだ」
「ああ、やっぱそうだったみてえだな」
翌日の朝一番。
ウアラウの小さな治療院。その施術室。
施術台に転がり、俺が昨晩の経緯を話し終えると、イーデンは落ち着いた声で納得した。
そして、
『痛い痛いいだい! 無理だから! それ以上曲がらないから!』
『ギャアギャアうっせえぞ! この頭でっかちの永久チビがァ!』
隣の施術室から聞こえる叫び声と怒鳴り声に、俺達は男二人、改めて納得する。
今日は俺だけでなく、グウェンもここに引っ張ってきた。理由は、グウェンの体の調子を診てもらうためだ。
魔女の体が成長しないからといって、疲れない訳じゃねえ。むしろ、大人と同じような環境で働いてりゃ、無理が出て当然。正に、医者の不養生。
そう、体にガタが来てんのは、グウェンも同じだったって訳だ。
イーデンは俺の足、太ももの付け根を軽く押しながら、
「しかし、相変わらずグウェンは真面目過ぎる。困難な選択が正解になるとは限らん、楽な道がいい結果に結び付くことだってあるだろう。アガーテの施術で、思考の方も凝りが解れるといいんだが……」
「そうな。グウェンの場合、持ってる力がデカ過ぎんだよ。だから肩肘張らず、手抜きくらいで丁度いいのさ。そう、あいつの母ちゃんみたく、人をからかうくらいでな」
そう返すと、イーデンは俺の膝裏に魔力を流しながら、
「グウェンの育ての親と言うのは、全天の魔女、女王ビンビンシヴルのことか」
「知ってたのか」
「アガーテに聞いてはいたが、何かの冗談かと思っていた。その口ぶりでは、エマ、女王に会ったことがあるんだな?」
「ああ」
俺は答え、ひとつ息を吸い、
「傲岸不遜、泰然自若。ありゃそこにいるだけで世の中の在り方を変えちまう、人の形をした力の具現だ」
「そこまでか」
「ああ、骨身に染みたよ。しかしお前さんの方こそ、女王に興味があったとは」
「俺も学者の端くれだからな」
「仲介なんぞ頼まんでくれよ。おっかねえんだ、あの姑は」
「頼まんよ。身の程くらい弁えてるさ」
「そりゃ俺もだ」
貴族と平民。魔女と人間。
楡は丘に、葦は水辺に生えるのが自然の在り方。住み分けってのは大事なもんさ。やべえと分かっている存在を、無理に刺激するこたあねえ。
ふくらはぎまでの指圧が終わったのか、イーデンの大きな手の平が腰のところに戻ってきた。ああ、やっぱりこりゃあいいもんだ。足も気持ちよかったが、俺は腰を押されんのが一番ありがてえや。
体の奥底からじんわりと湧き出す熱に、俺がうとうとし始めると、
『ああもう体かってぇなァ、こいつはァ! オラッ、足上げろや!』
『何で脱がすの! やめて! せめて下着は返して!』
『大体なァ、運動不足過ぎんだよお前はァ! 机に齧り付きっぱなしの鎧ん中籠もりっぱなしでよォ! そんなんだから背中ガッチガチになんだよオイイ!』
『お、願い……! もちょっと、優しく……!』
『なァにが優しくだァ、こん雪ん子がァ! ぜぇんぶオメーがアタシに教え込んだもんだろうがよォ! ほぉらァ、成果確認だァ! 嬉しいだろォ!?』
『そ、だけど……! そう、なんだけど……!』
『オラァ! ゆっくりだ! ゆっくり息吐けや!』
『無理、あう……! ヴォエッ!』
冬のウアラウ。友人夫婦が営む、小さな治療院。
俺はうつ伏せの姿勢で、背中に掛かる適度な圧を感じながら、
「なあ、イーデン」
「何だ?」
「もしも今日、世界が滅ぶとしたらよ……」
それから、ゆっくり安らかに息を吐いて、
「そらあ、お前の嫁さんのせいだぜ」
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