休日の作り方(3)
「かなり、ガタがきてるな……」
「マジか……」
ウアラウの小さな治療院。清潔感のあるカーテンが揺れる、施術室。
ブーツと上着を脱ぎ、施術台にうつ伏せになった俺は、イーデンの診断にため息を吐いた。
イーデンは俺の背骨に沿って指を当てながら、
「エマ、背中を丸めるような作業をしてないか?」
「あ? ああ、ちいっと木を削ったりな」
「お前にそんな趣味があったとはな」
「趣味……。そうだな、そんなもんだ」
俺が答えると、イーデンは、
「まずは筋肉を温めんとな」
言って、俺の肩から腰に掛け、ゆっくりさすったり軽く押したりして、熱を与え始めた。
おお、こりゃいいや……。
「各部の調子を確かめていく。痛いか、何も感じんか、返事をくれ」
「ああ、分かった」
親指だろう、首筋に力強い圧が加えられる。次に肩口、肩甲骨へ。そして、腰。背骨から外側へ、押し出すように。
ああ、背中が溶けっちまいそうだ……。
適度な痛みと、肉が解されていく感覚。返事をするのも忘れ、俺がうとうとしてると、
「魔法で作った水はなるべく飲むな。グウェンの作ったものか、自然のものを飲め」
「分かった、心掛けるよ」
これはよく言われることだ。魔法で作る水は喉の渇きを潤せても、体力そのものを回復することは出来ない。活力の循環だか何だかで、プラマイゼロになっちまうんだとか。
水筒は迷宮じゃ荷物になっから魔法に頼りっぱなしだったんだが、これからは身だしなみに使うくれえにせんといかんな。
イーデンの指がケツから足へ。膝の裏まで来たところで、
「首と、あとおそらくは膝だ。今日はまず上半身、日を分けてやらんと駄目だ。明日か明後日か、また来れるか?」
「ああ、頼まあ。おかげさんで、ウアラウに居る理由が出来たよ」
膝か……、厄介なとこをやっちまったようだ。やっぱ空中疾走からの着地は無理があったか。
ともあれ、一応早期発見ってやつだ。じっくり時間を掛けて治していくさ。
俺が観念するのを待っていてくれたのか、イーデンは今までよりも強い力で腰回りを押し始めた。
指で、手の平で。たまに肘で。
背骨に沿って下半身から上半身へ。痛みが離れるたびに体が熱を取り戻し、弛緩していく。丁寧に連続する、波のような作業。
しばらくして、イーデンが俺の肩を押しながら、
「ここに来る患者はみなそうだが、もっと自分の体の管理を日常的に心掛けてもらわんと、こっちも手の施しようが無くなる」
「耳が痛いね」
俺が反省を表明すると、イーデンが鎖骨の付け根を強く押し、
「例えばここだ、ここは軽く押すだけで効く。作業の間に自分で押してもいい」
「ああ、覚えておくよ」
「こっちは目が疲れた時に押せ」
「いちち……」
頭の付け根を押され、思わず声が出た。こんなとこが目に効くのか。よく分からんが、イーデンの言うことなら覚えといて損はねえ。今度試すか。
「エマ、右腕を上げろ」
「おう、……よっと」
言われた通り俺が腕を上げると、イーデンは俺の手首を掴み、肩甲骨の辺りに手を当て、それから俺の体を傾けさせた。
「体重を掛ける。ゆっくり息を吐いてくれ」
「ああ……」
俺が息を吐き切ったタイミングで、背中にイーデンの体重が圧し掛かってきた。体の中からみしみし音が聞こえ、骨が、筋肉が伸ばされていくが分かった。
「ふう……」
「次は逆だ」
言われた通り左腕を上げると、イーデンは同じことを繰り返す。
イーデンは俺の左腕から手を離し、
「血流に淀みがないか確かめる。魔力を展開するから、少し痺れるかもしれんぞ」
「あー、そりゃグウェンが昨日やってたやつだ」
「グウェンが見立てたのなら、俺はやめておくか。あいつに所見を纏めさせた方がいいだろう」
「いいや、やってくれ。あいつはこういうのにゃ向いてねえ。性格がな、大雑把過ぎんだ」
「分かった」
俺が願うと、イーデンは俺の背中に手を当て、方々を探るように押し始めた。肌と肉の奥がちりちりする感覚に、やはりと確信する。
グウェンの奴はこの作業と筋肉の揉み解しを同時にやっちまおうと考えて、それであの鎧だったんだ。効率を考えて手間を省略する辺りが、いかにもグウェンって感じだ。てか、氷の鎧でやるな。凍え死ぬかと思ったわ。
しかし普通にやってもらえば、こりゃあ相当気持ちのいいもんだ。体の内からじんわり撫でられてるっつーのか、いや、たまらんなこりゃ……。
俺がまたしても寝ちまいそうになっていると、
『くたばれ! この死に損ないのボケ老害がァ!』
『ちいっとも効きゃあしないねえ! 何だいその技は、クソで茶が沸くよ!』
隣の施術室からあちらさんの状況が聞こえてきた。
俺は自由になった左腕をぷらぷらさせ、
「しかし、意外だったよ。まさか、お前とアガーテが一緒になるたあなあ」
「同感だ」
本人が何言ってやがる、と突っ込みたいが、グウェンのことに十年気付かなかった俺に言えることじゃねえ。
「あれがな、よく俺に食い物を持ってきてたろう」
「ああ、ギルドのロビーで見掛けたよ。でっけえ弁当だった」
「どうやら、あれがあいつの口説き方だったらしくてな……」
イーデンは俺より二つ三つ上で、アガーテの方はまだ二十歳そこそこだった筈だ。十歳以上歳の離れた娘が何故自分に差し入れを、俺がイーデンでも同じ疑問を持ったろう。
イーデンは作業の手を止めずに、
「知ってると思うが、俺は貴族の専属が長かった。無理やり契約を結ばされ、いいように使われ続け、自分のことなどもう諦めてた。だが数カ月前、仕えてた貴族が突然死んじまってな。屋敷を放り出された俺は、見事に空っぽになった。嫌悪していた責務から解放された途端、何も考えられなくなってしまった」
フラザーだ。
イーデンが仕えてた貴族ってのは、あいつに殺られちまったんだろう。
どれもこれも、どうでもいいことのように思えるが、事柄ってのは繋がってるもんだ。あいつが起こした騒動が、まさか友人の仕事にまで影響してるなんてな。
「途方に暮れてた俺の前に、アガーテがいつも通り食い物を持って現れてな、言ったんだ。自分と一緒になって、小さな治療院を開こうと。ようやく人生を始められるんだからと。……笑ったよ。それで、俺は自分を取り戻せた。だから、あいつには感謝してる」
そこで、イーデンは俺の背を押す手を止め、
「しかし、何故あいつが俺を選んだのか、未だによく分からん……」
そらお前、と口に出そうとして、やめた。
何も不思議なこたあねえ。アガーテにゃ、男を見る目があったってだけの話さ。
俺が黙っていると、イーデンは再び俺の腰を解し始めた。俺はイーデンの施術を一つ一つ、体に染み込ませるように感じていく。
質素倹約、医者いらず。
そうやって誤魔化し、我慢してきた十五年。あっという間だった。だが、今は時間の流れが緩やかに感じる。
そうか。ゆっくりするってのは、こういうことか。
冬のウアラウ。友人夫婦が営む、小さな治療院。
隣の部屋から聞こえる、最早環境音になった女性陣の威勢。
『っしゃオラァ! 死ねクソババアァアア!』
『ほいぃ来たぁ! がっちり喰い込んだぁ!』




