休日の作り方(2)
「へえ、それじゃ婆ちゃんはウアラウで食堂やってんのか」
「そうだねえ、もう四十年になるねえ。でもねえ、最近腰がねえ、キツくてねえ」
「腰かあ、腰はキツいわなあ」
漆喰で固められた白い壁。木の床にカーペットが敷かれ、窓際に観葉植物の鉢植えが置かれた、落ち着いた内装。
ウアラウの小さな治療院。その待合室に並ぶ椅子に座り、俺は同じように診察待ちをしている婆ちゃんと世間話をしている。
俺がここを訪れたのは他でもねえ、グウェンの提案だ。
『そ、その、お嫁さんらしいことをしたくって……』
昨晩のあれからの話。グウェンは家庭を持つに辺り、妻としての自分の役割ってのをずっと考えていたのだそうだ。
自分に出来る家の仕事が、とても少ないと。
俺達の生活は、よそと比べりゃお互いすることが確かに少ねえ。家事は共同、気が付いた方がやってっし、肉も野菜も貯蔵がたっぷりあっから、買い出しの必要もあまりねえ。
俺としては、個人研究を続けてるグウェンにがっつり主婦業なんて求めてなかった。だったらせめてとグウェンが思い付いたのが、俺の体のメンテだったそうだ。
結果は、まあ、な……。
成長しない子供の体じゃ力が足りんと思い知ったあいつは、そこで昔世話した奴がウアラウで治療院を開いてることを思い出し、行ってみてはどうかと勧めてくれた。
そんな訳で、俺は朝イチでここへと出向き、この椅子にケツを乗っけてる。
「冬はねえ、芋がいいのねえ。ウアラウじゃ食べる前に魔法でチーズを溶かして、それをたあっぷりかけてねえ」
「上手いなあ、婆ちゃん。んな話聞いたら、よだれが止まんなくなっちまうよ」
待合室で婆ちゃんと二人、世間話をしながら開院を待つ。
空調の魔法が効いた室内、脱いだコートは膝の上に置いている。婆ちゃんはやはり寒さが堪えるのか、分厚いローブを着こんだままだ。
婆ちゃんは、肩から垂らした紫色のショールをゆらゆら揺らしながら、
「ウアラウはねえ、お酒もいいのねえ。特に林檎がね、お兄さん、是非試してってねえ」
「ああ、ウアラウにゃ迷宮がねえから、山で果物を育てて、それを酒にしてんだろ? ここの地酒は香りの高えいいもんだって、評判だぜ」
「あれを使うとねえ、どの料理も味が深まって、特に肉料理はとっても柔らかくなるのねえ。それを食べたお客さんがおいしいねえ、また食べたいねえって言ってくれるから、まだまだ店を閉められないのねえ」
ウアラウで生きた、婆ちゃんの人生。その話に相槌を打ちながら、俺は少し羨ましくなった。この歳まで続けられる生業に就き、そのことを楽しそうに話す姿にだ。
食堂ってのは、客商売だ。いい時、悪い時。いい客、ムカつく客。色々あったろう。杖に支えられたしわくちゃな両手に、老人ならではの強さ、年季ってのを感じた。
婆ちゃんは後頭部で上品にまとめた白髪頭をうんうん揺らし、
「何をするにも、体が資本なのねえ。でも、自分をちゃんとするには、自分一人だけじゃ駄目なのねえ。誰かにお願いして、気付いてもらわないと。そうやって人の目を通して、自分の体と付き合ってくのねえ」
「自己管理には日常的な客観が必要って訳だ」
流石年の功、含蓄があらあな。
先日の騒動、それ以前のヴァイスの迷宮でも相当無理をしたが、騙し騙しで誤魔化して、俺は自分の体の管理を蔑ろにしちまってた。
質素倹約、医者いらず。それで何とかするしかねえと諦める、俺のいつもの癖だ。確かに、そういうことに気付いてくれるグウェンの目ってのは有難いもんだわな。
婆ちゃんとの世間話、俺が改めて様々なことに気付きを得ていると、
「開院の時間だオラァッ!!」
二つ並んだ施術室への扉、向かって左がドバンと開き、一人の女が現れた。
茶色い髪と茶色い瞳、特徴的なギザギザの牙。
施術用の白い服を着た、快活な姉ちゃん。
この治療院の片翼、アガーテだ。
アガーテは俺を見るなり、クッソ不機嫌そうに顔を歪め、
「ああん? エマじゃねえか! 一体ここで何してんだァ? この大胸筋パツパツのスケベ筋肉野郎がァ!」
「よお、アガーテ。元気そうだな」
俺が挨拶すると、アガーテは何かを思い出したのか、
「そうだァ! お前、グウェンの永久チビと一緒になったんだってェ!? 朴念仁で通ってたあのエマがよォ、まさかガキ専門の変態だったとはねェ!」
腰に手を当て、ゲラゲラと笑い出した。
まあ、こいつはこういう奴だ。言葉遣いは荒いが、世話焼きで義理堅え、真面目な女さ。
俺がアガーテの笑い声を懐かしんでいると、隣に座っていた婆ちゃんがスバッと立ち上がり、
「アガーテ! あんたはまた客に向かってクソ舐めた態度しやあって! あんだけ礼儀ってのを叩きこんでやったのに、まだ説教が足りないってのかい!? この何処までも残念なおつむのボケメスが! 大体ね、勘違いしてもらっちゃ困るよ! あんたの相手はこのあたしだろうさ!」
「はァん!?」
婆ちゃんの啖呵に、アガーテはにやりと笑い背後を指差し、
「上等だ、ババア! さっさと台に上がりなァ! 今日こそお寝んねさしてやんよォ!」
「出来るもんならやってみな! このアバズレのカスガキがぁ!」
婆ちゃんは手に持つ杖をバギリと膝でへし折り、ぽいと投げ捨て、
「っしゃこらぁ! ってやるわいさぁ!」
力強い足取りで施術室に入っていった。
……元気があるのはいいこった。
俺が杖を拾い、隣の椅子の上に置くと、右の施術室の扉が開き、今度は一人の男が現れた。
灰色の短い髪に青灰色の目、病的なまでに痩せこけた頬。
施術用の白い服を着た、長身の男。
男は俺を認めると、落ち着いた声で、
「エマか、久しぶりだな」
「ああ、久しぶりだな、イーデン」




