13 小江戸川越の笑いと涙
このようにして、ダイイングメッセージの謎は見事に解けた。真犯人も分かった。しかし、物的証拠は何も見つかっていない。畑中は頭を抱えた。
「これから、物的証拠探しか……」
「実は、それも見つけています」
「なんだって!」
「実は、板野さんの革靴の裏に液体状に濡れ広がった泥がついているのに気づいたんです。これは、死体を発見した時に付着したと板野さんは仰っていましたが、奥さんと源田さんの靴の裏はそのようになっていないことを僕は確認しました。そして、雨が降ったのは、事件の夜ではなく、昨晩のことです。そこで、板野さんは昨晩、土手に戻ったと推理したんです。犯人は現場に戻るといいますからね。しかし、何のためにそんなことをしたのでしょうか。僕は、板野さんが何かを探しているんだ、と思いました。それは、おそらく現在も見つかっていない凶器の刃物でしょう。板野さんは、死体の背中を刺した後、それを一旦、土手のどこかに隠したのでしょう。警察の捜査で自分の持ち物から凶器が見つかるとまずいですからね。しかし、彼が懐中電灯や乾電池を購入したところを見ると、それはまだ見つかっていないようでした。彼は、乾電池はずいぶん前に購入したように言っていましたが、僕の目を欺くことはできません。実は、彼が紅茶をいれている隙に、ゴミ箱の中からレシートを見つけました。それによると乾電池を購入したのは、今日です。彼は、今夜も凶器を回収するために土手に現れることでしょう」
「しかし、だとすると凶器は今どこに?」
「土手で遊んでいる少年たちが拾って、彼らの秘密基地に隠してありました。早速、凶器を回収して、指紋を調べてみるといいでしょう。板野さんが躍起になって探しているところをみると、指紋が付着している可能性は高いと思います。それだけでなく、今夜、凶器を探しに土手に現れる彼を罠にかけるのもよいでしょう……」
「何から何までありがとうございます。それでは、早速、その少年たちのもとへ行こうと思います」
こうして、畑中と吉岡は、祐介から少年たちの居場所を聞くと、意気込んで土手の方へ走っていった。
これは後日談になるが、この夜、畑中と吉岡の両刑事が板野を尾行していると、彼は土手に向かった。わざと刑事が隠しておいた包丁を、板野が見つけ、嬉々として回収している姿を、二人は証拠として押さえた。また、その包丁には、そもそも板野の指紋がついていたこともあり、容易に逮捕することができた。
板野は、大沢教授の妻と結婚することを切に願っていたが、実際には、妻は大沢教授の財力に未練があるあまり、その大沢教授との離婚を先延ばししていた。板野はそのため、結局、自分は遊び相手をさせられているにすぎないという不安を募らせていて、大沢教授に嫉妬するあまり、ついに殺害してしまったのだった。源田重に罪を被せようとしたのは、板野が進みたくても進めなかった研究の道に進めたことへの嫉妬であったのだそうだ。すべては嫉妬だった。しかし、このような結末を迎えるのは数日後のことであり、この時、初雁公園に残された三人は、知るよしもなかった。
ダイイングメッセージと真犯人の謎が解けたことで、無事につとめを果たすことができた三人は、本来の目的である民俗学の調査をしに、喜多院へと歩いてゆく。三芳野神社と本丸御殿の間の道を進むと、喜多院の方向に進むことができる。
「胡麻博士、この度は、ありがとうございました」
と祐介はお礼を言う。
「まあ、わたしは何もしていないのだがね。焼き芋を食べたことぐらいかな。真相がひらめいたのは百合菜君だよ。重源上人と天海僧正の勘違い、あれによく気づいたねえ」
と胡麻博士は、自分の教え子を誇らしく思っているかのように、百合菜の顔を見る。
「それを教えてくださったのは、胡麻博士ですよ。だって、鰻重を食べながら、天海僧正が比叡山を復興したんだって教えてくださったじゃないですか」
三人は、そんな褒め合いをしながら、三芳野神社から離れ、成田山別院のある参道まで歩いてきた。その先に、喜多院はある。
「それでは、百合菜君。ずいぶん遅くなってしまったが、我々は今から喜多院の五百羅漢を拝むとしよう」
「そうですね」
百合菜は、羽黒祐介の方にくるりと向き直った。
「羽黒さん、今日はありがとうございました」
「いや、こちらこそ。せっかく歴史の調査をしに来たのに、事件の捜査なんかに付き合わせてすまなかったね」
「いいんです。これも貴重な経験ですから。なんでしたら、祐介さんも一緒に五百羅漢を拝みませんか?」
「えっ、いいよ。僕は……」
祐介は、すぐに本川越駅に向かって、池袋に帰る予定だった。
「そうだね。君も喜多院の五百羅漢を参拝しなさい。そして、わたしたちの歴史の話を聞きなさい」
「いえいえ!」
祐介は拒んだにも関わらず、歴史家の胡麻博士と歴史マニアの夕紀百合菜に両側から肩を抱かれて、半ば無理やり、喜多院に連れて行かれるのだった。喜多院の赤い大塔が見えてくる。天海僧正が住職をつとめた喜多院を参拝すること。そして、二人がかりの歴史講義に長時間、付き合わされることは目に見えていた。
殺人事件の謎をようやく解いたのに、今度は歴史の講義に付き合わされないといけないのか、と思うと、祐介は恐ろしく感じられてきた。
「羽黒さん。これをご覧なさい。江戸時代の大塔ですぞ!」
「そうですよ。羽黒さん、ちゃんと見てください!」
興奮した声が両側から聞こえてくる。同時に説明を受けるなんて、僕は聖徳太子じゃないんだから、と呆れてしまう。
それでも、祐介は、楽しそうに歴史を語る百合菜の笑顔を見て、かつて紫雲学園であんなにも苦しんでいた子が、こんなにも明るくなったのだなと思った途端、じいんと涙が誘われたのだった。
「川越伝説殺人事件」完