12 ダイイングメッセージの真相
三人は、かつて川越城があり、現在、本丸御殿があるあたりまで歩いてきた。本丸御殿の向かいには、三芳野神社がある。三芳野神社は、かつて川越城の本丸の内側にあった。現在、この場所は初雁公園となっている。
祐介はそこに、畑中刑事と吉岡刑事を呼び出すと、祐介は事件の説明を開始することにした。
「なんで、この場所で……」
と百合菜が尋ねると、祐介は、にこりと笑って、
「事件の謎を解くにはふさわしい場所じゃないかな」
と言った。
そんなことないだろう、と突っ込みたかったが、あえて黙っていた。
まわりを見ると、少年少女たちが五人のまわりを周回するようにして、鬼ごっこをしている。
「それでは、事件の真相をお話しします。まず、この事件は、川越の歴史にまつわるものだと思われていますが、実は関係ありません。被害者が、川越に住む歴史家だということが、このような状況を作り出したのですが、事件の真相は川越の歴史とは関係がないのです」
「そんなわけがあるか。だって、松平信綱、天海、河越重頼という名前のダイイングメッセージが残されていたじゃないかね」
と胡麻博士が興奮した口調で言う。
「そうです。そのために、我々はてっきりこれが川越の歴史にまつわる事件だと信じ込んでしまったのです。しかし、それこそが、ある人物の思う壺だったんです」
「思う壺……、それは一体どんな壺ですか」
と今まで一言も発していなかった吉岡刑事が尋ねた。畑中刑事が、ポカンと彼の頭を叩く。
「まず、はじめに現場に残されていた漢字カードをおさらいしましょう。『信』『天』『綱』『重』『海』『頼』の六文字です。
それでは、一つ一つ考えていきましょう。そもそも大沢氏は、なぜ体の前側で手を縛られていたのか。そして現場には何故、漢字のカードがあったのか。そして何故、被害者の腕時計のライトがつけっぱなしになっていたのか。これらが非常に気になる点です。犯人ならば、被害者がダイイングメッセージを残せるような状況はつくりたくないはずです。それならば、体の後ろで手を縛る方がよいはずです。また、漢字のカードなど現場に置かないはずです。また夜中に、被害者の腕時計のライトがついていることを犯人が気付かないはずはありません。それなのに、犯人はなぜ何もしなかったのか? それどころか、腕時計のライトは犯人によってつけられたのです。手を縛られた状態では、被害者が自力でライトをつけることはできなかったのですから。そこで、僕はひらめきました。やはり、このダイイングメッセージは、犯人によって偽造されたものだったのです。
もし、漢字のカードがそもそも現場になかったら、被害者はダイイングメッセージを残せるはずがありません。また、背後で腕を縛られていたら、被害者は、カードを選ぶことができませんでした。また、腕時計のライトがついていなかったら、被害者は、暗闇の中で漢字のカードを選び出せるはずがありませんでした。つまり犯人が、現場に残された漢字のカードを、被害者のダイイングメッセージに見せかけようとしたら、このようにするしかなかったのです」
「さすがだよ! 羽黒くん。こいつはまいったな」
と胡麻博士が、自分のおでこをコツンと叩いて、感心した。
「しかし、犯人がつくりだした偽のダイイングメッセージにしては、これはまったく意味不明です。信綱、重頼、天海という歴史上の人物の名を、犯人が被害者のダイイングメッセージに見せかけて残すメリットはまったくありません。つまり、犯人が残そうとしたメッセージはこんなものではなかったはずです。ここで、考えていただきたいのが、犯人がダイイングメッセージを偽造するとしたら、普通、どんなメッセージを残すだろうか、ということです」
「人名、だろうな。それも容疑をなすりつけたい人物の名前……」
と畑中が言った。
「その通りです。まさに今回もそうだったんです。そこで注目していただきたいのが、行方不明になっている『源』のカードです。これと現場に残っていた『重』のカードを組み合わせれば、『源』と『重』の二文字になります。お分かりですね。源田重さんの名前の一部ですよ。犯人が残したかった偽のダイイングメッセージとは『源田重』だったと思われます。なぜ『田』のカードが現場になかったのか、それは『田』のカードがゲーム中に折られて使えなくなってしまったからです。実は当初、現場に残された漢字カードはこの二枚だったと考えられます。その根拠がもう一つあるのですが、それは最後にお話しします」
「まさか、源田さんに罪をなすりつけるためのものだったとは……。しかし、何故、ダイイングメッセージはこんなにも変化してしまったのだね?」
と胡麻博士が尋ねる。
「ダイイングメッセージを変化させた人物、僕は一人だけ思い浮ぶ人がいます。それは被害者本人です。被害者は、刃物で背中を刺されながらも実際には長時間生きていました。そして、土手の下には彼が這って移動した跡が残っています。そう、被害者の大沢氏は、犯人が仕掛けた偽のダイイングメッセージを消滅させようとして行動したのです。ところが、そのカードを破り捨てても、破かれたカードの断片が見つかると、それが犯人の名前を示しているものと、警察が受け取る可能性が残ります。縛られた状態で、絶対にそれを消滅させることは不可能です。そこで彼は、あることをしたのです」
「それがダイイングメッセージの改変か」
と畑中。
「そうです。源田さんの証言を思い出してください。漢字カードは五枚だった、と仰っていましたね、それはつまり、最初のカード二枚に、さらにカードが三枚追加されたということです。そうすることで解釈を変えてしまおうとしたのです。そこで、被害者が考えたのが、譲った骨董品の名前です。『重』に『天』のカードを加えて『天重』という言葉にしました。天重とは、天ぷら丼のことです。さらに『源』のカードに『頼』と『信』を加えて『源頼信』にしました。これは月岡芳年の浮世絵を指し示しています。大沢氏は、偽のダイイングメッセージを隠滅すると共に、「大日本名将鑑」の「源頼信」の浮世絵と天重用に使われていた丼重の二つを譲った人物が犯人だと指摘しているのです。
こうして、犯人が仕掛けた偽りのダイイングメッセージがは、被害者の手によって真のダイイングメッセージに生まれ変わったのです!
「天重と源頼信か! 気づかなかったな」
と胡麻博士は、頭を抱える。
「ところが、ここにも重大な間違いがありました。大沢氏は、源頼信の浮世絵を譲った人物を間違えていたのです。
月岡芳年作「大日本名将鑑」の「源頼信」の浮世絵を譲ったのは、源田さんです。しかし、娘さんのメモでは、板野さんになっています。これは娘さんの書き間違いです。そして、これを参考にした大沢氏も、源頼信の浮世絵を譲ったのは、板野さんだと思っていたはずです。思い出してください。大沢教授が、板野君は青い絵が好きだね、と言っていたのは不自然ではないですか。なぜなら、板野さんが譲り受けた「神武天皇」の浮世絵は、決して青い絵ではないのです。そして、源頼信の浮世絵は、川を渡るところですから、青い絵なのです。つまり、こうした点からも、大沢哲治氏は、骨董品の譲り相手を勘違いしていたことがわかります。つまり「天重」と「源頼信」というメッセージは、板野さんを指し示しているのです!」
胡麻博士が手をポンと打つ。
「また、丼重をみて、鰻重ではなく、天重の方を連想する人はあまりいないでしょう。しかし、実際にあれは天ぷら料理店で天重に使用されていたものでした。そんなことを知っていたのは、骨董品の持ち主である大沢先生でしょう。
そして、奥さんも、誰が何を譲り受けたか、知らないと言いながら、実は知っていると思われます。先生から聞いていたことでしょう。それについては、後で重大なことになります。
さて、夜が明ける頃、大沢氏はすでに土手の下で死亡しておりました。死体を見つけたのは、奥さんと源田さんと板野さんです。ここで、思い出していただきたいのは、源田氏によれば、この時、カードは五枚しかなかったそうです。そして、うち一枚は、偏のサンズイしか見えていなかったといいます。では、カードを一枚足したのは誰なのでしょうか。この時に、漢字カードに手を加えるチャンスがあるのは、現場にたった一人で残された奥さんしかいません。なぜ、奥さんはダイイングメッセージを変えてしまったのでしょうか。思い出してください。奥さんと板野氏は、深い男女の関係にあった。いわゆる禁断のラブロマンスがそこにあったと板野さんがさも嬉しそうに仰っていましたよね。つまり、奥さんは、現場の漢字のカードを見て、それが骨董品の譲り相手を示していることだとすぐに気づきました。そして、それが板野さんだとすぐに分かったのです。奥さんは不倫相手である板野さんをかばおうとしました。しかし、広げられているカードは源田さんにも目撃されているため、単純に廃棄するわけにもいかない。そんなことをしたら、自分が疑われてしまいます。そこで、他の人が警察と救急隊を呼びにいなくなった隙に、さらに漢字のカードを一枚追加し、それに被害者の血の指紋をつけてしまったんです。さらに、『源』のカードがサンズイまでしか見えていない状況で重なっていることをいいことに、それを『海』のカードとすり変えてしまったのです。それは、ダイイングメッセージを『天海』『信綱』『重頼』の三人の名前を表しているものに見せかけるためです。こうすると元の意味は完全に分からなくなってしまいました。
このようにして、ダイイングメッセージは三人の人間によって、三つの異なる考えによって、改変されて、最終的にこのような形になったのです」
百合菜は、恐ろしい話だと思った。
「さて、最初の漢字カードが、『源』と『重』の二枚だったと僕が確信した理由を説明しましょう。実は、板野さんがある失言をしているんです。彼は、現場に残された漢字カードについて、「戦災で荒れ果てた東大寺を復興した例のお坊さんのことを表しているのでは」と仰っていました。これを聞いた時に、僕は天海僧正だと思って、まったく違和感を感じなかったのですが、百合菜ちゃんがこの矛盾に気づいていました。それについては本人から説明してもらいましょう」
といきなり、祐介にパスをされて、百合菜は、まじか、と思った。
「あ、あの、わたし最初、板野さんが仰っていたのは、天海僧正のことかと思ったんです。天海僧正は、織田信長の焼き討ちによって荒廃した比叡山延暦寺を復興したのですからね。でも、板野さんは、確かに、東大寺を復興したお坊さんと仰っていました。それって、源平の争乱で荒廃した東大寺の南大門や大仏殿を再建した重源のことですよね。それで、最初は、歴史を勘違いをしているのかと思ったんですけど、板野さんは卒業論文のテーマが天海僧正だったそうだから、天海僧正が東大寺ではなく、比叡山延暦寺を復興したなんて、勘違いすることは絶対にありえないと思ったんです。でも、だとすると、板野さんは、殺人現場で『源』と『重』の二枚のカードが落ちているところを見たことになりませんか。また、それが本当だったとしても、それって犯人しか知り得ない情報だと思うんです」
百合菜は、緊張しながらも説明しきった。胡麻博士は、深く頷いた。そして、ゆっくりながらも深い音の拍手をはじめた。
「百合菜ちゃん。ありがとう。この話を聞いた時に、僕は漢字カードがどう改変されていったのか、ようやく分かってきたんです。板野さんは、被害者本人によってメッセージが作り変えられるよりも以前に、現場にいた人物ということになります。それはつまり、犯人なのです!」
羽黒祐介は、そう言い切った。