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早引け図書館、彼女の真実

(……あっっつ!!)

 夏の溶けるような日差しに負けて、私は慌てて日陰に逃げ込む。

 久々に浴びた昼日中の日差しは、私の体力と気力を奪うのに最適の熱を持っていた。

 もう9月になったというのに、皮膚に突き刺さる日差しはちっとも弱くなってない。むしろ8月より強烈だ。

 まるで寿命を迎える蝉のように、最後の熱波を地上へ送り込んでいる。

(最近、仕事のときは昼に外でないし、休みの日は昼間はこもってるからな……)

 会社から出たのは14時ちょうどのこと。

 あまりの強烈な日差しと酸っぱい夏の匂いに辟易しながら電車を乗り継いで、人に揉まれることしばし。

 マップ通りに道を行けば、やがて目の前に巨大な建物と『国立国会図書館』の文字が見えてきた。



 中に急いで滑り込めば、コンビニほどではないが、心地いいエアコンの風が私を包む。

 どっと吹き出した汗を拭い、私はほっと安堵のため息をついた。

(受付、受付っと……)

 そして言われるがままに利用申込みをこなし機械的に資料検索を行えば、カウンターの女性からは「20分程度かかります」と申し訳なさそうな口調で告げられる。

「大丈夫です。そのへんで待ってます」

 こちらはどうせ準無職の暇な体だ。

 中途半端な笑顔で女性を見送り、私は図書館の中を散策した。 

 思考を邪魔しない落ち着いた色のカーペット、視線を遮らない本棚の配置。

 そして、本の香り、つんと耳に響く静けさ。

 人がふっと横を通り抜ける時に感じる、本の香りに、本をめくる音。

 懐かしい風景に、私は静かに深呼吸をする。

(……大学時代以来だから……もう5年以上ぶりか。やっぱりここって図書館って感じはあんまりしないな)

 そこは、とてつもなく広い空間だ。天井は高く、席は心地よく点在している。

 そこで皆、静かに本に没頭しているのだ。本棚は整然と並び、空気が澄んでいる。

 多くの人が行き交うが誰も私のことを知らず、私も誰のことも知らない。心地の良い空間だった。

 ……私がここの存在を思い出し、行こうと決意したのは、まさに会社を出てすぐのことである。

 頭に浮かんだのは、先日見たホームページの一文。

『古い雑誌に、女性の飛び降り自殺の詳細が記されている』

(バカみたい)

 冷たい机に指を這わせて、私は思う。

 どうせ探ったところで、もう幽霊さんはいないのだ。声をかけても、トイレを覗いても、どこを見ても幽霊さんの影も形もなかった。

 コンビニの焼き鳥やビールを机に置いてみても、ぬるくなるばかり。声をかけても返事はない。

 念の為、一晩お供えのように置いてみたが、やはり、何も変わらなかった。

 ……もう、幽霊さんは消えたのだ。ショックで成仏したのかもしれないし、別の『周波数』のあう人間のところに行ったのかもしれない。

 どちらにせよ、きっと、もう二度と私の目の前には現れないのだ。だからもう探ることなどしなくてもいい。

 気になってしまうのは、きっと暇だからだ。

(別に興味なんてないけど、でも) 

 私は冷えた指先を握り込む。

(名前も知らないなんて、癪だから)

 お供えをするにも、彼女の名前も知らない。以前、隠し撮りした写真には、彼女は写らなかった。

 彼女の思い出となるものは、何一つない。

 だから思ったのだ。せめて、名前と……生前の写真くらいあれば、冥福を祈る小さな仏壇くらい、作れるかもしれないと。

(袖振り合うも……っていうし、まあ、それくらい)

 興味のない経済誌に広がる数字の羅列を眺めながら、私は奥歯を噛みしめる。そうしておかないと、恥ずかしさに身悶えしそうだ。

 こんなに、誰かのことを考えるなんて、これまで一度もなかった。

(やっぱり変だ。こんなの変だ。おかしくなったんだ、私)

 もう、図書館から出ていってしまおうか……そう思った時。

「おまたせしました」 

 気づけば時刻は、20分経っていた。

 エプロン姿の女性が笑顔で持ってきてくれたのは、地下の書庫に格納されていたゴシップ誌。

 それは数十年のひやりとした空気をまとって私の手に滑り込んできた。



(……25年前の、8月……か)

 できるだけ人の少なそうな席を選んで座り、こそこそと雑誌をめくる。 

 きちんと保管されているせいか、古本の香りはしない。きれいなものだ。

 ただ、表紙は古臭いグラビアアイドルがピンクのビキニを身にまとい、腰のクビレを見せつけるようにあざといポーズを取っていた。

 派手な見出しの文章も一昔前の風格を感じる。

 その雑誌は先日見たサイトに載っていた、『問題』の雑誌だ。

 死んだ女性の顔写真と名前を載せて、問題となった。しかし特に雑誌の回収騒ぎになることなく、その騒ぎもじきに薄れた。

 その後に、もっと凶悪な事件が起きたからである。

 そのせいで幽霊さんと思われる事件はあっという間に忘れられ、雑誌はゆうゆうと生き延びた。

(こんなのが売れた時代もあったのか)

 古臭い雑誌をめくりながら、私は思う。内容はゴシップ、芸能ニュースに、裏の取れない怪しげな噂話。

(でも幽霊さんが喜んだだろうな、これだけの文字があれば)

 こんな下世話な本でも、幽霊さんは喜んで読んだはずだ。

 幽霊さんは文字を目で追う時、白い指で半透明の髪をかきあげる。そんな些細な仕草を今更思い出す。

(……あった)

 ぼんやりとページをめくる私の目に、一つの記事が飛び込んだ……いや、人物名が目に滑り込んできた。

 それは『古林小百合』という見慣れない、名前。

 聞いたこともない名前の上に、楕円形の写真が掲載されている。おそらく、卒業アルバムの……モノクロ写真。

 2~3センチほどのそこに、幽霊さんがいつもの笑顔でうつりこんでいる。



 美少女の痛ましい死亡事件。と銘打たれたその数ページには、幽霊さんの最後が熱烈に描かれていた。

 横浜のアパートで男性と住んでいたと思われる、未成年。

 ある夏の夜、激しい痴話喧嘩の声が聞こえた。

 扉を叩く音に、食器の割れる音。

 それに気づいた隣人がベランダ越しに部屋を覗きこみ……ベランダから女性が落ちる様子を見たという。

 隣人の証言によると、彼女は一人で手すりに登り、一人で落ちた。

(死亡した古林さんは19歳……高校卒業の帰り道に誘拐され)

 震える指が見出しと記事を追う。あっさりと読み飛ばしかけた文字を、慌てて巻き戻した。

(誘拐!?)

 父親の訴えによると、彼女は高校の卒業式帰りに行方不明。それから1年の間、手がかりなし。

 次に彼女が見つかったのは、実家から遠く離れたアパートの下。死体となってからである。

 彼女と同居していた……誘拐犯と思われる……男はその後、海に浮かんでいるところを発見。

 しかし隣人の目撃証言により殺人の可能性は消えて自殺で片付き、誘拐事件の裏もとれず、事件はそのまま消え去ることとなった。



 次のページから始まったのは、父親の長いインタビューだ。

 いかに可愛い娘であり心配していたか。確かに殺人ではないかもしれない。しかし、きっと娘は逃亡しようとして自殺を図ったのだ。逃げるために飛び降りたのはいかに辛かったか。卒業式帰りにさらわれた娘を、どれだけ探し回ったか。

 嘆くようなインタビュー記事が続く。

 震える手で次のページをめくれば、女性の飛び降り自殺特集。というなんとも不謹慎な記事に突き当たる。

(この半年前にも、似た事件……) 

 しかし幸いなことに、その特集にまとめられた女性たちは皆、生還している。

 うまく茂みに落ちて助かった人、でっぱりに引っかかって助かった女性。奇跡的に下のベランダに落ちた女性。

 その中に気になる記事を見つけて、私は目を丸める。

 そこには『彼氏と痴話喧嘩。彼氏のカード履歴から浮気を疑い、自殺を盾に脅すつもりが足滑らせて』という文字が刻まれていた。

 それは幽霊さんの事件の半年前に起きた事故だ。有名人の隠れ彼女だったので、ワイドショーでは話題になった、と書かれている。

(この事件を知っていて……記憶が改ざんされたのか……)

 幽霊さんは自分の死について触れることがない。それは記憶がないからだ、と彼女は言っていた。

 気がつけば暗闇に放り込まれていたという。過去の記憶は断片でしか思い出せないと。

 だから彼女の中で、一緒に住んでいた男性は優しい恋人のままなのだろう。彼女が寂しいと泣けば、付き合って家に居てくれる。そんな優しい男。

 少なくとも……卒業式の帰り道、女子高生をさらうような外道ではない。

(……幽霊さんが知ったら、なんて思うんだろう)

 本人の居ない場所で真実を知ってしまった私は、震える手で雑誌を閉じて深呼吸。

 気がつけば周囲から一人、二人、人が減っていく。

 閉館時間まではまだ時間があるはずだが、妙に涼しい風が吹く。

 そっと周囲を見渡せば、人の減った席には白い煙がとぐろを巻いている。

 それは嫌な空気ではない。冷たく心地よい……懐かしい温度。

 もうこの世のものではない彼らは、棚にある本の背を必死に見つめている。気がつけば私の両隣にも、白い煙が見えた。

 『周波数が合わない』せいで顔は見えないが、煙たちは私の持つ本を読みたがっている。

(……幽霊は、文字を求めるのかな)

 文字を求めるというよりも、この世の名残を求めるのだろう。少しでも繋がりたい、その思いが文字を求めるのだ。

 周波数の合わない彼らとは、言葉がかわせない。通じない。

 白い煙に席を譲り、私は立ち上がる。気がつけば図書館には、多くの白い煙が舞っていた。



 最寄り駅についたのは、それから数時間あとのことだ。

 癖でコンビニに入れば、強烈な冷たさと白さが肌をさす。

 いつもの無愛想な店員が私のかごの中を見て少しだけ不思議そうな顔をした。いつもより買うものが減ったせいだろう。

 もう、私の家に扶養家族はいないのである。

(いない、か)

 暗い家に戻っても、やはり幽霊さんはいなかった。

「幽霊さ……」

 思わず宙に向かって話をふりかけ、私は慌てて口を閉ざす。今、そこに幽霊さんはいないのだ。

 コールセンターと同じだ。オペレーターである私は、向こうからの応答を待つことしかできない。

(幽霊さん)

 風呂上がり。寝転がって、図書館で貰ってきた雑誌のコピーを見つめる。

 そこには長い長い父親のインタビュー。私の父より、随分情熱的で小うるさい父親だ。

 娘は誕生日に死んだのだと、何度も何度も嘆く言葉が刻まれている。

 確か彼女が亡くなったは8月15日。

(この間が誕生日だったのか)

 私はスマホのカレンダーを見つめてつぶやく。

「……人の誕生日祝ったくせに」

 人に祝わせてくれない、最低の女だ。

 いま会えば、彼女に100は文句を言いたいところである。

 しかし幽霊さんは、ここにはいない。

「さゆり……か」

 彼女に似合う、儚い名前。名前を呼んでも、返事はない。さゆり、さゆり。2度、3度、名前を呼んで宙を見上げる。

 まるで人魚姫のように、蛍光灯の周りを飛び回っていた彼女を思い出す。

 ビールを飲んで畳の上に転がっていた彼女を思い出す。

(……会いたいなあ)

 不思議なことに……私は無性に幽霊さんに会いたいと、そう思っていた。

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