屋上へ
ここ最近の学校にたどり着くまでの道のりは最悪の一言だった。
「ほら、これ今日の分ね。登校と名前呼びで二万円であってるでしょ」
「……ああ」
朝に鶴姫からお金を受け取って、俺たちは並んで学校まで歩き出す。
今日でこの馬鹿げたやり取りは三日目になる。受け取った金額は既に七万を超えていた。
友人が放課後を費やして一ヶ月で稼ぐ額を、俺は当たり前の毎日を過ごすだけで三日で稼いでしまったわけだ。
(金ってこんな簡単に稼げていいのか…?)
幼馴染料金なんて我ながら最悪の思いつきで始めたこの児戯は、早くも止め時を見失いつつある。どうにも現実感がわかずにいるのだ。俺が知っている労働というものと、現実に手渡される金額にまったく釣り合いが取れていないように思うのだ。
実際に働いた経験などないが、たまに見かけるコンビニバイトの張り紙の時給を計算してみれば一日八時間働いたところでこの額にはまるで届かない額であることくらいは知っている。汗水たらして働いて、時には客に怒られながらようやく手に入る給料の倍以上の額が、俺の手元に転がり込んでくるというのは奇妙な感覚だった。
もちろんこの金を使う気など微塵もないが、それでも金は金だ。それまで手にしたことのない額はただ手元にあるだけで、得体の知れない恐怖が徐々にこみ上げてきている。そこに喜びなど全くなかった。子供のちょっとイタズラに対し、ことが大きくなって言い出せなくなった、罪悪感を抱える感覚そのものだ。
俺の精神は早くも疲弊しつつあった。
それでもこの関係は止まらない。鶴姫は今日も俺に金を差し出してくるのだ。この調子では明日は十万に到達するだろう。だというのに、こいつの顔に苦悩の色はまるでなく、逆に笑顔を浮かべていた。この程度の額を出すのなど、全く苦にもならないとでもいいたげに。
(見誤ったってことか…?)
当初の予定では、ここで鶴姫がギブアップしてくるはずだったのだ。それを俺は嘲笑い、それ見たことかと金を突き返してやるつもりだった。
だというのに、実際に頭を悩ませているのは俺の方。鶴姫に圧倒的に不利なはずだったこのチキンレースは、俺が追い詰められつつあった。
鶴姫のブレーキが壊れているのか、それとも鶴姫の財力に限りがないのか、それは分からない。
わかるのはどのみち凡人である俺には、早くもついていけなくなっているということだけだ。俺は別に金なんてどうでもよくて、それなりに身の丈に合った生活と自分にとって苦のない学生生活とやらを送れれば、それで充分満足だったのだ。
将来だって、それなりの大学に入ってそれなりの会社に入って普通の生活を送れれば充分なんだ。こんな金をあっさり手に入る毎日を送っていたら、金銭感覚がおかしくなってしまいそうだった。
俺は自分がこれ以上変わってしまうのが怖かった。
「本当は下校分も払いたかったけど…今日は予定があるのよね?」
「ああ。そっちが優先なのは契約で決まっているからな」
「……残念」
だからだろうか。俺が救いを求めてしまったのは。
迷惑をかけたくなどなかったのに、俺は今放課後の屋上に繋がる階段を登っている。
「今日はいてくれるかな…」
教室から出て行った姿は確認していた。確か昼休みに誰かの相談に乗っていたはずだし、だとしたらいる可能性は高いだろう。
彼女はストレスが貯まると、よく屋上にいくことを俺は知っていたからだ。
上から人を見下ろしていると、胸が軽くなるのだと少しだけ楽しげに言っていたことを思い出す。
そんな顔を見るのが好きだったが、これから俺が話そうとしていることで彼女にまた不満を溜め込ませてしまうかもしれないと思うと、胸が痛い。
だけどどうしようもなく今の気持ちを誰かに聞いて欲しかった。
その聞き手に選んだのが自分が好きな相手だと思うと、己のどうしようもなさに思わず自嘲してしまう。
「クソ野郎だな、俺も」
でも、他に相手がいなかった。そしてどうしようもなく、彼女の声が聞きたかったのだ。
彼女ならきっと俺のこの弱気さえも、蹴飛ばしてくれると信じていた。
「着いた、か…」
そんなことを考えていると、俺はとうとう階段を上がりきり、屋上の扉へとたどり着いた。
この扉の先に、きっと彼女はいるだろう。さっきまで半信半疑であったというのに、妙な確信があった。
「よし」
大きく深呼吸。息を吸い、吐く。
…うん、落ち着いた。
そして俺はドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開き―――その先に彼女はいた。
「……姫宮」
茶色に染めた髪を背中まで流し、毛先はふわふわにカールしていて少し小柄な少女。
姫宮愛梨が屋上の手すりに寄りかかり、グラウンドへと視線を向けていた。
屋上に訪れた闖入者には気づいているはずなのに、こちらには一瞥もしない。
だけどそれはいつもの彼女の対応でもある。そのことに僅かに安堵しながら、俺は姫宮に近づいていく。
「ひめ……」
「なにしにきたのよ、紫雲」
冷たい声が、秋に差し掛かった屋上へと風にのって響き渡った。
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