大義名分
「……ほんとに、払わなきゃいけないの?」
俺の言葉に鶴姫はどこか沈んだ面持ちでそんなことを言ってきた。
声のトーンも明らかに低い。俺に幼馴染料金を払うことを望んでいるわけではないことは明らかだ。
それを見て俺は内心でほくそ笑む。狙い通りの展開になりそうだったからだ。
無論そんな考えを表には出さず、俺は差し出した手を引っ込めた。
「そういう契約だって言ったろ?それが無理ならこの話はナシだ。まぁ鶴姫が嫌だっていうなら勿論俺は…」
「ま、待って!払わないなんて言ってないわよ!払う!払うから!」
そのまま踵を返して鶴姫に背を向けた時、慌てたような声が背後から聞こえてきた。
鶴姫の焦った声など普段聞くことは滅多にない。知らず知らずのうちに口角が上がっていくのを感じていた。ゾクリとする感覚が背筋を撫でる。罪悪感を感じているのは確かだったが、それでも妙な悦びの感情が心の中で湧き上がった。
「最初からそう言えよ。鶴姫は一言多いんだよ。それじゃ一万を…」
「待って。それ辞めて」
話を進めようとしたところで、鶴姫が俺の話を遮った。
さっきまで俺を引きとめようと必死な様子であったのに、今ではどこか期待するような目で俺を見ている。
「辞めろと言われてもな。俺は値段を下げるつもりはないぞ」
「そっちじゃないわよ。その、名前…」
「は?」
名前?なに言ってんだこいつ。
「ほら、追加料金を払えば名前呼びもあるって言ってたじゃない。昨日そう言ってたわよね」
「ああ、オプションのことか。それなら確かにあるぞ。一応簡単にできることはリストアップしている」
得心がいった俺は制服のポケットに入れていた幼馴染料金のリストを取り出した。
昨日はちょっとした取り決めのあと、それとなくこの話を鶴姫から振られていたのだ。
考えてみると返して今日を迎えたわけだが、昨日もどこか期待するような目を寄せていたような気もする。
「見せて!」
「うおっ」
少しぼんやりとしながら記憶を探っていると、焦れた鶴姫が俺の手からひったくるようにリストを奪った。
この横暴さ、相変わらずだな…
この短期間で性格が変わるなどと期待してたわけではなかったが、それでもげんなりするほど見慣れた行動を今もこうして取っている。
鶴姫への好感度が、また一段下がっていく。
それに気付いていない鶴姫は、素早く眼球を動かしギラついた目でインクで印刷された活字体を読み込んでいった。
「お、おい」
「名前呼び五千円に登校五千円ね。じゃあこれ、二万円!」
その勢いに押されそうになりながらも、なんとか声を搾り出すが、鶴姫は止まらない。
勢いそのままに俺の手を掴み、強引に諭吉を二枚手の中に握らせに来た。
「にま…おい、お前こんなあっさり…」
「お前じゃない!名前で呼んで!」
俺の予想していた鶴姫の貯金額は十万前後だ。それを初日であっさりと五分の一の金額を払ってきたのである。戸惑わないはずがなかった。
まずい。そう考えるよりも早く、鶴姫が畳み掛けてくる。その勢いは以前の鶴姫そのもので、立場が再び逆転していくのが感覚でわかってしまう。
「つ、鶴姫…」
「それは苗字じゃない。違うでしょ、名前よ名前。ちゃんと舞華って呼びなさい!」
ぐっ…まずい。これは、ダメな流れだ。
頭ではそう理解している。だけど、俺の手には二万円もの大金が握られているのも事実なわけで。
「まい、か…」
「っつ!そう、それでいいのよ」
鶴姫は俺の言葉に、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
その顔を見て、何故か俺の背筋に冷たいものが伝っていく。
(これ、まずいんじゃないか…?)
鶴姫のことを、俺は見誤っていたのかもしれない。
俺は自分の考えが浅かったのではないかと思い直していた。
「なぁ舞華。お前…」
「ほら、それじゃ学校行くわよ。ちゃんとお金払ったんだし、いいわよね!?ね?」
だが深く考える時間はどうやら与えられることはないらしい。
目を爛々と輝かせ、距離を詰めてくる鶴姫に俺は再び押されていく。
すっかり勢いを取り戻してしまったようだ。内心で俺は歯噛みする。
「…そう、だな。金はちゃんと受け取ったし…」
「やた!じゃあ行きましょう!」
そう言って俺の手を強引に掴み、鶴姫は歩き出していた。
その歩みに迷いはない。最初の躊躇いが嘘のように、鶴姫はすっかり活力を取り戻していた。
(俺、もしかして鶴姫に大義名分を与えちまったのか…?)
金を払えば幼馴染の関係を続けるというのは、逆をいえば金さえ払い続ければいつまでも関係が続くということ。
その考えに思い至り、俺はまた背筋がゾッとするのだった。
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