幼馴染料金
「こら、蓮司!アンタまた私のこと無視して勝手に帰ろうとしたでしょ!」
学校からの帰り道。長い下り坂をのんびり歩いていた俺は、背後からそんな言葉をかけられていた。
気の強さを感じさせる強い声だ。小さい頃から何度も聞いてきたその声に俺は辟易しながらも、しょうがなく振り返る。いくら取り決めとはいえ、誰がそこにいるか分かっているというのに無視できないというのはなかなかつらいものだとふと思う。
そこには案の定、金色の髪をツインテールにまとめた美少女が、仁王立ちで立っていた。
「そんなことねーよ。今日は早く帰りたかっただけだ」
「ウソ!待っててくれてもいいじゃないの!私達幼馴染なんだから!」
その少女――鶴姫舞華は確かに俺にとって幼馴染にあたる相手だ。
とはいえ、俺と鶴姫の関係はそれ以上のものではない。それ以下のものであるとは自信を持って言える、薄氷のようなものだった。
多くの人間が振り返るだろうその容姿も、見慣れた俺にとっては引き留めるに足るものじゃない。さらにいうなら気の強そうなその声も減点ものだ。俺はおしとやかな子がタイプなのである。
ハッキリいうならただ近所に住んでいたというだけで、幼馴染という繋がりが生まれただけの存在。それが俺と鶴姫の関係だった。
「そうだな、悪かったよ。俺たちは『幼馴染』だもんな」
俺からはそう認識していたのだが、どうも鶴姫のほうはそうではなかったらしい。
昔からイチイチ俺に突っかかり、なにかと俺にいちゃもんをつけてくる日々が続いていたのだ。
やれなんで私を置いていくなだとか、私の買い物に付き合えとか、私以外の女と話すなとか…思い返すだけでキリがない。
いくら顔が良かろうと長年こんなことを言われ続ければ、好意を抱き続けるのは難しいというものだろう。
幼少期からの幼馴染補正などというものはこの年になるとほぼ存在していないに等しい。むしろマイナスとしかいいようがない。鶴姫のせいで好きだった女の子が何人離れていったことか…
俺の好みの大人しい子は基本鶴姫と相性が悪いのだ。気が強いうえに攻撃的な性格でもある鶴姫は、自然と人の輪の中心になることが多かった。
ただでさえ人目を引く金色の髪と整った顔が合わされば、大抵のやつは話しかけられただけで萎縮する。それでも俺以外には比較的人当たりのいい一面も持っているのだから、ギャップも相まって味方につくやつが後を絶たない。アメとムチのようなものだった。
そんな鶴姫が俺が話した女の子に対してだけは、やたらと冷たく接するのだ。
学校という狭いコミュニティの中において、空気を読むことは必須項目といっていいほど重要な能力である。特に女子はそのへんは敏感で、本格的にクラス内でハブられることになる前にみんな離れていくことを、俺は責めることなどできなかった。
その代わり、鶴姫に対する恨みや不満が少しづつ蓄積されていき―――限界を迎えた。
それはつい最近の話だ。高校に入学しても俺と鶴姫は離れることなく一緒にいた。
俺は常々離れたいと思っていたが、そうも言えない事情があったからだ。
ベタといえばベタな話だが、鶴姫は親が大会社の社長であり、その子供である鶴姫は所謂社長令嬢というやつだった。
そして俺の親は鶴姫の親が経営する会社の平社員。生まれた時から目には見えない明確な上下関係が成立していたというわけだ。
人並み外れた美貌とスタイル。優れた能力にカリスマ性を持ち、とどめに家は金持ちとくればどれだけ神様に愛されて生まれてきたのかと言いたくなるが、そのしわ寄せはどうやら俺に降りかかることで釣り合いを取っているらしい。
俺はそんな完璧超人に逆らうことなく機嫌を取れという親からの厳命をこれまで忠実に守ってきたわけだが、それでも俺にも限界があった。
―――またあの女と話してるの?いい加減にしなさいよ。アンタじゃ付き合うとか絶対無理だから。そんな奇特な子、そうそういるわけないでしょ
こんなことを言われたと思う。明らかに俺を蔑む暴言だった。
俺はこの頃には鶴姫に明らかに格下の存在として見られていたのだ。
上下関係があり、長年下手に出る相手が側にいれば、どんな人間でも歪むというものだろう。
理屈の上ではそう納得して俺もこれまで我慢を重ねてきたわけだが、その日はいつもと違っていた。
それが単に虫の居所が悪かったためなのか、長年の我慢が蓄積された結果なのか、それは俺にも分からない。
―――は?お前に俺のなにが分かるんだよ。俺が誰と話そうが勝手だろうが。ふざけんなよ
ただひとつ分かることがあるとすれば、俺は鶴姫に怒りをぶつけたという事実が残ったということだけだった。
こうなるともう止まらない。
―――俺はそもそもお前がずっと嫌いだったんだ
―――なにかやるたびにイチイチ俺に絡んできて、うざかった
―――お前の親が偉いから従っていたんであって、お前に従ってたんじゃない。勘違いすんなよな
長年貯め続けていたものは、思っていたより業が深かったようだった。
こんなことを言ったと思う。普段大人しく言うことを聞いていた俺の突然の反抗にさすがの鶴姫も怯んだようで、俺の言葉に反論すらしてこなかった。
それに気をよくした俺はそのままの勢いで、幼馴染にさらなる追い打ちを叩きつけたのだ。
―――俺、もうお前と一緒にいたくない。幼馴染であること自体が嫌なんだ。もう二度と、俺に話しかけないでくれ
そう言った。そこに後悔などまるでなく、胸が軽くなっていく感覚を覚えたことは、よく覚えている。
「う、うそでしょ…ねぇ、冗談よね…」
長年仕えてきた召使の反逆。思ってもみなかっただろうその突然の事態に、餌を待つ金魚のようにただ口をパクパクさせることしかできないご主人様の顔は、普段の凛とした雰囲気のカケラもない、なんとも間抜けなものだった。
それを見て、俺は内心で満足していた。
この顔を見れただけでも、積年の思いをぶちまけた甲斐があったというものだ。
じゃあなと踵を返したときにようやくワガママお嬢様は再起動を果たしたらしく、俺に縋り付いてきた。
「ま、待ってよ。そんなこと言わないで。そういうの、良くないと思うわよ」
なにがだよ。俺はいいと思ったから言ったんだ。自分の言葉を撤回するつもりもない。
「え、えっと…そうだ!ねぇ、なにか欲しいものはない?今なら蓮司の欲しいもの、なんでも買ってあげるわよ。私もちょっと悪いことしてきたと思うし、それで機嫌直してよ?ね?」
慌てた様子を見せていた鶴姫だったが、なにか思いついたのか媚びるように俺にそんなことを言ってきた。
―――なんだと?
その内容は思った以上にロクでもないもので、俺は思わず眉をピクリと釣り上げる。
「ひっ…」
それを見た鶴姫が短い悲鳴を上げていたが、そんなことはどうでも良かった。
とっくに分かっていたことではあったが、やはり俺はどこまでも下に見られていたらしい。
モノで釣って、ご機嫌取りをしようだとは。
本当に、舐められたものだ。
俺の心はその程度で揺れ動くと思われたんだと思うと、怒りが沸々と沸き上がっていくのを感じてしまう。
男のプライドをなんだと思っているのだろうか。俺は鶴姫にとって都合のいい人形でもなければイエスマンでもない。それはもう辞めると決めたのだ。
だから、それはちょっとした思いつきだった。
ほんの意趣返し。別に本気でもなんでもない、ただの売り言葉に買い言葉。
鶴姫の俺の気持ちなど考えてもいない横暴な言葉に対する、ただのカウンターのつもりだったのだ。
―――さっきも言っただろ。俺はもうお前に愛想が尽きたんだよ。お前にもらったところで嬉しくともなんともない。それでも今までと同じ『幼馴染』でいたいっていうなら、そうだな―――
「な、なんでも言って!私、言うとおりにするから!」
必死な様子を見せる鶴姫に、俺は内心ほくそ笑んだ。
次の言葉を聞けばきっと俺に対しても同じように愛想が尽きるはずだと、そう信じていたからだ。
だけど―――
「じゃあ『幼馴染』にいつものやつくれよ。ほら」
「わ、分かってるわよ…はい、『幼馴染料金』一万円…下校はオプションだから、プラス五千円よね?」
そう言って、鶴姫は手渡してくる。
俺たちが『幼馴染』であるための『幼馴染料金』を。
それを俺はクズのように、ただ頷いて受け取った。
自分なりに幼馴染ざまぁを書いてみようと思いました
短編予定ですが少し長くなりそうかも