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明空の先の日常にて  作者: ふくろうの祭
32/49

32話 父親

「このポスターに写ってるボーカルの人…達也の父さん…?」


「まぁね」


龍乃心はぽかんとした表情で、ポスターを見つめていた。

まさか自分の父親が好きで、一緒にライブにも連れてこられたバンドのボーカルが、新天地で出来た友人の父親だなんて夢にも思わなかったのだろう。

達也は机の上に置いてあった写真立てを持ち、龍乃心に見せた。


「これ、一昨年に家族で取った写真。これが俺で、その隣に居るのが父さん」


写真には、カメラに向かって笑顔を向けている家族の姿が写っていた。

そこには確かにポスターに写っているボーカルと同一人物の男が居た。

そしてその隣には何故か坊主頭の達也も居た。


「…達也はなんで坊主頭なの?」


「あー…それ、久々に父さんが家に帰って来て、家族とか親戚で集まったんだけど、父さん酔っぱらっててさ。何故か俺が標的にされて、バリカンで刈られちまったんだよ…。今考えるとひでー父親だなーって思うけど、そん時は久々に父さんに会えて嬉しくってさ。まぁプラマイゼロって感じかな」


「…それは『マイナスじゃなくて良かった』って事でいいか…?」


達也はそのまま、ベッドの上に乗って仰向けで転がった。


「自慢じゃないんだけど、父さんのバンド、ここ数年すげぇ人気が出て来てんだよ」


「…うん、それは知ってる。ライブ行った時、すごい人だったよ」


「だろ!?」


達也はキラキラした目で龍乃心の方を見たが、やがてすぐにどこか寂しそうな顔を見せた。


「…だけどさ。人気が出てくればくる程、父さん忙しくなってきてさ。毎年日本全国どころか、世界中を回ってライブツアーしてて、全然家に帰って来れなくなっちゃって。去年なんか一度も帰ってこなかったよ」


「…そっか」


「頭ン中じゃ分かってんだよ。日本や世界で父さん達の演奏を心待ちにしてる人達がいて、父さん達はその人達の為に、演奏を届けに回ってる。そして、曲作って発売して、またみんなを喜ばせてる。俺達だって、父さんが頑張って稼いだ金で、こんなでっかい家で暮らせる。…だけど」


達也はぼんやりと天井を見つめ、間を置くと言葉を続けた。


「なんか悔しんだ。俺達の父さんがみんなに取られちまったみたいでさ…」


「……」


龍乃心は何か声を掛けようかと思ったが、特に何も思い浮かばなかったので、やめた。


「だから、俺には夢があんだ!」


「夢?」


「俺もいつか父さんに負けない様なすげーミュージシャンになるんだ。そしたら父さん達と一緒にライブで世界を回れるかもしんねーじゃん?」


「一緒に世界をか…」


「そう! だから俺は日夜ギターの練習をして、腕を磨いてんだ!」


「へぇ、ギターかぁ…」


すると達也は、部屋の隅に立てかけてあったエレキギターを手に取り、大事そうに持って来た。


「こいつをアンプに繋いでと…」


勿論ギターのセッティングなど初めて見る龍乃心は、若干の好奇心でその様を見つめていた。


「よし、出来た! じゃあ弾くぜ!」


達也が渾身のワンストロークを披露すると、アンプからは大音量のギター音が流れた。

その迫力に龍乃心は、思わず圧倒されてしまった。

それから達也は練習中だというギターのフレーズを次々と披露していった。

正直、日夜練習しているという割には、お世辞にも上手いとは言えないものだったが、弾いている時の達也は、すごく真剣で、且つ楽しそうな顔をしており、いつものどこかちゃらんぽらんな表情は影を潜めていた。


「…っと。こんな感じ!」


「…おぉ、なんかカッコいい」


「だろぅ!? ただ、独学だから中々先に進むのに時間かかっててさぁ。このFコードってのが、抑えんの大変で仕方ないんだよなぁ~」


よく見ると、ギターとアンプは至る所に傷があり、中々年期が入っている様に見えた。


「これ…結構古そうだけど、中古で買ったのか?」


「いや、父さんのお下がり。父さんが新人の頃に買って、ずっと使ってた奴でさ。昔のライブビデオとかライブ写真集とかポスターにはこのギター写ってるぜ?」


「へぇ…結構貴重な奴じゃないの?」


「それがさ、父さんギター弾きながら歌うのが苦手らしくてさ! 最初の頃は頑張って弾いてたらしいんだけど、『唄に集中できねぇ!』っつって、辞めちまったんだってさ。まぁ一つの事しかできねぇ父さんらしいんだけどな。『だからこれは達也にやる』っつって。まぁ俺の宝もんだな!」


「…そっか!」


「明空には夢みたいなもんって無いのか?」


「夢…」


「なんかなりたいもんとか、やりたい事」


「…よく分からない。…でも、やらなくちゃいけない事ならある…」


そう口にした時の龍乃心の表情には、一瞬怒りが宿った。

達也はそれを察したのか、それ以上龍乃心に聞こうとはしなかった。

すると、今後は下の階からドタドタと床を踏みしめる様にしながら、誰かが部屋に近付いて来た。

物凄い勢いでドアが開いたかと思ったら、昌が怒りの形相で入ってきた。


「あんった、さっきからうっさいんだよ!! またその下手糞なギター鳴らしてるのかよ!!? 聴かされるこっちの身にもなれっつーの!!」


そう言ってまた、物凄い勢いでドアを閉めて行った。

すると、部屋の外から昌と渚の話し声が聞こえてきた。


「ん? なんだよなぎ姉…って、なんでそんな怖い顔してんの? いや、ちょっと手が滑っちゃって、思いの外ドア思い切り閉めちゃったんだって! な、何もビックリしたからって、こんなに問い詰める事ないだろ! ちょっと待てって、なんだよその手は! 一体何するんだははははははははははぁぁぁ!!!! やめてやめて擽り!! ちょっ、待っ、これ以上無理無理無理無理!!! あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


部屋の外から断末魔の叫びが聞こえ、達也と龍乃心は、ただただ身を潜める他無かった。


「…やっと終わったみたいだ…」


達也は肩を撫でおろした。


「…達也のお姉ちゃん、なんでお前がギター鳴らす事に対して、あんなに怒ってたんだ? 言う程音量も出てなかったと思うけど…」


「あー…。『俺が』っていうより、『ギターが』って感じかな?」


「?」


「父さん、昌の誕生日に帰ってくるって言ってたのに、急に帰れなくなっちゃった事があってさ。追加公演をやる事になったとかで。それ以来、父さんと顔を合わせても口も利かなくなっちゃって…」


「あー…」


「俺が父さんみたいなミュージシャン目指してんのも面白くないんだよ。『お前みたいのは、絶対家族に寂しい思いをさせる』って。俺、まだ11歳だぜ?」


「それでか…」


「まぁ、そうでなくても口うるせぇ姉だけどな!」


そう言って達也は笑って見せたが、どこか寂しさを隠そうとしている様にも見えた。


「…あ、俺そろそろ帰るよ。父さんには散歩するとしか言ってなかったし」


「おー、こっちこそ急に誘って悪かったな」


ドアを開けて部屋を出ると、廊下にはあの世に昇天しかかっている昌の体が横たわっていた。


「も…も…もう、許ひて…」


龍乃心と達也は、昌に哀れみの心を感じながら階段を降りて行った。

リビングでは、渚が紅茶を淹れていた。


「あらぁ、明空君、もう帰るのー?」


「あ…、はい、お邪魔しました」


「もっと居てくれもいいのにぃ~」


「おいなぎ姉、廊下で昌の死体が転がってたけど」


「ふふふ、昌ちゃんにはちょ~っとだけお灸を据えてあげただけよ~♡」


「…分かった、もうその先は聞かなくていいや…」


「明空君、またいつでもいらっしゃいね♪」


「あ、はい、ありがとうございます」


渚はふと、顔を龍乃心の耳元に寄せて呟いた。


『今度は二人っきりで、楽しくお喋りし・ま・しょ♡』


龍乃心は恥ずかしさと恐怖とが入り混じった、良く分からない悪寒に襲われ、思わず身を引いた。


「いや、なぎ姉も昌も、その内マジで捕まるからな。頼むから父さんと母さんを悲しませるなよ」


「もう、たーくんったら、冗談に決まってるでしょ♪」


「…そうは見えねーけどな」


こうして龍乃心は、達也の住む豪邸を後にした。


「次会うのは、夏休み明けてからだな! じゃあなー!」


「うん、また」


こうして龍乃心の長い散歩が終わった。


「…疲れた…」


年に似合わぬため息をつきながら、もうしばらくは達也の家の中には入るまいと、龍乃心は密かに誓った。


「夢…やりたい事…」


結局はぐらかした達也からの質問を、口にしながらぼんやりと家路を歩いて行った。

※次の更新は09月07日(月)の夜頃となります。

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