32話 父親
「このポスターに写ってるボーカルの人…達也の父さん…?」
「まぁね」
龍乃心はぽかんとした表情で、ポスターを見つめていた。
まさか自分の父親が好きで、一緒にライブにも連れてこられたバンドのボーカルが、新天地で出来た友人の父親だなんて夢にも思わなかったのだろう。
達也は机の上に置いてあった写真立てを持ち、龍乃心に見せた。
「これ、一昨年に家族で取った写真。これが俺で、その隣に居るのが父さん」
写真には、カメラに向かって笑顔を向けている家族の姿が写っていた。
そこには確かにポスターに写っているボーカルと同一人物の男が居た。
そしてその隣には何故か坊主頭の達也も居た。
「…達也はなんで坊主頭なの?」
「あー…それ、久々に父さんが家に帰って来て、家族とか親戚で集まったんだけど、父さん酔っぱらっててさ。何故か俺が標的にされて、バリカンで刈られちまったんだよ…。今考えるとひでー父親だなーって思うけど、そん時は久々に父さんに会えて嬉しくってさ。まぁプラマイゼロって感じかな」
「…それは『マイナスじゃなくて良かった』って事でいいか…?」
達也はそのまま、ベッドの上に乗って仰向けで転がった。
「自慢じゃないんだけど、父さんのバンド、ここ数年すげぇ人気が出て来てんだよ」
「…うん、それは知ってる。ライブ行った時、すごい人だったよ」
「だろ!?」
達也はキラキラした目で龍乃心の方を見たが、やがてすぐにどこか寂しそうな顔を見せた。
「…だけどさ。人気が出てくればくる程、父さん忙しくなってきてさ。毎年日本全国どころか、世界中を回ってライブツアーしてて、全然家に帰って来れなくなっちゃって。去年なんか一度も帰ってこなかったよ」
「…そっか」
「頭ン中じゃ分かってんだよ。日本や世界で父さん達の演奏を心待ちにしてる人達がいて、父さん達はその人達の為に、演奏を届けに回ってる。そして、曲作って発売して、またみんなを喜ばせてる。俺達だって、父さんが頑張って稼いだ金で、こんなでっかい家で暮らせる。…だけど」
達也はぼんやりと天井を見つめ、間を置くと言葉を続けた。
「なんか悔しんだ。俺達の父さんがみんなに取られちまったみたいでさ…」
「……」
龍乃心は何か声を掛けようかと思ったが、特に何も思い浮かばなかったので、やめた。
「だから、俺には夢があんだ!」
「夢?」
「俺もいつか父さんに負けない様なすげーミュージシャンになるんだ。そしたら父さん達と一緒にライブで世界を回れるかもしんねーじゃん?」
「一緒に世界をか…」
「そう! だから俺は日夜ギターの練習をして、腕を磨いてんだ!」
「へぇ、ギターかぁ…」
すると達也は、部屋の隅に立てかけてあったエレキギターを手に取り、大事そうに持って来た。
「こいつをアンプに繋いでと…」
勿論ギターのセッティングなど初めて見る龍乃心は、若干の好奇心でその様を見つめていた。
「よし、出来た! じゃあ弾くぜ!」
達也が渾身のワンストロークを披露すると、アンプからは大音量のギター音が流れた。
その迫力に龍乃心は、思わず圧倒されてしまった。
それから達也は練習中だというギターのフレーズを次々と披露していった。
正直、日夜練習しているという割には、お世辞にも上手いとは言えないものだったが、弾いている時の達也は、すごく真剣で、且つ楽しそうな顔をしており、いつものどこかちゃらんぽらんな表情は影を潜めていた。
「…っと。こんな感じ!」
「…おぉ、なんかカッコいい」
「だろぅ!? ただ、独学だから中々先に進むのに時間かかっててさぁ。このFコードってのが、抑えんの大変で仕方ないんだよなぁ~」
よく見ると、ギターとアンプは至る所に傷があり、中々年期が入っている様に見えた。
「これ…結構古そうだけど、中古で買ったのか?」
「いや、父さんのお下がり。父さんが新人の頃に買って、ずっと使ってた奴でさ。昔のライブビデオとかライブ写真集とかポスターにはこのギター写ってるぜ?」
「へぇ…結構貴重な奴じゃないの?」
「それがさ、父さんギター弾きながら歌うのが苦手らしくてさ! 最初の頃は頑張って弾いてたらしいんだけど、『唄に集中できねぇ!』っつって、辞めちまったんだってさ。まぁ一つの事しかできねぇ父さんらしいんだけどな。『だからこれは達也にやる』っつって。まぁ俺の宝もんだな!」
「…そっか!」
「明空には夢みたいなもんって無いのか?」
「夢…」
「なんかなりたいもんとか、やりたい事」
「…よく分からない。…でも、やらなくちゃいけない事ならある…」
そう口にした時の龍乃心の表情には、一瞬怒りが宿った。
達也はそれを察したのか、それ以上龍乃心に聞こうとはしなかった。
すると、今後は下の階からドタドタと床を踏みしめる様にしながら、誰かが部屋に近付いて来た。
物凄い勢いでドアが開いたかと思ったら、昌が怒りの形相で入ってきた。
「あんった、さっきからうっさいんだよ!! またその下手糞なギター鳴らしてるのかよ!!? 聴かされるこっちの身にもなれっつーの!!」
そう言ってまた、物凄い勢いでドアを閉めて行った。
すると、部屋の外から昌と渚の話し声が聞こえてきた。
「ん? なんだよなぎ姉…って、なんでそんな怖い顔してんの? いや、ちょっと手が滑っちゃって、思いの外ドア思い切り閉めちゃったんだって! な、何もビックリしたからって、こんなに問い詰める事ないだろ! ちょっと待てって、なんだよその手は! 一体何するんだははははははははははぁぁぁ!!!! やめてやめて擽り!! ちょっ、待っ、これ以上無理無理無理無理!!! あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
部屋の外から断末魔の叫びが聞こえ、達也と龍乃心は、ただただ身を潜める他無かった。
「…やっと終わったみたいだ…」
達也は肩を撫でおろした。
「…達也のお姉ちゃん、なんでお前がギター鳴らす事に対して、あんなに怒ってたんだ? 言う程音量も出てなかったと思うけど…」
「あー…。『俺が』っていうより、『ギターが』って感じかな?」
「?」
「父さん、昌の誕生日に帰ってくるって言ってたのに、急に帰れなくなっちゃった事があってさ。追加公演をやる事になったとかで。それ以来、父さんと顔を合わせても口も利かなくなっちゃって…」
「あー…」
「俺が父さんみたいなミュージシャン目指してんのも面白くないんだよ。『お前みたいのは、絶対家族に寂しい思いをさせる』って。俺、まだ11歳だぜ?」
「それでか…」
「まぁ、そうでなくても口うるせぇ姉だけどな!」
そう言って達也は笑って見せたが、どこか寂しさを隠そうとしている様にも見えた。
「…あ、俺そろそろ帰るよ。父さんには散歩するとしか言ってなかったし」
「おー、こっちこそ急に誘って悪かったな」
ドアを開けて部屋を出ると、廊下にはあの世に昇天しかかっている昌の体が横たわっていた。
「も…も…もう、許ひて…」
龍乃心と達也は、昌に哀れみの心を感じながら階段を降りて行った。
リビングでは、渚が紅茶を淹れていた。
「あらぁ、明空君、もう帰るのー?」
「あ…、はい、お邪魔しました」
「もっと居てくれもいいのにぃ~」
「おいなぎ姉、廊下で昌の死体が転がってたけど」
「ふふふ、昌ちゃんにはちょ~っとだけお灸を据えてあげただけよ~♡」
「…分かった、もうその先は聞かなくていいや…」
「明空君、またいつでもいらっしゃいね♪」
「あ、はい、ありがとうございます」
渚はふと、顔を龍乃心の耳元に寄せて呟いた。
『今度は二人っきりで、楽しくお喋りし・ま・しょ♡』
龍乃心は恥ずかしさと恐怖とが入り混じった、良く分からない悪寒に襲われ、思わず身を引いた。
「いや、なぎ姉も昌も、その内マジで捕まるからな。頼むから父さんと母さんを悲しませるなよ」
「もう、たーくんったら、冗談に決まってるでしょ♪」
「…そうは見えねーけどな」
こうして龍乃心は、達也の住む豪邸を後にした。
「次会うのは、夏休み明けてからだな! じゃあなー!」
「うん、また」
こうして龍乃心の長い散歩が終わった。
「…疲れた…」
年に似合わぬため息をつきながら、もうしばらくは達也の家の中には入るまいと、龍乃心は密かに誓った。
「夢…やりたい事…」
結局はぐらかした達也からの質問を、口にしながらぼんやりと家路を歩いて行った。
※次の更新は09月07日(月)の夜頃となります。




