1話 プロローグ
「次は~緑居商店街入り口~終点です」
一台のバスが商店街の入り口に到着した。
ここは日本にある山奥の田舎町、緑居村。
「はぁ…やっと着いたよ。流石に10時間以上も乗り物に乗りっぱなしっているのは堪えるね。龍乃心、大丈夫かい?」
バスから眼鏡をかけた細身の男が降りてきた。背中に大層な大荷物を背負っている。
「うん、大丈夫」
その男の後ろに、少し不愛想そうな子供も降りてきた。バスの乗客は彼ら親子二人だけだ。
「子供の頃に来て以来だけど…案外変わってないもんだな。入り口の看板とか」
男は懐かしそうに辺りの景色を見回していた。
対して子供の方は特に興味がないのか、ずっと空を見上げている。
「あぁ、ごめんな。じゃあ荷物もある事だし、とっととアパートまで行こう」
そういうと、男と子供は商店街とは逆方向へと歩き出した。
かれこれ30分以上は歩いただろうか。
二人は周りが畑だらけの一角にある一軒のアパートに辿り着いた。
築15~16年位の2階建ての小奇麗な白い外観の建物だ。
2階の角部屋が彼らの居住地となるらしい。
眼鏡の男は、荷物を一旦下ろし、玄関のドアを開けようとしたが、鍵がかかっている。
「あぁ、いけない。大家さんに鍵を貰う手筈だった」
ドアノブを回しかけてからそれを思い出すという間抜けっぷりを披露した男は、慌てて一階に住んでいる大家さんから鍵を受け取るべく、アパートを下りて行った。
男がチャイムを鳴らすと、中からこのアパートの大家さんが出てきた。
「はいはい…どちら様ですか?」
50代位のグレー色の髪をした初老の男は、眠そうな顔をしながら、男を見ていた。
「初めまして。今日から、203号室の方に越してくる予定となっていた明空です」
「あー、あなたが明空さんね!こちらこそ初めまして。鍵を渡さなきゃね。はい、これ」
「ありがとうございます。では今日から宜しくお願い致します」
「今日はどちらから来たの?」
「えーっと、イギリスのロンドンから飛行機で東京まで来まして…そこから電車・バスを乗り継いで来ました」
「ロンドンから!? そりゃまた随分な長旅だったね…。じゃあさぞかし疲れたでしょう。早く部屋に入っておやすみになってください。中は綺麗にしてあるからね」
「お気遣いいただきありがとうございます。では…」
明空と名乗る男は鍵を受け取ると、改めてさっきの部屋のドアの前に立ち、渡された鍵でドアを開けた。
「おー、中は意外と広いな。二人で住むには十分な広さだな」
明空親子は、中に入ると持っていた荷物をリビングに下ろした。
男の方はよっぽど長旅に堪えたのか、疲れ切っていた。
「はぁ…流石に疲れたなぁ。龍乃心は大丈夫か?」
「うん、なんとか」
龍乃心という名前らしい子供は、荷解きをしながら不愛想に答えた。
「相変わらず元気だな…。父さん、もうクタクタだよ…」
「父さん、少し横になって休んでなよ。俺、ちょっと周りを歩いてくる」
「ホントに元気だな…。あまり遠くに行くんじゃないぞ」
「うん」
そういうと、龍乃心は部屋を出て行った。
「はぁ…僕はひと眠りしよう…」
そういうと男はぐったりと体を横に倒し、静かに眠りについた。
龍乃心はアパートを出て、階段を降りて行った。
すると、一階の外にいた管理人が龍乃心に気付き、話しかけてきた。
「おー、さっきの坊ちゃん! 早速ここいらを散歩でもするのかい?」
「あー…はい、ちょっと気分転換に…」
「そうかい、気を付けて行くんだよ!」
龍乃心は軽く会釈をすると、そのまま道沿いに歩いて行った。
管理人の男は、その後ろ姿を見送っていた。
「はは、また随分と寡黙な坊ちゃんだな」
独り言を呟いて、管理人は自室に戻って行った。
龍乃心が道沿いを20分程歩いて行くと、ここいらの平穏な景色には決して似合わない、大豪邸が姿を現した。
(なんでこんな所にこんな大豪邸が建ってんだ…?)
龍乃心には、こんなへんぴな場所に大豪邸を建てられているのかが理解が出来なかった。
更にその先を行くと左右の木々が鬱蒼としてきて、やがて目の前は崖で行き止まりになっていた。
「ここで行き止まりか…」
崖の下を覗くと、幅7メートル程の川が流れており、よく見ると川辺に4人の子供がいた。
(何やってんだあいつら…?)
川辺で遊んでいた子供4人は、何をして遊ぶのかで揉めている様だった。
「だ・か・ら、今日こそはここで度胸試しをして、俺がどんだけ大人なのかって事を証明してやるんだよ!」
髪の毛が若干、爆発気味の短パン小僧が語気を強めて、よくわからない表明をしていた。
「いや、勝手にやれよ。俺達を巻き込むんじゃねーよ」
髪をかき上げながら、若干ナルシストっぽく見えなくもない少年が呆れ顔で反対していた。
「バカ、父ちゃんがこの間言ってたんだよ! ここの度胸試しを通過しなきゃ大人になれねーって! 達也も聞いてたろ!?」
「あー聞いてたよ。アレだろ? 先週の土曜日にお前んちで晩御飯食った時のやつだろ? 元治の父さん、ベロベロに酔っぱらってたろ? その勢いで適当に言ってたんじゃねーのかよ」
「ちげーって! 父ちゃんだってここの度胸だめしをしたら、じいちゃん達に大人と認めて貰えたって言ってたもん!」
どうやら元治という名前の短パン小僧が、泥酔状態の父親が放言したバカ話を鵜呑みにして、自分も大人の階段を早く登ろうと息巻いているようだった。
「知らねーよそんなもん。お前んとこの伝統を他所の家にまで押し付けんなよ。なぁ春樹?」
「僕、早く家に帰ってファミコンしたいです」
「もはや、お前はなんでここに来た?」
春樹と呼ばれる少年は、もはや元治少年が度胸試しをする事など、どうでもいいらしく、今は早く家でファミコンを起動する事以外に興味がないようだ。
「じゃー分かった、お前らはそこで俺が大人の階段上る所を見てろよ!」
「ちょっと勘弁してよ、あんたになんかあったら私達まで怒られるんだから」
「だーじょうぶだって! よし、行ってくらぁ!」
「はぁ…こうなったらもう絶対止まらないんだから…。どうなっても知んないからね!」
少女の言葉など聞こえぬ存ぜぬだと言わん限りに、元治少年は川の端で助走の準備を始めた。
彼の話によると、川の中にある飛び石を足場にしつつ、7メートルはある反対側の川岸に渡るというものだった。
「ったく、なんでこの川を渡り切る事が、大人になる事につながんだよ。全く意味がわからねーんだけど」
「元治のお父さんも大概頭おかしいからね。対して意味なんかないんでしょ」
達也と少女が、口々に元治親子をディスっていると元治少年は、思い切りのスタートダッシュを決めた。
「あ! あのバカ、ホントにやりおった!」
「おらあぁぁぁぁぁ!!」
元治少年は完璧なスタートダッシュでスピードを付け、見事なジャンプを決めた。
そして見事なまでに飛び石を踏み外し、川に頭から落ちてしまった。
「ほらーーーー、言わんこっちゃなーーい!! 一個目の飛び石で踏み外してるし!!」
「こんなはずじゃなかった! こんなはずじゃなかった!」
「バカ言ってる場合じゃないでしょ! ここ流れ早いから、とっとと引き上げないと流されちゃう!」
「それに…この先は確か、滝になってたハズです。滝に落ちる前にどうにかしなくては」
「元治!! この先にもいくつか飛び石があっから、なんとかそれを掴め!!」
「無理無理、流れが速すぎてそんなん無理!! 助けてー!!」
「お前、よくそんなんで度胸試しなんてしようと思ったな!!」
「やばい、もう目の前、滝だよ!! どうしよう、元治が流されちゃう!!」
「元治君…君の事は忘れません」
「春樹ぃぃぃ!! まだあいつ死んでねーから! 諦めんな!!」
4人それぞれがギャーギャー騒いでる間に、元治は滝のすぐそばまで流されしまった。
「あぁぁぁぁ、もう駄目だ―!!」
「元治ぃぃぃ!!!」
すると、岩陰から一人の少年が飛び出してきた。信じられない事にその少年は、岩壁に左腕一本で捕まっていた。
「よし、今だ…」
少年はポツリと独り言を呟いたかと思うと、思い切り両の足を壁に踏み込み、ものすごいスピードで滝を目掛けて突っ込んでいった。
そして丁度滝から落下中の元治少年の服の襟を掴み、そのまま滝つぼのそばにある木に着地した。
合計にして、ほんの数秒間の出来事であった。
滝の上で一部始終を見届けていた三人はひとまず安堵の表情を浮かべた。
「とりあえず、元治は助かったみたいだ…。しっかし、元治を助けたあいつ…ホントに人間か? なんかフツーに壁に掴まってたし…」
達也は常人離れした少年を、若干警戒していた。
「なんの躊躇いもなく、滝に突っ込んでったしね…。しかも無傷って…。でも助かってよかった」
少女も半ば呆れながらも、少年の雄姿を讃えていた。
元の川辺に戻った元治少年は泣きべそをかきながら、反省していた。
「ごめんよ、心配かけて!! 俺には度胸試しはまだ早かった!! もっと大きくなってから挑戦するよ!」
「いや、もうやめろよ! 次は助けてやんねーぞ!」
「ホントに人騒がせなんだから…」
「どれだけ人に心配を掛ければ気が済むんですか…」
「いや、春樹はいの一番に諦めてたよね!?」
元治少年は、助けてくれた少年の方を向き、頭を付いた。
「今回は助けてくれてホントにありがとう! あんたがいなかったら俺は死んでたかもしれない! 一生の恩人だ!」
「いや…俺は別に…。無事ならそれでいいよ」
少年は若干恥ずかしそうに感謝の言葉を受けとった。
「いやいや、ホントにあんたには感謝しきれないよ!! 名前はなんていうの?」
「…明空 龍乃心。明空でいいよ」
「みよく…へー、珍しい苗字だな。それに、ここらで見ない顔だけど…」
「今日、来たばっかりだから…」
「そっか! 助けてくれたお礼って訳じゃないけど、なんか困った事あったら言ってくれよ。あ、俺の名前は『由比浜 元治』! 宜しくな!」
「俺は『朝倉 達也。同じく宜しくな!』」
「私は『雲母 澄玲』! 宜しくねー、龍君♪」
「り、龍君…?」
「あー気にしなくていいから。こいつ、初対面の奴に必ずあだ名付けて呼ぶんだよ」
「だって、龍乃心って仰々しくない? 龍君の方が良いよね?」
「いや、別になんでも良いけど…」
「あ、最後は僕ですね。僕は『降魔 春樹』と言います」
全員自己紹介が終わると、坂道を上がり、龍乃心が歩いてきた道に戻って来た。
「じゃあまたな明空! また会えたら会おうぜ!」
「うん…。じゃあ」
そういうと龍乃心は自分のアパートを目指して戻って行った。
「お前は相変わらずバカだな。来週になったら絶対あいつと会うに決まってんじゃん」
「え? なんでそんな事わかんだよ?」
「まぁいいや。じゃあ俺達も帰ろうぜ。あ、家帰ったら母さん達に、元治が死にかけた話しよっかな~」
「やめてくれよ! 回りまわって、俺の母ちゃんにまで話が届くんだからさー」
「あんた、それは自業自得でしょーが。しっかり絞られた方が良いんじゃない~?」
「マジかよー? 勘弁してくれよ、二度と度胸試しなんかしないからさー!」
「元治君の言葉には根拠がないですからね。信用ならないんですよ」
「は、春樹ぃ、お前中々心えぐる言葉なげかけてくんじゃねーか…」
こんな様な雑談を交わしながら、彼らも家路に着くのであった。
一方、龍乃心は自分のアパートに帰っていた。
「ただいま」
「おかえり。どうだった、周りには何かあった?」
「どでかい屋敷があったのと…後、同年代位の奴らに会ったよ。4人位かな。また会おうってさ」
「へぇー、同年代って事は、来週から通う小学校でクラスメートになる子達かもね」
「そっか。まぁ悪いやつらじゃなさそうだったよ。バカそうではあったけど…」
「りゅ、龍乃心は初対面で毒舌だね…。じゃあそろそろ夕飯にしようか。テーブルの上を片付けてくれ」
「うん」
こうして明空親子の初日が終わりを迎えようとしている。
これから、龍乃心がどのように成長し、どのように人間関係を気付いていくのか。
何故、明空親子はロンドンから、こんな田舎町にやってきたのか。
それは物語を通じて、徐々に明かされていくだろう。
続く。