2 スタンプ塗れのボロボロノート
朝の食事を済ませた私、お腹も一杯になり眠くなり始める。これはただ満腹になったからであって、特別変な睡魔に襲われてる訳じゃない、こうしてのんびりと食事を取れた事の幸福感と、誰かが近くに居る安心感からやって来たもの。
ご飯は一人で食べるより誰かと食べた方が良い、とか何とか言っていた気がする。その言葉を産んだ人に金メダルをあげたい、まさにその通りだし今すごく幸せな気分。シオンさんもお茶を啜りながら私を見ている、視線が合う度にニコニコしてくれるし、何かと話を振ってくる……そういえば肝心な事を聞いていなかった、食事をする事に夢中になり過ぎて忘れてたけど。
「シオンさんは私の守り神……とか言ってましたよね?」
「あぁそうさ」
「どうして私の守り神何かに?」
そもそもピンと来ない、守り神って人の目の前でお茶を啜ったり、料理をしたりして助ける神様なのかな。私が記憶を失う前から、ずっと一緒だった訳になるよね? と言うかどこで出会ったんだろう、本当に何も思い出せないから聞くしか方法は無いけど。
「そうだねぇ、何処から話をしようか」
「はい!」
「ん?」
「出会いからお願いします!」
とりあえず私とシオンさんの生い立ちが気になる、人間同士が何かの縁で友達になるならまだ分かる、でもシオンさんは尻尾生やしてるし、自分で守り神とか言ってるし、嘘をついてる風にもやっぱり見えない。
「あんたもそろそろ勘づいてるかも知れないけど、この家に居て違和感を覚えない?」
「違和感……」
頭では理解してる様でしていない様な……ずっと暮らして来た感覚だけは身体が覚えている、でも何か足りない気がする。何だろう、この家は静か過ぎると言うか……私とシオンさんが会話をやめると、外の音が家の中に入って来るのが聞こえる程度。
つまり今この家派には私とシオンさんしか居ない、じゃあ私はどうやって産まれてきたの?
「やっぱりシオンさんはお母さん!?」
「そろそろ燃やされたい?」
「焼肉は嫌あああ!!」
シオンさんの手の平に火の玉が出現し、赤くなったり青くなったりして燃えていた。やはりお母さんでは無い、自分でも今更気がついたけれど、お父さんとお母さんがこの家に居ない。
仕事で居ないとかじゃない、私には最初から両親が居ない……気がする。私の表情で察したのか、シオンさんは『あんたは捨てられていた』と話してくれた。普通なら暗くなる場面かもしれないけど、何故だか私は『あ、居ないんだ、へー』と知らない言葉を教えられた様な反応をした。
「あんたが捨てられていたのは、この村から先にある異界の森さ」
「で、そこで餌を探していたシオンさんが私を見つけた?」
「どれだけ私を魔物にしたいんだハル」
呆れられた表情をされたけど、クスッと笑ってくれたのは何だか嬉しかった。シオンさんは大人のお姉さんっぽくて、話している時もずっとクールな感じだから、表情が崩れた時は純粋に可愛いとか思っちゃう。
私は異界の森で捨てられていて、シオンさんは私の鳴き声を聞いて拾ってくれたらしい、色々と話を端折られたから、出会い方がデンジャラスな感じで単純にすげぇ。
「じゃあ私を育てたのはシオンさんでは?」
「あぁそうさ、守り神の私は前世の記憶を元に、仕えていた主君を探していたからね。あんたは前世でも私と一緒だったのさ」
「ママああああッッッ!!」
ゴンッッ!!
テーブルを乗り越えて抱きつこうとした、でも脳天にチョップを喰らいそれを阻止された、目がチカチカするし痛い。
シオンさんは意地でも母にはならない見たい、あくまでもパートナーとして一緒に居るらしい。何となく気になっていた事は聞けたかな、あと何かあったかなぁ……今は思い付かないけど、記憶が無いままだとさすがに気持ち悪いし、何か始めてみるのもアリかも。
「記憶を失う前の私は、シオンさんと何をしていたの?」
「あんたは旅が好きだったからね、この大陸を制覇する為に色んな所に行っていたよ」
「へぇ私が旅を、実感ないなぁ」
「記憶が無いんだ、仕方ないさ。ちょっと待ってな、良い物を見せる」
そう言うと席を立ち部屋から出て行った。私が旅をしていただなんて想像つかない、今ある記憶だけだとこの家の外を知らないし、誰と友達だとか知り合いだとかも分からない。
もし友達が居るなら申し訳ないな……名前も顔も頭には一切思い付かないから、出会って話しかけられてもどんな反応をしたらいいか迷っちゃう。また一から始める友達作りとか、かなり大変だと思うなぁ……本当にどうしよう。
「待たせたね、これはあんたの物だ」
「うわ、めちゃくちゃボロボロだ」
色んなもので汚れてボロボロになったノート、タイトルには『狐と私の大陸制覇スタンプ』とか書かれていた。ノートを受け取ると、何だか懐かしい気持ちになった、私はこのノートを知ってるし使っていたんだ、記憶に無くても身体が覚えているみたい。
ページをめくると、とんでもない数の様々なスタンプが押されていた。スタンプが押された横には、地名やそこで出会った人の名前らしきものが記入されてたり、大変だった事が書かれていた。初めて見るはずなのに不思議と『また行きたい』『元気にしてるかな』とか頭に思い浮かぶ、ページの所々に肉球スタンプが押されてるけどこれは?
「この肉球スタンプは何です?」
「ハルは強引と言うか何と言うか、私と歩いた証拠として毎回押させられたのさ」
「シオンさんは変化でもするんですか?」
「私は狐だからね、この人型が変化状態さ」
つい口から『わぉ』とネイティブっぽく言ってしまった、尻尾と耳があるから何となくわかっていたけど、人間じゃないのは確かだね。
ノートは最後のページにやって来たけど、そこだけは空白で何も書かれていないしスタンプも無い。
「あれ、旅は終わっちゃったの?」
「そこはこの村で押す最後のページだったのさ、でもその直後にあんたは事故に合った」
「だから何も無いんですね」
本当ならここにスタンプが押されて、この大陸を制覇した証になる予定だったんだ。でもそれが叶わなくて真っ白なページのまま、この旅は終わりを告げられたんだね。
ノートを静かに閉じる、シオンさんの表情は特に変わった様子は無いけれど、私は彼女が悲しい気持ちになっていたのに気付いた。シオンさん自身が知らないのかどうかだけど、尻尾が思いっきり垂れ下がっていた、ずっと一緒に過ごして来た時間を私は忘れてしまった。
でもシオンさんは覚えている、私だけが忘れてしまったせいで一人ぼっちにさせちゃってるんだ。だからって訳じゃないし、可哀想だからとかじゃないけど、純粋に私はこのノートに書かれた国とか、そこで出会った人達に行ってみたいし会ってみたい。
もしかしたら記憶も戻るかもしれない、いやそれでも戻らないかもしれない。ずっとこの家で幸せな生活を送るのも悪くないけど、身体が『色んな所に行きたい』と疼いてる。
「シオンさん、私やりたい事があるんですけど」
「やりたい事?」
「シオンさん、旅行に行こうよ!」
この大陸がどのくらいの規模かだなんて知らない、この時の私が何年掛けて制覇したのかも知らない。それでも一度心に決めた事はやり遂げてみたい、記憶を失う前の私はシオンさんとどんな会話してたんだろう。
喧嘩とかしたのかな、直ぐに仲直りしたのかな。そんな些細な事がすごく気になってしまって、もうじっとして居られない。シオンさんだけが知っていて私が知らないだなんて、そんなのズルい、ズルいから私は絶対に、
「旅行に行く! 明日からもう行くからね!」
「あ、あんたね、何年掛かったと……」
「何年掛かってもいい! 行こうよ! 私が知らない異世界旅行に!」
シオンさんは『全く……あんたは記憶が無くなっても変わらないね……フフッ』と笑ってくれた。