18:『眼下の都は……』
上からアリコ(^&^)!その18
『眼下の都は……』
婆さんと目が合った刹那、有子は、それを投げ上げた。
それは、紙とは思えない勢いで空中を駆け上がり、百丈(三百メートル)ほどの高さにいたると、花火のように光を放って砕け散り、無数の光の破片となって地上に降り注いだ。
空に駆け上がる、ほんの一瞬の間に、千尋は、その紙に「千尋」と書かれていることに気づいた。テレビゲームで鍛えた動体視力が、それを捉えたのだ。老婆には、その字までは見えなかった。
光の破片は地上に達するまでに人のカタチになり、地上に舞い降りた時には、その一つ一つが千尋の姿になり、本物の千尋を隠してしまった。
「おのれ、式神を使ったな……」
老婆は無数の千尋に取り巻かれ、息が上がり始めた。老婆は千尋の気を捉えようとしていたので、無数の千尋から放たれる「千尋の気」を一身に受け止め、しだいに気力が持たなくなってきたのだ。
「おのれ……こんな式神、今少し力が残っていれば見分けがつくものを」
「さあ、早く千尋の精気を吸い取りなさいな」
老婆にはその有子の声も届かなかった。いったん千尋に向けられた集中力は、とぎらせることができなかった。無数の千尋たちはその輪を縮めていき、その気を増幅させ、老婆に照射し続けた。
そして、千尋たちの輪が、五丈(十五メートル)ほどになったとき、老婆は膝を落とし、三丈ほどになると倒れ伏して動かなくなった。
千尋たちの輪の中で、老婆は骨と皮になり、皮はホロホロと骨から剥がれ、むき出しの骨だけが残った。
「終わったわ……これで、小町が復活することは二度とない」
そう言うと、有子は扇で一あおぎした。そのささやかな風は、小町の残骨をばらばらにして鳥辺野の方角に吹き飛ばしてしまった。
すると、式神の千尋たちもしだいに姿を消して、千尋は一人もいなくなった。
「もう出てきてもいいわよ」
有子に、そう言われ、千尋は有子の唐絹の裾から顔を出した。
「ウワッ!」
千尋は、思わず顔を引っ込めた。千尋は有子といっしょに都の上空をゆったりと飛んでいたのだ。
「せっかくこの時代に来たんだから、少しの間付き合ってね」
「先生、いつのまに夜が明けたんですか」
「一瞬の出来事のようだけど、八時間ほどかかったの。もっとも三時間ほどは千尋が目覚めるのを待っていたんだけどね」
眼下の都は、千尋が修学旅行で行ったころとは様子が違ったが、地形や、川の流れ、そして、将棋盤の目のような街並みで、見当がついた。
「わたしはね、糺之宮にお仕えしていた女官だったの。糺之宮は鋭いお方だった。世の行く末を心配されて、陰陽師の安倍晴明さまにご相談になり、世の行く末を見届けるために、永遠の命を望まれた。で、清明さまは海の神さまから特別に分けてもらった人魚の肉をお持ちになり、酒蒸しにしてお勧めになったの……」
眼下に見えた御所の位置が東に移動したような気がした。しかし、千尋は有子の話に気をとられていた。
「しかし永遠の命を持つということは酷なこと。人がみな歳終え老いていっても自分はそのまま、知り人が、みな死に絶えても、自分はそのまま、永遠の命とは永遠の孤独を受け入れること。でも糺之宮は、この日の本の行く末を見守り、その安寧を祈り続けることこそが、皇族の使命と……」
東山に沿って飛んでいくと金閣寺が見えてきた。平安時代に金閣寺はあったっけ……と、一瞬千尋は思った。
「宮は、直前になってためらわれた。しかし、いったん海の神さまからいただいた人魚の肉、食べなければ、災いが及ぶ……」
「災いって……?」
銀閣寺が見え始めた。
「あらゆる天変地異。地震や嵐、そして世の乱れ……それで、わたしが、宮の代わりにいただくことにした」
「それで、アリコ先生……」
「そう、平安の上つ世からの……上からアリコ」
そのとき眼下の都は、一面の焼け野原。雲雀が一羽、名乗り出るように現れて消えていった。なぜか涙が止まらない千尋であった。
「しかしね、食べる肉の量は、男女や、体格でずいぶん違うの。食べ過ぎると命がない……で、清明さまは、わたしの体格に合った量にしてくださった」
「残りの肉は、どうしたんですか?」
「卒塔婆小町にあげておしまいになった」
「卒塔婆小町……」
「そう、小野小町。あの人は、無惨なことに百歳の寿命を持って、その時代に、まだ生きていた」
「それが……」
「そう、あの長崎智満子。その前は稲井豊子……智満子の姿は、小町が、その若さを保てなくなる寸前の線香花火の最後の一光」
二人は、急降下していった。
都は、昔のにぎわいを取り戻していた。御所の位置は、あいかわらず東に寄っていて、華やかな行列が見えた。色とりどりの甲冑に身を固め、馬もきれいに飾り立てた先頭に……織田信長?
「清明さまは、老いさらばえた小町の臨終に立ち会われ、この世の最後の思い出に、ほんの一時の花を添えてやろうとされた。そして、人魚の肉のひとかけらを口に含ませておやりになった。すると小町は、若い頃の輝くばかりの美しさをとりもどしたわ。その美しさは、清明さまに一瞬我を忘れさせるほどのもの。そして、死を覚悟した小町に欲が出た。このままの美しさで、永遠に生き続けていたい。小町は、清明さまの隙を狙って、残りの肉も口にした」
「じゃあ、小町も永遠の命を……」
「ええ、だけど、人魚の肉は鮮度を失っていた。使用期限の切れた薬のようなもの。永久の命を得たけれど、百年に一度、若い人間の精気を吸い取らなければ、その美貌を維持できない。そして千年の月日がたち、その頻度は、何十年。何年と縮まり、とうとう一度に何十人、何百人の精気を必要とするようになった」
「それで、街の人たちを……」
「そして……」
眼下の都は、いつのまにか二十一世紀の現代に戻っていた。
逢坂山のトンネルを新幹線が通り抜けたところまでは、千尋の意識ははっきりし、有子の話も聞こえていた。「来る者は拒まず、去る者はいない」の「いない」は「稲井豊子」の姿をした小町を誘うため、校舎の尖塔に付けられた「有」の字の御札と共に、小町への挑発であった……そこまでは、覚えていた。そのあと、小首をかしげ、有子は自分の話をしたようだが、記憶は急速にあいまいになり、気が付けば目覚まし時計が鳴っていた。
目覚まし時計の日付は、連休明け二日目の、五月八日を示していた……。
つづく




