第858話 温泉旅館
獣道を歩き続け、ようやく見つかった建造物。
こんな山奥に人工物が他にあるとも思えないし、何より塀の中の建物が温泉旅館っぽいのでココが目的地に間違いなさそうだが……。
「閉まってるな」
「そうっスね」
塀は建物をぐるっと囲っているが、もちろん人が出入りするための門は存在している。
問題はその門が固く閉ざされたままな事だ。
まぁ普段は人が居ないわけだし、開けっ放しでは獣や魔物に荒らされるだろうから、当然と言えば当然の処置なんだろうけど。
ちなみにゴブリンエイプ対策なのか、塀の周りもそこそこ切り開かれていた。
まぁ塀があっても、それ以上に高い樹がすぐ近くまで生えていたら、その樹を伝って侵入されるからな。
これもまた必要な仕事だったのだろう。
開墾した総面積を考えると、ウンザリするけどな。
開墾に費やした労力や、中の宿を建てるための資材の運搬を考えると、こんな場所に何で造ったのか問い詰めたくなるレベルだ。
少なくとも「お前一人で同じことをしろ」なんて言われたら、三日で投げ出せるね。
リョーマ氏の温泉に掛ける情熱が、垣間見えた気がする。
そんな先達の情熱に感謝しつつ、門を開ける。
この門は魔法で施錠されているらしく、解錠のための方法も炙り出しに記載されていた。
まぁ方法と言っても、日本語で「開けゴマ」と叫ぶだけだが。
同じ元日本人にしか通用しない合言葉だな。
もちろん解錠したところで自動で門が自動で開くはずもなく、無駄に重い門を全員でどうにか開く。
人一人分の隙間が開けば問題ないことに気付いたのは、観音開きの扉を両方とも全開にしたところだった。
全員が開けることに夢中になった結果である。
せめて片方を開けたところで気付けよ……と我に返ったあとにセルフツッコミを入れたが、後の祭りだった。
つーか、馬車も通らないような山奥に、両開きの門が必要なのか?
人間が通るための通用口だけあれば十分だったのでは?
今日来たばかりの俺でも気付いたぐらいだから、きっとリョーマ氏も作った後にセルフツッコミ入れていそうだ。
どうにか門を通過し、建物へと近づく。
門と建物の間には、ちゃんと飛石で道が作られていた。
さすが、分かっていらっしゃる。
ピョンピョンピョンと飛石を踏みつつ改めて建物を眺めてみると、つくづく老舗の温泉旅館っぽい。
たしか書院造とかいうんだったか? 平屋だが屋根は高く、ともすれば古いお寺のような佇まいだ。
あ、よく見たら瓦じゃなくて木の皮で屋根を葺いているんだな。
さすがにこんな山奥まで瓦を調達するのは困難だったようだ。
塀に据えられていた門には魔法的な施錠がなされていたが、建物そのものにはカギはかかっていなかった。
いや、一応かかってはいたけど、引き戸につっかえ棒をした程度で、ちゃんと施錠してあったとは言いたくない。
「おじゃましまーす」
誰もいないのは分かっているが、他人の家へお邪魔するのだ。
礼儀として一声かけてから建物に入っていく。
先ずは玄関……上がり框というんだったか? とにかくココで靴を脱ぐ。
人が住んでいないからか埃が積もっているが、さすがに土足はマズかろう。
シャーロット達も飛空艇のリビングルームで慣れているのか、同じように靴を脱いでくれた。
「シャーロット、頼む」
「仕方あるまい」
土足はマズいが埃まみれになるもの勘弁なので、ここは魔法に頼ることにする。
シャーロット様の『超洗浄』にかかれば、多少積もった程度の埃など一瞬だしな。
そのままズンズン奥へと進んでいく。
廊下、居間、台所、トイレ、縁側。
彼女の魔法によって、数年来は積もったであろう埃が次々と綺麗になっていく。
これらを人力で掃除するとなれば一日がかりだっただろう。
まさしくファンタジー様様である。
もちろん俺達だって、ただ遊んでいたワケでは無い。
シャーロットの魔法で埃などは綺麗にされているが、淀んでいた空気までは綺麗なるほど万能ではない。
締め切ったままだった雨戸を全開にして、空気の入れ替えをしていく。
「お? コレって、ひょっとして枯山水っスかね?」
「うーん……一応枯山水っぽくは見えるけど、なんか違うような」
縁側から覗く庭には白い石が敷き詰められており、こう……波々感も出されてはいる。
だけど、これが枯山水です……と言われると、?マークが頭に浮かんでしまう。
造園とかには詳しくないので、どこがどう違うのかを具体的に指摘することは出来ないが、それでも何か違うのは分かる。
たぶん、この庭を作ったリョーマ氏も「日本家屋には庭園だよな」なんて素人考えで枯山水を作ろうとしたのだろう。
ところが彼も造園に関する知識なんてかじった程度だったため、こんな風な「なんちゃって枯山水」になったんじゃないかな。
あくまで俺の推測だけど、そんなに間違っていないと思う。
だって、俺が枯山水作ろうとしたら、たぶんこんな感じになるだろうから。
「ま、これはこれで、庭として見られるからいいんじゃないかな」
「……それもそうっスね」
シュリも十数年程度でこっちに来たため、本物の枯山水は知らないようだ。
であれば、わざわざ藪をつついて蛇を出す必要もあるまい。
「それより温泉だよ、温泉。そのために、こんな山奥まで来たんだからな」
「それもそうっスね!」
温泉旅館と言いはしたが、所詮は個人が自分で楽しむために建てた宿だ。
それほど部屋数がある訳でもなく、やがて俺達は最奥にある部屋へとたどり着く。
そこにはご丁寧に「ゆ」と描かれた暖簾がかかっており、ココこそが目的地だと全員が確信している。
あぁ、そういやウチの脱衣所にも、こんな暖簾が欲しかったんだよな。
こっそりもらってったら、さすがにマズいよな。
あ、スキャナーでコピーできないかな?
「どうした? 入らないのか?」
「あ? あぁ、そうだな。入るとするか」
暖簾を見て、そんなことを考えていたら、シャーロットからせっつかれたぜ。
彼女も温泉を楽しみにしていたようだ。
さっそく暖簾を潜ると脱衣所を通り、浴室へと入っていく。
「おー……お? ……やっぱ温泉と言えば露天風呂だよな。しかも岩風呂。これはイイね」
「ショータさん! 今、絶対に気付いたっスよね?! で、わざと見なかったフリをしたっスよね?!」
「やっぱ見間違いじゃなかったか……」
出来れば何かの見間違いか幻であって欲しかった。
だが何度見ても露天風呂の中央に浮かぶソレは消えることは無く、ずっとうつ伏せのままプカプカしている。
「湯けむり連続殺人事件っスね!」
いや、浮いてるの一人だけだから、連続ではないと思うぞ?




