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第723話 馬歩

 結論から言えば、結局俺は体の中の筋肉というのを意識することが出来なかった。

 それはすなわち馬歩の構えのまま、一アカリ(五分)を維持できなかった事であり、つまりは一番湯権を獲得できなかった事に他ならない。


 無念である。

 実に無念である。

 これほど無念なのは久しぶりな気がするほどだ。

 どれ位久しぶりかといえば、渦巻玉を覚えられなかった時以来か。

 割と最近だったな。


 何度やっても五分も持たずに倒れ込んでしまう。

 倒れる度に鬼教官の回復魔法が掛けられ、肉体的には何度でも挑戦できる。

 だが、体は良くても心の方は持たない。


 繰り返される失敗に、心の方が折れてしまう。

 いくら一番湯権という目の前にぶら下げられた人参が有ろうとも、俺は馬とは違う。

 自分の限界を知る事が出来る生き物なのだ。


「と、いう事で諦めます」

「そうか……では訓練はここまでとしよう」

「そもそも、移動中なんだから訓練は必要無いって噂もあるけどな」

「噂に踊らされると、碌な目に遭わないぞ」

「その通りだな」


 たった今、実体験したばかりだよ。


「それで、あとどれぐらいで到着する予定なのだ?」

「うーん……到着予定時刻は11時42分となってるな」

「11時?」

「ん? あぁ、そうだったな。えーっと、昼前ぐらいには着く予定になってる」


 この世界は、未だに時刻が曖昧なままだ。

 太陽の位置でおおよその時間を把握しているだけだし、それだって朝昼晩で分ける程度。

 時計といえば、エジンソンの爺さんが持っていた懐中時計ぐらいだろうか。

 そんな人相手に「11時42分」と言っても通じないだけなので、俺は慌てて訂正しなおす。


「ほう。朝方に出たというのに、昼位には着くとは、やはり速いな」

「まぁな。移動速度に関しては中々のモノだと自負しているよ」


 船の移動に当たり、最大船速は出しているがブースターまでは使っていない。

 スィーツ大集合祭りの期限は間近に迫って来ているが、それでもまだ開催期間には余裕があるからな。

 人命が掛かっていないのであれば、ワザワザ使う必要もあるまい。


 ちなみにだが、現在の飛行は当然のように自動操縦任せである。

 ブースター状態でも安定した操縦が確認できた以上、任せない理由が無い。

 まぁそのせいで馬歩の訓練なんて疲れる事をやらされる羽目になったわけだが。


「さて、では私は一休みするとしよう」

「一休み……って、また風呂か」


 シャーロットは巾着袋から入浴セット(アヒルのオモチャ付き)を取り出すと、いそいそと展望デッキを出て行くのを、デッキの床に寝ころんだまま見送る。


「たしか朝練終わった後も入ってたよな。アイツ、一日何回入れば気が済むんだ?」


 風呂好きで知られる某源家のお嬢さんであっても、これほど頻繁には入らなかったよな。

 さすがはスーパー風呂人(ふろんちゅ)3である。

 そのうちクラゲかキュウリに進化することだろう。


「じゃあボク達も昼食の仕度に行きますね」


 ようやく気力が回復したのか、今までへばっていた筈のアレク君とベルの二人が展望デッキを後にした。

 疲れる訓練が終わったばかりなんだから、もう少しゆっくりしていけばいいのにね。

 ジッとしていられない辺りが若さというモノなのだろうか。

 肉体的には若返っても、中身は変わっていない俺はもう少しぐったりしていることにしよう。


「で、お前達二人はいつまでやってるつもりだ?」

「なんか、やめるタイミングを逃したっス」

「そうなのよね。こんな姿勢なのに、思ったよりも楽に出来たわ」


 驚くべきことに、シュリとクレアの二人は、割と簡単に馬歩で一アカリをクリアしてみせた。

 クレアは、まぁなんとなく、そんな予感はしていた。

 シャーロット曰く「本質をつかむのが上手い」らしいからな。


 意外だったのがシュリだ。

 初めに数カ所指摘されはしたが、それ以降は構え方が分かったのか、一度も指摘されることは無かった。


「まぁ、昔取った杵柄ってヤツっス。思ってたよりも体は覚えていたみたいっス」

「昔って、勇者時代の?」

「小学校の時っス。どっかの誰かさんが偉そうに教えてくれたっス」


 どっかの誰かさんの時、俺の方をジーっと見てたし。


「どっかの誰かさん……まさか俺?」

「そうっス。アレは忘れもしない小4の夏……あれ? 秋だったかな? まぁその頃っス」


 ……全く覚えていないな。

19/01/20 以外 → 意外

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