第657話 不動の心
褐色スライムさんに慰めてもらおう大作戦は、他でもない俺自身によって実行前に終了となった。
恐ろしい事に、シャーロット的にはウェルカムだったらしく、「なんなら吸うか?」とまで言い放つほどだった。
フフン顔だったので、俺にそんな度胸はあるまいとのハッタリだろうが、事実その通りなので何も言えない。
だって考えてもみてくれ。
何度も混浴を重ねる事で、褐色スライムさんが湯船に浮いている程度では動じなくはなった。
混浴中の俺のステータスには、『不動の心(メッキ)』とでも表示されているような気がするほどだ。
だがそれ以上の刺激、例えばクイーンスライム様の遊泳シーンとかを見て動じなくなる程ではない。
そこまでは枯れていないし、枯れたくもない。
だからこそ、『不動の心』には(メッキ)がついているのだから。
メッキは所詮メッキ。
薄ければいつかは剥がれてしまうものだ。
特に俺の『不動の心』なんて、カンナクズより薄そうだしな。
そんな儚くも脆い『不動の心』では、褐色スライムさんの授乳プレイになんて耐えきれるはずがない。
そして、耐えきれなかった俺がどんな行動に移るかなんて、簡単に想像がつく。
引き起こされる結果もな。
シャーロットに返り討ちにされるか、船から叩き出されるか。
いずれにしても碌なことにならないし、その後の関係だってギクシャクする未来しか思い浮かばない。
そんな結論に至ったからこその断念なのだ。
いつの日か、メッキではなく本物の『不動の心』を手に入れた暁には……と心に誓い、風呂場を後にした。
「よう、遅かったな。先にやってるぜ」
はて? たしかモッさんは俺が部屋に持っていったエールを飲んでいたはず。
なのに、なんで食堂で一杯やってるんだ?
それにこの人たちは一体?
「なんで? って、そりゃあタダ酒が飲めるなら、当然乗っかるだろ?」
「タダ酒?」
「ガロンのヤツがな。出産祝いだっつって、ご近所の連中に大盤振る舞いしたみたいだぜ」
「へぇー」
それでご近所中の人が押しかけて来た、と。
今朝、セーレさんの所を発つ時、文無しになったのに豪気なもんだね。
「あら、ショータちゃん。あなたも嗅ぎつけたの?」
「だからちゃん付けはやめてくださいって」
ほら、モッさんが「いいネタ見つけたぜ!」みたいな顔してるでしょうが。
とりあえずモッさんには、パインさんが持ってるジョッキを渡しておく。
このままベロベロに酔っ払って記憶を無くして貰おう。
もしくは後頭部に一撃でも可。むしろ推奨。
「モトルナもタダ酒だと思って、飲み過ぎないようにね」
「でーじょーぶだって。俺がこの程度でどうにかなるワケ無いだろ」
「その台詞は、酒での失敗が無くなってから言うのね」
「ちげねぇ」
そういう割には飲むペースが落ちないモッさん。
いいぞいいぞ。その調子で飲みまくって記憶を失うがいい。
「それでショータちゃ……くんはどうするの? 一杯やる?」
「いや、どっちかっていうと食う方がいいんだけど」
「なら向こうのテーブルね。こっちは飲む人用」
見ればテーブルにはジョッキばかりで、料理らしい料理は串焼き程度。
いや、串焼きがあれば良い方で、酷い所には塩しか置いていない。
さすがの酒飲みでも、塩がツマミの代わりにはならないだろうに。
「なんだ? ショータは酒の味を知らないのか。あの塩がツマミの中じゃ一番人気なんだぜ?」
「は? なんで塩が?」
「なんでって……そりゃぁ酒に合うからに決まってんだろ」
「…………そうなんだ」
「ま、それもガロン秘蔵の塩だからってのもあるけどな。ワルターんとこの塩じゃ、こんな事にはならねぇだろうな」
ワルターって誰だっけ?
話の流れからすると、塩を扱ってる人の事かな?
「アタシには違いが分からないわね」
「オメェはただ飲んでるだけで、味わっちゃいねぇからな」
「酒なんて酔えればそれでいいでしょうに」
「だからオメェはガサツだって言われんだ。全く……クォートも苦労するな」
「モトルナには関係ないでしょ」
じゃれ合うような言い争いをよそに、俺はテーブルからフェードアウトする。
この話の流れは、確実にとばっちりが来ることが予想できたからな。
しかも酒飲み同士の諍いとなれば、大抵酒飲みでの決着だ。
そんなものに巻き込まれたくはない。
「っと、アレク君もお手伝いか」
「はい。ボク達、出産祝いとか用意できなかったので、その代わりにお手伝いしてるんです」
「……そうか」
なんという素晴らしい性格の持ち主なのだろうか。
そこのタダ酒飲んでるモッさんに、アレク君の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
まぁモッさんがアレク君みたいになったら気持ち悪いだけだけど。
「ショータさんはお食事ですか?」
「あぁ」
「すぐに出せるのは皆さんと同じ料理になりますけど、部屋にお持ちしましょうか?」
「いや、ここで勝手に食べるから、気にしないでくれ。忙しいのに手を止めて悪かったな」
「いえ。じゃあこれを……」
アレク君が渡してくれたのは、こんがりローストされたモモ肉だった。
いい感じの焼き色がついていて、実に食欲をそそる。
皮付きじゃないのは残念だが、ご近所に振る舞われている料理なら仕方ないか。
俺はモモ肉を片手に、適当に空いてる席に座る。
両隣は見知らぬオッサンだが、気にはしない。
こういった喧騒の中、一人飲むのも一興ってやつだ。




