第618話 小豆と餡子
アレク君が見つけた麦と豆のスープの屋台。
そこで使われていた豆、それは小豆だった。
まぁ正確には小豆に似た豆なんだろうけど、『小豆』で通じる以上、小豆なんだろう。
贅沢を言えば小豆ではなく大豆が欲しかったところだ。
大豆があれば、豆腐や味噌、そして醤油が作れるようになる。
加工しなくても枝豆やモヤシとしても食べられる。
日本人にとって、無くてはならない植物といえよう。
だが小豆だって日本人にとっては重要な植物である。
なにせ和菓子の基本は餡子と言っても過言では無かろう。
小豆といえば餡子。餡子といえば小豆。
白餡やウグイス餡、イモ餡もあるけど、やっぱり餡子といえば小豆だと思う。
餡子があれば、ドラ焼き、タイ焼き、今川焼などが作れるようになる。
アンマンや饅頭にだって餡子は必要だ。
お萩に牡丹餅、大福に羊羹。
餡子を使ったお菓子は山ほどあり、それだけ日本人の心を鷲掴みにしてきたのだ。
そんな甘味を、このアルカナでも食することが出来る。
これに心を揺さぶられない日本人など居る筈がない!
……作れればの話だけどな!
だいたい餡子って、どうやって作ればいいんだ?
単純に砂糖で煮るだけ? でも漉し餡は? 煮たのを漉せばいいのか?
なんとなくは想像がつくけど、正解は知らない。
食のバイブル美味〇んぼに載っていたような気もするが、そこまで細かくは覚えていない。
つまり……餡子は作れない!!
「どうした? いつも以上に変な顔になってるぞ?」
十人前分のスープを受け取り、本来の目的地へ向かう途中。
シャーロットが突然、失礼な事を言い出した。
確かに餡子の作り方を思い出そうと百面相をしてはいたが、いつも以上は余計じゃないかな?
まぁ大人な俺は、そんな事で目くじら立てたりしないけど。
「いや、あの豆……小豆だけど、コレの美味しい食べ方があるのを知ってるのに、作り方が分からないんだ」
「ふむ……小豆にも美味い食べ方があるのか」
「餡子って言ってな。俺のいた国じゃ、お菓子の基本ともいえる存在だった」
「……ほう?」
「ただ、さっきも言ったように、作り方が分からなくてな。ちょっと絶望していたんだ」
「……良く分からんな。作り方が分からない程度で、なにゆえ絶望などする必要があるのだ?」
「いや、だって、なまじっか材料が手に入る事がわかってしまったんだぜ? なのに食べられないって、絶望しかないだろ?」
俺は別に餡子が大好きだって訳ではない。
無いなら無いで諦めがつく食べ物だしな。
もし米と醤油と餡子が並べられて、「どれか一つが一生食えなくなるなら、どれを選ぶ?」って聞かれたら、間違いなく餡子を選ぶだろう。
だけど現実にはそんな選択肢は存在していない。
そして餡子そのものは無いが、原料なら手に入ることが分かった。
なのに、加工の仕方が分からないのでは、小豆をそのまま齧るぐらいだろう。
「なおさら分からん。いつものお前ならガロン殿に丸投げしていると思うのだが、それが出来ない程難しい工程なのか?」
「いや、そうでもなかったと思う。俺が覚えている限り、単純に豆を砂糖で煮るだけだったはずだし」
「それとも、ガロン殿に遠慮でもしているのか? 私の見たところ、お前の頼みを嫌がっているようには見えなかったぞ?」
仮にガロン殿が手一杯でも、お前にはアレクが居るだろうが。
ヤツは仮にもお前の奴隷なのだから、この程度の頼みであれば快くやってくれると思うぞ?
そう、シャーロットは付け加える。
……そりゃそうだ。
トンカツにしろ油淋鶏にしろ、俺のフワッとした説明だけでガロンさんは望み通りの品を作り上げてくれているのだ。
ならば餡子だろうとドラ焼きだろうと、ガロえもんならきっと何とかしてくれるはずだ。
もっとも、今は双子の子育てに集中したいだろうから、頼むのは少々憚れるけどな。
それならそれで、俺にはアレク君という強い味方がいる。
ガロンさんの弟子にして飛空艇厨房の主。
彼なら間違いなく餡子を作り上げてくれるはず。
『出来ないコトは出来るヒトに』
今の俺は、フィルム式カメラを手に入れ、調子に乗ってパシャパシャ取りまくったのはいいが、写真への現像の仕方が分からなかった中学の時の俺と同じだ。
学校の理科準備室に何故かあった現像室で、この手の事に詳しい同級生に教わりながら現像していた時の俺だ。
その同級生に「まぁこんな手間かけなくても、写真屋さんに持っていけば現像してくれるけどな」といわれた時の俺だ。
あの一言が、俺の中に眠っていたマルナゲンの心を目覚めさせたんだっけ。
餡子に目がくらんでいたせいか、マルナゲンの本分を忘れる所だったぜ。




