第543話 シユ
「騙された、とは心外っスよー」
シュリは口をとがらせながら、ハマルにすり潰した葉っぱを与えている。
あの葉っぱは元々ハマルのエサとして作っていたモノだった、とシュリは言う。
となれば当然、与えるべきはハマルとなるワケだ。
改めて思い出すほどでもないが、シュリは『口移し』としか言っていない。
『誰が』とも言ってないし、『どちらから』とも言っていない。
そして……『誰と』とも言っていなかった。
俺としては、『シュリ』が『俺』に。
シュリとしては、『俺』が『ハマル』に。
どう考えてもシュリの方はワザとだと思うけどな。
まぁ何が言いたいのかといえば、伝え方って大事だよな。
よく5W1Hが大事だと言われるが、まさにその通りである。
when、where、who、what、why、how。
なにかのビジネス書を読み、にわか知識の付け焼刃を女性社員に披露していた先輩が、「ビジネスシーンでは、更にhow muchとwhomが加わるんだぜ」とか言ってた事を不意に思い出す。
あの先輩、結局「起業して億万長者になる!」とか言い出して、部長に『辞表』を出してたっけ。
ウチは普通の企業だったし先輩は一般社員だったので、正しくは『退職願』が正しいんだって、あとで部長がこぼしてたな。
辞表は公務員か役員が書くものだって言ってたっけ。
その部長は部長で、ちゃんと辞表を提出して辞めてった。
なんか考えが見当違いの方向に向かって来たな。
毎度の事ではあるが、そろそろ修正しよう。
そう思い直し、装備の手入れを再開させる。
いつもの手順で地竜の皮鎧に油を塗り込んでいく。
今朝は狼共との戦闘もあったのだが、相変わらず傷一つない綺麗な鎧である。
鎧の防御力が高すぎるのか、あるいは俺が戦闘しなさすぎるのか。
前者だと思うことにしよう。
同様に皮の盾にも油を塗り込む。
この盾の皮も、鎧と同じ地竜の皮を使ってるらしいからな。
こうして手入れをしておかないと、すぐに黄ばんでしまうそうだ。
驚きの白さを保つためにも、日々の努力が肝要である。
それがなくとも、この鎧と盾にはお世話になっているのだ。
今日の狼戦だって、これらが無ければ大怪我だって有り得たのだ。
鎧のお陰で傷らしい傷は無かったが、盾の使い方は大いに反省すべき点があった。
その反省を踏まえ、今日は201号室で寝るとするかね。
まぁそれも手入れを終えてからだ。
感謝の気持ちを込め、丁寧に手入れを済ませる。
ハマルへのエサやりを終えたシュリは、黙って作業を見ていたが、俺が作業を終えたのを見て、おもむろに口を開いた。
「そういえばショータさんは、どうしてシャーロットさんの事、『シャロ』って呼ばないっスか?」
わざわざこうして終わるのを待っていたのだから、何かしら聞きたいことがあるのだと予想はしていたが、よりにもよってそれか。
「別に呼び方ぐらい、どうだっていいだろ」
「良くないっスよ。だってあたしがあの時、変に揶揄ったせいで呼び合わなくなったっスよね? あたしって、そういうの凄く気にするタイプなんスよ」
「愛称で呼ぶのは二人だけの時って決めてるからな。お前がいない所ではちゃんと呼んでるから大丈夫だ」
「そうなんすか? でもやっぱり気になるんスよね。今度あたしの前でも呼び合ってくださいっス」
「よし、断る!」
「えー、いいじゃないっスか。減るもんじゃないっスよね?」
「減るんだよ。俺のメンタル的なものが」
「そんなもん、ゴミ箱にポイッスよ」
それを捨てるなんてとんでもない!
「ショータさんが愛称で呼んでくれないと、あたしの番が来ないっスよー」
「シュリの番?」
「そうっス。同じパーティーになったっスからね。ぜひともあたしも愛称で呼んで欲しいっス」
「ちなみに愛称の候補は?」
「そうっスねー……ショータさんがショウで、シャーロットさんがシャロだから、あたしの場合だと……シュリ?」
「今と変わらんな」
「っスね。別のにするっス」
その後もシュリは色々と案を挙げていく。
本名である『朱里』に『アオイ』。
その派生である『アカリちゃん』や『アオイちゃん』。
あとはずっと眠っていたから『スリーピングビューティー』。
いや美女はないだろってことで『スリーピングブレイブ』、略して『スピ部』。
「流石にスピ部はイヤっス」
「だよな。言ってて俺も無いと思った」
「どれもこれもイマイチっスね」
「そう思うならシュリのままでいいじゃん」
「なんかそれでもいいかと思えてきたっス」
「あとはそうだな……『しゆり』だから『シユ』ってのはどうだ?」
俺は元々『翔太』だったのに、この世界に来たとき、『ショータ』になってしまった。
同じように、彼女も『朱里』だったのにシュリと変えられてしまったのだ。
自身の本来の名前を忘れないため、俺は『ショウ』と呼ばれることを望んだ。
彼女も又、本来の名前を覚えておきたいのではなかろうか。
そう思い提案してみたのだが、シュリの反応はいかに?
「『シユ』……『シユ』っスか……なんかどっかのボカロっぽいっ名前っスね」
「気に入らないなら別のにするけど――」
「いや、シユでいいっス。いや、シユがいいっス」
「まぁ呼ぶとしても二人だけの時ぐらいだけどな」
「えー、三人の時でも呼び合いたいっス」
「それはもうちょっと俺のメンタルが強くなってからだな」
「なんか一生呼び合えない気がするっス」
そんな事は無いと思うぞ。




