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第520話 桜

「これは……見事なものだな……」

「あぁ……まさかこんな所で満開の桜を拝めるとは思ってもみなかったな……」

「さくら……そうか、この花はさくらというのか……」


 エルダートレントのキルシュが咲かせた満開の桜に魅入る俺達。

 異世界アルカナにも桜はあったらしい。

 モッさんさえいなければ、ビール片手に花見と洒落込みたいところである。


 ただ満開の桜を見て、不思議そうに首を傾げているのがシュリだ。

 まぁ突然、自身の名前を聞かれ、それに答えた途端、奇妙な雄たけびを上げ、さらに桜まで咲いたのである。

 あまりにも突飛な事すぎて、首の一つでも傾げたくなるのだろう。


「桜……桜……キルシュって、まさかあの時の桜の木っスか?」


 違った。

 どうやら彼女は昔、キルシュと出会っていたらしい。


『おぉ……覚えていて下さったか……左様です……あの時、シュリ様にお世話になったキルシュバオムです……』

「懐かしいっスねー」

「なぁ、嬢ちゃん……アンタ、いつの間にコイツと会ってたんだ?」

「んー、一年ぐらい前っスかね……」

「そ、そうか……」


 モッさんは「一年程度の付き合いなのに名前を覚えて貰えたのか……俺なんて五年以上の付き合いなのに……」とかぼやいている。

 なお一年ぐらい前とは彼女の主観であり、実際は五百年以上前に出会ってたことになる。

 それほど昔に出会ったきりなのに覚えているって事は、よっぽど何かやらかしたのだろうか?


「やらかした、って失礼っスね……ちょっと栄養剤の被験体にしただけっスよ」

「栄養剤?」

「そうっス。例の海戦前にこの辺に立ち寄った時、一本だけ桜があるって聞いたんスよ」


 例の海戦とは、彼女が封印されることになり、シャーロットが魔王となった五百年前の戦争の事だ。

 シャーロットが魔の山を造ったせいですっかり地形が変わってしまったが、当時はこの辺にシュリ達が出発した港があったそうだ。


 その町のシンボルになっていたのが一本だけ生えた桜の樹らしい。

 ただ残念な事に、彼女が来た時は既に桜は散り葉桜になっていたそうだ。

 それでもシュリは故郷である日本を思い出し、「今度は満開の桜が見れるといいっスねー」と、そう呟いたそうだ。


 それで終わればよかったのだが、そのついでにと彼女が持つチートスキル「薬学大全」にあった、栄養剤のレシピ、それも最上級の物を試してみたらしい。

 何を思ってそれを選んだのか問い詰めてみたいが、聞いたところで「桜っスよ? そりゃあ一番いい奴を選ぶに決まってるっス」と言われるだけだった。

 まぁ俺も同じ立場であったなら、桜の保存のために最大限の努力をするだろう。

 なのでその辺はどうでもいい。


 その結果、山が出来た事で発生した大津波にも耐え抜いたのだからな。

 ド根性松ならぬド根性桜ってヤツだ。


 しかも栄養剤の効果はそれだけじゃなかった。

 当時、その桜の樹はごく普通の桜であり、トレント化してはいなかった。

 美しく咲き誇る桜といえど、トレントと化していればすぐにでも切り倒されていた筈。

 なのに切り倒されるどころか町のシンボルにまでなっていたのは、当時は普通の桜だったからだろう。


 通常であればただの桜として花を咲かせ、やがて枯れていく。

 そんな運命だったはずなのに、どっかのバカが妙な栄養剤を与えてしまった。

 最上級の栄養剤は大津波に耐えるほどの生命力を桜に与えた。

 というより、栄養があり過ぎてトレント化さらにはエルダートレントにまで生長させてしまうほどだった。


「いやー、世界樹用の栄養剤がこんなに効くとは思わなかったっス」


 そう栄養剤を与えた犯人は締めくくった。





「いやー、見事な枝ぶりっスねー」

『あり……がたき……しあわ……せ……』


 ヒラヒラと舞い散る桜の花びら。

 満開の桜もいいが、やはり桜は散り際が一番美しい。

 パッと咲いてパッと散る。

 その潔さが日本人の心を捉えて離さないのだ。


『やくそく……はたせ……ました……』

「そうっスねー。もう一度満開の桜が見れるとは思わなかったっス」


 そうか……キルシュは彼女が呟いた言葉を、五百年もの間忘れなかったのか。

 だからこそ、シュリの名前を聞き、彼女のためにその花を咲かせたのだろう。


「なぁ……俺はトレントの生態に詳しくないんだが、あの状態ってヤバいんじゃないのか?」

「ヤバいなんてもんじゃない。キルシュの生命力は尽きようとしている」

「マジか……」


 嫌な予感はした。

 キルシュはシュリの為に青々と生い茂っていた葉を全て落とし、自身の季節を巡らせ満開の桜を咲かせた。

 そんな自然現象を捻じ曲げるようなことをすれば、必ずどこかに綻びが出来るのではないか。

 その綻びがヒラヒラと舞い落ちる花びらであり、その盛りを失いつつある様子は、まるでその命すら散らしてしまうかのようなのだ。


「綺麗っスねー」

『うれ……しい……』


 少しづつ、だが確実にキルシュの言葉が少なくなっていく。

 それでもシュリは散りゆく桜を見続ける。


 五百年ごしの約束。

 その思いに応えるべく、この一瞬一瞬を見逃さず、忘れず、その記憶と心に刻み込むかのように。


「いやー、堪能したっス」

『あり……がと……』

「それはこっちの台詞っスよー」

『はい……』

「あたしは絶対、この光景を忘れないっス」

『はい……』

「だから……安心して……眠るっス」

『は……い……』


 涙声になりながらも、それでもシュリはキルシュに語り続ける。


 ザァーっと、一陣の風が吹く。

 舞い散る花びらがまさしく桜吹雪となって俺達を包み込む。

 それはあたかも最後の挨拶のよう。


「って、黙って見送ってられるか!! シャーロット! なにか……なにか手は無いのか!?」

「ふむ……一つだけだが……あるぞ?」


 あんのかい!!

 だったらボーっとしてないで、さっさと教えろよ!!

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