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勇者ローシェンの物語

勇者ローシェンの物語1 汝は勇者なり

作者: あさま勲

初めてやったRPGのドラクエ3。

勇者の息子でお前も勇者だと言われ、開始早々途方に暮れた思い出。

その当時の自分の気持ちを思いだして書いた小説です。

以前、ふたばちゃんねるでUPしたので、転載された内容がどこかに残ってるかもしれません。

 それは唐突だった。

 突然、空から声が降りてきた。

『汝は勇者なり』

 狭い人参畑その真ん中で、ローシェンは空を仰いで呆然と立ち尽くす。

 ローシェンは山村に住む若い農夫だった。茶色の髪に青い瞳、背は高いが細身の体。まだ少年の面影を残した容姿。

 最近、甘い人参は作れないかと人参の栽培をはじめていた。その人参たちの様子を見に毎朝の日課として人参畑に足を踏み入れたところ、空から、この声が降りてきたのだった。

 空を仰ぐローシェン。見えるのは青い空と白い雲。周囲を見回す。少し離れた畑で水撒きをしている隣家の主人。

「あの人は、こんな事、言う人じゃないよな……」

 それ以前に声も方向も全然違う。

 溜め息をついてローシェンは人参の芽に目を向ける。人参たちは、みな元気だ。雑草も昨日、抜いたので畑はきれいな物。土が、やや乾いているのが少し気になる。

 畑から出て、ローシェンは両手に桶を持って川へと向かった。

『汝は勇者なり』

 再びローシェンに声が降りてきた。

 ローシェンは足を止めて周囲を見回す。が、声の主らしい者は見えない。

「どうした?」

 川で水を汲んで道を引き返してきた村人がローシェンに声をかける。

「いや、なんでもないです」

 もごもごと応えるローシェンに村人は怪訝そうな顔を向けた。その村人にローシェンは、少し躊躇しつつもたずねる。

「勇者って、なんだっけ?」

「はぁ? 勇者っつったら、お城の騎士様たちの事だろ?」

 村人の答えにローシェンは去年の秋に王都テリアで見かけた騎士の姿を思い出す。畑仕事で一日を終える自分とは全く姿が重ならない。

「しっかりしろよ」

 ぼんやりと考え事に入ったローシェンを見て、村人は溜め息をついて去っていった。

『勇者とは、勇気ある者。汝は勇者なり』

 再び声が降りてきた。聞こえたわけではない、降りてきたのだ。

 手の中から桶が落ちる。そしてローシェンは不安を感じ頭を押さえて、しゃがみ込んだ。

 全くもって、わけがわからない。

 自分を臆病者だと自覚したことはないが、だからといって、特別、勇気があるとも思ってもいない。だからこそ自分が勇者だといわれても当惑するしかなかった。そもそも、この声が、いったい何なのか見当すらつかない。

『汝は勇者なり。そして常に問え。勇気とは何か、勇者とは何か』

 ローシェンの頭の中に声が響く。何度も何度も、まるで問いつめるかのように。

 その声を振り払うかのように、ローシェンは頭を振って立ち上がった。が、その途端、ローシェンの意識は吸い込まれるように途絶える。

『汝、勇者たれ。勇者たらんとする者は、即ち勇者なり』

 意識が途絶える瞬間、ローシェンは、そんな言葉を聞いたような気がした。



 額が冷たい。濡れた手拭いを誰かが額に乗せてくれたのだろう。

 手拭いを手に取り、そしてローシェンは身を起こした。

 川の脇、その芝の上にローシェンは寝かされていた。

「あ、気が付いた?」

 声の方を向くと、ひとりの少女が、しゃがみ込んで不思議そうにローシェンを見ていた。

 村長の妹、シェルティだった。

 長く伸ばした金色の髪に緑色の瞳。髪の隙間から特徴的な長い耳が飛び出している。森に住む妖精であるエルフの血が混じっているのだそうだ。

 曾祖母が人間とエルフの間に生まれた混血児、ハーフ・エルフだったらしい。

 取り替えっ子(チェンジリング)といって、曾祖母の血が思い出したようにシェルティに発現したのだそうだ。

 外見は、まだ大人に成りきらない少女そのものではあるが実際の年齢はローシェンより十歳以上も上。元が長命なエルフの血のおかげで、人間よりも歳を取りにくいらしい。

 七年前、唐突に姿を消したと思ったら、去年の暮れに、ひょっこりと帰ってきた。街……王都テリアにいたそうだ。

 昔、遊んでもらった記憶はあるが、その時の姿と、ほとんど変わっていない。そのためか、シェルティが帰ってきたときは神隠しにでもあっていたのかと、村では、ちょっとした騒ぎになったものだ。

 この村にはシェルティの他には、ハーフ・エルフはいない。が、王都テリアは、周囲に広大な森を有し、そこに住むエルフとの交流も盛んだ。そのためかテリアには、エルフやハーフ・エルフが数多く住んでいる。

 テリアはエルフの血を引くシェルティにとって、この村より住みやすい場所に思えたのかも知れない。

「しゃがみ込んたと思ったら、立ち上がって、それから急に倒れたから、びっくりしたんだけど、顔色は悪くないのよねぇ。うん、やっぱり熱もない」

 ローシェンの額に手を当てながら、シェルティは言葉を続ける。

「でも、気を失って倒れたのは事実だし、今日は休んだら?」

 小さく息をついてローシェンは立ち上がる。別段、体の調子は悪くない。自分が倒れた理由は、たぶん、あの妙な声のせい。

「大丈夫……」

 今ひとつ確信は持てないが、ローシェンは、そうこたえておく。

「畑の水やり程度なら、代わりにやってあげるよ?」

「いや、本当に大丈夫だから。ありがとう」

 その言葉を聞いて、シェルティは小さく溜め息をついた。

「昔、一緒に遊んだときは、あたしにアレやってとか、わがまま言ってたのに。ちょっと見ない内に大人になっちゃって……」

 寂しそうに笑うと、シェルティはローシェンに背を向けた。

 ローシェンの記憶にあるシェルティは、いつも村の子供達と一緒に遊んでいた。でも村に帰ってきてからは、ひとりで、ぼんやりとしているところしか見ていない。

 帰ってきた直後は子供たちに声をかけたりしていたようだが、子供たちがシェルティを避けたのだ。子供たちだけではない。村人たちもシェルティを避けている。

 今の子供たちの親も、シェルティと一緒に遊んだ世代。そして、親たちの記憶にあるシェルティと今のシェルティは、ほとんど変わっていない。人間として歳を重ねていく身としてはシェルティのような存在は気味悪く映る。そんな親たちの話を子供たちは聞かされていたのだろう。

 ローシェンも含め、昔シェルティと一緒に遊んだ者たちも、今はシェルティと親しくはない。七年という月日は子供が大人になるには十分な時間だ。だが、シェルティに、それは当てはまらない。

 シェルティは、昔、自分の居場所は、この村にはない。そう言っていた。だから居場所を求めて街に出たのだろう。でも、シェルティは村に戻ってきた。たぶん、街にも居場所が無かったから。そして帰ってきたら、本当に居場所が無くなっていた。

 子供の頃のローシェンにとって、シェルティが年を取らないことに疑問はなかった。

 なぜならシェルティは、いつも村にいて毎日、一緒に遊んだから。シェルティは、いて当たり前の存在だったから。当たり前のことに、疑問なんて抱くはずがない。

 でも、シェルティが街に行って十年。シェルティは、当たり前の存在では無くなってしまった。

 昔のシェルティを思い出しローシェンは小さく溜め息をつく。変わってないように思ったが、今のシェルティは、ずいぶん変わってしまっている。

「シェルティ?」

 ローシェンは、立ち去ろうとするシェルティを呼び止めた。そして、怪訝そうな顔で振り返るシェルティに言葉を続ける。

「水やりは代わってくれなくても良いけど、できれば手伝ってくれないかな?」

 普段のローシェンなら、こんな事は言わない。ローシェンは基本的に事なかれ主義だ。村人たちから避けられている者と、あえて関わりを持とうとは思わない。村という小さな世界では、皆の考えと異なる行動を取るのは決して賢い事ではない。

 勇者と称されるような者なら、こうすると思う。いや、もっと良い方法を思いつき実行するに違いない。ローシェンには、他の方法など思いつきもしなかったけど。

「え? いや、うん。じゃ、手伝ってあげる」

 一瞬、驚いたような顔をしたが、シェルティは、すぐに取り繕うように仕方ないなとでも言いたげな笑みを浮かべた。

 子供の頃、ローシェンは、何度もシェルティの、こんな笑みを見ていたような気がする。思い出してみると、よくシェルティを困らせていたような記憶もある。考えてみれば、ずいぶんと世話になっていた。

「うん、ありがとう」

 ローシェンは言うがシェルティはこたえず桶を手に取ると、足早に川へと歩いていく。目に塵でも入ったのか、後ろ姿のシェルティは目を、しきりにこすっていた。



 ローシェンは、大きく溜め息をついた。

『汝は勇者なり』

 思い出したように、ローシェンの頭の中に声が降りてくる。気が散ること、この上ない。

「ゴメン。ちょっと、喋りすぎたかな……」

 キュウリを摘果する手を止めて、シェルティが申し訳なさそうにローシェンに言った。

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

 ローシェンも、しどろもどろに言う。

 嘘じゃない。ほとんどシェルティが話して、ローシェンは相づちを打つだけだったが、別に迷惑だとは思っていない。迷惑なのは頭の中に降りてくる、あの意味不明な声。

 シェルティには水撒きを少し手伝ってもらうだけのつもりだったが、水撒きを終わらせたあと次は何をやるの? と、そう聞かれたので、そのまま作業を手伝ってもらっている。

 作業をしながらシェルティは、ずっと話をしていた。まだローシェンが小さかった頃の話。その当時の村での出来事、小さかったローシェンがシェルティを困らせたりしたこと。狩りの真似事をしに森へ行ったこと。

 村の友人たちとは、こんな話はしない。毎日、顔を合わせる者たちとは昔話などはする機会自体がない。だから、相づちを打つだけだったが十分楽しかった。

 黙ってしまったシェルティに、ローシェンは質問をしてみる。

「シェルティは、テリアにいたんだよね?」

 テリアは山岳地にある都市国家のひとつ。この村は、そのテリアの統治下にある村。

 多くの物が、そして人が集まる場所。それがテリアの街に対するローシェンの認識だった。

 そんな場所に、シェルティは七年もいたのだ。きっとローシェンの知らない多くのことを知っているはずだ。

「うん。そうだけど……」

 ローシェンの言葉に、シェルティは顔を背け力無く答える。

 シェルティの顔を見てローシェンは一瞬、言葉に詰まった。が、自分の尋ねたいことを思い出し言葉を続ける。

「勇者って、何かわかるかな?」

「勇者?」

 ローシェンの突拍子もない質問。驚いたように問い返すシェルティに、ローシェンは黙って頷いた。

「勇者サモエドとか、物語になってる人も多いけど、俗に英雄なんて呼ばれる人たちの事かな……」

 勇者サモエドの物語なら、ローシェンも知っていた。勇者と呼ばれる前は金で盗賊や魔物の退治を請け負ったり、商隊の護衛などを請け負う冒険者と呼ばれる者たちの、ひとりだった。

 百年前、西の大国を一頭の竜が滅ぼした際、サモエドは自らの勇者としての宿命を自覚し、数名の仲間たちと共に竜に戦いを挑んだ。

 シェルティは少し考えるように間を空け、そして言葉を続ける。

「神サマが世界の調和を保つために勇者を選ぶ事があるらしいけど、神サマの考えることだし基準はわからないわねぇ。そういえば、ベドリントンが面白いことを言ってた。勇者とか英雄とか呼ばれる人たちは、物語に守られてるって」

「ベドリントン?」

 ベドリントン。ローシェンは聞いたことが無い名前だ。少なくとも村にベドリントンという名前の者はいない。

「街にいた頃の知り合い。勇者や英雄は、物語に守られているから簡単には死んだりしないって。物語の中の主要人物だから、多少の危機なら乗り越えられるって。約束された大きな物語の主要人物なら、絶体絶命の危機すら乗り越えられるって言ってた」

 物語に守られている。……今ひとつ意味はわからないが、そういう運命の元にあると考えれば良いのだろうか。

 ローシェンは、自分が勇者サモエドのように、大国をも滅ぼすような竜に挑んだら考えてみる。結論は、すぐに出た。絶対、勝てない。命が幾つあっても足りないはずだ。

 物語云々については、よくわからなかった。でも、声の正体は何かは見当がついた。

「冒険者になろうなんて考えてるなら、止めなさいと言っておく。勇者や英雄になれるのは、ほんの一握り。その日の生活すらままならないような冒険者だって珍しくないんだから」

 考え込んだローシェンに、シェルティは、どこか寂しそうな表情を浮かべて言う。

「いや、そんな気はないんだけど……」

 冒険者になるなど考えたこともなかった。

 農家は皆、子沢山だ。ローシェンは、そんな村では珍しい一人っ子だった。そして、すでに両親は他界している。だからローシェンが、家や畑を守らなければならない。冒険者などになったら、それができなくなってしまう。

『汝は勇者なり』

 ローシェンの頭の中に、また声が降りてくる。厳かな、そして迷いのない確信に満ちた声。

「勇者なのかなぁ?」

 空を仰いで呟くローシェン。

 声の主は、恐らく世界の創世に関わった神々の一柱。

 神々は、啓示という形で声を伝えることがある。この声は、その啓示なのだろう。理由は見当もつかないが、どうやらローシェンは勇者に選ばれたらしい。

 にもかかわらず、ローシェンには戸惑いばかりで、なんの感動も感じられない。

 ローシェンは農家の生まれなので武器の扱い方など、ほとんど知らなかった。たまに狩りの真似事をすることもあるので、弓が多少は使える。その程度だ。

 思わず途方に暮れるローシェン。

「大丈夫?」

 シェルティに声をかけられ、ローシェンは我に返った。

「さぁ? ちょっと、自信ないなぁ……」

 怪訝そうな顔でローシェンを見つめるシェルティ。そのシェルティにローシェンは苦笑混じりにこたえた。



 両手で剣を構え、自分より遙かに大きな相手に向き合う。

 その相手は、ぼんやりとした黒い影にしか見えず何かは判らない。が、それが敵であり自分が何としても食い止めなければならない相手だということだけは、なぜかローシェンには理解できた。

『汝は勇者なり』

 あの声が、頭の中に響く。

 違和感しか感じられなかった、その言葉にも今は何の違和感はない。

 大きく息をつくと、ローシェンは相手に向かって剣を……

 と、そこで目が覚めた。

 自宅の寝室。

 室内は真っ暗。閉じられた窓に目を向けるが、そこも真っ暗だ。

 空が白み始めてきていれば、窓の隙間から多少なりと光が射し込んでくるのだが、そんな事もない。

「まだ、夜中じゃないか……」

 ローシェンは呟き、溜め息をつく。

「剣なんて、持ったこともないのに」

 幼い頃、剣に見立てた木の棒を振り回して遊んだぐらい。まともに剣の扱いなど学んだ事もない。

 だが、夢の中では、自然に剣が扱えた。

「まぁ、夢の中だからなぁ」

 暗闇の中、ローシェンは自分の手を見つめる。

 まともに見ることなどできなくとも、自分の手だ。どうなっているかぐらい判る。

 農具を扱うため、マメができ硬くなった掌。農作業で荒れた指先。

 綺麗な手ではないが、この手は働き者の農夫である証。その事にローシェンは不満などない。

「剣士に憧れた事なんて、無かったと思うんだけど……」

 呟き、ローシェンは目を閉じる。

『汝は勇者なり』

 再び眠りに落ちる際、ローシェンは、そんな声を聞いた気がした。



 翌日の昼、ローシェンは、ひとり森の中にいた。

 木の枝に吊り下げた棒きれ、それを自作の木剣で打つ。棒きれは乾いた音をたてて弾かれ、そして振り子のように戻ってくる。

 再び木剣で打とうとするが結果は空振り。やってみると存外に難しい。

「やっぱり、簡単にはいかないか……」

 気を取り直してローシェンは木剣を握り直す。

 我ながら、いったい何をやっているんだろうかとも思う。普段なら、こんな事をやろうなどとは思いもしないのだが、なぜか剣の扱いを憶えなければと強迫観念に駆られたのだ。

『汝は勇者なり』

「はいはい、左様ですか」

 頭の中に響く啓示に、いい加減な返事をして再び木剣を振るう。

 今日の畑仕事の大半は、昼前に終わらせた。あとは夕方に水撒きをするぐらいのものだ。若干、作業に手抜きをしたが特に問題はない。

「剣は腕ではなく体で振るう。全然ダメじゃん」

 後ろから、どこか茶化すような口調。驚いたローシェンは、剣を振るのを止めて声の主を振り返った。

「シェルティ……」

 見ると、シェルティが、すぐ後ろに立っていた。全く気配に気づけなかった。いつからそこに立っていたのか見当もつかない。

 驚くローシェンを気にも止めず、シェルティは口を開く。

「冒険者になるのは勧めないよ。少なくとも、今の生活を捨てることになる」

 今度の口調には、茶化したような雰囲気はない。顔も真剣。

「そういうワケじゃないんだけど……」

 シェルティに気圧されたように、ローシェンはこたえる。

「じゃ、なんで剣の練習なんか?」

 問われローシェンは言葉に詰まる。神サマから啓示を受けた、そうこたえても良いのだが、頭がおかしくなったと思われるかもしれない。実際、自分でも、そんな気はする。

 シェルティに目を向ける。真っ直ぐにローシェンを見つめていた。この場を誤魔化すのは無理そうに見える。

 ローシェンは、観念して口を開いた。

「声が聞こえたんだ。『汝は勇者なり』って。そしたら、何か剣の扱いを憶えなきゃいけないように思えて……」

 まともな説明になっていない。自分でも、そう思いながら、しどろもどろに言葉を紡ぐ。

「『汝は勇者なり』って、それって、ひょっとして神サマからの啓示!?」

「たぶん……」

 シェルティの問いに、ローシェンは力無く答える。

「他に何か啓示は受けた? 何か、勇者としての使命とか?」

「他には『汝、勇者たれ』って、それくらいで使命とか、そういったことは全然……」

 シェルティの問いにこたえていくうちに、ただでさえ少ない自分が勇者であるという思いが、どんどん無くなってゆく。

 大きく息をついて、シェルティはローシェンを正面から見据える。

 半ば気圧されながらも、ローシェンはシェルティの視線を受け止める。

 しばらくの沈黙。

 突然、シェルティは小さく吹き出した。

「そうか勇者かぁ。本物は初めて見た……」

 ひとしきり笑うと感心したように呟き、シェルティは木にもたれ掛かり考え込むように沈黙する。そしてローシェンに顔を向け口を開いた。

「剣、教えようか? 一応、冒険者をやってたから、練習相手ぐらいはできるわよ?」

「冒険者を?」

 思わずローシェンは問い返し、そして納得した。

 昨日、今日と冒険者という仕事に否定的な事を言ったのも恐らくはシェルティ自身が冒険者だった、その経験に基づいての言葉。

「そ。物語の中にいなかったみたいで、わたし以外みんな死んじゃったけどね……」

 だから、シェルティは村に戻ってきた。

 ローシェンは、大きく息をついてシェルティを見つめる。僅かに迷う。が、結論はすぐに出た。

「じゃあ、頼めるかな?」

 ローシェンの言葉に、シェルティは笑ってこたえる。

「勇者様の指南役、謹んで、お受けしましょう」



 人目に付かない森の中で、毎日ただひたすら素振りを続ける。

 シェルティが言うには、ローシェンが最初にやっていたことは剣の扱いに慣れていない者がやっても、あまり意味はないのだそうだ。いきなりやっても単に剣を当てる小手先の技術が身に付くだけで、威力のある一撃は打ち込めるようにはならないとか。

 言われてみれば、確かにその通りだった。

 木剣を吊り下げた木の枝に当てる。それのみに固執し、打ち込み自体に力は込められてはいなかった。

 とりあえず、ひたすら素振りをして剣とはどういう物かを体で憶える必要があるのだそうだ。素振りをする事で、剣を体の延長として捉えられるようになるとか。それができなければ、剣など、まともに扱えないと。

 その通りだと思う。自分は剣に関しては素人だということを、痛いほどシェルティに思い知らされた。

 あの日、シェルティと練習で剣を交えてみたが、全く歯が立たなかった。

 ローシェンは、樫の枝から削りだした木剣。シェルティは足下に落ちていた短く細い枯れ枝。打ち合ったら、簡単に折れてしまうだろう枯れ枝で、シェルティはローシェンを三回も負かせてみせた。

 力、体格ともにローシェンの方が上だったが、技術、経験では圧倒的にシェルティが上だった。いいように遊ばれたような気がするが、不思議と悔しくはなかった。小さかった頃、シェルティに散々、遊ばれたからかもしれない。

 大きく息をついて、ローシェンは汗を拭った。

 剣の方も、多少は様になってきたと思う。シェルティの動きにも、ある程度ついていけるようにもなった。剣の腕が上達してきていると自分でも実感でき、それが嬉しい。

 本来なら午前中で畑仕事を切り上げ午後はシェルティと剣の練習をするのだが、今日は畑の水撒きだけ済ませて早々に森に入った。

 今日こそは、シェルティから一本取れそうな気がする。

「畑にも家にもいないと思ったら、もう、森に来てたんだ……」

 呆れたようなシェルティの声。

「なんか、剣の練習が楽しくて」

 苦笑しつつ、ローシェンはシェルティに顔を向ける。

「どんどん上達してるし、それが自覚できてるみたいだから楽しいだろうとは思うけど……畑で野菜たちが泣いてたよ。最近、あまり相手してもらえないって」

「はぁ……」

 シェルティの言葉に、ローシェンは生返事を返す。

 確かに、以前ほど畑に手をかけなくはなった。でも、最低限の事はやっている。そもそも野菜が泣いたりするのだろうか。そこまで考えて、昔、シェルティが似たような事を言っていたのを思い出した。

 木が泣く、花が泣く。そう言って、木や花を乱暴に扱って怒られた事が何度かあった。

「確かに。もうすぐ芋の収穫時期だし、そろそろ掘らないとまずいかな。明日、掘っておこうか」

 畑に植えてある野菜を思い出し、ローシェンは呟く。主食であるジャガイモの収穫で、これから忙しくなる時期だ。しばらく剣の稽古もできなくなるだろう。

 大きく息をついて、ローシェンは木剣をシェルティに向ける。

「しばらく忙しくなって、剣の稽古ができなくなから今日は、日が暮れるまで付き合ってもらうよ。とりあえず、最低一本は取らせてもらう」

 小さく笑って、シェルティも木剣を構える。シェルティの木剣は、ローシェンの木剣と比べ、短く華奢だ。

「最近、門限が厳しくなったんでダメ。兄貴がうるさくって。今まで放任してたくせにさ」

 愚痴るように言うと、シェルティは大きく踏み込んで木剣を振るった。それをローシェンは正面から受け止める。

 シェルティの剣の扱いは、ローシェンに教えてる扱い方とは別物だった。

 ローシェンが教えられているのは、一撃の威力に重きを置いた剣の扱い。使う剣も、自分の力で問題なく振るうことのできる範囲で、最も重い剣を使う。

 それに対しシェルティは、シェルティの力から考えても、ずいぶんと軽い剣を使っている。当然、一撃の威力は軽くなるが、そのぶん小器用に剣を振るい正確に喉などの急所を狙ってくる。

 シェルティ相手に気を付けることは三つ。

 不用意に大降りはしない。これは、空振りした後の隙が大きすぎるため。

 懐に踏み込ませない。これは、取り回しの利かない長剣では、踏み込まれたら十分な対応できないため。

 そして、怪我をさせないよう本気で打ち込むときは注意すること。ローシェンが本気で打ち込んだ場合、体格差からもシェルティでは、まともに受けきれない場合がでる。

 一回目は首に、二回目は胸に木剣を突きつけられローシェンはシェルティに負けた。が、三回目は、ローシェンがシェルティの眉間に木剣を突きつけた。

「お見事……」

 眉間に木剣を突きつけられたシェルティは、そう呟くと、大きく息をついて座り込んだ。そして、足を投げ出して寝転がる。

「三本中、一本。まぁ、上出来かな?」

 ローシェンも呟いて、その場に腰を降ろした。

「そう思う?」

 息を整えながらシェルティは問う。半ば揶揄するような、どこか楽しげな口調。

 最後の一本は、どう見ても自分の勝ちだとローシェンは思う。

 納得がいかないようにシェルティを見ると、シェルティは寝転がったまま楽しげにローシェンを見ていた。

 汗で濡れた額に金色の前髪が張り付いている。シェルティの呼吸に合わせ、小振りな胸が上下していた。

 何か気恥ずかしくなって、ローシェンは顔を背けた。

「実戦だったら、たぶんローシェンが全部勝ってたよ」

 溜め息をついてシェルティは言う。そして身を起こし、背中や腕についた枯れ葉や土を落とし始めた。

「わたしとローシェンじゃ、一撃の威力が違いすぎる。わたしじゃ簡単に致命傷は与えられないけど、ローシェンは違う。それに実戦だったら鎧を着るけど、わたしは重い丈夫な鎧は着れないし。そうなると、ますます歯が立たない」

 自分の体を叩きながらシェルティは、そう言葉を続けた。

「そう、なのかな?」

 笑いを噛み殺しながらシェルティは言う。

「何よりローシェン、手加減してたでしょ。打ち込みに何度か躊躇いが見えたよ」

 シェルティは、ローシェンの剣の師匠。気づいて当然の事ではある。

「戦士としての基本的な技術は、十分に身に付いたと思う。そういえば、昔、狩りの仕方を教えたとき、弓の扱いだけは早く憶えたのよねぇ……」

 楽しげに、そう言われローシェンは苦笑いする。

 弓は確かに誰よりも早く憶えたが、足跡を見つけたり罠を仕掛けたりというのは全く駄目だった。

 ローシェンは、ふとシェルティは自分を、どう見ているのだろうと疑問を持った。昔の話を、ローシェンが幼い頃の話を引っ張り出してくるところからも、まだ子供として見られているのだろうか。

「あのさ、シェルティ?」

 ローシェンが声をかけたとたん、シェルティが突然、森の木々を見上げた。

「おかしくないかな……?」

 呟くようにシェルティはたずねる。木々を見上げる表情は真剣そのもの。

「え……?」

「動物たちの気配がない。それに木が……」

 言われ、ローシェンは周囲を見回してみる。確かに動物たちの気配はない。

「木が……?」

「いや、何でもない」

 シェルティは呟き、村に向かって数歩、歩いて不安そうに振り返る。

「やっぱり変。さっきから森がおかしい」

 動物たちの気配がないのはわかるが、言われなければ気づけないようなこと。それだけに、シェルティが不安そうにしている理由が解せない。

 とはいえ、シェルティは明らかに落ち着かない様子だ。

「じゃあ、今日は、もう戻ろうか……?」

 できれば、もう少し剣の稽古を続けたかったが、シェルティは付き合ってくれそうには見えない。

「うん……」

 シェルティの力無い返事。それを聞いてローシェンも立ち上がる。

 そして、二人は村へ戻るべく歩き出した。



 濃厚な血の臭いで足を止める。

 臭いは風上、村とは違う方向。ここは猟場でもあるが村の狩人が獲物の血抜きをしている臭いとも違う。

 ローシェンは、何も考えずに臭いへと足を向けた。

「ちょっとローシェンっ!」

 慌てたようなシェルティの小声で、ローシェンは足を止めて振り返った。

 シェルティは、足を止めて、周囲の気配を探っている。ローシェンも耳を澄ませてみるが、なんの気配も感じられない。

「たぶん、大丈夫だと思うけど……」

 呟くように言うとシェルティはローシェンの前に立って進み、そして足を止めた。

「なにこれ……」

 シェルティの隣にローシェンも並び、そして足を止める。

 二人の前に転がっているのは大きな猪の死骸。腹が裂かれ、その中身は全て無くなっていた。

 この猪に致命傷を与えたのは、牙でも爪でも無い。大きな鈍器、あるいは巨大な拳か。陥没した頭蓋から察しても、少なくとも仕留めた相手が獣ではないことはわかる。

「一本牙だ……」

 驚いたようにローシェンが呟く。

 一本牙は、熊すら避けて通る大きな猪。猪の習性として人を恐れず、そして、その大きさ故に一撃で仕留めるのが難しく反撃を受ける危険が高い。そのため、狩人たちも狙われない。まさに森の主だった。

「確かに牙が一本だけど、これが村で噂にあがる一本牙……?」

「何度か見かけたことはあったけど。でもあの一本牙を、どうやったらこんなふうに……」

 そう言いながら、ローシェンは一本牙の死骸に手を触れる。まだ温かい。そして血も固まってはいない。

「オーガ……」

 シェルティが放心したように呟く。そして、ローシェンの襟を掴んで叫ぶように言葉を続ける。

「これ、オーガの仕業だよっ! 並の冒険者じゃ歯が立たない。もし、村に降りてきたら……」

 シェルティは言うがローシェンには、その意味がわからない。ローシェンにわかるのは、一本牙を倒せるような何かがいて、それが村まで降りてくるかも知れないということ。そして、その名前がシェルティによれば、オーガという名前らしいということぐらい。

「シェルティ……」

 シェルティの肩に手を置き、ローシェンは真剣な顔をしてたずねる。

「オーガって何?」

 その言葉に、シェルティは脱力したように俯いた。

「妖魔の一種で人食い巨人の事。巨人の中では小さい部類だけど、それでも三メートル近い巨体で。……並の戦士じゃ歯が立たないよ。たった一体でも、村を壊滅させるぐらいの芸当は当たり前に、やってのけるような化け物っ!」

 妖魔とは、知恵を持つ邪悪な種族の総称。

 溜め息をつくと、シェルティは近くの木を指さした。その木の幹には、血糊を拭ったらしい大きな手形が、べったりと刻まれていた。

 ローシェンは、自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。

「ひょっとして、まだ、近くにいるのかな?」

 一本牙の死骸が、まだ温かいことを考えれば、そう考えるのが無難だろう。

「たぶん……」

 シェルティは小声でこたえ、ローシェンの手を握った。

「とりあえず、ここから離れた方がいいかな?」

 無謀は勇気に非ず。ローシェンは心の中で、そう呟いて一歩後ずさる。

 そして二人は、できるだけ足音を立てないよう気を遣いながら、その場を離れた。

 幸い、オーガの姿を見かけることはなかった。



 村に着くと、シェルティは大きく息をついて口を開いた。

「不本意だけど、兄貴に話すしかないかなぁ……」

 シェルティの兄は村長。村の近くに怪物が潜んでいるなら、村長に伝えておく必要はある。

「こういう場合って、街や他の村なら、どうしてるんだろう……?」

 ローシェンが呟くように漏らした疑問にシェルティはこたえる。

「街なら、お城から兵隊が派遣されるんだけど。村の場合は、冒険者を雇うのが普通かなぁ……」

「シェルティも、そういった仕事はやった事あるの?」

「ゴブリン退治なら。オーガは、並の冒険者じゃ厳しい相手だよ」

 そう言い、溜め息をつくとシェルティは歩き出した。

 ゴブリンならローシェンも聞いたことがある。邪悪な妖精の一種。小柄で醜く時には群を成し人里を襲うこともあるらしい。

「事情の説明、ローシェンも付き合ってね」

 そう言うと、シェルティはローシェンの手を引いて歩き出した。

 シェルティの家は、村の中でも、ひときわ大きな屋敷だった。

 騎士だった曾祖父が、この村の領主として封ぜられた際に立てられた屋敷。ずいぶん古びてはいるが、田舎の村にはふさわしくないような立派な造りをしている。

 もっとも家の方は、曾祖父以降、騎士や役人を輩出できなかったため没落してしまっていた。初代が冒険者から騎士に取り立てられた身の上だけに、地位に対する執着が、あまりなかったらしい。

 シェルティは屋敷の裏口から慣れた足取りで中にはいると、ローシェンを手招きする。

 何か居心地の悪さを感じながらも、ローシェンはシェルティに続いた。村長の屋敷は村祭りや宴会などで解放されることはあるが、それ以外では入る機会は無かった。また、入れる場所にも制限もあった。

 いま、シェルティに連れられていく先は、ローシェンの入ったことがない場所。

「ローシェン。なに、おどおどしてるの?」

「えっ? いや、なんというか……」

 怪訝そうにシェルティに問われ、ローシェンは自分でも訳のわからない返事をする。

 シェルティは特に気にした気配もなく、ある扉の前で足を止める。そして、扉を叩いた。

「兄様。大切なお話があります」

 普段とは、がらりと口調を変えてシェルティが言う。

 数秒の沈黙、そして中から返事が聞こえた。

「入れ」

 村長の声。

 村でも、あまり顔を合わせる機会がないので、思わずローシェンは緊張してしまう。

 シェルティが扉を開けて部屋の中に入る。そして、振り返ると躊躇しているローシェンを無言で促す。

「珍しく兄様などと呼ぶから何事かと思ったら、そういうことか」

 村長は、厳つい顔をした中年の男だった。シェルティとローシェンを一瞥すると、何故か納得したように呟く。

 シェルティと並ぶと、まるで親子のように見えるが村長はシェルティの兄だ。歳は確かに離れてはいるが、見た目ほど離れているわけではない。

「重要なお話があります」

 真剣な口調で言うシェルティに、村長は背を向ける。

「好きにしろ。相手がローシェンなら問題ない」

「はい……?」

 村長に言葉に、シェルティは間の抜けた声で問い返した。

「お前とローシェンが、森で逢い引きを重ねているというのは、すでに耳に入っている。まあ、咎めはしない」

 思わず赤面する。ローシェンも村長の言っている意味がわかった。

 そんな事はしていない。そうローシェンは言おうとするが、咄嗟のことで言葉が出てこない。

 シェルティは、口をパクパクさせるローシェンを一瞥すると口を開いた。

「あ~…… 確かに、そう見えるとは思うけど、そんな事はしてないし、そんな話をしに来たわけじゃないんだけど……」

 そして、大きく溜め息をつくと、シェルティは言葉を続ける。

「村の近くの森に、オーガがいる。曾お祖父ちゃんの日記にも出てくる人食い巨人。何とかしないと死人が出るよ」

 シェルティの言葉に、村長は驚いたように振り返った。そしてローシェンに視線を向ける。

「間違いないか、ローシェン?」

「あ、はい。臓物を食われた、一本牙の死骸を見つけました。その近くには人間の物とは思えないほど、大きな手形も……」

 ローシェンの言葉に、村長は一瞬、目を剥き、そして大きく溜め息をつく。

「とりあえず、現場を確認しよう。案内しろ」

「森に入るのは危ないと思うんだけど……」

 シェルティは、顔をしかめながら呟く。そして村長の顔を伺い溜め息をついた。

「ローシェン、バセンジーさんが村にいたら、呼んできてくれる?」

 バセンジーは村一番の狩人だ。

 以前、村ちかくまで熊が降りてきたとき、バセンジーに真っ先に声がかけられた。その時もバセンジーが熊を仕留めたのだ。この場合、村で一番頼れる人物のはずだ。

 シェルティに言われ、ローシェンは確認を取るように村長に視線を向ける。

「わかった。急いで呼んでくる」

 村長が頷くのを確認して、ローシェンは踵を返すと駆け出した。



 幸い、バセンジーは自宅の作業場にいた。

 バセンジーは、村の狩人たちの頭にあたる男で、小柄だが厳つい体の男だった。

 仕留めた獲物の毛皮を加工しているバセンジーに、ローシェンは、慌てたように声をかける。

「バセンジーさんっ、大至急、村長のところへっ!」

 息を切らせているローシェンを一瞥すると、バセンジーは手を止めずにたずねる。

「ブリアードが、どうかしたのか?」

 ブリアードは村長の名前。バセンジーは村長と同い年、そして友人同士だった。

「森にオーガがいて、村長が確認に行くから、シェルティがバセンジーさんを呼んでこいって……」

 慌てて言葉を紡ぐが、自分で何を言っているかわからなくなり、ローシェンの言葉は尻窄みになる。

「オーガ? なんだそれは?」

 ローシェンの様子など気にした気配もなくバセンジーは問う。

「巨人……怪物の名前です。森で、その怪物に殺された一本牙の死骸を見つけました」

 気を落ち着けるために、深呼吸してからローシェンは言った。

「間違えないか?」

 一本牙の名前を聞き、ブリアードは手を止めてローシェンを見る。

「確かに一本牙でした。何度か森で一本牙を見かけているから間違いありません」

 ローシェンの言葉に、バセンジーは立ち上がって作業場の隅に置かれていた弓と矢筒を手に取った。

「とりあえず、ブリアードの所へ行けばいいな?」

「あ、はい」

 そういうと、バセンジーは、ローシェンの返事も待たずに歩き出した。

 村長とシェルティは、屋敷の前で待っていた。

 着替えたのか、シェルティは、なめし革の鎧と腰には小剣と矢筒、手には弩を持っていた。

 村長も、腰に大きなナイフを差している。

「その弓は……?」

 見慣れない弓に、ローシェンは思わず尋ねる。

「弩。弓に簡単な器械を組み合わせた物。普通の弓より撃つのに時間はかかるけど、当てやすくて威力があるの」

「邪道の弓だな」

 その言葉にシェルティが苦笑いを浮かべた。

「ローシェン、丸腰じゃ不安だし使って」

 そう言うと、シェルティはローシェンに一振りの長剣を手渡す。

 本物の剣を手に取るのは、これが初めてだった。手に取った剣は、ずしりと重く、それが殺すために作られた道具であることをローシェンに実感させる。

 鞘から抜いて刀身を見る。鋭い切っ先の真っ直ぐな長剣。銀色の刃には点々と赤錆が浮いていた。刃に指を滑らせてみるが切れる事はない。斧や鉈のように、重さで叩き切るための丈夫な刃だ。

「曾お祖父ちゃんが使ってた剣。あんまり手入れしてなかったみたいで、少し錆びてはいるけど、ちゃんと使えるよ」

 バセンジーは、ローシェンを一瞥すると口を開いた。

「物々しいな。それに、あの剣。良いのか?」

「この村にある、数少ない剣だ。使える者に持たせた方が曾祖父さんも喜ぶだろう」

 村長の言葉に、バセンジーは溜め息をついた。

「かなり大事のようだな。それとローシェン。いつ、剣の扱いなど憶えたんだ?」

「シェルティの仕込みらしい。が、ローシェンには継ぐ家や畑がある。だから冒険者などにはなれんぞ」

 村長は言う。前半はバセンジー。後半は、ローシェンとシェルティに対する言葉。

「ローシェンには、そのつもりは無いって。あと、あんまりのんびりしているのも、どうかと思う」

 シェルティは、そう切り返すと森に向かって歩き出した。ローシェンも慌てて、その後に続く。村長とバセンジーは、顔を見合わせ溜め息をつくと二人の後を追って歩き出した。



 一本牙の死骸は、そのままの形で残されていた。

「確かに一本牙だ。それに、獣にやられた傷じゃない」

 バセンジーは、そう呟くと注意深く一本牙の死骸に近づく。

「それに、あの手形。間違いなく、オーガだよ」

 木に刻まれた、血の手形を指さしてシェルティは言う。

「確かに、オーガと見て間違いないな……」

 村長も呟く。

 オーガについて、村長はシェルティ以上に多くのことを知っていた。ここまで歩いてくる道中で、オーガについて詳しい事は一通り聞かされた。

 オーガは凶暴で、人の肉を好んで喰らう巨人。知能は低く巨人としては小さい部類だが、それでも身長は三メートルに迫る巨体らしい。そして、その怪力は人間とは比較にならない。シェルティが言ったように、村を壊滅させるぐらいの芸当は一体でも十分にやってのける事ができるらしい。

「一本牙のやられ方や、あの手形の大きさや足跡から察して弓では仕留めきれないな。しかも、足跡から察して二匹」

 溜め息混じりにバセンジーは呟き、そして村長に視線を向ける。

「テリアまで、誰か使いを出して冒険者を雇わせるしか……」

「街は遠い。往復しようと思ったら、どう考えても五日はかかるよ。それまで、どうやって村を守るか考えないと」

 村長の言葉に、シェルティが口を挟む。

「武器が扱える者は、狩人以外で何人いた?」

「わたしとローシェン、あと兄貴ぐらいだと思う」

 バセンジーの問いに、シェルティが答える。その二人のやり取りを聞いて村長は大きく溜め息をついた。

「あくまで、武器が扱えるといった程度だ。巨人の相手などできん。それにローシェンの剣も所詮は俄仕込み。どの程度、役に立つやら」

 確かに、まともに戦って勝てる相手ではない。実際、ローシェンは、オーガに殺された、この一本牙を相手に戦ったとしても勝てるとは思っていない。

「とりあえず、今のオーガは満腹してるだろうから、村には降りてこないだろうけど。でも、もし降りてこられたら……」

 ローシェンも呟く。

 村には街と違って城壁などない。あっても小さな柵が所々。畑に獣が入ることは防げても、人より遙かに大きなオーガは防げない。

「見張りを立て警戒に当たる。それ以外に手はないだろう」

 溜め息混じりに村長が言い、そして、シェルティに視線を向ける。

「シェルティ。街まで行って冒険者を雇ってきてくれ。お前が適任だ」

「でも、あたし、足跡を読めるし武器も扱える。それに魔法だって使えるから……」

 村長の申し出に、シェルティは慌てたように言い返す。

「魔法?」

 思わずローシェンはたずねる。

 シェルティに魔法が使えるなんて知らなかった。実際、使っているところも見たこともない。

「曾お祖母ちゃんの血のおかげでね……」

 周囲を見回し、一点で視線を止める。そしてシェルティは呟くようにこたえた。

「ああ、使えるぞ。精霊魔法とかいうらしい。昔、それで散々いたずらされたものだ」

 バセンジーも、遠くを見つめながらこたえた。その視線の先は、シェルティと同じ一点。そして、矢筒から矢を取り出しながら言葉を続ける。

「近くにいるぞ。それに、こちらに気づいている気配がある。ここの足跡のオーガだろう。……一匹だ」

 その言葉を聞き、ローシェンと村長の視線が、バセンジーの視線の先に向かう。

 茂みが微かに揺れている。その向こうに見え隠れする影は、かなり大きい。

「しまったな。火種を持ってくるんだった」

 そう呟きながら、シェルティが弩の弦を引き絞る。弦が固定される乾いた音。

「下手に刺激しない方が、良いんじゃないかなぁ……」

 ローシェンが力無く呟く。そして、シェルティに渡された長剣の柄に手をかけた。

「ローシェンの言う通りだ。逃げるぞ」

 村長も言うが、バセンジーもシェルティも従う気配を見せない。

「奴は間違いなく仕掛けてくる気だ。背を向けたとたん襲いかかってくるぞ。考えてみろ。たとえ腹は減っていなくとも、目の前に美味そうな木の実があったら、その場で食わないまでも、とりあえず採ってぐらいはするだろう?」

 バセンジーの言葉にローシェンも観念する。そして、ゆっくりと音を立てないように、長剣を抜き鞘を地面に置いた。

 バセンジーは言葉を続ける。

「とりあえず、飛び出してきたら弓を放ち、怯んだ隙に逃げる。いったんは村と反対方向に逃げろ。村に逃げると奴を村に呼び込んでしまうかもしれん」

「あの図体だ。歩幅が広いぶん足は速いぞ、逃げ切れるか?」

「殿は引き受けます。足には、それなりに自信がありますから逃げ切って見せますよ」

 村長の言葉に、ローシェンは大きく息をついてこたえる。不思議と恐怖は感じなかった。

「足なら、あたしが一番速い。残るなら、あたしが……」

 数秒ほど沈黙して、村長が口を開く。

「魔法を使うなという禁は解く。距離をとって、おまえの魔法で隙を作ってやれ。そうすれば、より確実に逃げ切れる。それに、小細工を思いついた」

「了解……」

 村長の提案を、シェルティは渋々といった様子で承諾する。

 ローシェンは両手で剣を構えると皆の前に立つ。そして他の者たちは、少しづつ後ずさりを始める。これでオーガが真っ先に襲いかかってくるのは、間違いなくローシェン本人。

 村長とバセンジー、そしてシェルティが、何か言葉を交わしている。が、その内容は聞き取れない。

「ローシェン、難しいとは思うけど、できるだけオーガを引きつけておいて」

 無茶な要求に、ローシェンは思わず苦笑する。が、文句は言わない。危険を承知で殿を引き受けたのだ。

「来るぞっ!」

 バセンジーの声と同時に、茂みが大きく揺れた。そして、中から赤褐色の肌を持つ巨人が飛び出してきた。大きく揺れる胸は、このオーガが雌であることを物語っている。二匹という事は、番なのだろうか。獣から剥いだと思われる毛皮を身に纏い、手には石を埋め込んだ大きな棍棒。

 まずシェルティが、次いでバセンジーが矢を放つ。矢は共にオーガの体を捉えるが浅く突き刺さり、ほとんど効いてはいない。

 オーガを剣の間合いに捉えると同時に、ローシェンは突きを繰り出した。その相手の大きさに思わず腰が引け、突きに力と体重を乗せきれない。

 当たったのは、運が良かったため。巨体に似合わずオーガは敏捷だった。体の中心を狙って繰り出したはずの突きは、オーガの脇腹に突き刺さる。

 木にでも剣を突き立てたような堅い手応え。分厚い筋肉に阻まれ、ローシェンの突きも深く刺さりはしない。

 オーガが横殴りに棍棒を振るった。その一撃をローシェンは咄嗟に剣を引き抜いて受け止める。

 剣が深く刺さらなかったのが幸いした。もし剣が深く刺さっていたら引き抜くことができず、まともに殴られていただろう。

 強烈な一撃だった。ローシェンは弾き飛ばされ、木に背中を強かに打ち付けた。

「ふっ!」

 胸から空気が抜ける。あまりの衝撃に、一瞬、眩暈を感じる。

 視線をあげるとオーガは次の一撃を繰り出すべく、棍棒を振り上げきったところ。慌ててローシェンは、横っ飛びに身をかわし、振り下ろされる棍棒を避ける。

「シェルティっ、村長とバセンジーさんはっ?」

 オーガを正面に捉えたまま、ローシェンは後ろにいるだろうシェルティにたずねる。

「まだ距離が取れてない。何とか、あと少しだけ踏みとどまって」

 予想外に近くから、シェルティの返事。それと同時に、短い矢が飛ぶがオーガは、その矢をこともなくかわしてみせた。

 オーガの視線が、ローシェンの後ろに向けられる。

 ローシェンは、オーガを威嚇するように大きく剣を振りかぶった。

 オーガの手の内は、だいたい読めた。力に圧倒的なまでの差があるのでオーガ相手に、まともに武器を交えるのは無謀。分厚い筋肉に阻まれ、致命傷を与えることも難しい。悔しいが、どうやっても、このオーガに勝てる気はしない。

 だが、時間稼ぎもできないほど、圧倒的な技量の差があるわけではない。

 このオーガの武器の扱いは大降りで隙も大きい。ちゃんと見ていれば、避ける事自体は難しくない。

 オーガが再び棍棒を振り上げ、そして振り下ろす。ローシェンは、タイミングを合わせ剣を振るい、その棍棒の軌道をねじ曲げる。

 まともに剣で受けたら剣もろとも叩き潰されるが、振り下ろされる棍棒に剣を当て、その太刀筋を逸らす程度のことは十分にできる。

 オーガが横殴りに棍棒を振るう。それをローシェンは身を屈め、斜めに構えた剣、その腹で受け流した。

 剣の稽古で、似たようなことをシェルティがやっていた。咄嗟に真似てみたが上手くいった。ただ捌くだけで手一杯で、オーガに刃を向ける余裕も、逃げ出す隙も見つけられない。

 後ろでシェルティが何か話している。相手はローシェンでも村長たちでもない。語りかけるような口調。

「土よ、大地よ。わたしの声に耳を傾け……」

 オーガの棍棒を必死に捌く。が、自分でも追いつめられていることがわかる。そういつまでも持ちこたえられるわけではない。

 時間が、ゆっくり流れているように思える。オーガの動き、そして、それに対する自分の動き、共に酷く緩慢だ。互いの動きが、そのまま徐々に遅くなって……

 突然、ローシェンの視界に、村が浮かぶ。

 踏みにじられた畑。半壊した家屋。村を徘徊する、番のオーガ。その手には息絶えた数人の村人が、無造作に引きずられている。

 皆、見知った顔だ。そのうち一人は特徴的な長い耳をした娘。

『汝、勇者なりや?』

 問いかけるような、そして、挑発するかのような口調。

 その言葉と同時に、ローシェンの視界が元に戻る。そして時間の流れも。

 目の前にはオーガ。ローシェンに向かって棍棒を振り上げる。

 何かが潰れるような鈍い音がした。オーガの動きが止まり、その手から棍棒が落ちる。

「逃げろ、ローシェン!」

 遠くから村長の声。

 次いで空気を震わすオーガの叫び。

 顔を押さえ、オーガが叫び声をあげる。その手を染めるのは、真っ赤な鮮血。指の間、ちょうど右目の部分から見えるのは、一本の矢。

 状況を把握するのに手間取った。たぶん、これが村長の言っていた作戦。ローシェンがオーガを足止めしている間に、距離を取ったバセンジーが、急所を狙って必殺の矢を放つ。

 顔を押さえつつ身を屈めるオーガ。

「足を掬えっ!」

 シェルティの声が響く。

 次の瞬間、地響きを立ててオーガが仰向けに倒れた。一瞬だが地面が不自然に盛り上がり、オーガの足元をすくったのだ。

 ローシェンの目に、オーガの目を貫いた矢が映る。逃げるための絶好の機会だと思う。が、ローシェンは、その矢を狙って剣を振るっていた。

 楔を打ち込むように剣の腹で矢の尻を叩き、オーガに、より深く打ち込む。

 オーガの体が、大きく跳ねる。そして体を小刻みに痙攣させ、起きあがってくる気配はない。

「勝ったの……?」

 シェルティが、信じられないといった口調で呟く。

「たぶん……」

 そうこたえるとローシェンは慎重にオーガに近づくと、その喉に長剣を当て渾身の力を込めて突き刺した。

 生暖かい返り血を、まともに浴びてローシェンは顔をしかめる。

 オーガは息絶えたのか、もう痙攣すらしない。

 大きく溜め息をついて、ローシェンは振り返る。シェルティは、額に汗を浮かべ、酷く疲れたような顔をしていた。そして、その後ろに村長とバセンジー。

「まだ、もう一匹が近くにいるかもしれない。早く、この場を離れるぞ!」

 バセンジーの怒鳴るような声。

 すっかり忘れていた。バセンジーは足跡から、オーガは二匹だと言っていた。もう一匹が、どこかにいるはずだ。それにバセンジーの矢が目を貫いたとき、オーガは大きな叫びをあげていた。

 ほぼ間違いなく、ローシェンたちのことは気づかれている。

「シェルティ、逃げるよ!」

 そう声をかけると、ローシェンは鞘を拾って走り出す。

「ローシェン。さっき仕留め損なってたら、絶対に殺されてたよ!」

 並んで走りながら、シェルティは咎めるように言った。

「自分でも、そう思う……」

 あの時も、それはわかっていた。にもかかわらず自分は逃げずに剣を振るっていた。その理由が自分でもわからない。

 勇者だから?

 そう思ったが、その考えをローシェンは即座に否定した。それは勇者のする事ではない。

 勝てたから良かったものの、負けたら命はなかった。そして、どう考えても負ける確立の方が高かった。何より、あの場で自分が死んでも、ただの無駄死にでしかない。

 走りながらローシェンはシェルティを見る。

 確実に効果を及ぼせるよう、かなりの力を込めて魔法を使ったのだろう。疲れているようには見えるが、それでも何とか走っている。

 仕留めきれなかったら、シェルティは逃げ切れなかったかも知れない。

 走るシェルティを見てローシェンは安堵し、そして自分が逃げなかった理由に気が付いた。

 オーガの棍棒を、必死の思いで避けている時に見た白昼夢。きっと、そのせいだ。あんな光景を見せられたら、絶対に引けないと思ってしまう。

 前を行く村長たちが、人を振り返って手を振る。そして藪の中に姿を消した。その後を追い、ローシェンたちも藪へと入った。



 オーガに弾き飛ばされたときに強打した背中が痛い。あと、左の頬も。

 藪を抜けたとたん、そこで待っていたバセンジーに思いっきり殴られた。

 理由はわかる。逃げずにオーガと戦ったためだ。

「誉めてもらえると思ったのか?」

「いえ……」

 バセンジーの言葉に、ローシェンはこたえる。

 最初から、そんな考えは無かった。それに逃げなかった理由を、上手く説明してみせる自信はない。自分ですら、よくはわかっていないのだ。

「あんな真似は、もうするな」

「気をつけます……」

 シェルティが、ローシェンに、そっと耳打ちをする。

「ローシェン、自分が物語に守られているなんて思わないように。単に運が良かっただけだから」

 英雄や勇者と称される者たちは、物語に守られている。だから、多少の危険なら乗り越えることができる。以前、シェルティに聞かされた話だ。

 一応、勇者らしいが、ローシェンには物語に守られているという実感はない。死ななかったのも運が良かっただけだ。本当に、そう思う。

「あとオーガが一匹か……」

「ブリアード。勝てたのは、まぐれ当たりが重なっただけだ。そもそも目を狙ったわけじゃない。同じ事は、やれと言ってもできんぞ」

 考えるように呟いた村長に、バセンジーが言う。

 バセンジーが撃った矢は、必殺を意図したわけでは無いらしい。バセンジーは弓の名手だが、あの距離で、それも動きまわる相手の目は撃ち抜けない。怯ませることを目的に、顔を狙っただけなのだそうだ。

 バセンジーの意見には、ローシェンも同感だ。同じ事をやれと言っても、まずできないと思う。

 村に戻るため歩く。村までは、あと少しの距離。

 そこで、突然シェルティが足を止めた。

「シェルティ……?」

 ローシェンは声をかけるが、シェルティはこたえず黙って周囲を見回す。

「まずいかも……」

 呟くようにシェルティは言う。その言葉を聞いて皆が足を止めた。

「ああ成る程。考えてみれば、獣より頭は回るだろうな……」

 バセンジーも呟き、シェルティの視線の先を見つめる。

 ゆらりと、木の陰からオーガが姿を現した。揺れる胸はない。だから雄のオーガ。

「敵討ちか……」

 村長も呟く。

 間違いなく、このオーガはローシェンたちを待っていた。

 オーガと戦った際、いったんは村と反対方向に逃げはした。しかし、戦った場所を迂回したものの、村へは、ほぼ真っ直ぐに戻ってきた。

 このオーガは、それを予想して村の近くで待ちかまえていたのだろう。

「シェルティ。もう一度、さっきの魔法、使えるかな?」

 周囲を見回しながらローシェンはたずねる。

「一回だけなら何とか。でも、さっきみたいに上手くいくとは思わないでね」

 疲れたような表情でシェルティはこたえる。

「それで十分。頼むよ、シェルティ」

 ローシェンは小さく笑ってそういった。

 上手くいくかも知れない。それだけで十分だ。

「沢へと下る斜面に、何とかオーガを誘導してみる。そこで、もう一度、さっきの魔法を使って欲しい」

 そういうと、ローシェンは剣を抜く。

 敵討ちなら、あのオーガが真っ先に狙ってくるのはローシェン自身のはず。この場にいる四人の中で、血で汚れている者は他にはいない。あのオーガにだって、自分の連れ合いを誰が殺したかぐらいは一目でわかる。

「ローシェン。一体、何をする気だ?」

「オーガを沢に下る斜面に誘導します。そこでシェルティに、もう一度さっきの魔法を使ってもらい奴を沢へ落とします」

 村長の問いに、ローシェンは答える。

 あの斜面は、結構な急斜面だ。転んだら沢まで転がり落ちることになる。ローシェンの記憶にある限りでも二人、その斜面を転げ落ち村人が死んでいる。いかにオーガでも、あの斜面を転げ落ちれば無事では済まないはず。

「村長とバセンジーさんは、村に戻ってオーガのことを村人たちに知らせてください。シェルティは、後からついてきて。何とか引きつけてみるから」

 そう言うとローシェンは、返事も待たずにオーガの前を斜めに横切るように駆け抜けようとする。

 ローシェンの思惑どおり、オーガは食い付いた。ローシェンに向かって手を伸ばすが、僅かに、その手はローシェンに届かない。

 後ろから、村長が叫ぶ声が聞こえる。

「待てっ! っローシェン!」

 ローシェンは冷や汗をかいた。村長の声で、オーガが村長たちに向かうのではないか。そうは思ったが、オーガの足音はローシェンに突いてきている。振り返ってオーガを見ると、大きな体が災いしてか森の中ではローシェンの方が足が速いらしくオーガは徐々に引き離されつつある。

 オーガを振り切ってしまっては意味がない。ローシェンは、僅かに足をゆるめる。オーガに、捕まえることができると思わせること。そう思わせなければ、オーガがローシェンの追跡を止めてしまう。そうなるのは拙い。さらに後ろからオーガを追っているだろう、シェルティが危ない。

 沢へと下る斜面、その目印に使っている木が視界に入る。

 ローシェンは挑発するようにオーガを振り返ると、目印に向かって全力疾走した。そして、その手前で足を止めてオーガを振り返る。

 間髪入れずにオーガが襲いかかってくる。鋭い鉤爪を使った横殴りの一撃。咄嗟に避けきれず、ローシェンは弾き飛ばされた。

 弾き飛ばされるローシェン。その視界の隅、オーガの後ろにシェルティの姿。いまにも泣き出しそうなシェルティを見て、ローシェンは何とか体を捻り片膝をつくに留める。

 立ち上がりオーガに剣を向けながら、ローシェンは自身の体を確認した。

 口の中には血の味。鉤爪に皮膚は裂かれ血が流れている。流れ出る血の量も、傷が深いようで半端な量では無い。体中あちこちが痛いが、幸い骨が折れているような気配はなかった。

 大丈夫、まだ動ける。

 一歩後ずさると、オーガは一歩踏みだしてくる。さらに一歩下がると、さらに一歩踏みだしてきた。

 もう、すぐ後ろは斜面。

 ローシェンは、腰を落とし身を低く構える。そしてオーガに、かかってこいという意味を込め、剣を頭上に大きく振りかぶって身構える。

 オーガが、一気に間合いを詰めて襲いかかってきた。ローシェンは、斜め後ろに飛び退いた。目の前を、鋭い鉤爪がかすめていく。

 斜面へと踏み込んだオーガがよろめく。

 ローシェンも斜面に着地する。が、足を滑らせ片膝をついた。足場が悪かったためもあるが、最大の理由は、多くの血を流してローシェンが消耗していたため。

 片手で木の幹を掴み、何とか立ち上がってみる。

 シェルティの声が聞こえる。泣きそうな口調で、何かを地面に向かって語りかけている。先程、オーガを転ばせた魔法だ。

 ローシェンは溜め息をついた。とりあえず自分で言い出した事は、何とかやってのけることができた。シェルティの魔法が上手くいくかまではわからないが、もし失敗しても何とかシェルティが逃げ切れるだけの時間は稼いでみせる。

 できる限りのことはやったのだ。勇者として恥ずかしくない事をやったと思うのだが、もう啓示の声は聞こえてこない。思えば二匹目のオーガと出会って以降、まともに、あの声は聞こえてこなかった。

 そんな事を考えていると、オーガが再びローシェンに襲いかかってきた。

 何とか避けようとするが、血を流しすぎたせいか足が上手く動かない。咄嗟に木の幹を握る手に力を込める。転げ落ちたら、きっと助からないだろう。

 ローシェンは、オーガの鉤爪を、まともに喰らった。

 そこで、ローシェンの意識は途絶える。



 唐突に目が覚める。

 見覚えのない部屋。その部屋のベッドにローシェンは寝かされていた。ランプの明かりが、部屋を薄暗く照らす。もう、すっかり夜のようだった。

 体を起こしてみる。体のあちこちに何か引きつるような感覚はあるが、痛み自体は、ほとんど感じられなかった。胸や手足には血の滲んだ包帯が巻かれている。どうやら、生き残れたようだった。

 ローシェンの脇、ベッドの隅でシェルティが毛布の上で丸くなって寝ていた。たぶん、ずっと看病してくれたのだろう。

 ゆっくりと体を起こしてみる。

 体のあちこちが痛むが、体を動かすのに、ほとんど支障はない。手に巻かれた包帯を取ると、腕の傷は、ほとんど塞がっていた。

「傷が治ってる。一体、何日寝てたんだ?」

 ローシェンは、思わず呟いた。

 正直、何日も寝込んでいたようには思えないが、それでは傷が塞がっている理由が説明できない。

 溜め息をつき、ローシェンは考えるのを止めた。

 シェルティを起こさないよう、ローシェンはベッドから降りる。そして、シェルティに毛布を被せてやると部屋を出た。

 ここは、村長の屋敷のようだった。

 外で松明でも燃やしているのか、廊下の窓から赤い光が射し込む。

 きっと、外には誰かいる。そう思って、ローシェンは屋敷の外に出た。

「ローシェン、もう動けるのか?」

 屋敷の外に出たとたん、村長に声をかけられた。

「ええ、もう、大丈夫です」

 そうこたえ、ローシェンは言葉を続ける。

「あの……僕は、どれだけ寝てたんです?」

「半日ほどだ」

 村長はこたえ、驚いたような表情を浮かべるローシェンに向かって言葉を続けた。

「シェルティの魔法だ。精霊の力を借りて、治癒能力を高めることができるんだそうだ。街にいる間に、ずいぶん腕を上げたようだ」

「魔法なんて、始めて見ました」

 何より、魔法使いが村にいるなんて思いもよらなかった。

「人前で魔法を使うな。そう親父に、きつく言われていたからな、シェルティは……」

 街ですら魔法使いの存在は多くないらしい。こんな村に魔法使いがいること自体、希有な事なのだ。

 妖精の血を引き、しかも魔法まで使う。そんなことまで知られたら、村の中でシェルティが孤立しかねない。それを見越しての言いつけだったのだろう。

「あの、オーガは……?」

「お前を担ぎ込んだあと、バセンジーが確認に行ったが沢にはいなかったらしい。が、村にも入られてはいない。どうやらオーガも、無事ではすまなかったらしいな」

 ローシェンは溜め息をついた。仕留めきれるとは流石に思っていなかったが、期待しなかったといえば嘘になる。

「どうします……?」

「意見は二つだ。自分たちで何とかするか、冒険者を呼びにいかせるか。ローシェンが奮戦してくれたおかげで、狩人連中は自分たちでも何とかできると言い出しておる」

 ローシェンの顔から血の気が引いていく。農夫だったローシェンにだって、一匹は退治できたのだ。確かに、そういった考えを持つ者も出てきてはおかしくない。

「えっと、あの……」

「明日、街へは使いをよこすつもりだ。できれば、すぐにでもシェルティを行かせるつもりだったが、泣いて嫌がったからな。お前のことが心配なんだそうだ。それにローシェンの件が無かったとしても、実際に戦ってみなければ、狩人連中は自分たちで何とか出来ると言い続けるだろうな」

 ローシェンは思わず慌てる。が、村長は怒っている気配はない。

 熊や猪。そういった獣が村に降りてくるたび、狩人たちが対応してきたのだ。彼らには、村を守ってきたという自負や誇りがある。だから、なのだろう。

「バセンジーさんは、なんと?」 

「まともに戦って、勝てるような相手じゃない。そう伝えていたが、連中は聞いちゃいないな」

 村長は溜め息をつく。

「村の守りを固めて対応する。それしか手はないだろう……」

「はあ……」

 確かに、それしか手はないと思う。が、守りを固めたからといって、警戒以上の事ができるとは思えない。

 周囲を見回すと、村の所々で松明の炎が見える。たぶん、見張りを立てているのだろう。

「とりあえず飯を食え。そのあと、体を洗ってこい。臭うぞ」

 村長に言われ、ローシェンは自分が空腹であることに初めて気づいた。そういえば、朝、食べたきり何も口にしていない。

「それと、オーガが降りてきたときは頼むぞ。勇者ローシェン……」

 そう言うと、村長は屋敷の中、厨房へと入っていった。

 恐らくシェルティが話したのだろう。

 身内に魔法使いがいるためか、村長は、ローシェンが啓示を受けた勇者だということをすんなりと受け入れたようだった。

 まともに戦っても勝てない相手だ。それは、実際に戦ってみたのでよくわかる。死ななかっただけでも運が良かった。そんな敵を相手に最低でも五日、村を守らなければならない。

 ローシェンは空を仰ぐ。

 こんな時ほど、啓示が欲しいのに、なんの啓示も降りてこない。



 ひっぱたかれて飛び起きる。

 まだ夜が明けたばかり。何事かと思って身を起こすとシェルティがいた。

「目が覚めたらローシェンがいなくって、どうしたのかと思ったら……なんでこんなトコで寝てるのよ!」

 村長の屋敷の一室。シェルティがベッドを使っていたので、ローシェンは床で寝ていた。自分の家に帰ろうかと思ったのだが、森近くにある家の者は他の家に避難しなければならないそうなのだ。そして、ローシェンの家は森に面したところに建てられている。

 何より、万一オーガに襲われたら、逃げられるかどうかすら怪しい。

 結果、このまま村長の屋敷に泊まる事になったのだが、シェルティが寝ているにも関わらず、この部屋しか使わせてもらえなかった。

「いや、シェルティがベッドを使ってたし」

 大欠伸をしてからローシェンはこたえる。

「起こせばいいじゃない。それに、怪我人が床で寝るなんて…… 怪我は大丈夫なの?」

 床に、ぺたんと腰を下ろして、シェルティは心配そうにたずねる。

「もう、普通に動けるよ。シェルティのおかげだ。ありがとう」

 部屋に戻る前に体も洗った。服も、村長から借りた服。今のローシェンは、どう見ても怪我人には見えない。

 大きく伸びをするとローシェンは立ち上がった。その姿を見て、シェルティが安心したように溜め息をつく。

「シェルティ。起きたならベッド使っていいかな?」

 まだ眠い。何よりも床で寝たため、体のあちこちが痛む。

「どうぞ。そもそも空き部屋なら他にもあるんだし、床で寝るくらいなら、そこを使えばいいのに……」

「え? 空き部屋は無いって言われたんだけど……?」

 呆れたように言うシェルティに、ローシェンはたずねる。

 その問いには答えず、シェルティは大きな溜め息をついた。

「兄貴も兄貴だけど、ローシェンもローシェンだよ……」

 立ち上がると、シェルティはローシェンを真っ直ぐ見つめる。見つめられ、ローシェンは思わず硬直した。

「ローシェンは、あの馬鹿兄貴の考えが読めないの?」

 そう言うと、シェルティはローシェンの頬に、そっと手を伸ばす。

 突然、廊下に大きな足音が響く。誰かが走って部屋に近づいてくる気配。部屋の前で足音が止まると乱暴に扉が叩かれる。

「シェルティ。起きろっ!」

 切羽詰まった、村長の声。

 村長が言葉を続ける前に、シェルティが扉を開けた。

「何かあったの!?」

 急に扉を開けられ、村長は、一瞬、驚いたような顔をしたが、すぐに言葉を続けた。

「怪我人が出た。オーガにやられたらしい。お前の力を借りたい」

「いいけど……」

 どこか躊躇うようにシェルティはこたえる。

 ローシェンに村長は長剣を手渡す。昨日、渡されたのと同じ、村長やシェルティの曾祖父が使っていたという長剣。

「研ぎ直しておいた。持っておけ。……ついてこい」

 そう言うと、村長は踵を返して走り出す。そのあとをローシェンは慌てて追いかける。村長の腰には、昨日はなかった一振りの剣が下げられていた。



 怪我人は、狩人の一人、コッカーという若者だった。

 ベッドに寝かされ、そのまわりを、仲間の狩人、そしてバセンジーや、村の主立った者たちが囲んでいる。

 傷はオーガの鉤爪による一撃。肩から胸にかけ、包帯の上からでも判る抉られたような深い傷。血を流しすぎ気を失っているようだった。そして、まだ血は止まっていない。ベッドの下には大きな血溜まり。そこに、止まることなく血は滴り落ちている。このまま止血できなければ命に関わるだろう。

 シェルティは、顔色を伺うように村長に視線を向けた。

 村長は、黙って頷くだけ。

 次いで、シェルティは不安そうにローシェンに視線を向ける。

 黙ってローシェンは、シェルティの手を握った。

 シェルティは、ローシェンの手を握ったまま、狩人の傍らに膝をついた。そして、片手をかざすと小声で何か呟き始める。

 滴り落ちる血が止まった。そして、抉られた傷が、包帯の下で、徐々に埋まっていく。

 額に汗を滲ませて、シェルティは大きく溜め息をついた。

「とりあえず、傷は塞がったと思う」

 シェルティの言葉と同時に、周囲の者たちがざわめき出す。

 周囲の事など関係ないかのように、シェルティは表情を変えない。でも、それが意図的な物であることがローシェンには判った。周囲のざわめきと同時に、ローシェンの手を握る力が、ぎゅっと強くなったからだ。

 ローシェンも、黙ってシェルティの手を強く握り返す。

「まずは、事情を説明しろ」

 村長が手を叩き周囲を静める。そして、狩人たちに視線を向けた。

「その、なんというか……気が付いたら、そこにいたんです」

 狩人たちは、半ば混乱したような口調で話し始める。

 森と村の境界を、数人で見回りしていたところを襲われたらしい。気が付いたときには、オーガがすぐ近くにいて弓を構える暇も無かったらしい。

 オーガは一撃でコッカーを倒すと、恐怖のあまり動けない他の狩人たちの顔を、まじまじと見つめ、そして興味を無くしたように森へと帰っていったそうだ。

 混乱のあまり要領を得ない狩人たちの話をまとめると、そういうことになるらしい。オーガが、いったい何を考えてるのか、さっぱりわからない。

「お腹を減らして村に降りてきたわけじゃ無いみたいだけど……」

 話を聞き終えたシェルティが呟く。

「恐らく、(かたき)を捜しているんだろう」

 バセンジーが口を開いた。そしてローシェンに視線を向ける。

 ようやく、オーガの行動に納得がいった。ローシェンを、つまり自分を捜しているのだ。

「それって……」

 シェルティも呟き、そしてローシェンに視線を向ける。

「妖魔の類には、敵討ちといった考えは無いと聞いていたのだが……興味深いな」

 村長も呟く。

「じゃあローシェンを差し出せば、オーガは村には降りてこないということか?」

 村人の一人が言う。

 ローシェンが、オーガの一体を仕留めたという話は、既に広がっていたようだ。

「オーガは人食い巨人だ。腹が減ればローシェンに関係なく村に降りてくるぞ」

 先程の村人に視線を向けながら村長は言う。

「だからといって……」

「だからといって?」

 村人の言葉に、バセンジーは問い返す。が、村人は答えられない。

「一匹目は運が良かっただけだ。まともに戦っても、まず勝てんぞ」

 村長が重々しく言う。

「オーガが村に殴り込んできても、村は守り切れんな……」

 バセンジーも、狩人たちを見回して言う。

「じゃあ、どうしろって言うんだよっ!」

 ひとりの村人が叫ぶ。

 ローシェンは考え、そして口を開いた。

「まともに戦わなければ、勝機はあると思う」

 一体目のオーガも、正々堂々と戦って勝ったわけではない。もし、正々堂々と戦っていたら、ローシェンは死んでいた。勝ったのは、小細工と運のおかげ。

「どう戦う?」

 バセンジーが問う。

「事前に罠を仕掛け、そこにオーガを誘い込む。オーガの動きを、ある程度、封じられれば、たぶん何とか……」

 小細工を労し、それが上手くいけば、どうにか互角ぐらいには持っていけそうな気はする。が、勝てる自信はない。

「大型の獣に使う罠があったな。オーガにも使えるだろう。あと、動きを封じれば、ひよっこにも、矢は当てられる」

 上手くいけば、一体目と戦ったときより有利な条件で戦える。

「勝てるか?」

「わからん。が、奴は沢に転げ落ちたせいで多少なりと弱っている。でなければ、あの図体だ。コッカーが生きている説明がつかん」

 バセンジーは、怪我をしたコッカーを一瞥すると言葉を続ける。

「まだ、今なら決して勝てない相手ではない」

 村長の問いに、バセンジーが楽しげにこたえる。

 つまり、日が経てば傷も癒え、オーガは、より手強くなる。そして、そうなったら村を守るのは、より難しくなる。

「囮は、あたしが……」

「僕がやる。恨まれてる分、確実に追ってきてくれると思う」

 シェルティの言葉を遮りローシェンが言う。シェルティは、何か言いたげではあったが、結局、何も言わない。

「決まりだ。異存は無いな?」

 村長は、まわりを見回し問うが、みな無言だった。

 こうして、村の方針は決まった。



 灯りの炎が、ゆらゆらゆれる。

 部屋に響くのはシェルティの声。

 歌のような旋律。語りかけるような口調。

 踊るように炎がゆれる。

 菜種油に芯を差しただけの簡単な灯り。芯の太さを考えれば、その炎は不自然に大きい。

 ローシェンは、その炎の動きに見入っていた。

 風もないのに炎がゆれる。シェルティの旋律に合わせ舞い踊る。

 炎の動きは、シェルティの魔法による物。

 その場にいる精霊。その精霊と対話することによって、その力を借りるのだそうだ。

 唐突にシェルティが言葉を紡ぐのを止めた。その途端、灯りの炎が小さくなった。同時に部屋も暗くなる。

 いや、本来の明るさに戻っただけだ。

「あたしの使う魔法は、精霊の力を借りる魔法。その場にいる精霊との対話で発現する魔法ね。その場にいない精霊の力は借りれないし、相性の問題もあって、力を借りれない精霊もいる」

 部屋の中央におかれた小さなテーブル。そこを挟んで、ローシェンとシェルティは向かい合って座っていた。

 あたしの手の内を見せてあげる。そう言って、夜、村長宅の一室で、ひとり、ぼんやりとしていたローシェンの元に、シェルティがやってきたのだった。

「曾お祖父ちゃんの日記によれば、曾お祖母ちゃんは、すごい魔法使いだったみたいだけど、あたしの魔法は全然、大したことはできないよ。いちばん強い術ですら、オーガには大して効かないと思うし」

 訥々と語るシェルティ。

「どんな魔法なの?」

「火の精霊に頼み、炎をぶつける魔法」

 ローシェンの問いにシェルティはこたえる。そして、言葉を続けた。

「冒険者になってから身につけた魔法なんだけど、一撃で相手を倒せる威力は無いよ。ま、怯ませる程度の事はできたけど……」

 溜め息をついて、シェルティは語り続ける。

「あたしね、精霊が見えるのよ。それで精霊と話ができるようになって、その力が借りれるようになったとき、有頂天になった。あっちこっちで使って回って、で、お父さんに怒られて……でも、また使って、気がついたら周りの見る目が変わってた。あれは、怖いモノを見る目だった。それで、もう、人前では使わないって決めたんだ」

「でも、使ってくれたお陰で、僕もコッカーも死なずにすんだんだよ」

 ローシェンの言葉に、シェルティは、くすくす笑った。

「うん。できれば、あたしは魔法を使いたいヒトだから」

「だから冒険者に?」

 その問いに、シェルティは頷く。

「冒険者なら魔法使いも、それほど珍しくないからね。それに、曾お祖父ちゃんたちに憧れてたんだ」

 黙ってローシェンは、シェルティの話を聞く。

「冒険者になった後、仲間になったベドリントンが言ったんだ……」

「英雄や勇者は物語に守られてる?」

「そ。だから、あたしローシェンの話を聞いたとき、あなたの物語に便乗できるかと思ったんだ。そうすれば、また冒険者に戻れるかと……」

 シェルティの言葉に、ローシェンは困ったような表情を浮かべる。

「あ~……畑を捨てて冒険者になる気はないんだけど……」

 その言葉に、シェルティは、どこか悲しげな笑みを浮かべる。

「怒らないんだ……」

「なんで?」

 ローシェンの問いに、シェルティは吹き出す。

「お人好し」

 そう言うと、シェルティは立ち上がった。

「あたしね、ローシェンに剣を教えたことを後悔してる。剣の上達が凄く早くて、本物の勇者かもしれないなんて思って……ホントに後悔してる……」

「なんで?」

 ローシェンは、再び、同じ問いを口にした。

 シェルティは、ローシェンの傍らに立つと、一言。

「鈍感……!」

 ゆっくりと、そう口にすると、ローシェンの頬に、掠めるようなキスをした。

 そして、呆然としているローシェンを後目に部屋を出ていった。

 扉が閉まる音でローシェンは我に返った。そして、シェルティの言った意味を考えてみる。

 ふと外を見ると、いつの間にか朝になっていた。



 知らない間に眠っていた。目が覚めると、もう昼過ぎだった。

 オーガは、ローシェンを狙っている。だから、準備がすむまで表に出るな。そう念押しされたので、朝からずっと村長の屋敷にいた。

 皆が働いている中、何もしないでいるのは居心地が悪い。

 ローシェンは、溜め息をつく。

 罠を仕掛ける場所、その候補の一つにローシェンの畑があった。畑には収穫期を迎えたジャガイモ。早く収穫してしまわなかった事が悔やまれる。

「あ、ローシェン!」

 食堂に降りたところを呼び止められる。村長の息子であるウィペットだ。十歳ほどに見えるが、もう十二歳だ。歳のわりに小柄なので、いじめられているのを、ときどき見かける。

「ローシェンって、オーガに勝ったんだよね? もう一匹、倒せば英雄だよね? そうなると、ローシェンの事を吟遊詩人が詩や物語にしたりするのかなぁ?」

 ウィペットが、屈託のない表情で聞いてくる。まるで、ローシェンが負けるなんて思ってもいないようだ。

「さぁ? 考えたことも無かったなぁ……」

 不安はあるが、それは表情には出さない。

「ウィペット。あまり出歩くな、部屋に戻っていろ」

 いつの間にか戻ってきた村長が、ウィペットに言う。ウィペットは、渋々ながらも、自分の部屋へと戻っていった。

「ローシェン、準備ができた。倉に曾祖父さんの鎧がある、よかったら着ていけ」

「じゃあ、使わせてもらいます」

 ローシェンはこたえる。そういう村長も、皮鎧を身につけていた。村長も、戦うつもりなのだ。

 不意打ちでなくとも、オーガに二発も殴られたら命に関わる。が、鎧があれば、だいぶマシにはなる。

「村長は武器が使えるそうですが、どこで扱いを憶えたんです?」

 ローシェンは、村長にたずねる。

「街だ。一時期、騎士になりたいと思った頃があってな。曾祖父さんが騎士だった事もあり、騎士の従者にはなれたんだ。結局、性に合わず、村に戻ってきたがな」

 苦笑混じりに村長はこたえる。そして、自虐的に言葉を続けた。

「街から出戻って来るのは、家の家系の伝統らしい。爺さんも親父もそうだった。俺もそうだし、シェルティもだ」

 話ながら、村長と倉へと向かう。倉を開けると、すぐそこに板金鎧が一式おかれていた。

「曾祖父さんの鎧だ。冒険者が使う鎧として作られているから、一人でも着ることができるはずだ」

 ローシェンは、胴鎧を手に取ってみる。冷たい鉄色。それほど複雑な構造はしていないので、一人でも何とか着れそうだった。大きさも、ローシェンの体に合っていた。

 まるで、こうなることがわかっていて準備されたように感じられる。

「なあ、ローシェン。この件の片が付いたら、シェルティを任せていいか?」

 板金鎧を、ひとつひとつ確かめながら身につけるローシェンに、村長は、そう話しかける。

「はい?」

 言っている意味がわからない。ローシェンは思わず問い返した。

「上手くいけば、お前は村の英雄だ。ハーフ・エルフを嫁にしても、誰も後ろ指を指したりはしない」

「でっでも、シェルティの意見は?」

 ローシェンは慌ててたずねる。村長が他の部屋を使わせなかった理由を、ようやく理解できた。

「嫌だとは言わなかったか。シェルティは、お前を嫌っていない。それで十分だろう?」

 村長は、ローシェンを一瞥すると倉を出る。

「シェルティには、村に居場所が必要だ。まあ、ゆっくり考えてくれ」

 ローシェンは、溜め息をつく。死ぬかもしれないのに、そんな事を言われても困る。

「勇者で英雄か……」

 呟き、シェルティの話を思い出す。

 勇者や英雄は物語に守られている。そう、シェルティは言っていた。そして、ローシェンは神の啓示で選ばれた勇者で、物語には必ず終わりがある。

「ああ、そういうことか……」

 自分が何故、勇者に選ばれたのか納得がいった。オーガに出くわす前に、啓示を受けた理由。そして、自分が死ななかった理由。何より、もう啓示が降りてこない理由。全部、納得できた。

 自分を守る物語があるとすれば、きっともうすぐ終わるはずだ。

 何よりも、物語の結末が、ハッピーエンドとは限らないのだ。が、最悪の結果だけは避けられる。そんな確信がローシェンにはあった。

「まあ、安いものか」

 ローシェンが啓示を受けなければ、きっと十人単位で死人が出ていただろう。それを、一人の命で補えるなら、十分に安いといえる。それに物語の結果がわかったら、ずいぶん気楽になった。

 シェルティの件も、これで悩まないですむ。これに関しては、少し残念だった。



 鎧は、まるで、あつらえたかのように体になじんだ。軽く走ってみるが、動きにくくはない。これなら鎧を着ても、オーガに追いつかれることはないだろう。

 ウィペットに見送られて、ローシェンは村長の屋敷をあとにした。

 バセンジーと狩人たちが仕掛けた罠を見て、ローシェンは思わず頭を抱えたくなった。

 畑の中に深く杭を打ち込み、それに熊罠を固定してある。踏みつけると、鉄の顎が足に噛みつく罠。そして、所々に掘り返したような跡。みな、収穫前のローシェンの畑の中に仕掛けられていた。

 今期の収穫は、諦めた方が良さそうだ。

 いま、畑の近くにいるのは、ローシェンの他に、村長とバセンジー。少し距離を置いてシェルティ。そして、狩人たちが遠巻きにローシェンを見ている。

 狩人の中にはローシェンの友人もいた。が、何も言ってこない。

 気持ちはわかる。ただの農夫だと思っていた友人が、突然、剣をとってオーガを倒したのだ。それに、魔法使いまで近くにいる。

 ローシェンだって、啓示を受けていないときにシェルティが魔法を使って見せたら、きっと同じ反応を示しただろう。

「悪いが罠を隠せる場所は、ここにしかなかった」

 バセンジーは言う。

 茂ったジャガイモの葉で、仕掛けられた罠は隠れている。確かに、無数の罠を隠すには都合が良いかもしれない。

「後で埋め合わせはする。すまんが、今回は諦めろ」

 村長も、申し訳なさそうに言う。

 森に面した畑で、収穫が終わっていないのはローシェンの畑だけだった。森に近い畑は、猪の被害に遭いやすいので早めに収穫するのだが、ローシェンは剣の稽古に夢中で、まだ収穫していなかった。何より今年は木の実が豊富で、熊や猪は降りてこないだろうという思惑もあったのだ。

「ここまで、考えてあったんですか?」

 ローシェンは、空を仰いでぼやく。だとしたら、さすがだと言わざるを得ない。

「葉に色が付けてあるのがわかるな? そこに罠が仕掛けてある。上手くオーガを誘導してくれ。熊罠に、足止め用の落とし穴だ。上手く避けろ」

 バセンジーは、畑の芋の葉を指さして言う。そして言葉を続けた。

「上手く罠にかけることができたら畑から出ろ。隠れていた狩人、全員で矢を射かける」

 罠で動きを封じられた上で矢を射かけられたら、いかにオーガでも無事ではすまないはず。上手くいけば、村の戦力でオーガを倒すことも不可能ではない。

「ローシェン。ちょっと、いいかな……?」

 躊躇いがちにシェルティが声をかける。

 ローシェンがシェルティに向き直ると、シェルティは口を開いた。

「ローシェン。あなたは何を考えているの? 昨日だって、一番危ない役目を引き受けるし……」

 シェルティに問われ、ローシェンは言葉に詰まる。

 なぜ、危険な役目を引き受けたのかは、自分にもわからなかった。

 啓示を受けたからでもない。勇者だと啓示は受けたが、だからといってローシェンの考えが変わったわけではない。それに、オーガの存在が明らかになってからは、いや、それ以前から、啓示はローシェンのするべき使命など伝えなかった。全て、ローシェンの意志によるものだ。

「こんな時に何もしないで、じっとしてられるかな? 僕には無理だ」

 たぶん、これがこたえ。何かすべき時に何もしないでいることはできない。自分に何かできるのなら尚更のことだ。これはローシェンの性分だ。

 小さく息をつくと、ローシェンは踵を返す。

「じゃ、行って来る」

「ローシェン。死んじゃ駄目だよ」

 シェルティが小声で言う。

 たぶん、大丈夫だ。作戦が上手くいけば、オーガも十分に仕留められる。足も、森の中ならローシェンの方が速い。きっと大丈夫。ローシェンは、自分にそういい聞かせる。

 勇者ローシェンの物語は、これで終わるだろうけど、きっと、村を守って終われるはずだ。

「じゃ、今から行って来ます。待ち伏せのほう、頼みますね」

「ああ、生きて戻れよ」

 歩き出したローシェンに、村長が、そう声をかける。

 ローシェンは、思わず苦笑して振り返る。

「当たり前です」

 生きて戻れなかった段階で、そもそも、この作戦は失敗なのだ。



 森に入ったローシェンは、開けた場所で足を止めた。

 バセンジーを始めとする狩人たちのように、足跡が読めるわけではない。だからといって、宛もなく歩き回るつもりもない。

 ローシェンは、落ちていた枯れ枝を拾って、近くの倒木に打ち付ける。乾いた音が森に響いた。

 耳を澄ませて、周囲の気配を探ってみる。なんの気配も感じられない。

 再び、枯れ枝を倒木に打ち付けた。

 オーガがローシェンを探して、村周辺の森を歩き回っているなら、いずれは、この音に気づくだろう。そして、オーガに見つけてもらったら、そのまま村に逃げ帰る。

 不安はある。ローシェンはバセンジーやシェルティのように、周囲の気配に敏感ではない。気づいたときにはオーガは目と鼻の先。そういった事態も考えられる。実際、気配に敏感な狩人たちですらオーガに不意を付かれたのだ。難しいとは思う。

「近くにいるよ、気づいてる?」

「いや、全く気づいてなかった……」

 不意に声をかけられたが、ローシェンは、慌てずこたえる。

 声の主はシェルティ。ローシェンの後ろで、大きく溜め息をついた。

「考えてみたら、ローシェンって気配を察したり足跡を追ったりって、全然、駄目だったから……」

 小声で、呆れたように言う。

 それに気が付いて、追ってきてくれたらしい。思えば、とんでもない失敗をするところだった。

「斜め左、椚の陰」

 シェルティに言われ、ローシェンは、そっと椚の木を視界の隅に納める。

 ……いた。

 椚の影から、こちらを伺っている。

 そして、オーガの片手には大きな丸太が握られていた。

「助かったよ。不意を突かれたら危なかった……」

 かなり近い。たぶん襲われるまで気づけなかっただろう。

 小さく息をつくと、ローシェンは言葉を続ける。

「何とか村まで誘導してみる。シェルティは先に戻ってて」

「でも……」

 渋るシェルティに、ローシェンは言葉を続けた。

「なんで、襲ってこないかわかる? アイツは、追いかけても追いつけないって事に気づいてるんだ。だから、あからさまに逃げても、追ってはこないと思う。とりあえず頭に血を上らせてみようと思うんだけど……」

 茂みに潜むオーガを真っ直ぐに睨み付けながら、ローシェンは言葉を続けた。

「それにアイツの狙いは、目下、僕だけだと思う。村の狩人たちだって、結局は見のがされただろ?」

 だから、わざわざシェルティが危険な役目に付き合う必要はない。そう続く言葉をローシェンは、ぐっと飲み込む。

 小さく息をつき、ローシェンはオーガに見せつけるように長剣を抜きはなった。

 このオーガは馬鹿ではない。昨日だって先回りされて襲われたのだ。そして、今日の作戦も、昨日の作戦と大差はない。

「なら、尚のこと。魔法で援護するよ」

 シェルティがローシェンに並んで立つ。その手には、遮光板の降ろされたランタン。そのランタンの遮光板が開かれる。

 茂みから、オーガが飛び出してきた。

 ローシェンとシェルティが二手に分かれ、後ろに飛び退く。オーガの振るった丸太はローシェンを捉えようとするが空をかいた。

 オーガの体には、無数の打撲と擦り傷。昨日、沢に転がり落ちたときの傷だ。

 シェルティがランタンを掲げ大きく息を吸い込んだ。それを横目に見ながら、ローシェンは後ずさりしながら剣を振るうが、オーガと同じく空をかいた。

「炎よ。疾れっ!」

 シェルティの持っていたランタンが内側から弾け、あり得ないほどの炎かオーガに向かって伸びる。

 その一条の炎が、オーガの胸を焼いた。

 大気が震えるような叫び声。

 オーガがローシェンに背を向け、シェルティに向かおうとする。その背中めがけて、ローシェンは渾身の力で剣を振るった。

 ローシェンの剣が、オーガの背中を斬りつける。深く斬りつけたつもりだが、巨体のオーガにとっては、それは致命傷ではない。

 再び、オーガが叫び声をあげる。

 そして、怒り狂った顔をローシェンに向けた。もうオーガには、細かなことを考える余裕は無いはずだ。

「逃げるよっ!」

 シェルティが短く叫んで駆け出した。ローシェンも踵を返すと駆け出す。

 背中に衝撃を受けてよろめく。丸太が背中を掠めたのだ。が、倒れはしない。鎧のお陰か骨にも異常は感じられない。

 ローシェンは、走りながらオーガを振り返る。手を伸ばせば、届きそうにも思えるほど、オーガは近くにいる。

 いい距離だ。

 ローシェンは小さく笑って、村に向かって駆けていった。



 ローシェンの畑が、目の前に見える。後ろからは、オーガの足音。

 シェルティは、とうに先に行ってしまい姿も見えない。他の者たち同様、身を隠しているのだろう。

 畑の両脇に、大きなカゴが伏せておかれているが、そんな物を気に止めている余裕はローシェンにはない。

 畑に飛び込み、畝や芋を踏んで走る。ローシェンが自分で作った芋だ。正直、心が痛む。

 次いでオーガも畑に入った。それと同時に、畑の左右におかれたカゴが跳ね上がり、中から村長とバセンジーが姿を現した。その二人の手には、一本のロープ。ローシェンが駆け抜けると同時に、畑を横切るように一本のロープが張られる。

 オーガは咄嗟に避けきれず、ロープに足を取られて派手に転んだ。オーガの怪力に引きずられ、村長やバセンジーも地面に転がる。

 次いで、周囲の家の陰に隠れていた狩人たちが姿を現し、オーガに向かって立て続けに矢を放った。

 拙い。そう思うが、それはローシェンの杞憂だった。

 オーガは転んだだけで、熊罠などの動きを封じる罠にはかかっていない。そう思ったが、オーガの片腕が半ばまで畑に埋まっていた。落とし穴だ。しかも、腕を引き抜こうとしているが、一向に抜ける気配がない。

 オーガの体に、無数の矢が突き刺さっていく。分厚い筋肉ゆえに深くは刺さらない。が、数が数だ。いずれはオーガも息絶える。遅れて、一条の炎がオーガの顔を焼いた。シェルティの魔法だ。

 どうやら勝ったようだ。ローシェンは、大きく溜め息をつく。

 オーガは、丸太を杖代わりにし、唸り声をあげながら腕を引き抜こうとする。

 腕の周囲の土が盛り上がった。

 そして、オーガの腕が引き抜かれる。

 その腕には、無数の杭が刺さっていた。それを見て、ローシェンはバセンジーが仕掛けた罠を理解した。

 細く深い穴を掘り、その穴の壁面に、先端を鋭く尖らせた杭を下向きに埋め込む。要するに返しのついた落とし穴だ。穴に足が嵌り、それを抜こうとした場合、下向きに埋め込まれた杭が足に食い込む。無理に引き抜こうにも、杭が邪魔をし動きを封じるはずだった。

 引き抜かれたのは、土の軟らかい畑に仕掛けたせいかとも思ったが、オーガの腕の長さを考えると硬い地盤にまで穴は掘り下げてあるはずだ。オーガの怪力を甘く見ていたのかもしれない。

 オーガが畑から飛び出すと、狩人たちが及び腰になる。もう、罠は当てにできないのだ。

 ローシェンは大きく息をつくと、オーガに向かって剣を構えた。

 沢へ転げ落ち、剣で斬られ魔法の炎で焼かれた上に、全身に矢を射かけられてオーガは弱っている。いまを逃したら、このオーガは倒せない。

 覚悟を決めて、ローシェンはオーガに斬りかかった。

 剣が届く前に、強烈な一撃を食らって、ローシェンは弾き飛ばされる。が、すぐに起きあがってオーガに剣を向けた。

 バセンジーも矢を射かけるが、当たっても効いている気配はない。そして、再び一条の炎が、オーガを焼いた。

 シェルティの魔法。どうやら、これが一番確実に効くらしい。

「シェルティ。何とか時間を稼ぐから、その魔法を続けて……」

「もう無理っ!」

 ローシェンの言葉に、悲鳴に近い、シェルティの返事。

 魔法は無制限に使えるわけではない。既にシェルティは、三回も炎の魔法を使っている。もう、魔法は打ち止めになってもおかしくはない。

 オーガが丸太を振るう。ローシェンは再び弾き飛ばされた。

 まだ意識が保てるのは、この鎧のおかげだ。でも、あと一撃、喰らったら拙いだろう。

 ローシェンは起きあがりつつシェルティに視線を向ける。そして、大きく息をついた。

「逃げてっ! ローシェンっ!」

 泣きそうな声で、シェルティが叫ぶ。

 ローシェンは、まだ走れる。でも、もう、魔法が使えないほど消耗したシェルティはどうだろうか。きっと逃げ切れないだろう。

 ならば、するべき事はひとつ。

 刺し違えてでも、オーガを倒すこと。

「もう、無理よっ! 罠も使えないんじゃっ!」

 取り乱したシェルティの声。それを聞いても、ローシェンは、不思議と落ち着いていた。

「勇者だなんて言われても、なかなか信じられなかった。実は今の今まで疑ってた。でも信じる。世界の調和を保つために選ばれた勇者なら、きっと勝てるはず」

 ローシェンは、ひとり、オーガに相対して呟くように言う。

 例え自分が命を落としても、村が勝てれば、それで良いのだ。

 ローシェンは、澄んだ笑みを浮かべる。

「だからこそ、やらなくちゃ」

 もう、迷いはない。

 自分が、ここで踏ん張れば他の村人たちだって勇気を持ってくれるはず。下手に逃げたりすれば、そこから総崩れになることは目に見えている。

 ローシェンは、オーガに向かって斬りかかった。

 よく見れば、剣を当てることもできる。

 よく見れば、丸太を避けることもできる。

 剣だって、致命傷こそ与えられないものの、傷を負わせることは十分にできるのだ。

 要するに根比べだ。

 ローシェンの息が上がり丸太で叩き潰されるのが先か、それともオーガが力尽きるのが先か。

 落とし穴に嵌った腕には無数の杭。そのお陰で、オーガは両手で丸太を振り回すことはできないようだ。片手で振るわれる丸太は、両手のときより遅く、しかも動きに無駄が多い。

 ローシェンはオーガに向かって踏む込むと、渾身の力を込めて斬りかかる。

 刺さずに斬れ。それが前回、オーガと戦ったときの教訓。

 大きな生き物に深く刃物を突き立てた場合、咄嗟に抜けなくなることが間々あるそうだ。

 そしてローシェンの武器は長剣が一振り。抜けなくなった場合、唯一の武器が封じられてしまうことになる。そうなったら、もう勝ち目はない。

 シェルティも言っていた。

 刺突という剣の使い方は、必殺を狙った場合のみ。それ以外は使うなと。

 このオーガに対して必殺の一撃など、まず打ち込めない。だから小さな傷を無数に負わせることにより徐々に消耗させていくしかない。

 ローシェンの斬撃は、オーガの皮膚、そのあちこちを切り裂く。

 が、分厚い筋肉に阻まれ骨や内臓には達しない。が、オーガの筋肉も、幾らかは断ち切っている。それは、オーガの出血量からも明らかだ。

 対するオーガ。その丸太の一撃は、ローシェンを正確に捉えきれていない。オーガの動きを読み、素早く丸太をかわし続けるローシェン。

 でも、その息は、すでに上がり掛けていた。

 徐々に、オーガの振るう丸太が、ローシェンを掠めるようになる。

 そして、根比べの軍配はオーガにあがった。

 息が切れて、よろめいたところを丸太で殴り飛ばされる。

 弾き飛ばされ転がったローシェンに向かって、オーガは丸太を振り上げた。

 と、その眉間に、短い矢が突き刺さった。

 シェルティの弩だ。

 眉間を捉えはしたものの、分厚い骨に阻まれ致命傷には、ほど遠い。が、オーガの歩みは、いったん停まった。

 オーガの視線がシェルティに向けられる。

 ローシェンは慌てて身を起こし、オーガの気を引こうとする。が、体が鉛のように重く、その動きは緩慢と遅い。

 次の瞬間、オーガに向かって無数の矢が突き刺さった。

 それまで立ち尽くしていた狩人たちが、ようやく矢を射かけ始めたのだ。

 次いで鈍い音が響き、振り上げられたオーガの手が止まった。その腹からは、血で濡れた槍の穂先が飛び出している。

 村長だった。

 オーガの背後から、槍を構えて突進したのだ。突進力を上乗せした一撃だからこそ、オーガの体を貫けたのだ。

 口から血を吐き、よろめきはするが、オーガは倒れない。振り向きざまに村長を弾き飛ばした。

 これが、オーガの見せた最後の隙だった。

 シェルティがランタンの炎に語りかける。無理を承知で魔法を使うつもりなのだろう。

 何とか身を起こしたローシェンは、剣を構え直すとオーガに向かって駆けだした。

 バセンジーが矢の狙いを付け、他の狩人たちも再び矢をつがえる。

 シェルティが持ったランタンから、一条の炎が伸びオーガを焼いた。

 そして、バセンジーと狩人たちが矢を射かけ、無数の矢が再びオーガに突き刺さった。

 ローシェンは、渾身の力で突きを繰り出す。その突きは、正確に、その喉を貫いた。

 オーガは悲しげに天を仰ぎ、踵を返すと、おぼつかない足取りで一歩二歩と森に向かって歩いた。そして地響きを立てて倒れる。もう、息もしていない。

 咽せ返りながら村長が身を起こした。派手に弾き飛ばされはしたものの、傷自体は浅いようだった。

「勝ったのか……?」

 村長が呟く。

「やっと……終わった」

 ローシェンは呟くと、その場に大の字になって倒れた。体中が痛い。それに血を流しすぎたせいか、少し寒気を感じる。

「ローシェン……ゴメン。傷、直せないかもしれない。でも、絶対、死なないでね……」

 おぼつかない足取りでローシェンに近づくと、シェルティは涙声で言う。そして息を切らせながらローシェンに手を翳した。

「壮絶な相討ちを予想してたんだけど……勝っちゃったね。ちゃんと生き残った上で」

 疲れた、だか明るい口調でローシェンは言う。

 シェルティは怪訝そうな視線を向けた。

「勇者ローシェンの物語」

「馬鹿っ!」

 シェルティが叫ぶ。

 そして、泣きながら笑った。

「こんな場所で悪いけど……ちょっと、休むよ」

 小さな声で言うと、ローシェンは目を閉じた。

 意識が吸い込まれるように消えていく。最後に、慌てたようなシェルティの声が聞こえたような気がした。



『汝は勇者なり』

 光の中にローシェンは浮かんでいた。

『では、汝に問おう。勇者とは何か?』

 周囲には何も見えない。ただ、あの声だけが響く。

『汝よ、常に問え。勇者とは何か。己は勇者と呼べるのか』


「ちょっと、まっ……」

 そう叫びかけて目を覚ます。村長の屋敷、その一室。傍らにはシェルティが、ベットに伏すように寝ていた。

『常に問え。問い続けよ。勇者たらんする汝は、即ち勇者なり』

 ローシェンは、溜め息をついて呟く。

「まだ、終わってなかったんだ……」

 勇者ローシェンの物語。

「できれば、平凡で平穏な物がいいなぁ……」

 人生という物語があるなら、それが一番、良いように思える。

 シェルティが治してくれたのか体に痛みは、ほとんどなかった。

 ローシェンは、身を起こして溜め息をついた。そして優しくシェルティを揺り起こす。

「ローシェンっ!」

 目を覚ましたシェルティは、ローシェンの首に抱きついた。ローシェンも、そっとシェルティを抱きしめる。

「心配……掛けたみたいだね」

「いや、勇者ローシェンの事だから、心配いらないと思ってた」

 シェルティの言葉に、ローシェンは複雑な気持ちになる。

「でも……。でも、すごく心配した。もう、目を覚まさないんじゃないかって、いつの間にか、息が止まってるんじゃないかって……」

 泣きそうな声でシェルティは言う。

「ゴメン」

 小声でローシェンは謝った。

 抱きつくシェルティの腕に、力がこもる。

「っ! シェっ、シェルティっ! そこ痛い! そこ痛いっ!」

「ローシェンのバカーっ!」

 思わず叫ぶローシェンに、シェルティも怒ったように叫び返す。

 そんな、ふたりの叫び声は、部屋の外まで聞こえた。

「せっかく、人が気を遣ってやったというのに……」

 一階で、その叫び声を聞き、呆れたように、そして諦めたように村長が呟く。

「ブリアード……おまえが、いらん気を遣いすぎるからだ」

 呆れたように、そして咎めるようにバセンジー。

 ふたりは、揃って溜め息をついた。



 惚けたように、ローシェンは空を見上げる。

 あれから七日。何をする気も起きない。

 畑の修復作業こそは手伝ったものの、それ以外は何もやってない。丹誠込めて作っていたニンジンも、畑ごと駄目になってしまったし、キュウリも全滅に近い状態だった。

 何より、主食を作るジャガイモ畑が駄目になったのが痛かった。

 食べ物については村人が何とかしてくれるので、餓える事は無いだろうが、作物を駄目にされたことは、農夫のローシェンにとって、非常に痛いことだった。

 落ち込みもしたが、心持ち身軽になったような気もする。

 シェルティが毎日のように足を運んできてはいたが、声をかけてくれたのは最初の内だけ。その後は、惚けているローシェンを遠目に眺めているだけだった。そして今日は姿も現さない。

 きっと、呆れているのだろう。

「汝は勇者なり」

 ローシェンは呟き立ち上がった。

 もう、啓示の声は聞こえてこない。

 啓示もない今、自分が勇者だとは、やはり思えない。それ以前に勇者が何かすら、未だよく判らないのだ。

 でも、勇者でありたいという気持ちは、以前より強くなった。いや以前は、啓示を受けて何となく、そうなっただけにすぎない。

 でも、今は、自分の本心で、そう思うようになった。

 家に戻ると鎧櫃を開ける。中にはオーガと戦ったときに着た、あの鎧。

 オーガの一件が片付いた後、村長から長剣と共に譲り受けたのだ。

 その空いた透き間に、家にある保存食の類を適当に放り込む。

 近所の者に挨拶をしようかと思ったが、きっと止められると思い黙って出ていくことにした。シェルティも、きっと止めるだろう。

「村に戻ってきたら、シェルティに……」

 呟き、ローシェンは、その考えを振り払う。

 ローシェンの家の裏は、すぐ森だ。森を通れば誰にも見られることもなく、街道に出られる。

 畑を耕す勇者がいてもいいとは思う。でも、畑を耕しても勇者とは何かが、わかるわけではない。とりあえずは勇者とは何かが知りたかった。

 向かうは王都テリア。多くの冒険者が集まる場所でもある。自分以外にも、きっと勇者がいるはずだ。

「冒険者になろうとか考えてるなら、止めなさいと言っておく。勇者や英雄になれるのは、ほんの一握り。その日の生活すらままならないような冒険者だって珍しくないんだから」

 森に入ったローシェン。その後ろから、揶揄するような、そして楽しげなシェルティの声。

「その格好は?」

 振り返り、ローシェンはたずねる。

 シェルティは、なめし革の鎧に腰には短剣と矢筒。旅行用のマントを羽織り、大きなズタ袋を背負っていた。

「その覚悟は?」

 ローシェンの問いは無視してシェルティが問う。ローシェンの答えなど、わかっているとでも言いたげな楽しげな表情で。

「シェルティは?」

 込み上げてくる笑いを、ぐっと抑えながらローシェンはたずねた。

「聞いてるのは、あたし」

 シェルティに切り返され、ローシェンは楽しげに溜め息をつく。

「当然、あるさ」

 胸を張ってこたえられる。昨日まではありもしなかった。でも、今ならば。

 別に、平穏な人生を捨てたつもりはない。万一、無くなっていたとしても、その時は、また手に入れてみせる。

 ローシェンは、シェルティに背を向けると歩き出した。

「予想よりも、少し遅かったかな?」

 後ろを歩くシェルティが口を開く。怪訝そうに振り返るローシェンに、シェルティは言葉を続けた。

「今日の、朝一番で出てくると思ってたんだけど……」

 いたずらっぽい笑みを浮かべると、シェルティは小走りに走り寄り、ローシェンと腕を組んだ。

「汝よ、常に問え。勇者とは何か。己は勇者と呼べるのか」

 ローシェンは、小声で呟いた。

「勇者はローシェン。ローシェンは勇者と呼べるよ」

 楽しげにシェルティは言う。

「わけ、わかんないな……」

 苦笑混じりにローシェン。

「うん。ローシェンには、ローシェンの答えがあるだろうから」

 シェルティの言葉に、ローシェンは溜め息をついた。

 答えは当分、見つかりそうにはない。ローシェンは小さく息をついて空を見上げた。


 勇者ローシェンの物語は、当面、終わりそうにない。


登場人物の名前に困りまして、全部、犬種から貰ってきました。

主人公のローシェンは、同じ名前の犬種が存在します。ヒロインのシェルティはシェットランドシープドッグの略称です。

他、犬種の名から一部分だけ切り取ってきたりとかもしてますね。

ちなみに書き上げたのは十年近く前。

400字原稿換算で60枚程度のつもりで書いたら倍以上になりました。

もともと短編の予定で書いてた小説なので、内容は切りつめて書きました……のに、なんで予定の倍の尺になったやら。

昔書いた話だけあって、今読み返すと文章手直ししたくなるんですが、どうせ直すなら一から書き直してやろう。

そう思い、最近、基本内容はそのままで、小説賞に応募できる尺に書き直そうと試みましたが二体目のオーガと遭遇直後で絶賛中断中です。

書き直し版は、書き上げた部分だけで、この小説と同じ尺がありますので完成すれば規定の長さ届くんですけどねぇ……

中二病が再発してくれないと難しそうです。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんというかかなりテンポが悪い。 同じ説明が何度もされていたり、不必要に登場人物の名前を何度も出すのが最大の原因だと思われる。また表現力が乏しいのが目に付く。安直な描写が多く、作者だけの感覚…
[一言] 代名詞が出てこないスタイルが面白いです。 その半面やっぱりキャラ名を描写しまくることになるので、ちょーっとしつこいねっ!
[良い点]  農夫のローシェンが作物を丁寧に育てている様子から、それまで彼が真面目に生活してきた日々を感じることができました。  その分、突然聞こえてきた『汝は勇者なり』という声に、ローシェンが戸惑っ…
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