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制服

 こんにちは、と千尋は努めて明るく木村楽器店の中に入った。


「ん? ああ、千尋ちゃんか」


 店の奥に並んだ、大きな棚に向かって楽譜を並べていた木村は、振り向きざまに「いらっしゃい」と続けようとして目を丸める。

どうやら制服姿で店にやってきた千尋に驚いているようだった。

 

 千尋は普段、休日はもちろんのこと、平日に木村楽器店を訪れるときも、一旦家に帰って私服に着替えてから来店する。

わざわざそうしていたのは、母に外出を伝えるためというのもあったが、

何よりも千尋にとって高校の制服は孤独に身を置く服装であり、それは即ちひとりぼっちの象徴のようなものだったからだ。

そしてこの場所には、そのような悲しい気持ちを持ち込みたくないという思いがあった。


「珍しいね、制服で来るなんて」


「うんまあ、たまにはね。ええっと……秀太は今日来てますか?」


 そう言って店の時計に目をやると、17時を少し過ぎたところ。いつもの彼ならもう入店している時間だ。


「蒼井君? うん来てる来てる。今日も下で練習してるよ」


「良かった。それじゃあ、私もスタジオお借りしますね」


「どうぞどうぞ」という木村の了解を得て、千尋は店の奥にある階段を下り、地下にある小さなスタジオへ向かった。

防音の為、分厚く造られた扉の前に立ち、一つ深呼吸をする。

そして、絶対に悲しい顔は見せない、ともう一度強く心に誓う。

いつも通りに会話をして、練習して、気が紛れれば、元気を分けてもらえばそれでいい。

間違っても、慰めなんかを期待して、悲劇のヒロインを演じてしまってはいけない。


 この扉越しでは声かけは全く意味は成さないため、千尋はその代わりにトントンと、2つノックをした。

しかしその後数秒待っても反応は無く、もう一度今度は大きめにノックをしようと右手を振りあげた時、ガチャンと目の前の扉が開いた。

直後、隙間から除いた顔と目が合い、千尋は慌てて右手を下ろす。


「はぁい……ってあれ? 千尋? わー、今日は思いっきり女子高生だねー」


 そう言って秀太は部屋の中から千尋の格好をまじまじと見つめた。

女性の様な外見をした秀太とはいえ、男の人に体をそう凝視されるのはさすがに恥ずかしく、千尋は慌てて彼を押してスタジオ内へと入った。


「平日に会うのは久しぶりだね。制服だし、なんかあったの?」


 パイプ椅子に座って冗談っぽく言う秀太の言葉に、千尋は内心ドキリとした。しかし、表情には出さない。平静を装って返事をする。


「ううん。別に何にもないけど。今日はなんか、一旦家に戻るのが面倒くさかっただけ」


「そっか」秀太はそう言ってギターを手に取りジャラーンと音を鳴らす。

今のはCメジャーのコード。千尋でさえ押え方を知っている、最も基本的なコードで、秀太はよく無意識に、このコードを鳴らす癖があった。

秀太はその後、千尋の手にカバンを見つけると


「お母さんにはちゃんと言ってある?」


 と尋ねた。「何を?」とは訊かなくても解る。家に帰らずに木村楽器店に寄ることを、だ。


「うん。メールしといたから」


 嘘だ。本当は弁当のことが気にかかって、母とは連絡を取れずにいた。

しかし秀太はその言葉を疑うことなく、満足そうにうなずくと


「それじゃあ、今日も6時位までは練習出来るね。すぐに練習に入る? それとも学校終わったばかりだから、ちょっと寛いでからにする?」


 と言い、またひとつゆっくりと弦を弾いた。今度はAマイナーというコードだった。


「私は大丈夫。あんまり疲れてないし。さっきまではどの曲練習してたの?」


「んーと、最初は『キセキ』のアレンジを考えてたんだけど、途中から飽きて、さっきまでは『どんなときも。』を楽しく1人で歌いながら弾いてたよ」


「なにさ、それ」と、千尋は笑って返した。


「たまには僕も歌いたいんだよ」


「歌ったらいいのに」


 秀太はピックを持った右手を頬に寄せ、少しの間考えた格好をした後で


「いや、それは事故になるから」


 と答えた。それを聞いて吹き出す千尋を見て、秀太は不満そうに続ける。


「本当に笑い事じゃないんだから。小学校の時はともかく、中学高校は文化祭で合唱コンクールがあるから、めちゃくちゃ大変だったんだよ。ちゃんと練習に参加してたのに、いっつも女子に怒られてさ。『男子ちゃんと歌って! 蒼井君はちゃんと音を聞いて!』ってまさかの怒られ方だよね。運動もできないから、学園祭シーズンは本当に肩身が狭かった」


 気の強い委員長タイプの女の子に苛められている秀太の姿が簡単に想像できる。


「でもまあ、大変だったけど、今思えば音痴も悪くなかったね」


 首を傾げる千尋を見て、秀太は笑顔で言った。


「こんなに優しいボーカルと出会えたから」


 いつもの柔らかい口調で発せられたその言葉が、嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、涙が(こぼ)れた。

そしてその涙は、千尋の胸の中にある、もうひとつの異なる感情のブレーキを割った。

なにかが溢れる、音がした。

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