学生の本業(1)
この日は午後から秀太と由香里が千尋の家に来ることになっている。
1学期の中間テストが迫り、先日秀太に冗談半分で勉強を教えてくれと言ったら思いもよらず快諾してくれたのだ。
このことを話すと意外にも母は喜び、ついでに卓也も教えてもらえるよう頼んでよとまで言われた。ふつう家庭教師の料金はなかなか高いらしい。
テレビを見ていた卓也は嫌そうに「えー」と抗議の声を上げたが、毎回赤点だらけの彼は母に一喝された。
2人に教えるんだったら、教える方も2人いた方がいいだろうということで由香里にも頼み込んだ。
英文学科の彼女は、英語だけだったら、という条件で依頼を受けてくれた。
当日になっても「なんで俺まで……」とぶつくさ文句を続ける卓也に
「まあいいじゃん。それに由香里さん、すごい美人だよ」
と千尋が諭すが効果は得られず、終始卓也はソファの上でそっぽを向いたままだった。
駅まで2人を迎えに行くことになっており、秀太のことだからと約束の時間より幾分早めに向かうと、やっぱり彼の姿があった。
「わざわざありがとね」
「いえいえ」
「なんか弟まで一緒になっちゃったし」
「弟君はいくつ?」
「中学3年生で何気に受験生。サッカー推薦で行くんだなんて言ってるけど」
「サッカー部なんだ」
「うん。市の大会が終わるまでは全然勉強する気ないみたい」
「僕も中学の時は部活ばっかで全く勉強しなかったからなあ……。あ。そうそう、だから中学の範囲は逆に教えるの難しいかも」
「何部だったの?」
「んーと吹奏楽部。音感無いから打楽器だった。千尋は?」
「私はテニスやってた。軟式の方」
千尋はそう答えながら、高校でテニスを続けなかった理由を秀太に訊かれるのではないかと内心ドキドキしていた。
あまり触れられたくない話題だった。そんな千尋の心を読み取ってか、秀太はその後「そっか」と頷いただけで、それ以上話を進めなかった。
約束の時間になって、高梨の運転する車に乗って由香里がやって来た。今日は黄色のワンピースだった。
家まで乗せていってもらえることになり、由香里に続いて千尋と秀太も車に乗り込む。中の広さはもちろん、シートに座るとあまりに手触りが良くて驚いた。
運転席の高梨に住所を告げると、彼は「承知しました」と一言だけ言い、それ以上の指示は不要で家に着いた。さすがはプロだ。
「ただいまーっと。お母さーん!いらっしゃったよ!」
千尋が玄関を開けて呼ぶと、母はバタバタと足音を鳴らせ急いで玄関にやって来た。
「あらあら、初めまして千尋の母です。いつも千尋がお世話になっております。今日はわざわざいらして下さってありがとうございます。本当に千尋は……」
「取りあえず上がって貰おうよ。卓也も紹介しなくちゃいけないし」
母の話が長くなりそうだったので、千尋は慌てて割り込む。
リビングに入ると、隅にあるソファの上に卓也が落ち着かない様子で座っていた。彼なりに気を利かせたのか、テレビはちゃんと切ってあった。
「ほら、卓也もちゃんと挨拶しなさい」
と母が言う。卓也は「わかってるよ」と小さく呟いて立ち上がり、ふたりに挨拶をした。
「神崎卓也です。中学3年生です。今日はよろしくお願いします」
後に続いて秀太と由香里が自己紹介をする。
「えっと蒼井秀太です。K大学の1回生で、専攻は物理です」
「大江由香里です。K女学院の2回生です。こちらこそよろしくお願いします」
由香里がほほ笑んで、それを見た直後に卓也はすっと目をそらした。
「それで今日はどんな感じにしたらいいのかな?」
秀太が訊く。
「2階に私の部屋と卓也の部屋があるから、2人別々に分かれてもらって1時間交代で計2時間お願いしようと思ってるんだけど」
「うん、オッケー。間に20分くらい休憩も入れよう」
「はい、わかりました。私は英語しかできませんが」
「神崎家に英語得意な人はいないんで大丈夫ですよ」
母の言葉に笑いが起こる。より正確に言えば神崎家に勉強が得意な人はいない。
「最初はどう分かれましょうか?」
「うーん。まあ男女で別れたらいいんじゃないかな。ね?」
秀太が卓也に視線を送る。同意を求められた卓也は慌てて答えた。
「え、あ、はい。俺は何でもいい、です」
「んじゃ、決まりで」
と言って秀太が卓也の横についた。卓也は中学生ながら身長が175cm程あり、サッカーで鍛えられて体格もいいので、その横に秀太が並ぶとあまりにギャップがあって可笑しかった。
「中学生カップルの出来上がりですね」
そんな様子を見た由香里が笑いながら言う。
「由香里さん、たまにヒドいよね……」
秀太は力なく笑ったが、秀太と卓也の組み合わせを最も的確に表す表現だと千尋も思った。隣の卓也はさっきからチラチラと秀太の様子を伺っている。
「それでは始めちゃいましょうか」
由香里の一言で4人が階段へと向かう。母の「しっかり教えてもらいなさいよ」という声が後ろから聞こえた。
「あれは詐欺だろ……」
階段を登る途中、隣で卓也が後ろの秀太をチラっと見た後小声でそっと囁いた。思わぬ形で血のつながりを実感した。