こころ
次の週末、3人は予定通り木村楽器店に集まった。
キーボードを担いで店内に入って来た由香里を見て、木村は「これはまたえらい美人さんが……」と目を大きくした。
「綺麗なだけじゃないですよ、すごい上手なんだから」
千尋が店の奥から出迎える。
「こんにちは、由香里さん。良かった、迷いませんでした?」
「いえ、高梨は運転に関してはプロですから。住所さえ分かれば大丈夫です」
「すごいんですね。えっと、スタジオはあっちです。秀太も来てますよ」
由香里を連れて地下のスタジオに向かう。カウンターで木村が「誰の店だか……」と呟いたが聞こえなかったふりをした。
先週ファミレスで相談をした結果、3人で演奏する初めての曲は『世界に一つだけの花』に決まった。
店を出た後に再びメインストリートまで出向き楽譜を探した。上級者である由香里のピアノを生かした方がいいという秀太の案で、演奏難度が少し高めのピアノ弾き語りの楽譜にすることにした。
秀太のギターはどうするのか、と訊くと、彼はバンド譜やギター弾き語り譜を参考にしてアクセントのような役割で参加する、と答えた。
「あ、由香里さん!道に迷わなかった?」
椅子に座ってギターを弾いていた秀太が千尋と同じことを尋ねたので、千尋と由香里は顔を合わせて笑った。そんな2人をみて秀太は首をかしげる。
「ええ、大丈夫でした」
そう言って由香里はキーボードを下ろし、準備を始める。
「スピーカーは付いてる?」
「はい、スピーカー搭載のタイプです」
「良かった。それじゃあアンプとか、ケーブル関係は必要ないね」
「ええ、私も電子楽器の繋ぎ方はよくわからないので」
千尋は2人の会話を聞いて、軽音楽部では最初にスタジオ機材の使い方を教わったことを思い出した。
しかし新入生はみんな早く楽器を弾きたくてうずうずしていたので、あまりまじめに聞いていなかったし、
実際細かい調整は上級生がほとんどやっていたので特に問題は無かった。
キーボードの準備を終えると、由香里と秀太は最初に伴奏の打ち合わせを始めた。3人の持つ楽譜には本来無いギターパートについてだ。
秀太は予め言っていたように、ギターが入った楽譜をいくつか参考にして、コピーしたピアノ弾き語り譜に少し書き込みをしてきたようだ。
「イントロとサビの前にこう入って、あとは16ビートで小さくコード弾きしようかと思ってるんだけど。それかバラード調ならアルペジオだよね。一応両方とも練習はしてきた。このピアノ譜的にはどっちが合うのかな?」
秀太の問いかけに由香里は少し考えた後、
「せっかく3人でやる初めての曲なので、明るく16ビートでいきましょう」
と言った。
弾き語りの譜面を弾くのは初めてだと言っていたが、由香里のピアノ演奏は相変わらず聴いていて惚れ惚れするようだった。
一方秀太は、今まで1人でこなしていた伴奏を今回初めて2人でするということで、由香里のピアノと合わせるのに最初は少し苦労していた。
それでも、彼の言うところ吹奏楽部の経験が生きたのか、30分程2人で練習を続けているうちにある程度さまになってきた。
「1回、千尋に入ってもらおうか」
秀太の掛け声で千尋も演奏に参加する。
2人だけの時は使っていなかったマイクを今回から使用することにしていた。ハウリングに注意して左手に持つ。その手は少し汗ばんでいた。
軽快なアコースティックギターの音でこの曲は始まる。跳ねるようなピアノの演奏がそこに加わり、イントロを迎える。
2人が奏でる浮き浮きするようなその序奏は、聴いている者を心から歌いたいと思わせ、無意識に体を揺らせる。千尋も例外ではなく、Aメロに入ると口は自然に開いた。マイクを握る手はもう汗ばんでいなかった。
生の演奏をバックに歌うことが、これほど心地いいとは千尋は今まで思いもしなかった。
少なくとも、軽音楽部でのそれは「楽しさ」とは、遠くかけ離れていた。
楽器の弾き手の心が、どんなに演奏に反映されるか、歌い手の気持ちに影響するか、この日千尋は身にしみて感じた。