第53話 最後の朝
うなり声が聞こえた気がして宇海はがばりと起き上がり、その拍子にバランスを崩してハンモックから落ちた。
「い、たた……え?」
船室内に見慣れぬ——いや、見慣れてはいるけど——ものがいて、宇海はぱちくりと瞬いた。
「サミニクさんだ……」
見かけるときは大抵甲板か見張り台にいるサミニクが、船室内のハンモックの上でうなり声を上げながら寝ている。しかもだいぶ苦しそう。
「だ、大丈夫、サミニクさん……?」
「うう……ああ、君か……ぐ、うう……」
心配になった宇海が話しかけると、気がついたサミニクは頭を抑えながら返事をした。
「昨夜、飲み過ぎて……しまってね……。私とした、ことが……」
そう言ってまたうなり声を上げるサミニク。これはだいぶ重症だなと思った宇海は、自分にできることを考えた。
「アーレフさん呼んでこようか? それか、えーっと、お水飲む?」
「ああ……アーレフ嬢を……呼んできてくれ……」
「うん」
宇海はなるべく音を立てないようにしながら扉を開けて出ていった。アーレフは今どこにいるのか考えながら、意外な結果に驚いた。
サミニクは、お酒を飲み過ぎると室内で寝る。
○
「あらまぁ、それは大変ね。すぐに行くわ。ごめんなさい、ちょっと待っててね」
「はい」
アーレフはすぐに見つかった。と言うよりも、医務室の前で海軍の兵士たちが数人たむろしていたので、すぐにそこにいるとわかった。どうやら彼らも飲み過ぎたか怪我をしたかで、アーレフの治療を受けに来たようだった。
宇海がアーレフにサミニクの話をすると、アーレフは診察を中断しすぐにサミニクのいる船室へと向かった。自分の仲間だからと言うより、自分で動ける人よりも動けない人の方が最優先だと判断したからだ。
その後についていこうとしたところで、宇海の耳に海兵たちの会話が聞こえてきた。
「やっぱり、アーレフ様はお優しいな」
「ああ。俺たちみたいな下っ端相手にも分け隔てなく接してくださるし、ご友人が重症だと知ればすぐに駆けつける」
「本当にあの方が上官になっていれば、辛い航海だっていくらでも乗り越えられるのにな」
「……本当に、って?」
ふと気になった宇海が尋ねてみると、海兵たちは気さくに答えてくれた。
「君もアーレフ様と航海したのなら知ってるだろうけど、アーレフ様も魔法がお強いだろう?」
「何度か魔物の討伐隊に同行されたことがあるそうなんだが、アーレフ様の強力な一撃で魔物がほとんど倒れたって噂だ」
「だから海軍に入れれば、他国との戦争でも有利に——」
「その話はやめてもらおうか」
「く、クラーク卿……!」
突然アーバントが会話に割り込んできた。アーバントは海兵たちを睨みつける。
「魔法の使えない君たちには到底理解できないだろうが、強力な魔法を使えばその分精神にも影響が出るのだ。我が婚約者殿は特にその影響を受けやすい。ククッ。知っているか? 一度に大量の命を奪うと、それが人であろうが魔物であろうが、命を奪われたものたちの怨嗟が心になだれ込んでくるのだ。君たちの中にそれに耐えられる者はいるか? ん?」
アーバントは海兵一人一人の目をじっくり見つめた。見つめられた者は、ゾクリと身体を震わせる。
「恐ろしいであろう? 耐えられぬであろう? ならば我が婚約者殿を便利な道具として扱うような発言はやめてもらおうか」
「「「もっ……申し訳ございませんでした‼」」」
海兵たちが謝ると、アーバントは冷めた目つきを向けて立ち去った。宇海は慌ててその背中を追いかける。
「アーバントさん!」
「ん? なんだ?」
こちらを振り向いたアーバントの顔は、まだ不機嫌そうだった。
「あの、アーレフさんのこと……ありがとうございます」
「……」
「この船が魔物に襲われたときに、アーレフさんが魔法で倒したそうなんだけど、その後アーレフさんの調子が悪くなっちゃって……。えっと、アグリア様と会ったときも、その話をするの嫌そうにしてたから、その……」
そこまで言ったところで、宇海は自分の中で話をまとめられなくて口をぱくぱくさせた。なにか言おうとしても、うまく言葉が見つからない。
するとアーバントは「気にするな」と言った。
「少々腹が立ったから注意しただけだ。アーレフがあの魔法を使うたびにどれだけ精神を消耗させたか、あやつらは知らんのだ。なのに力だけは使わせようとする。持たざる者が持つ者の力を都合の良いように利用しようとするなど、千年早いわ。……君」
「は、はい」
「アーレフの治療を受けたことはあるか?」
宇海はこくりと頷いた。
「では感謝の気持ちを忘れるでないぞ。治療してもらって当たり前だと決して思うな」
「……はい」
「そもそも彼女が治癒魔法を覚えたのは、魔法の練習で生傷の絶えなかった俺という存在がそばにいたからだ。俺に対する感謝も忘れるな」
「……はい?」
なんだか変な方向に話が進みだした。
「アーレフを好きなように使っていいのは、彼女の兄貴分でもあり婚約者たる俺ただ一人だ。他人が勝手にどうこうというのは——」
「そんな奴誰一人としていないよ」
「あ、ピカネート船長」
アーバントの後ろから現れたピカネートが呆れた声で言った。
「アーレフがどうするかはアーレフ自信が決めるもんだ。好き勝手使っていい権利なんて、誰にもないよ。それよりもアーバント。さっさとあっちの船に戻ったらどうだい? 準備が整い次第国に戻るって、クリスナー大尉が命令出してたよ。って言うか、昨夜言ってた資料作りはしなくていいのかい?」
「その資料を作るために聞かねばならぬ話を先程まで聞いていたのだ。それが終わってみれば、アーレフにいらぬちょっかいを出しそうな連中がいたから見張っていた。案ずるな。後でアーレフに軽く挨拶だけしたらすぐに戻る」
「そうかい。じゃあこれでやっとアンタの顔を見なくて済むわけだ」
「お互いにな。……ああ、そうそう」
アーバントが突然しゃがんで、宇海の顔を覗きこんだ。宇海はまたドキッとして顔を赤くさせる。
「君にかけられたその加護は素晴らしいな。後でよくよくバーハローズ様に感謝するといい。ではまた、機会があれば会おうではないか。君との会話であれば大歓迎だ」
そう言ってアーバントは宇海の手を取り、手の甲に口付けをした。
「へっ……⁉ えっ⁉」
「ちょ、ちょっとアンタ⁉ ウミになにしてんのさ!」
「? なにを驚いているのだ? ただの挨拶だろう。まったく、これだから礼儀も知らぬ下民は」
「知らなくて悪かったね! もう、さっさと行っちまいな!」
「言われずともそうする。ではな、ピカネート。くれぐれも我が婚約者殿に迷惑をかけるでないぞ」
「アンタに言われたくないよ!」
ピカネートが言い返してくるのも無視して、アーバントは去っていった。ピカネートはその背を睨みつけ、宇海はまだ顔を赤くしながらぽかんとした顔で見送った。
「……ウミ、頼むからアイツを見て顔を赤くさせるのはやめてくれないかい。そんないい男じゃないよ」
「ご、ごめん……。でも、好きなキャラクターに、ちょっと似てて……」
「……?」
ピカネートは意味がわからないというような視線を宇海に寄こした。しかし宇海は説明するのが難しいのと恥ずかしいのとで、そそくさとその場を立ち去った。




