第50話 海の神
結局のところ、決定的に「これだ!」となるような手がかりは得られないまま、時間だけが過ぎていった。それでも、宇海はこの時間を楽しんでいることにふと気がついた。寝ている間に知らない世界に来て、目が覚めたら海賊船にいて、一緒に冒険をして、楽しいことも大変なことも沢山あって、海軍と戦ったと思ったら一緒に行動している。誰一人として欠けることなく、海賊も、海軍も、今は全員で海の神様が現れるのを待っている。これはきっと奇跡的なことなんだと、宇海はじんわり感じた。みんなが仲良くなって、笑顔でいる。とても素敵なことだ。
だから宇海は、海賊のみんなのお話の最後に、こっそりと続きを書き加えた。みんなが海賊になるまでのお話だけでなく、それからどうなったかのお話もあった方がきっと喜んでくれる。そう思ったのだ。
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空の色が少しずつ変化して、みんなの姿をオレンジ色に染めるようになってきた。船首の先に、大きな太陽がある。
ピカネートはもう一度みんなを甲板に集めた。海軍の兵士たちも、海軍の船の上から固唾を呑んで見守っている。
「アンタたち、今朝は申し訳なかったね。でも、あの失敗があったおかげでわかったこともある」
そう言ってピカネートはちらりとアーバントを見た。アーバントは何も言わず、小さく頷いた。
「これからもう一度、バーハローズ様に会うためにサミニクに演奏してもらう。頼んだよ、サミニク」
「ああ、頼まれたよ船長。我らがここまで来たのはこの日この時のためと、今こそ思う。さあ、海の神よ! 我らの願いを聞き給え!」
サミニクが船首に立ち、ミリーを構えた。深呼吸をすると、ゆっくりと綺麗な音色を奏で始めた。その音色は、今朝聴いた時よりも、断然今の状況に合っているように宇海には聴こえた。
我らが麗しの 海の神
古より伝わる 原初の神の一柱
愛しき海を守りし 人魚姫
我らの元に 現れよ
我らが麗しの 海の神
我らの願いを 叶え給え
無限に広がる 海の果て
その果ての果てまで 連れていけ
幾多の海峡を 過ぎゆきて
幾多の試練を 乗り越えて
あなたの元に馳せ参じた 我々に
加護と自由を 与え給え
(すごく……きれい……)
オレンジ色に染まった空の下で、高らかに奏でられたサミニクの歌と演奏はとても幻想的だった。宇海だけでなく、誰もがうっとりとしていた。
するとどこからか、別の歌声が聴こえてきた。サミニクの演奏に合わせるように歌う声の主を探すように、みんなして頭を動かした。その歌声はとても澄んでいて、魔法にでもかかったかのような心地にさせた。
我が愛しの 冒険者たち
勇気と希望を その胸に抱き
鎖から解き放たれた 人の子よ
汝の望みを 叶えよう
ザパアッ‼
歌が終わると同時に、海から何かが飛び出てきた。
「……‼」
夕日を背に、船よりも高く飛び上がった何かは、上半身は人間と同じような形をしているが、下半身は魚のようだった。
(人魚だ……!)
海から現れた人魚に、誰もが歓声を上げる。人魚は大きな弧を描いてまた海に潜ったが、すぐに顔を海から出した。
「私を呼んだのはあなたたち?」
人魚が喋った。宇海はそのことにもだが、人魚の肌の色に気がついてさらにびっくりした。なんと、真っ青なのだ! たしかそんな映画があったはずだと、宇海は頭の片隅で妙に冷静に思い出していた。
一番近くにいるサミニクが人魚の質問に答えた。
「いかにも。我々エタリップ海賊団と、オールクスル王国海軍の皆様だ。我が名はサミニク。こちらは相棒のミリー。そしてこちらにおわすのが、エタリップ海賊団の船長、ピカネート・エタリップ」
サミニクが恭しくピカネートを指し示す。ピカネートは緊張しながらも、堂々と人魚の前に出た。
「どうも初めまして。アタシはピカネートだ。アンタが海の神、バーハローズ様で間違いないね?」
いつも被っている帽子を脱ぎ、船から身を乗り出しながらそう言った。長い髪が風でふわりと揺れると、人魚もふわりと笑った。
「ええ、私がバーハローズよ」
人魚——バーハローズが答えると、海賊からも、海軍からも興奮の声が上がる。バーハローズはそれを特に気にもせずに続けた。
「あなたたちのことはずっと見ていたわ。女の子だけで海に出るだなんて、初めてなんだもの。とても勇敢で、向こう見ずで、次に何が起こるのか、全く予想できなかった」
そう言ってバーハローズはくすりと笑った。
「ずっと……ずっと、アタシたちのことを? 知って、見ていたのかい?」
「ええ。だから、本当は今朝呼ばれたことも知っているの。その時に出てきてもよかったんだけど、あの時点で終わらせてしまうのは、少し心残りがあったの。もう少しだけ、どうなるのか見ていたかった」
「それって、もしかして……」
ピカネートははっとして振り返り、アーバントをちらりと見た。アーバントも驚いた顔でバーハローズを見ていた。
「そう。うふふ。よかったでしょう、今朝でなくて」
「あ、ああ……」
バーハローズから笑顔を向けられて、ピカネートは困ったように頭をかいた。そんなことまでお見通しだったなんて。
「それで? あなたたちはなにか望みや願いがあって私を呼んだのよね? あなたの口から教えてくれないかしら」
「ああ」
ピカネートは真面目な顔で、自分たちの願いを答えた。
「アタシたちが自由に航海できるようにしてほしいんだ。アタシの仲間たちは、今までなにかに縛られた生活をしていた。でも、アタシたちは自由に生きたい。自由に航海したい。魔女だと怖がられることなく魔法を使いたい。自分を偽ることなく過ごしたい。誰かに追われることなく過ごしたい。誰かから強制された相手じゃなく、自分が一緒にいたいと思う人と日々を過ごしたい」
ピカネートはそう言いながら、今までのことを思い返していた。辛いことも、楽しいことも、全部。
「だから、アタシたちの自由を保障してほしいんだ。神様のお墨付きがあれば、安心して航海できる。バーハローズ様、アタシたちが願うのは、自由だ。……ウミ」
「う、うん……!」
ピカネートに呼ばれて、宇海も緊張しながらそちらへ向かった。もちろん、みんなのお話を書いた羊皮紙の束を抱えて。
宇海がそばまでやってくると、ピカネートはまたバーハローズに向けて言った。
「これまでアタシたちがどう過ごしてきたのか、どうして自由を欲しているのかを知ればきっと願いを叶えてくれると思って、ウミにみんなのお話を書いてもらった。どうか、読んでくれないかい?」
「どうぞ」
宇海は緊張でぎくしゃくした動きになりながらも、羊皮紙をバーハローズに手渡した。
「ありがとう。ふふ。どんなことが書いてあるのか、楽しみだわ。海の出来事はわかっても、陸の出来事はよく知らないのよ」
羊皮紙を受け取ったバーハローズは笑いながら言った。宇海はお話を読み始めるバーハローズを、緊張と不安をないまぜにさせながら見守った。日本語が読めなかったらどうしよう!
しかしどうやら宇海の心配は杞憂に終わったようだった。バーハローズには日本語も読めるのか、表情をころころと変えながら羊皮紙の束をめくっていく。
そしてついに最後の——ピカネートから聞いたお話の部分に差し掛かった。




