第44話 願いを届けたいのなら
なんとか全ての契約書に〝これを無効とする〟と書くことができた。正確に数えてはいないが、百枚近くはあったんじゃないかと宇海は思った。よくこんなに用意したね、と言うと、アーバントは、
「褒めても真新しい契約書しか出ないぞ」
と、懐から無記名の契約書を取り出した。褒めてないし、いらない。
一仕事終えた宇海は、ピカネートとの約束通り、アーバントも連れて船首へと向かった。
甲板ではまだみんなが忙しそうに動き回っている。始めこそ海賊側も海軍側も、どうして協力しないといけないんだ、と不満そうだった。しかしアーレフが両者を説得したことで渋々と協力し始め、今では海賊側からの指示だろうが海軍側からの指示だろうがみんな素直に従っている。また、海軍側は海賊たちが魔法を使って作業している姿を見て「これは便利だ」と感心し、海賊側も海軍の力持ちたちが魔法も使わずに重いものを持ち運んでいる姿を見て「さすが海軍だ」と感心していた。
そんな中、船首ではピカネート、アーレフ、クリスナー大尉の三人が集まって、なにやら話し合いをしていた。ピカネートの手元には地図があり、それを見ながら意見を言い合っているようだ。
「ピカネート船長!」
「おお、ウミ! もう終わったのかい?」
宇海が話しかけると、難しい顔をしていたピカネートがぱっと笑顔になってこちらを向いた。アーレフも「お疲れ様」と宇海に労いの言葉をかける。
「うん、もう終わったよ」
「ああ。海兵どもの名前が書かれた契約書に関しては、全て無効となった」
とアーバントが言うと、ピカネートはまたすぐ胡乱気な顔をした。
「なんだい、その含みのある言い方は……」
「他にもあるってことなの?」
「アーレフよ。他にも名前の書かれた契約書があるとして、それをどうやって確認する? それはここにあるのか? ここではない別の場所にあるとしたら——」
「わかったわよ。海軍の人たちにかかった魔法が解けたなら、今はそれでいいわ」
また面倒なことになりそうな気配を察したアーレフは、アーバントの言葉を最後まで聞かずに遮った。その様子が面白いのか、アーバントはニヤニヤと笑みを浮かべた。
「コイツのことは置いといて。ウミ。この文章の意味がわかるかい?」
「どれ?」
ピカネートは手元の地図を宇海に見せた。ここなんだけど、と言って地図の左上を指差すが、宇海にはそこに文字らしきものがあるとはわかっても、全然知らない文字なのでこれっぽっちも読めなかった。
「ごめん……。全然読めない……」
「無茶を言うでない。この少女が読み書きできるのは、この少女が生まれ育った国の言語だけだぞ。書き損じた契約書を混ぜても気づいた様子が一切なかった」
「ええ⁉ なんでそんなことしたの⁉」
しれっとイタズラしたことを白状するアーバント。宇海は信じられない気持ちになった。そんなことしなければ、もっと早く終わったのに!
「俺が仕掛けた魔法の無効化を、見ず知らずの他人に委ねるのだぞ。しかも相手は年端もゆかない少女だ。本当に読み書きができるのか疑うのも、仕方のないことであろう」
「もう……。あなたのその気持ちがわからないわけではないけど、だからって書き損じを混ぜる必要ないでしょ。……って、あなたでも書き損じるのね」
アーレフが意外そうに言うと、アーバントは「俺のせいではない」と返した。
「まれに己の名前の綴りも満足に書けないがいるのだ。そのせいで書き損じが生じた。それよりも今はその文章の方が大切なのであろう? どれ、俺が読んでやろう」
アーバントが地図を覗き込み、そこに書かれている文章を読み始めた。
「黄昏時の太陽の 下で眠りし人魚姫
望みを言えども聞き入れず 贄を落とせば総攫え
願いを届けたいのなら 音をたよりに……んん? なんだこれは。文章が途中で終わっているではないか。これでは肝心なところがわからないぞ」
「そうなのよ。この文章が海の神バーハローズ様に会うための手がかりになっているはずなんだけど、なぜか途中で終わっているものだから、音を頼りにどうすればいいのかがわからないのよね」
アーレフが困った顔で言った。宇海もアーバントの声を真剣に聞いていたが、変なところで終わるものだからもやもやした気分になった。
「これを書いた奴は一体何を考えていたのだ……。ところで、この地図はどこから出てきたものだ?」
「ああ、これは我らの船の船長室にあったものです。バーハローズ様に会いに行くという話を聞いて、思い出したのですよ。古い地図の中に、海の神に関するものがあったはずだと。そこで船に戻って探したところ、これを見つけました」
とクリスナー大尉。アーバントがいつもの調子で会話に混ざっているのが気に入らない、とでも言うように顔をしかめていた。
「なるほどな……?」
アーバントもアーバントで疑うような目つきをクリスナー大尉に向けた。険悪な空気になりそうな中で、それを割くようにピカネートが口を挟む。
「一行目は、王国から見て陽の沈む場所、つまりそのくらい遠い海の向こうに神様がいるって意味だと思うんだ。二行目は、叶えてほしい願いをただ唱えるだけじゃ聞いてもらえない。相手が神様だからって、生贄を差し出せばいいって考えも大間違い。……と、ここまではこの三人とも意見が一致した。ここまでは、ウミ……とアーバントもわかったかい?」
「うん」
「言われるまでもない」
「アンタじゃなくてウミのために説明したんだよ。……で、問題は三行目。『願いを届けたいのなら 音をたよりに』。これが願いを叶えてもらうための正解の方法だと思うんだけど、音をたよりに、どうすれば思う?」
「私は、バーハローズ様がいらっしゃる場所へ近づくと音が聴こえて、その音を頼りに辿っていけばお会いできる、と考えたわ」
とアーレフ。「私も同意見です」とクリスナー大尉が頷いた。
「アタシも、その可能性はありそうだと思うんだけど、じゃあ、その音ってどういう音なの? って疑問が出てくるだろう? その音を聴けば、確実に〝これだ〟とわかるのかい?」
ピカネートの疑問を聞いて、宇海もその〝音〟ってなんだろう、と考えた。アーバントさんが文章を読んだ時に〝人魚姫〟と言っていたのが海の神様なら、人魚の歌声が聴こえてくるの? でもどこから? どうやって? もし海の中から聴こえてきたら、海の中に入らないと会えないの?
「ふむ。それで他者の意見も求めていたのか。いい判断だ」
と、なぜか偉そうに言うアーバント。
「文章だけでなく、地図全体に仕掛けが施されている可能性はないのか? 実は楽譜になっていたり、単語を並べ替えることで真の文章となったり、別の地図と組み合わせることで文章の続きが現れたり」
「なるほど。それは思いつかなかったね。楽譜のことはわからないけど、単語の並べ替えねぇ……。並べ替えるだけならいくらでも並べ替えられるけど、それはそれで正解がわからないんじゃないのかい?」
「そうよねぇ。となると別の地図と組み合わせ……。クリスナー大尉、このほかにも似たような地図はありましたか?」
アーレフが聞くと、クリスナー大尉は首を横に振った。
「いえ。古い地図、というだけでしたら他にも何枚かありますが、海の神について書かれたものは、これしか見つかりませんでした」
「そうですか……。ううん、どうしましょう」
ああでもない、こうでもないと意見を出し合う中、宇海は一人で考え続けていた。音をたよりにの〝たよりに〟って、本当に〝頼る〟って意味なのかな? みんなはそうだと思って考えてるみたいだけど……。たよりに、たよりに……〝便りに〟?
(お便り……? 音の、お便り……?)
「こっちから、音を出すってこと……?」
「え? 何か言ったかい、ウミ」
ピカネートに聞き返されて、宇海は今考えついたことを説明した。
「あ、うん。あの、聴こえてくる音を頼るんじゃなくて、こっちから音を出す……えっと、つまり、音のお便りを届けるんじゃないかなって、思ったの……」
みんなが不思議そうな顔でこっちを見てくるものだから、宇海は段々自分が変なことを言っているんじゃないかと不安になって、声を小さくさせていった。
「君、自分が何を言っているのかわかっているか? 〝頼り〟と〝便り〟は全く別の言葉だぞ」
アーバントがものすごく不安そうな顔で言った。もしかしたら契約書に書いた文字も、でたらめなものなんじゃないかと疑っているかもしれない。
「それもいい考えかもしれないけど、こればっかりはアーバントの言う通りだからねぇ……。でも、考えてくれてありがとな、ウミ」
ピカネートも困った様な笑みを浮かべてくる。
「で、でも、〝頼り〟と〝便り〟は同音異義語だよ? だったら、お便りの方でも合ってるんじゃないの?」
宇海はそう反論したが、やっぱりみんな困った顔をするだけだった。
(そっか。みんなにはきっと違う言葉で聞こえてるし、日本じゃないから、同音異義語もないのかな……)
せっかくいいアイデアが浮かんだと思ったのに、誰にも理解してもらえないのなら間違いだったのかもしれない。
そう宇海が思って落ち込んでいると、ポロロン、と音が聴こえた。
「ここは我らの出番か」
楽しそうな音色を奏でながらサミニクがやってきた。
「音を頼りにするならば、我らが音を追ってしんぜよう。音を便りにするならば、我らが奏でてしんぜよう」
「サミニク! それは頼りになるよ!」
サミニクの進言に、ピカネートはぱっと顔を明るくさせた。
「そうだね。音に関することなら、サミニクがいれば百人力だよ! じゃあ、さっそく」
「ただし!」
「⁉」
サミニクがピカネートの眼前にミリーの弓をピシッとつきつけた。
「音を頼りにするならば、その海域へと我らを運べ。音を便りにするならば、海の神のお気に召す旋律を。しかしすぐには浮かばない。時間が欲しい。これは神への挑戦だ。半端な音色は怒りを買う」
「あー……わかった。それじゃあ、今日の残り時間は、バーハローズ様に会うための準備に各自当てるとしよう。明日になったら、会いに行く。それでいいかい?」
「仰せのままに」
サミニクは深くお辞儀をして、ミリーを奏でながら去っていった。
「アンタたちも、それでいい?」
ピカネートが聞くと、みんなも頷いた。
「よし。それじゃあ解散!」




