第42話 自分の意思であるなら
「アーレフ王女!」
「クリスナー大尉」
声のしたほうをみんなで振り向くと、クリスナー大尉が苦い顔で立っていた。
「アーレフ王女、この度はお助けいただき、誠に——」
「お礼なら私ではなく、私の友人たち……特に、ピカネートとウミちゃんに言ってください。この二人のおかげで、今私たちは無事でいられているのですから」
「……はっ」
指摘されたクリスナー大尉は、一度アーレフにお辞儀をするとピカネートに向き直った。
「ピカネート・エタリップ。我々を助けたことは、感謝する。海軍を代表して礼を言おう。……ありがとう」
「どういたしまして。感謝ついでに、この船を奪ったことも見逃してくれるかい?」
「それとこれとは話が別だ! 調子に乗るな! ……ごほん。だが、まぁ、今だけは大目に見てやろう。王女の御前だからな」
「じゃあ、ずっとアーレフの側にいたら、ずっと見逃してくれるってわけだ。これは片時も離れないようにしておかないと」
「調子に乗らないの」
アーレフにまで言われて、ピカネートは口を尖らせた。
クリスナー大尉は、今度は宇海のほうを向いた。片膝をついて、目線を合わせる。
「少年……いや、少女だったな。えーっと……」
「宇海です。波風宇海」
「そう、ウミくん。君も助けてくれたんだな。勇敢な子だ。ありがとう」
「でも、わたし、なんにも助けてなんて……」
「いいや、ウミの行動は確かに助けになったよ」
「ええ。ピカネートの言う通りよ」
「え……?」
宇海がピカネートとアーレフを仰ぐ。二人は微笑みながら言った。
「ウミがいてくれなかったら、今頃アーレフはアーバントに連れ去られて、海軍の船でどこかに行っちゃっていたかもしれない。この船に乗り込んだ海軍とアタシたちを置き去りにしてね」
「まさかウミちゃんがあの魔法をくらっても平気だとは思いもしなかったわ。でも、そのおかげでアーバントの意識がウミちゃんに向いて、ピカネートたちがこっそり動いてアーバントを止めるまでの時間を稼ぐことができたの」
「ああ、誠にその通りだ。君の存在はまるで誤算だったな」
と最後にアーバントがふてくされた声でつけ加えた。
「だからウミは、なにもしてないなんてことはないんだ。意識してしたことじゃなくても、結果的に助けになった。ありがとう、ウミ。アタシたちを助けてくれて」
「ありがとう、ウミちゃん」
「……うん」
宇海はなんだかむずがゆくなってきた。そんなにお礼を言われるようなことはしていないのに! でも、みんなのためになったのは嬉しかった。
「ところで、コイツはどうするんだい? 未来の〝宮廷〟魔術師サマといえども、海軍を操って、アタシらだけでなく大尉まで攻撃しようとしたんだ。相応の罰でも受けさせるのかい?」
ピカネートはアーバントを指しながらクリスナー大尉に聞いた。
「うむ。たしかに魔術師殿のしたことは許しがたい。が、私には魔術師殿をどうこうできるほどの権限はない。……アーレフ王女。どうなさいますか」
クリスナー大尉がアーレフに振ると、アーレフは困った顔で笑った。
「まぁ、そうよね。彼をどうこうできるのは、この場には私しかいないわよね」
「そうであるな」
と、アーバント本人も首肯した。
アーレフがアーバントと向き合う。アーバントはニヤリと笑ったが、アーレフは真面目な顔つきを崩さなかった。
「アーバント。あなたの行動は、たとえ賊を捕らえるためだとしても、やりすぎよ」
「俺としては最善策を取ったつもりなのだがな」
「あのまま私たち全員を殺していたとしても、本当に最善策だと言えるの?」
「〝私たち〟ではない。正確に言えば、アーレフ、君以外の全員だ」
「そういう細かいことはいいのよ」
「正確さは大事だぞ、アーレフ。綻びがあっては失敗する。つまり、俺が海軍の阿呆どもを操ることで、こちら側の綻びはなくなり、計画が成功する確率は極めて高いものとなるのだ」
「だから……」
アーレフは一度大きく息を吐いた。
「だからあなたと話をするのは好きじゃないのよ」
「そうか? 俺は好きだぞ。君がどのように返してくるのか、実に興味深い」
「もういいわ。あなたの髪につけてるリボン、魔術が織り込まれているわよね。貸して。とりあえずそれであなたの両手を縛っておくわ」
「口でなくてよいのか?」
「本当はそうしたいけど、手が空いていたらすぐ取れちゃうでしょ」
「手が空いていなくても取れるがな」
「もういいから。大人しくしていてちょうだい」
アーレフは文句を言いながら、アーバントの髪からリボンをほどいて彼の両手首にしばりつけた。
「拘束せよ」
呪文を唱えると、リボンは固く結ばれた。反対呪文を唱えなければほどけることはない。
「ひとまずはそのままでいて。あなたの処遇は後で考えるわ。お父様にも手紙を書かなくちゃ……」
うんざりした顔でアーレフがまた溜息をつく。両手を縛られたというのに、アーバントは愉快そうな笑顔を浮かべていた。
「ああ、そうでした。アーレフ王女」
クリスナー大尉がなにかを思い出したような声を上げた。
「お父君……陛下より手紙を預かっております」
「手紙?」
アーレフは一瞬嫌そうな顔をして、クリスナー大尉が差し出した手紙を受け取った。
「既に誰か読みましたか?」
「いえ、滅相もございません! 陛下より賜わってから、読まず、読ませず、肌身離さず守り抜いてきました」
「そうですか。ろくでもない内容じゃなきゃいいんだけど……」
アーレフが手紙を広げ、読み始める。それを横からピカネートが覗き込み、宇海も気になってそっと覗いてみた。しかし読めない文字が模様のように並んでいるだけで、宇海にはちっとも読めなかった。
手紙を読み進めるアーレフ。始めは難しい顔をしていたが、段々と顔つきが変わり、最後にはくすりと笑った。ピカネートも柔らかな笑みを浮かべて言った。
「へぇ。よかったじゃないか、アーレフ」
「ええ、本当に。アーバント、あなたも読む? はい」
アーレフはアーバントの目の前に手紙を差し出した。アーバントはそれをさっと読むと、むすっとした顔をした。
「ふん。これでは骨折り損のくたびれ儲けではないか」
「なんて書いてあったの?」
宇海が尋ねると、アーレフは笑顔で答えた。
「〝城を出て船旅をするのが自分の意思であるなら、それを尊重する〟ですって。無理矢理連れ出されたのであれば犯人を絶対に許さないし、自分の意思であっても、海軍から戻るよう言われて素直に従う程度であればそれも許さない。でも、私自身の意思で決めて、その信念を曲げる気もないのであれば、黙認してくれるそうよ。存分に見聞を広めてきなさいって書いてあるわ」
「じゃあ、もう追われることもないんだね? よかったね、アーレフさん! ピカネート船長も!」
「ありがとう、ウミちゃん。……クリスナー大尉も、よろしいですね?」
話を振られたクリスナー大尉は、苦い顔をしながら言った。
「ええ。陛下がそうおっしゃるのであれば、そして、王女がこのまま〝船旅〟をお続けになるのおっしゃるのであれば、私はそれに従うまでです」
クリスナー大尉も、ここまでしてきたことが無駄に終わったことをよく思ってはいなかった。しかし上の命令一つで状況が変わることがあることも、よくわかっていた。今回はたまたまそういう時だったのだ。そう自分に言い聞かせた。
話題がひと段落ついたところで、ピカネートがクリスナー大尉に今後の話を切り出した。
「コイツが作った契約書を全部無効にするまでは、アンタたちにもここにいてもらわなきゃいけないけど……その後はどうするつもりだい? コイツと一緒にお城まで戻るにしても、大人しく拘束されたままでいるとは思えない。いっそどこかの無人島にでも置いていくかい?」
するとアーバントが鼻を鳴らして言った。
「無駄であろうな。魔術を駆使して城に戻ることくらい、訳もない」
「自分で言うことじゃないだろう……」
呆れ顔のピカネート。アーレフもうんざりとして言った。
「よくこれだけのことをしておいて、堂々と城に戻るなんて言えるわね……」
クリスナー大尉も渋い顔で答える。
「正直なところ、魔法を使える者のいない我々だけで、魔術師殿に再度黒魔術を使わせることなく帰還できる自信はない」
「そうであろうな」
「だから自分で言うことじゃないだろう……」
はあ、と溜息をつくピカネート。そしてみんなでああでもないこうでもないと言い合う中で、宇海はふと思いついたことを口に出した。
「神様……」
「え? ウミ、今なんて?」
ピカネートに聞き返され、宇海はおずおずと喋りだした。
「あ、あの……神様にお願いして、どうにかしてもらうっていうのはどうかなって、思ったんだけど……」
「神? またその少女が神だとかなんとかいう話のことか?」
アーバントに聞かれ、宇海は首を横に振る。
「そ、そうじゃなくて、海の神様に会いに行くから、どうせなら海軍の人たちも一緒に行くのはどうかなって。神様にお願いすれば、すぐお城まで帰してもらえるかもしれないし」
「なるほど。それはいい考えだね!」
ピカネートに褒められて、宇海はほっとした。変なことを言っていると思われなくてよかった。
「海の神に会いに行くとは、本気で言っているのか?」
反対に疑うような目付きをするアーバント。しかしピカネートがすぐに言い返した。
「本気も本気だよ。アタシたちは、自由な航海を保障してくれるよう、直談判しに行く途中なのさ。それに昨日、アグリアっていう水の神様と出会ったんだ。その時に言われたんだよ。海軍との戦いの先で、海の神バーハローズ様が待っているってね。だから、会えるんだ」
「バーハローズ様……⁉ あの、バーハローズ様か……⁉」
クリスナー大尉が驚いた声を出した。
「遥か昔のオールクスルの民が約束を交わしたと言われている、伝説の神……! 実在……するのか……!」
「ええ、そのようです。大尉も、ご一緒しますか?」
アーレフが問うと、クリスナー大尉は頷いた。
「国教自体はイルスマ教となっておりますが、全ての船乗りにとって、古の神バーハローズ様は特別な存在。会いに行かれるというのであれば、喜んでご一緒させていただきます」
「わかりました。アーバント、あなたもそれまで大人しくしていてちょうだいね」
少し怒ったようにアーレフが言うと、アーバントはニヤリと笑いながら答えた。
「ああ、もちろんだとも。かの原初の神と会える機会など滅多にない。〝それまでは〟大人しくしていよう」
「お願いだから、会ってからも大人しくしていてちょうだい……」




